【完結】財務大臣が『経済の話だけ』と毎日訪ねてきます。婚約破棄後、前世の経営知識で辺境を改革したら、こんな溺愛が始まりました

チャビューヘ

文字の大きさ
27 / 55

第27章「肥料研究所の設立」

しおりを挟む
 朝の光が、フェルゼン領の農地に降り注いでいた。

 四圃制の試験導入から一ヶ月。畑の様子は明らかに変わっている。

 だが、領主館の執務室では、グレンが険しい表情で立っていた。

「お嬢様」

 グレン・ミラーは、手にした資料を机に置いた。

「土壌改良には、限界があります」

 エリナは、資料に目を通す。

 数字が並んでいる。土の酸性度、栄養分の推移、収穫量の予測。

「四圃制で、確かに土壌は改善されました」

 グレンの声が、少し沈む。

「でも、このペースでは……年間収穫量の増加は、三割が限界です」

 エリナは、資料を置いた。

「肥料の品質、ということね」

「はい」

 グレンが頷く。

「今使っている肥料は、家畜の糞を発酵させただけのものです」

「それでは不十分、ということ?」

「ええ。もっと効率的な肥料があれば……」

 グレンの言葉が、止まる。

 エリナは、窓の外を見た。

 広がる農地。そこで働く住民たち。

 彼らの生活を、もっと豊かにしたい。

「研究所を作りましょう」

 エリナが、静かに言った。

「研究所……ですか?」

「ええ。肥料を専門に研究する施設を」

 グレンの瞳が、見開かれる。

「そんなもの、王国にも……」

「ないわね。だから、私たちが最初に作るの」

 エリナの声には、揺るぎない決意があった。

 その日の午後、オスカーが財務資料を持ってきた。

「お嬢様、王国からの援助金が入金されました」

 金貨五十枚。カイルが手配してくれた、財務省からの支援だ。

「これで、資金に余裕ができましたね」

 マリアが、嬉しそうに微笑む。

 エリナは、帳簿を開いた。

「金貨三枚を、肥料研究所の設立に使います」

 オスカーが、顔を上げた。

「三枚……ですか。それは相当な額ですが」

「必要な投資です」

 エリナは、計画書を広げる。

 建物の図面。設備のリスト。研究員の募集要項。

「まず、建物を建てます。領主館の東側、空いている土地に」

「規模は?」

「小さくていいわ。最初は実験室と、資材を置く倉庫があれば」

 グレンが、図面を覗き込む。

「金貨一枚で、十分に建てられますね」

「ええ。残りの二枚は、設備と研究員の給与に使います」

 エリナは、募集要項を書き始めた。

「求む、錬金術の心得のある者。農業経験は不問」

 オスカーが、首を傾げる。

「錬金術……とは?」

「物質の本質や変化を研究する古き学問です」

 エリナの口から、すらすらと言葉が出てくる。

 前世の知識。だが、誰も気づいていない。

「その知識がある人間など、この領地に……」

「王都から募集します。給与は月に銀貨五枚」

 かなりの高給だ。

 だが、それだけの価値がある。

「グレン、あなたが所長になってください」

 エリナが、グレンを見た。

「俺が……ですか?」

「あなたには、人を見る目がある。そして、交渉の才能もある」

「でも、俺は錬金術なんて……」

「学べばいい。私が教えます」

 エリナの言葉に、グレンの瞳が輝いた。

「お嬢様……」

「あなたは、私が最初に見出した人材です。期待しています」

 グレンは、深々と頭を下げた。

「必ず、期待に応えます」

 その声には、強い決意が込められていた。

 二週間後、肥料研究所の建物が完成した。

 木造の小さな建物。だが、窓は大きく、光がよく入る。

 実験台、天秤、ガラスの容器。必要な設備が揃えられている。

 そして、王都から三人の研究員が到着した。

「お初にお目にかかります、エリナ様」

 若い男性が、礼を取る。

「王都の錬金術ギルドで学んでおりました。物質の性質や変化なら、多少は心得があります」

「よく来てくださいました」

 エリナは、彼らを実験室へと案内した。

 錬金術という学問がこの世界に存在するなら、前世の知識もその枠組みで説明できる。

 エリナは、内心で安堵しながら説明を始めた。

「今日から、肥料の品質改良に取り組んでもらいます」

 研究員たちが、顔を見合わせる。

「肥料……ですか?」

「ええ。この領地の、そして王国の農業を変えるために」

 エリナは、黒板に文字を書き始めた。

「葉を育てる養分、根を育てる養分、実を育てる養分」

 研究員たちが、息を呑む。

「この三つが、植物の成長に最も重要です」

「どうやって、それを見分けるのですか?」

「錬金術の実験で確かめられます。堆肥を水に溶かし、特定の試薬で反応を見るのです」

 エリナの説明が、続く。

 根を育てる養分は、根を強く深く伸ばす。実を育てる養分は、穀物の粒を大きく充実させる。

 そして、これらをバランスよく含む肥料を作れば……

「収穫量は、倍になるかもしれません」

 研究員たちの瞳が、輝いた。

「それは……革命です」

 グレンも、驚きを隠せない。

「お嬢様、その知識は……」

「古い錬金術書で学びました」

 エリナは、さらりと答えた。

「王都の図書館に眠っていた、失われた知識です。それを実践に応用しただけです」

 半分は嘘だ。

 これは、前世で学んだ知識を、この世界の言葉で説明しているだけ。

 だが、結果が出れば誰も疑わない。

「では、実験を始めましょう」

 エリナは、堆肥を取り出した。

「まず、この堆肥の成分を分析します」

 研究員たちが、作業を始める。

 堆肥の一部を取り、純水に溶かし、特殊な試薬を垂らして色の変化を観察する。

「この青い色が濃いほど、葉を育てる養分が多いのです」

 エリナは、錬金術の実験手法として、それを丁寧に指導していく。

 発酵の温度。混合の比率。熟成の期間。

 すべて、前世の知識に基づいている。

 だが、それを「失われた錬金術」という言葉で包み隠す。

「お嬢様は……本当に、天才です」

 グレンが、呟いた。

「ただの努力家よ」

 エリナは、微笑んだ。

 心の中で、前世の自分に感謝しながら。

 一ヶ月が経った。

 研究所の庭に、試験畑が作られている。

 そこに、新しい肥料が撒かれた。

 葉を育てる養分、根を育てる養分、実を育てる養分を適切な比率で含む、高品質な堆肥。

「種を蒔きます」

 グレンが、丁寧に小麦の種を土に埋める。

 隣の畑には、従来の肥料が使われている。

 比較実験だ。

「あとは、待つだけですね」

 研究員の一人が、期待に満ちた声で言う。

 そして、二週間後。

 違いは、明らかだった。

「お嬢様!」

 グレンが、興奮した声で駆けてくる。

「芽の成長が、全然違います!」

 エリナも、試験畑へと向かった。

 新しい肥料を使った畑では、芽が青々と伸びている。

 従来の肥料の畑と比べて、明らかに大きい。

「これは……」

 研究員たちも、驚きを隠せない。

「まだ途中ですが、この調子なら……」

「収穫量は、五割増しになるかもしれません」

 エリナの言葉に、全員が歓声を上げた。

 その日の夕方、住民たちが試験畑を見に来た。

「これが、新しい肥料……」

 老農夫が、土に触れる。

「土が……生き返っているみたいだ」

 その手が、わずかに震えている。

「これで、また収穫が増えるのか」

 若い農夫が、目を輝かせる。

「ああ。エリナ様のおかげだ」

 住民たちの視線が、エリナに集まる。

 その瞳には、信頼と希望が満ちていた。

「まだ、本格導入には時間がかかります」

 エリナは、穏やかに言った。

「でも、必ず成功させます」

「信じています」

 老農夫が、深々と頭を下げた。

「あなたは、本当に……この領地の救世主です」

 エリナは、その言葉に微笑んだ。

 救世主ではない。

 ただ、前世の知識を使っているだけ。

 でも、それで人々が幸せになるなら。

 それでいい。

 その夜、領主館の執務室で。

 エリナは、帳簿を更新していた。

「肥料研究所への投資、金貨三枚」

 オスカーが、数字を確認する。

「見込まれる増収、年間で金貨二十枚以上」

「投資効率は、十分ね」

 エリナは、ペンを置いた。

 窓の外には、星空が広がっている。

 フェルゼン領は、確実に成長している。

 四圃制の導入。そして今、肥料の改良。

 次は何をすべきか。

 エリナの頭の中で、計画が巡る。

 流通の改善。ブランドの確立。王都への進出。

 やるべきことは、まだまだある。

「お嬢様」

 マリアが、お茶を持ってきた。

「お疲れ様です」

「ありがとう」

 エリナは、カップを手に取る。

 温かい紅茶の香りが、心を落ち着かせる。

「カイル様、最近いらっしゃいませんね」

 マリアの言葉に、エリナの手が止まる。

「……そうね」

 週に二、三度訪れていたカイル。

 だが、ここ数日は姿を見せていない。

 王都で、何か忙しいのだろう。

 エリナは、カイルから渡された書類を無意識に撫でる。

「この新しい錬金術の知識を、彼ならどんな風に評価してくれただろう」

 知的共依存からくる寂しさや喪失感が、胸を満たす。

「でも、すぐに来られますよ」

 マリアが、意味ありげに微笑む。

「あの方、お嬢様のことが……」

「マリア」

 エリナが、静かに言う。

「余計なことは、言わないで」

「はい、失礼しました」

 だが、マリアの笑みは消えない。

 エリナは、紅茶を一口飲んだ。

 カイルの顔が、脳裏に浮かぶ。

 また会いたい。

 その想いを、エリナは心の奥に押し込めた。

 寂しさを打ち消すかのように、羽ペンを強く握りしめる。

 今は、領地経営に集中しなければ。

 窓の外、フェルゼンの夜は静かに更けていく。

 肥料研究所の灯りが、闇の中で小さく輝いていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

『皇族を名乗った伯爵家は、帝国に処理されました』 ―天然メイドは、今日も失敗する―

ふわふわ
恋愛
婚約破棄を経て、静かに屋敷を去った令嬢。 その後に残された伯爵家は、焦燥と虚勢を抱えたまま立て直しを図ろうとする。 だが、思惑はことごとく空回りする。 社交界での小さな失態。 資金繰りの綻び。 信用の揺らぎ。 そして、屋敷の中で起こる“ちょっとした”騒動の数々。 決して大事件ではない。 けれど積み重なれば、笑えない。 一方、帝国では新たな時代が静かに始まろうとしている。 血筋とは何か。 名乗るとは何か。 国家が守るものとは何か。 これは、派手な復讐劇ではない。 怒号も陰謀もない。 ただ―― 立場を取り違えた家が、ゆっくりと現実に追いつかれていく物語。 そして今日も、屋敷では誰かが小さな失敗をする。 世界は静かに、しかし確実に動いている。

婚約破棄された悪役令嬢の心の声が面白かったので求婚してみた

夕景あき
恋愛
人の心の声が聞こえるカイルは、孤独の闇に閉じこもっていた。唯一の救いは、心の声まで真摯で温かい異母兄、第一王子の存在だけだった。 そんなカイルが、外交(婚約者探し)という名目で三国交流会へ向かうと、目の前で隣国の第二王子による公開婚約破棄が発生する。 婚約破棄された令嬢グレースは、表情一つ変えない高潔な令嬢。しかし、カイルがその心の声を聞き取ると、思いも寄らない内容が聞こえてきたのだった。

「地味で無能」と捨てられた令嬢は、冷酷な【年上イケオジ公爵】に嫁ぎました〜今更私の価値に気づいた元王太子が後悔で顔面蒼白になっても今更遅い

腐ったバナナ
恋愛
伯爵令嬢クラウディアは、婚約者のアルバート王太子と妹リリアンに「地味で無能」と断罪され、公衆の面前で婚約破棄される。 お飾りの厄介払いとして押し付けられた嫁ぎ先は、「氷壁公爵」と恐れられる年上の冷酷な辺境伯アレクシス・グレイヴナー公爵だった。 当初は冷徹だった公爵は、クラウディアの才能と、過去の傷を癒やす温もりに触れ、その愛を「二度と失わない」と固く誓う。 彼の愛は、包容力と同時に、狂気的な独占欲を伴った「大人の愛」へと昇華していく。

離婚と追放された悪役令嬢ですが、前世の農業知識で辺境の村を大改革!気づいた元夫が後悔の涙を流しても、隣国の王子様と幸せになります

黒崎隼人
ファンタジー
公爵令嬢リセラは、夫である王子ルドルフから突然の離婚を宣告される。理由は、異世界から現れた聖女セリーナへの愛。前世が農業大学の学生だった記憶を持つリセラは、ゲームのシナリオ通り悪役令嬢として処刑される運命を回避し、慰謝料として手に入れた辺境の荒れ地で第二の人生をスタートさせる! 前世の知識を活かした農業改革で、貧しい村はみるみる豊かに。美味しい作物と加工品は評判を呼び、やがて隣国の知的な王子アレクサンダーの目にも留まる。 「君の作る未来を、そばで見ていたい」――穏やかで誠実な彼に惹かれていくリセラ。 一方、リセラを捨てた元夫は彼女の成功を耳にし、後悔の念に駆られ始めるが……? これは、捨てられた悪役令嬢が、農業で華麗に成り上がり、真実の愛と幸せを掴む、痛快サクセス・ラブストーリー!

『悪役令嬢は、二度目の人生で無言を貫く。~処刑回避のために黙っていただけなのに、なぜか冷徹宰相様から「君こそ運命の人だ」と溺愛さています~』

放浪人
恋愛
「もう、余計なことは喋りません(処刑されたくないので!)」 王太子の婚約者エリスは、無実の罪を着せられた際、必死に弁解しようと叫び散らした結果「見苦しい」と断罪され、処刑されてしまった。 死に戻った彼女は悟る。「口は災いの元。二度目の人生は、何があっても口を閉ざして生き延びよう」と。 しかし、断罪の場で恐怖のあまり沈黙を貫いた結果、その姿は「弁解せず耐え忍ぶ高潔な令嬢」として称賛されてしまう。 さらに、人間嫌いの冷徹宰相クラウスに「私の静寂を理解する唯一の女性」と盛大な勘違いをされ、求婚されてしまい……!? 「君の沈黙は、愛の肯定だね?」(違います、怖くて固まっているだけです!) 「この国の危機を、一目で見抜くとは」(ただ臭かったから鼻を押さえただけです!) 怯えて黙っているだけの元悪役令嬢と、彼女の沈黙を「深遠な知性」と解釈して溺愛する最強宰相。 転生ヒロインの妨害も、隣国の陰謀も、全て「無言」で解決(?)していく、すれ違いロマンティック・コメディ! 最後はちゃんと言葉で愛を伝えて、最高のハッピーエンドを迎えます。

無能と婚約破棄された公爵令嬢ですが、冷徹皇帝は有能より“無害”を選ぶそうです

鷹 綾
恋愛
「君は普通だ。……いや、普通以下だ」 王太子にそう言われ、婚約を破棄された公爵令嬢フォウ。 王国でも屈指の有能一族に生まれながら、彼女だけは“平凡”。 兄は天才、妹は可憐で才色兼備、両親も社交界の頂点―― そんな家の中で「普通」は“無能”と同義だった。 王太子が選んだのは、有能で華やかな妹。 だがその裏で、兄は教会を敵に回し、父は未亡人の名誉を踏みにじり、母は国家機密を売り、妹は不貞を重ね、そして王太子は――王を越えようとした。 越えた者から崩れていく。 やがて王太子は廃嫡、公爵家は解体。 ただ一人、何も奪わず、何も越えなかったフォウだけが切り離される。 そんな彼女に手を差し伸べたのは、隣国の若き冷徹皇帝。 「有能は制御が難しい。無害のほうが使える」 駒として選ばれたはずの“無能な令嬢”。 けれど―― 越えなかった彼女こそ、最後まで壊れなかった。

悪役令嬢発溺愛幼女着

みおな
ファンタジー
「違います!わたくしは、フローラさんをいじめてなどいません!」  わたくしの声がホールに響いたけれど、誰もわたくしに手を差し伸べて下さることはなかった。  響いたのは、婚約者である王太子殿下の冷たい声。  わたくしに差し伸べられたのは、騎士団長のご子息がわたくしを強く床に押し付ける腕。  冷ややかな周囲のご令嬢ご令息の冷笑。  どうして。  誰もわたくしを信じてくれないまま、わたくしは冷たい牢の中で命を落とした。

【完結】魔力の見えない公爵令嬢は、王国最強の魔術師でした

er
恋愛
「魔力がない」と婚約破棄された公爵令嬢リーナ。だが真実は逆だった――純粋魔力を持つ規格外の天才魔術師! 王立試験で元婚約者を圧倒し首席合格、宮廷魔術師団長すら降参させる。王宮を救う活躍で副団長に昇進、イケメン公爵様からの求愛も!? 一方、元婚約者は没落し後悔の日々……。見る目のなかった男たちへの完全勝利と、新たな恋の物語。

処理中です...