【完結】財務大臣が『経済の話だけ』と毎日訪ねてきます。婚約破棄後、前世の経営知識で辺境を改革したら、こんな溺愛が始まりました

チャビューヘ

文字の大きさ
29 / 55

第29章「毎日訪問の予兆」

しおりを挟む
 王都市場への「視察」

 から、三日が過ぎていた。

 エリナは、執務室で書類を整理している。

 カイルの訪問は、週に二、三度。そのペースが確立していた。

 だが今日、予定外の訪問だった。

「お嬢様」

 マリアが、入口から顔を出す。

「カイル様が、いらっしゃいました」

 エリナの手が、止まる。

「今日は……予定では?」

「予定外、ですね」

 マリアの声には、笑みが含まれている。

 エリナは、応接室へと向かった。

 カイルが、窓の外を見ていた。

「カイル」

 振り返った彼の表情は、いつもより少し焦っている。

「エリナ」

 その声も、わずかに固い。

「すまない。急な訪問で」

「いえ。でも、何か……」

 エリナが問いかけると、カイルは視線を逸らした。

「些細な相談がある」

 その言葉に、エリナは首を傾げる。

「些細な……?」

「ああ。書類の……確認だ」

 カイルは、鞄から書類を取り出した。

 だが、その枚数は三枚だけだった。

 エリナは、書類に目を通す。

 内容は、既に確認済みのもの。特に問題はない。

「これは……もう、承認しましたね」

「ああ。だが、念のため……」

 カイルの声が、小さくなる。

 エリナは、書類を机に置いた。

「五分で終わりましたね」

「……そうだな」

 カイルは、視線を窓の外に向けた。

 その横顔には、何か迷いが浮かんでいる。

 オスカーが、お茶を持ってきた。

「閣下、どうぞ」

「ありがとう」

 カイルは、カップを手に取る。

 だが、飲む様子はない。

 ただ、窓の外を見つめている。

 オスカーは、そっと部屋を出た。

 廊下で、マリアが待っていた。

「オスカーさん、あれは……」

「もう、隠す気もないな」

 オスカーは、小さく笑った。

「閣下は、お嬢様に会いたいだけだ」

 マリアも、頷く。

「週に二、三度……いえ、今週はもう四度目ですね」

「ああ。そのうち、毎日来るようになるだろう」

 二人は、顔を見合わせて微笑んだ。


 同じ頃、王都の財務省では。

 カイルの執務室に、副官が立っていた。

「閣下、本日の予定ですが……」

 副官は、書類を見る。

「フェルゼンへの視察が、入っていますが」

 周囲の部下たちが、顔を上げた。

「また、ですか?」

 若い官吏が、呟く。

「今週、もう三度目では……」

「四度目だ」

 年配の官吏が、訂正する。

「月曜、水曜、金曜、そして今日」

 副官は、カイルの机を見た。

 書類が、山積みになっている。

 普段なら、カイルは全てを完璧に処理する。

 だが、最近は滞りがちだ。

「閣下の仕事は?」

 若い官吏が、心配そうに聞く。

「フェルゼンの視察も、仕事だ」

 カイルの声が、扉の向こうから響いた。

 部下たちが、はっとする。

 カイルが、部屋に入ってくる。

 その手には、鞄が握られている。

「フェルゼンの改革は、王国経済の要だ」

 カイルは、机の前を通り過ぎる。

「綿密な視察が、必要なのだ」

 副官は、頷いた。

「承知しました。では、我々も同行を」

 カイルの動きが、止まる。

「……不要だ」

「しかし、閣下。視察というなら、我々も……」

「一人で十分だ」

 カイルの声が、少し固くなる。

「君たちには、ここでの仕事がある」

 副官は、カイルの背中を見つめた。

 その肩が、わずかに緊張している。

「かしこまりました」

 副官は、深々と頭を下げた。

 カイルは、そのまま執務室を出て行く。

 扉が閉まった後、部下たちが囁き合う。

「閣下、一人で行きたいのか……」

「フェルゼンの領主様は、若い女性だと聞いたが」

「まさか……」

 副官は、手を上げて静止した。

「余計な詮索は無用だ」

 だが、その表情には、小さな笑みが浮かんでいた。


 フェルゼンに戻ると、カイルは領地を視察した。

 農地を見る。住民たちと話す。建設中の倉庫を確認する。

 だが、その視線は何度もエリナへと向かう。

 彼女が指示を出す姿。住民と笑顔で話す姿。

 その全てが、カイルの胸に響く。

 窓の外から聞こえる住民の無邪気な声。

「お嬢様と仲良しなんだね」「毎日だよね」

 その声が、カイルの公的な立場と個人的な情熱の間の溝を浮き彫りにする。

「カイル」

 エリナが、振り返った。

「農地の様子は、いかがですか?」

「順調だ」

 カイルは、頷いた。

「四圃制の効果が、既に出ている」

「ええ。土壌の状態も改善されました」

 エリナは、土を手に取る。

 その指先が、土に触れる。

 カイルは、その横顔を見つめていた。

 夕日が、エリナの髪を照らしている。

 美しい。

 そう思った瞬間、カイルははっとした。

「カイル?」

 エリナが、不思議そうに見る。

「何か……」

「いや」

 カイルは、視線を逸らした。

「少し、考え事を」

 エリナは、首を傾げる。

 だが、それ以上は聞かなかった。

 二人は、領主館へと戻った。

 夕食の時間。

 カイルは、テーブルの向かいに座っている。

 食事が進むにつれ、会話が弾む。

 農業の話。経済の話。領地の未来。

 だが、その合間に、私的な会話も混じる。

「カイル、最近お疲れのようですが」

 エリナが、心配そうに聞く。

「大丈夫ですか?」

「ああ」

 カイルは、微笑んだ。

「君に会えば、疲れなど忘れる」

 その言葉に、エリナの動きが止まる。

 カイルも、はっとした。

「いや、その……」

 彼の顔が、わずかに赤くなる。

「仕事が順調に進むから、という意味だ」

 エリナは、静かに頷いた。

「そう……ですか」

 だが、その頬も、少し赤い。

 食事が終わり、カイルは立ち上がった。

「では、失礼する」

「お気をつけて」

 エリナも、立ち上がる。

 玄関まで見送る。

 馬車の前で、カイルが振り返った。

「エリナ」

「はい」

「また……来てもいいか」

 エリナは、微笑む。

「もちろんです」

 カイルは、何か言いたげだった。

 だが、言葉が出てこない。

「では……」

 彼は、馬車に乗り込もうとする。

 だが、エリナが呼び止めた。

「カイル」

 カイルが、振り返る。

「今日の訪問……本当の理由は?」

 その問いに、カイルの表情が固まった。

「書類確認は、五分で終わりました」

 エリナの声は、穏やかだった。

 だが、その瞳は真っ直ぐにカイルを見つめている。

「農地も、既に視察済みです」

 カイルは、視線を逸らせなかった。

「本当は……なぜ?」

 沈黙。

 夕闇が、二人を包んでいる。

 カイルの口が、わずかに開いた。

「私は……」

 その声は、震えている。

 財務大臣の威厳をすべて捨てて。

 魂の叫びとして。

「君に……会いたいだけだ」

 エリナの瞳が、見開かれる。

 カイルの頬が、紅潮する。

 だが、彼はすぐに首を振った。

「いや、その……」

 言葉を探す。

 視線が、泳ぐ。

「経済政策の話がしたいだけで……」

 その言い訳に、エリナは小さく笑った。

「そうですか」

 その声には、優しさが込められている。

 カイルは、ほっとしたような、残念なような表情を浮かべた。

「では……」

「また、いつでもどうぞ」

 エリナの言葉に、カイルの表情が明るくなる。

「本当に?」

「ええ」

 エリナは、頷いた。

「些細な相談でも、構いません」

 その言葉に、カイルは微笑んだ。

「では……明日も、来てもいいか」

 エリナの心臓が、跳ねる。

「明日……も?」

「ああ。また、些細な相談が」

 カイルの声には、照れが混じっている。

「明日も会いたい」

 という純粋な要求に対し、エリナは一瞬の躊躇もなく答える。

 エリナは、笑顔で頷いた。

「どうぞ」

 カイルの表情が、さらに緩む。

「ありがとう」

 彼は、馬車に乗り込んだ。

 窓から、エリナを見つめる。

「では……明日」

「はい。明日」

 馬車が、動き出す。

 カイルの視線が、ずっとエリナに向けられていた。

 馬車が遠ざかっていく。

 エリナは、その背中を見送った。

 胸が、温かい。

 明日も、来る。

 そう言ってくれた。

 エリナの唇に、微笑みが浮かぶ。

「お嬢様」

 マリアが、入口に立っていた。

「もう、隠せませんね」

「何が?」

「お二人の気持ちです」

 マリアは、にっこりと笑う。

「週に何度も、いえ、もう毎日のように」

 エリナは、頬を染めた。

「仕事上の……」

「お嬢様」

 マリアが、エリナの手を取る。

「素直になってください」

 その言葉に、エリナは何も答えられなかった。

 ただ、夜空を見上げる。

 星が、輝いている。

 明日も、カイルが来る。

 その事実が、エリナの心を満たしていた。


 その夜、領主館の食堂で。

 オスカーとマリアが、お茶を飲んでいた。

「マリアさん、閣下の訪問頻度を数えてみたんだが」

「どうでしたか?」

「今月、既に十二回だ」

 マリアの目が、丸くなる。

「十二回……ですか?」

「ああ。月の半分以上だ」

 オスカーは、カップを置いた。

「そして、明日も来るそうだ」

「もう、これは……」

「毎日訪問が、確立したも同然だな」

 二人は、顔を見合わせて笑った。

「お嬢様も、まんざらではないようですし」

 マリアが、嬉しそうに言う。

「ああ。良い傾向だ」

 オスカーも、頷く。

「お嬢様には、幸せになっていただきたい」

 二人の視線が、二階のエリナの部屋へと向かう。

 そこには、小さな灯りが灯っていた。

 エリナは、窓辺に立っている。

 夜空を見上げながら、明日を待っている。

 カイルとの時間を。

 その心は、もう恋に満ちていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

『皇族を名乗った伯爵家は、帝国に処理されました』 ―天然メイドは、今日も失敗する―

ふわふわ
恋愛
婚約破棄を経て、静かに屋敷を去った令嬢。 その後に残された伯爵家は、焦燥と虚勢を抱えたまま立て直しを図ろうとする。 だが、思惑はことごとく空回りする。 社交界での小さな失態。 資金繰りの綻び。 信用の揺らぎ。 そして、屋敷の中で起こる“ちょっとした”騒動の数々。 決して大事件ではない。 けれど積み重なれば、笑えない。 一方、帝国では新たな時代が静かに始まろうとしている。 血筋とは何か。 名乗るとは何か。 国家が守るものとは何か。 これは、派手な復讐劇ではない。 怒号も陰謀もない。 ただ―― 立場を取り違えた家が、ゆっくりと現実に追いつかれていく物語。 そして今日も、屋敷では誰かが小さな失敗をする。 世界は静かに、しかし確実に動いている。

婚約破棄された悪役令嬢の心の声が面白かったので求婚してみた

夕景あき
恋愛
人の心の声が聞こえるカイルは、孤独の闇に閉じこもっていた。唯一の救いは、心の声まで真摯で温かい異母兄、第一王子の存在だけだった。 そんなカイルが、外交(婚約者探し)という名目で三国交流会へ向かうと、目の前で隣国の第二王子による公開婚約破棄が発生する。 婚約破棄された令嬢グレースは、表情一つ変えない高潔な令嬢。しかし、カイルがその心の声を聞き取ると、思いも寄らない内容が聞こえてきたのだった。

「地味で無能」と捨てられた令嬢は、冷酷な【年上イケオジ公爵】に嫁ぎました〜今更私の価値に気づいた元王太子が後悔で顔面蒼白になっても今更遅い

腐ったバナナ
恋愛
伯爵令嬢クラウディアは、婚約者のアルバート王太子と妹リリアンに「地味で無能」と断罪され、公衆の面前で婚約破棄される。 お飾りの厄介払いとして押し付けられた嫁ぎ先は、「氷壁公爵」と恐れられる年上の冷酷な辺境伯アレクシス・グレイヴナー公爵だった。 当初は冷徹だった公爵は、クラウディアの才能と、過去の傷を癒やす温もりに触れ、その愛を「二度と失わない」と固く誓う。 彼の愛は、包容力と同時に、狂気的な独占欲を伴った「大人の愛」へと昇華していく。

離婚と追放された悪役令嬢ですが、前世の農業知識で辺境の村を大改革!気づいた元夫が後悔の涙を流しても、隣国の王子様と幸せになります

黒崎隼人
ファンタジー
公爵令嬢リセラは、夫である王子ルドルフから突然の離婚を宣告される。理由は、異世界から現れた聖女セリーナへの愛。前世が農業大学の学生だった記憶を持つリセラは、ゲームのシナリオ通り悪役令嬢として処刑される運命を回避し、慰謝料として手に入れた辺境の荒れ地で第二の人生をスタートさせる! 前世の知識を活かした農業改革で、貧しい村はみるみる豊かに。美味しい作物と加工品は評判を呼び、やがて隣国の知的な王子アレクサンダーの目にも留まる。 「君の作る未来を、そばで見ていたい」――穏やかで誠実な彼に惹かれていくリセラ。 一方、リセラを捨てた元夫は彼女の成功を耳にし、後悔の念に駆られ始めるが……? これは、捨てられた悪役令嬢が、農業で華麗に成り上がり、真実の愛と幸せを掴む、痛快サクセス・ラブストーリー!

『悪役令嬢は、二度目の人生で無言を貫く。~処刑回避のために黙っていただけなのに、なぜか冷徹宰相様から「君こそ運命の人だ」と溺愛さています~』

放浪人
恋愛
「もう、余計なことは喋りません(処刑されたくないので!)」 王太子の婚約者エリスは、無実の罪を着せられた際、必死に弁解しようと叫び散らした結果「見苦しい」と断罪され、処刑されてしまった。 死に戻った彼女は悟る。「口は災いの元。二度目の人生は、何があっても口を閉ざして生き延びよう」と。 しかし、断罪の場で恐怖のあまり沈黙を貫いた結果、その姿は「弁解せず耐え忍ぶ高潔な令嬢」として称賛されてしまう。 さらに、人間嫌いの冷徹宰相クラウスに「私の静寂を理解する唯一の女性」と盛大な勘違いをされ、求婚されてしまい……!? 「君の沈黙は、愛の肯定だね?」(違います、怖くて固まっているだけです!) 「この国の危機を、一目で見抜くとは」(ただ臭かったから鼻を押さえただけです!) 怯えて黙っているだけの元悪役令嬢と、彼女の沈黙を「深遠な知性」と解釈して溺愛する最強宰相。 転生ヒロインの妨害も、隣国の陰謀も、全て「無言」で解決(?)していく、すれ違いロマンティック・コメディ! 最後はちゃんと言葉で愛を伝えて、最高のハッピーエンドを迎えます。

無能と婚約破棄された公爵令嬢ですが、冷徹皇帝は有能より“無害”を選ぶそうです

鷹 綾
恋愛
「君は普通だ。……いや、普通以下だ」 王太子にそう言われ、婚約を破棄された公爵令嬢フォウ。 王国でも屈指の有能一族に生まれながら、彼女だけは“平凡”。 兄は天才、妹は可憐で才色兼備、両親も社交界の頂点―― そんな家の中で「普通」は“無能”と同義だった。 王太子が選んだのは、有能で華やかな妹。 だがその裏で、兄は教会を敵に回し、父は未亡人の名誉を踏みにじり、母は国家機密を売り、妹は不貞を重ね、そして王太子は――王を越えようとした。 越えた者から崩れていく。 やがて王太子は廃嫡、公爵家は解体。 ただ一人、何も奪わず、何も越えなかったフォウだけが切り離される。 そんな彼女に手を差し伸べたのは、隣国の若き冷徹皇帝。 「有能は制御が難しい。無害のほうが使える」 駒として選ばれたはずの“無能な令嬢”。 けれど―― 越えなかった彼女こそ、最後まで壊れなかった。

悪役令嬢発溺愛幼女着

みおな
ファンタジー
「違います!わたくしは、フローラさんをいじめてなどいません!」  わたくしの声がホールに響いたけれど、誰もわたくしに手を差し伸べて下さることはなかった。  響いたのは、婚約者である王太子殿下の冷たい声。  わたくしに差し伸べられたのは、騎士団長のご子息がわたくしを強く床に押し付ける腕。  冷ややかな周囲のご令嬢ご令息の冷笑。  どうして。  誰もわたくしを信じてくれないまま、わたくしは冷たい牢の中で命を落とした。

【完結】魔力の見えない公爵令嬢は、王国最強の魔術師でした

er
恋愛
「魔力がない」と婚約破棄された公爵令嬢リーナ。だが真実は逆だった――純粋魔力を持つ規格外の天才魔術師! 王立試験で元婚約者を圧倒し首席合格、宮廷魔術師団長すら降参させる。王宮を救う活躍で副団長に昇進、イケメン公爵様からの求愛も!? 一方、元婚約者は没落し後悔の日々……。見る目のなかった男たちへの完全勝利と、新たな恋の物語。

処理中です...