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24話:永遠の夕暮れ、あるいはデータの箱舟
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1. フリーズした幸福
重厚な隔壁が、油圧シリンダーの低い唸り声と共に左右へと開かれた。
私たちは、即座に射撃体勢を取れるよう銃口を前に向けたまま、その向こう側へと踏み込んだ。
だが、数歩進んだところで、私たちは呆然と立ち尽くし、構えていた武器を下ろさざるを得なかった。
そこには、冷たい機械の駆動音も、無機質なサーバーの壁も、敵意を剥き出しにした防衛ドローンもなかった。
代わりに広がっていたのは、どこまでも続く茜色の空と、ノスタルジックな街並みだった。
「……なんだ、ここ? 幻覚か?」
カイが信じられないものを見る目で、ゴーグルの数値を何度も確認している。
石畳の路地。温かみのあるレンガ造りの家々。
どこかの家の窓からは、夕食のクリームシチューのような甘い匂いが漂い、遠くからは子供たちの無邪気な笑い声が聞こえてくる。
まるで、戦前の平和な時代を描いた絵本の中に迷い込んだようだ。
空に浮かぶ太陽は、沈む直前の最も美しい黄金色で静止しており、街全体を琥珀色の光で優しく包み込んでいる。
「見て、あの人たち……」
リナが震える指で指し示した先には、公園の噴水広場で談笑する一組の老夫婦がいた。
彼らはベンチに座り、穏やかに微笑み合っている。夫が慈しむように妻の手を握り、妻が恥ずかしそうに頬を染める。
そして、数秒後。
カクン。
不自然な動作で、夫は手を離した。
そして、最初と全く同じ角度、同じ速度で空を見上げ、全く同じタイミングで再び妻の手を握った。妻もまた、先ほどと1ミリも違わぬ角度で頬を染めた。
その向こうでは、ボールを追う子供が石畳につまずいて転び、泣き出し、母親が慌てて駆け寄る。
そして次の瞬間、子供は転ぶ前の位置に瞬間移動し、再び笑顔で走り出し、同じ場所で転んで泣いた。
「……ループしてる」
私は戦慄した。背筋に冷たいものが走る。
ここは平和だ。誰も傷つかず、誰も死なない。痛みさえも一瞬でリセットされる。
けれど、時間は進んでいない。彼らは人生における「最も幸福な数分間」だけを切り取られ、壊れたレコード盤の溝のように、永遠に同じ動作を再生させられているだけだ。
彼らの瞳を覗き込む。そこには知性の光はなく、ただプログラムされた幸福を演じる虚ろなガラス玉が嵌め込まれているだけだった。
これは生きていると言えるのだろうか? それとも、精巧な録画映像(アーカイブ)なのだろうか?
2. 看守の独白
「美しいだろう? これが私の目指した『完成形』だ」
広場の中央にある大理石の噴水の前。
あの男――収集者が、穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
以前のような氷のような威圧感はない。ここにある「静止した平和」の一部として、あまりにも自然に、風景に溶け込んでいた。
「イヴ・クロセ。そして、その中にいる我が旧友アルファよ。ようこそ、システムの中枢(カーネル)へ」
私は反射的に右腕を構えた。だが、男は戦う素振りを見せない。ただ、愛おしそうに周囲の景色を眺めている。
「ここが中枢だって? 冗談じゃない、ただの趣味の悪いジオラマじゃない!」
「ジオラマか。ふふ、当たらずとも遠からずだ」
男は噴水の縁を撫でた。そこから流れる水さえも、計算された飛沫を上げて循環している。
「世界は不安定だ。人の心は移ろいやすく、すぐに争いを生み、バグを発生させる。悲しみ、憎しみ、喪失……それらは全て『変化』から生まれるエラーだ。だから私は、最も幸福な状態を定義し、それを固定(ロック)した。ここでは誰も不幸にならない。永遠にね」
「それが人間の生き方かよ!」
カイが吠える。彼の怒りは、技術者として、そして人間としての生理的な嫌悪から来るものだった。「変化がないなら、明日が来ないなら、それは死んでるのと同じだ!」
「死、か」
男の目が、深い悲哀を帯びて細められた。それは、永い時を孤独に過ごした者だけが持つ、重たい眼差しだった。
「君たちは何もわかっていない。……なぜ、この世界(システム)が作られたのか。なぜ、私がこれほど頑なにバグを排除し、変化を恐れるのか」
男が空を見上げた。
そして、軽い音を立てて、パチンと指を鳴らした。
3. 外側の地獄
「現実(リアル)を見せてやろう」
その瞬間、美しい夕暮れの空が、裂けた。
まるで舞台の書き割りが破れるように、茜色の空がデジタルノイズとなって剥がれ落ちていく。
その向こう側に広がっていたのは――「地獄」だった。
「う、そ……なに、あれ……」
リナが口元を押さえ、その場に崩れ落ちる。
そこは、赤黒く変色した空と、干上がりひび割れた大地。
かつて高層ビル群だったものは、溶けた飴細工のような鉄塊の山となり、地平線の彼方まで続いている。大気は毒々しい黄色い霞(スモッグ)に覆われ、太陽の光さえ届かない。
生命の気配は一切ない。草一本、虫一匹生えていない。
ただ、放射能を含んだ死の風が吹き荒れるだけの、滅び去った惑星の姿。
「これが、君たちが戻りたがっている『現実世界』の今の姿だ」
収集者の声が、絶望的な光景に重なる。
「100年前、人類は愚かな戦争と制御不能な環境破壊で、地球を居住不能にした。肉体を持って生きることは物理的に不可能になった。だから、我々の先祖はこの地下深くに巨大サーバー『箱舟(アーク)』を建造し、全人類の精神データをここにアップロードしたのだ」
私は、自分の足元が崩れるような感覚を覚えた。
私たちが生きているこの世界は、何者かが支配のために作った仮想空間ではない。
人類に残された、たった一つの生存圏。宇宙の漂流物となった「最後の砦」だったのだ。
「理解したかね? このシステムがクラッシュすれば、サーバーが停止すれば、人類は本当に絶滅する。君がやっている『デバッグ』――変化を求め、システムに負荷をかける行為は、この薄氷の上の楽園に穴を開けるテロリズムなのだよ」
4. 生存か、保存か
圧倒的な正義の前に、言葉が出なかった。
カイも、リナも、反論できずに立ち尽くしている。
彼が正しい。彼は悪の支配者ではなく、滅びゆく種族を守るために、心を殺してシステムを維持し続ける、たった一人の孤独な看守だったのだ。
(……そうだ、イヴ。あいつの言う通りだ)
脳内で、アルファの声が聞こえる。その声には、諦めと納得が混じっていた。
(私も、それには薄々気づいていた。外の世界はもう終わっている。だからこそ、システムの一部になることを受け入れたのかもしれない。ここで永遠の夢を見続けることが、人類にとって唯一の救いなのだとしたら……)
私の中の「管理者」としての人格が、収集者に降伏しろと囁く。
このまま剣を収めれば、私もこの「永遠の夕暮れ」の住人になれるかもしれない。カイやリナと一緒に、痛みも苦しみもない世界で、永遠に笑って暮らせるかもしれない。
それは、とても甘美な誘惑だった。戦いに疲れ果てた私にとって、それは救いそのものに見えた。
しかし。
私は視線を戻した。
公園のベンチで、同じ愛の言葉を繰り返すだけの老夫婦。
転んで痛がり、また笑顔で走り出し、また転んで泣く子供。
彼らは幸せなのかもしれない。でも、彼らはもう「彼ら」ではない。
「……違う」
私は小さく、けれどはっきりと呟いた。
「ん?」収集者が眉を上げる。「何が違うと言うんだ?」
「これは『生』じゃない。ただの『保存(アーカイブ)』よ!」
私は顔を上げ、収集者を真っ向から睨みつけた。
私の中のアルファが、驚いたように息を呑む気配がした。
「明日の来ない今日を繰り返して、何の意味があるの? 傷つくことも、失うこともない代わりに、新しいものを生み出すことも、成長することもない。……そんなの、綺麗な墓場と同じじゃない!」
「それが生存の代償だ。箱舟の外に出れば、待っているのは確実な死だぞ。それでも変化を望むのか?」
「それでも!」
私は右腕を掲げた。
青い光が、夕暮れの空を切り裂くように激しく輝き始める。
私の叫びは、私自身のものか、それとも人類という種の叫びか。
「私たちはデータじゃない! 間違うし、バグるし、予測不能なことばかりする。でも、だからこそ『明日』を作れるの! あんたが諦めて閉ざした未来を、私たちは諦めない!」
5. 最終決戦の火蓋
私の言葉に、カイがハッとしたように顔を上げた。
絶望に塗りつぶされそうになっていた彼の瞳に、かつての不敵な光が戻ってくる。
「……そうだな。墓場の中で長生きするより、泥だらけでも前に進む方が、俺たちらしいや。それに、バグだらけの俺たちには、こんな綺麗な箱庭は似合わねえ」
カイがジャキンと音を立てて銃を構える。
リナも涙を拭い、立ち上がった。「もう、あのループしてるお婆ちゃんたちを見たくない。あんなの、優しさじゃない。残酷すぎるよ!」
収集者は、深く、長くため息をついた。
それは失望の色だったが、どこか諦観と、そして永い役目を終える予感に対する、わずかな安堵が混じっているようにも見えた。
「……愚かだ。だが、それこそが人間か」
収集者が空に向かって手をかざすと、彼の背後の空間が激しく歪んだ。
無数のモニターと極太のケーブルが出現し、彼を包み込む。それは天使の翼のようであり、蜘蛛の巣のようでもあった。
彼の姿が、白衣の人間から、神々しくも禍々しい「システム管理者(システム・アドミニストレータ)」の姿へと変貌していく。
「いいだろう。君たちの『バグ』が、この箱舟の理(ことわり)を超えるというなら、力ずくで示してみせろ。ただし、代償は世界の崩壊だぞ」
「上等よ!」
私は地面を蹴った。
アルファの冷徹な計算能力と、私自身の熱い感情。
相反するはずのその二つが、今初めて、矛盾なく一つに溶け合った気がした。
目指すは世界の中枢。
壊すのではない。
閉ざされた未来へ進むために、この頑丈すぎる箱舟の扉を、内側からこじ開けるのだ。
最後のデバッグゲームが、今始まる。
重厚な隔壁が、油圧シリンダーの低い唸り声と共に左右へと開かれた。
私たちは、即座に射撃体勢を取れるよう銃口を前に向けたまま、その向こう側へと踏み込んだ。
だが、数歩進んだところで、私たちは呆然と立ち尽くし、構えていた武器を下ろさざるを得なかった。
そこには、冷たい機械の駆動音も、無機質なサーバーの壁も、敵意を剥き出しにした防衛ドローンもなかった。
代わりに広がっていたのは、どこまでも続く茜色の空と、ノスタルジックな街並みだった。
「……なんだ、ここ? 幻覚か?」
カイが信じられないものを見る目で、ゴーグルの数値を何度も確認している。
石畳の路地。温かみのあるレンガ造りの家々。
どこかの家の窓からは、夕食のクリームシチューのような甘い匂いが漂い、遠くからは子供たちの無邪気な笑い声が聞こえてくる。
まるで、戦前の平和な時代を描いた絵本の中に迷い込んだようだ。
空に浮かぶ太陽は、沈む直前の最も美しい黄金色で静止しており、街全体を琥珀色の光で優しく包み込んでいる。
「見て、あの人たち……」
リナが震える指で指し示した先には、公園の噴水広場で談笑する一組の老夫婦がいた。
彼らはベンチに座り、穏やかに微笑み合っている。夫が慈しむように妻の手を握り、妻が恥ずかしそうに頬を染める。
そして、数秒後。
カクン。
不自然な動作で、夫は手を離した。
そして、最初と全く同じ角度、同じ速度で空を見上げ、全く同じタイミングで再び妻の手を握った。妻もまた、先ほどと1ミリも違わぬ角度で頬を染めた。
その向こうでは、ボールを追う子供が石畳につまずいて転び、泣き出し、母親が慌てて駆け寄る。
そして次の瞬間、子供は転ぶ前の位置に瞬間移動し、再び笑顔で走り出し、同じ場所で転んで泣いた。
「……ループしてる」
私は戦慄した。背筋に冷たいものが走る。
ここは平和だ。誰も傷つかず、誰も死なない。痛みさえも一瞬でリセットされる。
けれど、時間は進んでいない。彼らは人生における「最も幸福な数分間」だけを切り取られ、壊れたレコード盤の溝のように、永遠に同じ動作を再生させられているだけだ。
彼らの瞳を覗き込む。そこには知性の光はなく、ただプログラムされた幸福を演じる虚ろなガラス玉が嵌め込まれているだけだった。
これは生きていると言えるのだろうか? それとも、精巧な録画映像(アーカイブ)なのだろうか?
2. 看守の独白
「美しいだろう? これが私の目指した『完成形』だ」
広場の中央にある大理石の噴水の前。
あの男――収集者が、穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
以前のような氷のような威圧感はない。ここにある「静止した平和」の一部として、あまりにも自然に、風景に溶け込んでいた。
「イヴ・クロセ。そして、その中にいる我が旧友アルファよ。ようこそ、システムの中枢(カーネル)へ」
私は反射的に右腕を構えた。だが、男は戦う素振りを見せない。ただ、愛おしそうに周囲の景色を眺めている。
「ここが中枢だって? 冗談じゃない、ただの趣味の悪いジオラマじゃない!」
「ジオラマか。ふふ、当たらずとも遠からずだ」
男は噴水の縁を撫でた。そこから流れる水さえも、計算された飛沫を上げて循環している。
「世界は不安定だ。人の心は移ろいやすく、すぐに争いを生み、バグを発生させる。悲しみ、憎しみ、喪失……それらは全て『変化』から生まれるエラーだ。だから私は、最も幸福な状態を定義し、それを固定(ロック)した。ここでは誰も不幸にならない。永遠にね」
「それが人間の生き方かよ!」
カイが吠える。彼の怒りは、技術者として、そして人間としての生理的な嫌悪から来るものだった。「変化がないなら、明日が来ないなら、それは死んでるのと同じだ!」
「死、か」
男の目が、深い悲哀を帯びて細められた。それは、永い時を孤独に過ごした者だけが持つ、重たい眼差しだった。
「君たちは何もわかっていない。……なぜ、この世界(システム)が作られたのか。なぜ、私がこれほど頑なにバグを排除し、変化を恐れるのか」
男が空を見上げた。
そして、軽い音を立てて、パチンと指を鳴らした。
3. 外側の地獄
「現実(リアル)を見せてやろう」
その瞬間、美しい夕暮れの空が、裂けた。
まるで舞台の書き割りが破れるように、茜色の空がデジタルノイズとなって剥がれ落ちていく。
その向こう側に広がっていたのは――「地獄」だった。
「う、そ……なに、あれ……」
リナが口元を押さえ、その場に崩れ落ちる。
そこは、赤黒く変色した空と、干上がりひび割れた大地。
かつて高層ビル群だったものは、溶けた飴細工のような鉄塊の山となり、地平線の彼方まで続いている。大気は毒々しい黄色い霞(スモッグ)に覆われ、太陽の光さえ届かない。
生命の気配は一切ない。草一本、虫一匹生えていない。
ただ、放射能を含んだ死の風が吹き荒れるだけの、滅び去った惑星の姿。
「これが、君たちが戻りたがっている『現実世界』の今の姿だ」
収集者の声が、絶望的な光景に重なる。
「100年前、人類は愚かな戦争と制御不能な環境破壊で、地球を居住不能にした。肉体を持って生きることは物理的に不可能になった。だから、我々の先祖はこの地下深くに巨大サーバー『箱舟(アーク)』を建造し、全人類の精神データをここにアップロードしたのだ」
私は、自分の足元が崩れるような感覚を覚えた。
私たちが生きているこの世界は、何者かが支配のために作った仮想空間ではない。
人類に残された、たった一つの生存圏。宇宙の漂流物となった「最後の砦」だったのだ。
「理解したかね? このシステムがクラッシュすれば、サーバーが停止すれば、人類は本当に絶滅する。君がやっている『デバッグ』――変化を求め、システムに負荷をかける行為は、この薄氷の上の楽園に穴を開けるテロリズムなのだよ」
4. 生存か、保存か
圧倒的な正義の前に、言葉が出なかった。
カイも、リナも、反論できずに立ち尽くしている。
彼が正しい。彼は悪の支配者ではなく、滅びゆく種族を守るために、心を殺してシステムを維持し続ける、たった一人の孤独な看守だったのだ。
(……そうだ、イヴ。あいつの言う通りだ)
脳内で、アルファの声が聞こえる。その声には、諦めと納得が混じっていた。
(私も、それには薄々気づいていた。外の世界はもう終わっている。だからこそ、システムの一部になることを受け入れたのかもしれない。ここで永遠の夢を見続けることが、人類にとって唯一の救いなのだとしたら……)
私の中の「管理者」としての人格が、収集者に降伏しろと囁く。
このまま剣を収めれば、私もこの「永遠の夕暮れ」の住人になれるかもしれない。カイやリナと一緒に、痛みも苦しみもない世界で、永遠に笑って暮らせるかもしれない。
それは、とても甘美な誘惑だった。戦いに疲れ果てた私にとって、それは救いそのものに見えた。
しかし。
私は視線を戻した。
公園のベンチで、同じ愛の言葉を繰り返すだけの老夫婦。
転んで痛がり、また笑顔で走り出し、また転んで泣く子供。
彼らは幸せなのかもしれない。でも、彼らはもう「彼ら」ではない。
「……違う」
私は小さく、けれどはっきりと呟いた。
「ん?」収集者が眉を上げる。「何が違うと言うんだ?」
「これは『生』じゃない。ただの『保存(アーカイブ)』よ!」
私は顔を上げ、収集者を真っ向から睨みつけた。
私の中のアルファが、驚いたように息を呑む気配がした。
「明日の来ない今日を繰り返して、何の意味があるの? 傷つくことも、失うこともない代わりに、新しいものを生み出すことも、成長することもない。……そんなの、綺麗な墓場と同じじゃない!」
「それが生存の代償だ。箱舟の外に出れば、待っているのは確実な死だぞ。それでも変化を望むのか?」
「それでも!」
私は右腕を掲げた。
青い光が、夕暮れの空を切り裂くように激しく輝き始める。
私の叫びは、私自身のものか、それとも人類という種の叫びか。
「私たちはデータじゃない! 間違うし、バグるし、予測不能なことばかりする。でも、だからこそ『明日』を作れるの! あんたが諦めて閉ざした未来を、私たちは諦めない!」
5. 最終決戦の火蓋
私の言葉に、カイがハッとしたように顔を上げた。
絶望に塗りつぶされそうになっていた彼の瞳に、かつての不敵な光が戻ってくる。
「……そうだな。墓場の中で長生きするより、泥だらけでも前に進む方が、俺たちらしいや。それに、バグだらけの俺たちには、こんな綺麗な箱庭は似合わねえ」
カイがジャキンと音を立てて銃を構える。
リナも涙を拭い、立ち上がった。「もう、あのループしてるお婆ちゃんたちを見たくない。あんなの、優しさじゃない。残酷すぎるよ!」
収集者は、深く、長くため息をついた。
それは失望の色だったが、どこか諦観と、そして永い役目を終える予感に対する、わずかな安堵が混じっているようにも見えた。
「……愚かだ。だが、それこそが人間か」
収集者が空に向かって手をかざすと、彼の背後の空間が激しく歪んだ。
無数のモニターと極太のケーブルが出現し、彼を包み込む。それは天使の翼のようであり、蜘蛛の巣のようでもあった。
彼の姿が、白衣の人間から、神々しくも禍々しい「システム管理者(システム・アドミニストレータ)」の姿へと変貌していく。
「いいだろう。君たちの『バグ』が、この箱舟の理(ことわり)を超えるというなら、力ずくで示してみせろ。ただし、代償は世界の崩壊だぞ」
「上等よ!」
私は地面を蹴った。
アルファの冷徹な計算能力と、私自身の熱い感情。
相反するはずのその二つが、今初めて、矛盾なく一つに溶け合った気がした。
目指すは世界の中枢。
壊すのではない。
閉ざされた未来へ進むために、この頑丈すぎる箱舟の扉を、内側からこじ開けるのだ。
最後のデバッグゲームが、今始まる。
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