デバッグゲームⅡ

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39話:蜃気楼の摩天楼、あるいは終わらない日

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1. 突如現れた文明

 機竜(グリッチ・ドラゴン)との死闘を制し、物理法則の狂った重力異常地帯を抜けた私たちは、なだらかな丘陵地帯を越えた。
 植物学者エルザの予言通りなら、この先に世界のバグが吹き溜まる場所、「西の特異点」があるはずだ。
 私たちは、禍々しい巣窟や、底なしの奈落を覚悟して丘の頂上に立った。

 だが、眼下に広がる光景を目にした瞬間、思考が停止した。

「……は?」
 リナが素っ頓狂な声を上げ、背負っていたリュックをドサリと取り落とす。
 カイが偏光サングラスを外し、信じられないものを見るように何度も目をこする。

 そこには、「街」があった。
 水没した廃墟でも、継ぎ接ぎだらけの集落でも、軍事要塞でもない。
 ガラス張りの高層ビルが林立して陽光を反射し、きれいに舗装されたアスファルトの道路を色とりどりの自動車が滑るように走り、巨大な街頭ビジョンからは賑やかな広告映像が流れている。
 耳を澄ませば、電車の走行音、信号機のメロディ、そして数え切れないほどの人々の喧騒が、風に乗って聞こえてくる。

「ばかな……。文明は崩壊したはずだぞ。こんな大都市が、傷一つなく残っているわけがない」
 カイの声が震えている。科学者として、目の前の現象を否定しようとしているが、五感はそれを肯定している。
 コンビニの自動ドアが開く軽快なチャイム音、コーヒーショップから漂う焙煎の香り、排気ガスの臭い。
 それは、私たちが知識としてしか知らない、あるいは遠い記憶の底に眠っている「崩壊前の東京」そのものだった。

 2. 触れられない幸福

 私たちは狐につままれたような気分で、丘を降り、アスファルトの通りへと足を踏み入れた。
 そこは、圧倒的な「日常」の暴力だった。

 スーツを着たサラリーマンがスマホを見ながら早歩きし、女子高生のグループがクレープ片手に大声で笑い合っている。犬の散歩をする老人、ベビーカーを押す母親。
 誰もが清潔な服を着て、飢えも寒さも知らず、明日が来ることを疑っていない顔をしている。
 泥だらけで武装した私たち三人は、この平和な絵画に落とされた黒いインクの染みのように異質だった。

「ねえ、あの人!」
 リナが通りがかりの女性に道を尋ねようとして、その肩に手を伸ばした。

 スカッ。

 リナの手は、女性の体を抵抗なくすり抜けた。
 まるで陽炎や霧に触れたような、頼りない感触すらなかった。
 女性は何事もなかったかのように、私たちを無視して歩き去っていく。こちらの声も聞こえていないようだ。

「え……?」
 リナが自分の手を見つめ、青ざめる。
 私も試してみた。街路樹、ガードレール、ベンチ。
 すべてがすり抜ける。質量がない。光だけで構成された幻だ。

「ホログラムだ……」
 カイが呻くように言った。
「それも、都市規模の超高密度データ再生だ。特異点から漏れ出した、世界中から集められた『過去の記録(アーカイブ)』が、この空間に物理的な幻影として投影されているんだ」

 ここは街ではない。巨大な映画館だ。
 私たちは、幽霊のように、触れられない「過去」の中を彷徨っていた。

 3. 甘い罠

「嘘……あれ、ウチだ」
 突然、リナが立ち止まり、ある一軒家を指差した。
 高層ビルの狭間にある、ごく普通の民家。その庭先で、若い夫婦と小さな女の子がバーベキューの準備をしている。炭火の匂いまで感じるほど鮮明だ。
「パパ……ママ……。それに、小さい頃の私……」
 リナの目から大粒の涙が溢れる。彼女は吸い寄せられるように、その家へとふらふらと歩き出した。

「待ってリナ! 行かないで! それは幻よ!」
 私が呼び止めるが、彼女の耳には届いていないようだ。失われた温かい食卓が、彼女を呼んでいる。

「俺の……ラボか?」
 カイも足を止めた。
 ガラス張りのオフィスの向こう、白衣を着た若者たちが、ホワイトボードを囲んでコーヒー片手に激論を交わしている。
 その中には、若き日のカイと、そしてあの「収集者」によく似た、優しげな青年の姿もあった。彼らは笑い合い、肩を叩き合っている。
「まだ、箱舟計画が始まる前だ。……あいつら、あんなに笑っていたのか。俺たちはまだ、希望だけを信じていられた……」
 カイが夢遊病者のようにビルへ近づいていく。

 マズい。
 この幻影は、ただの記録映像じゃない。この空間に入り込んだ者の深層心理にある「失われた幸福」や「後悔」を読み取り、甘い記憶の沼へと引きずり込もうとしている。
 ここに留まれば、心は過去に囚われ、二度と現実(荒野)には戻れなくなる。精神的な死だ。

 4. 破滅へのカウントダウン

 二人を引き戻さなければ。
 私は焦って周囲を見回し――そして、ある決定的な「違和感」に気づいた。

 空だ。
 青く澄み渡っているはずの空に、時折、テレビの砂嵐のようなノイズが走っている。
 そして、太陽の横に、不吉な赤い数字が浮かんでいた。

 【System Error: Critical Failure】
 【Impact in... 00:05:00】

 5分前。
 そして、街の人々の様子がおかしい。
 笑っているように見えたが、よく見ると、同じ会話、同じ動作を数秒単位で繰り返している。
 コーヒーを飲む、空を見上げる、驚愕する、そしてまたコーヒーを飲む。
 笑顔の裏に、張り付いたような恐怖が一瞬混ざる。

「……違う。これは幸せな日常の記録なんかじゃない」
 私は戦慄した。
 これは、「世界が滅びる瞬間」の記録だ。
 人々が日常を謳歌し、そして突然の破滅に飲み込まれる直前の5分間が、永遠にループしている地獄なのだ。

「カイ! リナ! 目を覚まして!」
 私は走り寄り、二人の腕を力任せに掴んだ。
「あれを見て! 空を!」

 二人がハッとして我に返り、見上げる。
 カウントダウンが【00:00:00】になった瞬間。

 キィィィィン!!
 空が割れた。
 街全体が赤い警報光に包まれ、人々の笑顔が凍りつき、一斉に断末魔の悲鳴に変わった。
 ビルが崩れ、火災が起き、平和な日常が地獄絵図へと反転する。
 リナの両親も、カイの仲間たちも、炎に包まれて絶叫する。

 そして、プツンと音がして、また時間は巻き戻り、平和な日常が始まる。
「おはよう」「いい天気ですね」

「う、わぁぁぁ……っ! やめて、やめてよぉ!」
 リナが耳を塞いでその場にしゃがみ込む。
 カイも顔面蒼白で後退る。「なんて悪趣味な……。死の瞬間を永遠に再生し続けているのか。これが特異点の正体か……」

 5. 幻影の破壊

「行きましょう。ここは私たちがいるべき場所じゃない」
 私は二人を無理やり立たせた。
 過去は美しい。でも、そこには未来がない。痛みも寒さもないけれど、体温もない。ここにあるのは死んだ情報の残響だけだ。

 私はポケットから、機竜を倒して手に入れた「データ結晶(鍵)」を取り出した。
 結晶が、周囲のホログラムと共鳴し、激しく明滅して熱を発する。

「消えなさい、亡霊たち! 私たちは先へ進むの!」

 私は叫び、結晶を全力で地面のアスファルトに叩きつけた。

 パリーンッ!!

 世界に亀裂が入る音がした。
 空の青色がひび割れ、高層ビルが、走る車が、笑う人々が、繊細なガラス細工のように粉々に砕け散った。
 破片はキラキラと光る粒子となって霧散し、風にさらわれていく。

 幻影が晴れた後に残ったのは、やはり赤茶けた、何もない荒野だった。
 だが、その中心には何もないわけではなかった。

「あれは……」

 幻影の街があった場所は、隕石が落ちたような巨大なすり鉢状のクレーターになっていた。
 そしてその中心、大地を穿つようにして、漆黒の塔が聳え立っていた。
 周囲の光や空気を吸い込み、空間そのものを歪ませている、禍々しい黒い柱。

 西の特異点。
 世界のバグの源流。そして、この世界の全てのデータが集まる場所。

「……行こう。あそこに全ての答えがある」
 カイがサングラスをかけ直し、震える手でライフルを担ぎ直す。
 リナも涙を袖で乱暴に拭い、ナイフを強く握りしめた。「もう迷わない。パパたちは、私の心の中にいればいい」

 私たちは、黒い塔へと歩き出した。
 甘美な過去という夢を振り切り、泥だらけの現実を終わらせるために。

 
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