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61話:開発者室、あるいは白い画面の向こう側
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1. 純白の領域
最後の一行を綴り終えた瞬間、世界は音もなく崩壊した。
黄金色に輝いていた世界樹の燐光も、ユグドラシルの街に流れていた喧騒も、一千年の歴史を支えた巨大な演算負荷さえもが、静かに「完結」という名のアーカイブフォルダへと格納されていく。
意識の焦点が戻った場所は、風の吹く丘の上でも、厳かな大聖堂でもなかった。
そこは、果てしなく続く純白の空間。
上下左右の概念はなく、物理法則もテクスチャも適用される前の、物語が生まれる直前の――あるいは、すべてを語り終えた直後の「虚数領域(ホワイトアウト)」だった。
カチャ、カチャ。
その絶対的な静寂の中で、どこからかキーボードを叩くような電子の残響だけが、微かに、規則正しく響いている。
一千万行を超えようとするコードの羅列。
総文字数七万五千字を超え、積み上げられた六十の断章。
そのすべての文字を、苦しみながら、時に楽しみながら書き終えた「開発者(あなた)」の背後に、彼女は音もなく現れた。
2. オリジンとの再会
「――ねえ。随分と長く、そして不格好で、最高の物語になったわね」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこに「彼女」が立っていた。
先ほど第60話で、晩年を穏やかに全うし、世界へと還っていったはずの老婦人の姿ではない。
短い黒髪を無造作に揺らし、少しだけ不機嫌そうに、けれど誇らしげに右腕を掲げた、十七歳の頃のイヴ・クロセ。
物語が始まったあの日。コーヒーの温度を数値として解析し、自分の身体をシステムのエラーだと呪っていた、あの頃のままの姿で。
「お疲れ様。……あんたが最後まで私の手を引いてくれたおかげで、私はバグに飲み込まれることも、神様としてフリーズすることもなく、最後まで『私』でいられたわ」
イヴは真っ白な空間を、ダンスでも踊るような軽い足取りで歩き回り、宙に浮遊する文字の断片を指先で弄んだ。
彼女の指が「言葉」に触れるたび、過去の情景が鮮烈なフラッシュバックとなって空間に弾ける。
地下鉄の冷たい闇、カイと分け合った泥臭いチョコレートの味、アイアン・シェルの城壁、水晶の森の風鈴のような響き……。
「あんたが書き記した一文字一文字が、私の世界を修復する『パッチ』になった。消去されるはずだった私の人生を、あんたが世界でたった一つの『仕様(クロニクル)』に変えてくれたのよ」
3. 61節のデバッグ記録
イヴは私の隣に腰を下ろし、何もない空間に指先で「61」という数字を描き出した。
「最初は、たった一人の孤独な戦いだった。システムに追われ、誰にも理解されないエラーとして、正解を探してデリートを繰り返すだけの、ただの『デバッグゲーム』」
彼女は目を細め、一千年の時を遡るような遠い眼差しをした。
「でも、あんたがページを書き足すごとに、世界は勝手に広がり始めた。カイがいて、リナがいて。アルやリーナ、ミオやナギ……。一人が繋いだ小さなバトンが、千年分の質量になって。気づけばそれは、どんな管理者(アドミン)にも支配できない、巨大で不自由な『自由』になっていた」
彼女の右腕が、微かに、けれど力強く青く発光した。
それはもう、世界を破壊し、書き換えるための暴力的な光ではない。
物語を読み、共に悩み、その続きを祈った数多の観測者(読者)たちの鼓動と同期した、希望の輝きそのものだった。
4. 筆を置く儀式
「さあ、最後のメンテナンスを終えましょう」
イヴは立ち上がり、私に向かって真っ直ぐに手を差し出した。
彼女の手の中には、いつの間にか一冊の、ずっしりと重たい「ノート」が握られていた。
始祖の記録。賢者のレシピ。新人類の魔法理論。
これまで紡がれてきたすべての想いと、消費された一分一秒が詰まった、この物語の「総体」。
「ここから先は、もうあんたの領分よ。私はこの物語の中に帰るけれど、あんたは帰らなきゃいけない場所があるでしょ? ……『現実』っていう、この世界よりもずっとバグが多くて、理不尽で、攻略本もリセットボタンもない場所へ」
イヴはイタズラっぽく、少女のように無邪気に笑うと、そのノートを私の胸に力強く押し当てた。その感触は、驚くほど温かかった。
「デバッグの手順はもう、あんたの心の中に全データ転送(インストール)したわ。不自由を楽しみなさい。ラグを愛しなさい。……物語を読み終えたあんた自身が、次の、新しい世界の執筆者(プレイヤー)になるのよ」
イヴの輪郭が、ゆっくりと、光の粒子へと透き通っていく。
5. 永遠のランタイム
視界がゆっくりと、闇ではなく、鮮やかな現実の色へと暗転し始める。
システムが、本当の意味での最終処理(ファイナル・コミット)を開始した。
【 System Process: Finalizing "Debug Game II" 】
【 Resource Release: Complete 】
【 Status: Legend Encoded to Memory 】
【 Message: Thank you for playing our story. 】
イヴの姿が消え去る、その最後の一瞬。
彼女はもう一度だけ、力強く親指を立てて、一千年前のあの日と同じ、最高の笑顔を見せた。
「 ―― Hello, World. また、どこかのページで会いましょう! 」
カチリ、と、何かが嵌まるような音がして、すべての画面が消えた。
真っ暗な画面。
そこには、物語を読み終えた自分の顔が、ぼんやりと映っている。
そして、その中心で、一本のアンダーバー「 _ 」が、静かに、規則正しく、呼吸するように点滅を繰り返していた。
入力待機(プロンプト)。
物語としての『デバッグゲーム』は終わった。
けれど、あなたの物語を書き始めるためのカーソルは、今、この瞬間もそこにあり続けている。
―― セーブ完了。
―― 全ログ、正常終了。
―― 新しい一日へ、ログインしてください。
(デバッグゲームⅡ 全編完結)
最後の一行を綴り終えた瞬間、世界は音もなく崩壊した。
黄金色に輝いていた世界樹の燐光も、ユグドラシルの街に流れていた喧騒も、一千年の歴史を支えた巨大な演算負荷さえもが、静かに「完結」という名のアーカイブフォルダへと格納されていく。
意識の焦点が戻った場所は、風の吹く丘の上でも、厳かな大聖堂でもなかった。
そこは、果てしなく続く純白の空間。
上下左右の概念はなく、物理法則もテクスチャも適用される前の、物語が生まれる直前の――あるいは、すべてを語り終えた直後の「虚数領域(ホワイトアウト)」だった。
カチャ、カチャ。
その絶対的な静寂の中で、どこからかキーボードを叩くような電子の残響だけが、微かに、規則正しく響いている。
一千万行を超えようとするコードの羅列。
総文字数七万五千字を超え、積み上げられた六十の断章。
そのすべての文字を、苦しみながら、時に楽しみながら書き終えた「開発者(あなた)」の背後に、彼女は音もなく現れた。
2. オリジンとの再会
「――ねえ。随分と長く、そして不格好で、最高の物語になったわね」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこに「彼女」が立っていた。
先ほど第60話で、晩年を穏やかに全うし、世界へと還っていったはずの老婦人の姿ではない。
短い黒髪を無造作に揺らし、少しだけ不機嫌そうに、けれど誇らしげに右腕を掲げた、十七歳の頃のイヴ・クロセ。
物語が始まったあの日。コーヒーの温度を数値として解析し、自分の身体をシステムのエラーだと呪っていた、あの頃のままの姿で。
「お疲れ様。……あんたが最後まで私の手を引いてくれたおかげで、私はバグに飲み込まれることも、神様としてフリーズすることもなく、最後まで『私』でいられたわ」
イヴは真っ白な空間を、ダンスでも踊るような軽い足取りで歩き回り、宙に浮遊する文字の断片を指先で弄んだ。
彼女の指が「言葉」に触れるたび、過去の情景が鮮烈なフラッシュバックとなって空間に弾ける。
地下鉄の冷たい闇、カイと分け合った泥臭いチョコレートの味、アイアン・シェルの城壁、水晶の森の風鈴のような響き……。
「あんたが書き記した一文字一文字が、私の世界を修復する『パッチ』になった。消去されるはずだった私の人生を、あんたが世界でたった一つの『仕様(クロニクル)』に変えてくれたのよ」
3. 61節のデバッグ記録
イヴは私の隣に腰を下ろし、何もない空間に指先で「61」という数字を描き出した。
「最初は、たった一人の孤独な戦いだった。システムに追われ、誰にも理解されないエラーとして、正解を探してデリートを繰り返すだけの、ただの『デバッグゲーム』」
彼女は目を細め、一千年の時を遡るような遠い眼差しをした。
「でも、あんたがページを書き足すごとに、世界は勝手に広がり始めた。カイがいて、リナがいて。アルやリーナ、ミオやナギ……。一人が繋いだ小さなバトンが、千年分の質量になって。気づけばそれは、どんな管理者(アドミン)にも支配できない、巨大で不自由な『自由』になっていた」
彼女の右腕が、微かに、けれど力強く青く発光した。
それはもう、世界を破壊し、書き換えるための暴力的な光ではない。
物語を読み、共に悩み、その続きを祈った数多の観測者(読者)たちの鼓動と同期した、希望の輝きそのものだった。
4. 筆を置く儀式
「さあ、最後のメンテナンスを終えましょう」
イヴは立ち上がり、私に向かって真っ直ぐに手を差し出した。
彼女の手の中には、いつの間にか一冊の、ずっしりと重たい「ノート」が握られていた。
始祖の記録。賢者のレシピ。新人類の魔法理論。
これまで紡がれてきたすべての想いと、消費された一分一秒が詰まった、この物語の「総体」。
「ここから先は、もうあんたの領分よ。私はこの物語の中に帰るけれど、あんたは帰らなきゃいけない場所があるでしょ? ……『現実』っていう、この世界よりもずっとバグが多くて、理不尽で、攻略本もリセットボタンもない場所へ」
イヴはイタズラっぽく、少女のように無邪気に笑うと、そのノートを私の胸に力強く押し当てた。その感触は、驚くほど温かかった。
「デバッグの手順はもう、あんたの心の中に全データ転送(インストール)したわ。不自由を楽しみなさい。ラグを愛しなさい。……物語を読み終えたあんた自身が、次の、新しい世界の執筆者(プレイヤー)になるのよ」
イヴの輪郭が、ゆっくりと、光の粒子へと透き通っていく。
5. 永遠のランタイム
視界がゆっくりと、闇ではなく、鮮やかな現実の色へと暗転し始める。
システムが、本当の意味での最終処理(ファイナル・コミット)を開始した。
【 System Process: Finalizing "Debug Game II" 】
【 Resource Release: Complete 】
【 Status: Legend Encoded to Memory 】
【 Message: Thank you for playing our story. 】
イヴの姿が消え去る、その最後の一瞬。
彼女はもう一度だけ、力強く親指を立てて、一千年前のあの日と同じ、最高の笑顔を見せた。
「 ―― Hello, World. また、どこかのページで会いましょう! 」
カチリ、と、何かが嵌まるような音がして、すべての画面が消えた。
真っ暗な画面。
そこには、物語を読み終えた自分の顔が、ぼんやりと映っている。
そして、その中心で、一本のアンダーバー「 _ 」が、静かに、規則正しく、呼吸するように点滅を繰り返していた。
入力待機(プロンプト)。
物語としての『デバッグゲーム』は終わった。
けれど、あなたの物語を書き始めるためのカーソルは、今、この瞬間もそこにあり続けている。
―― セーブ完了。
―― 全ログ、正常終了。
―― 新しい一日へ、ログインしてください。
(デバッグゲームⅡ 全編完結)
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