孤独な贄と麗しき魔性

朧 鏡夜

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一部 異界の異端者

6 共鳴の兆候

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 レヴァロス王国は、ラルテュフィーデ大陸の西側に位置する国家である。小国と言うには大きく、大国と言うには僅かばかり小さい国。
 しかし、港や穀倉地帯、自然の恵み溢れる森を国土内に有する為、大陸内では強国として名を馳せている。魔法発祥の地でもある為、一目置かれる国だ。
 そんなレヴァロス王国に本格的な夏が到来した為、貴族達は王都の邸から領地や避暑地に居を移していた。勿論、シェラウィクス家も例外では無い。
 夏や冬は社交を控える為、領地に戻る貴族は多い。控えると言っても、夜会や舞踏会を行なってはいけない訳では無い。夏と冬の季節は領地での問題が色々と上がってくる為、控えめになるのだ。
 シェラウィクス家は、レヴァロス王国内で北部に位置する領地を持つ。港や森を管理するエレヴェルク伯爵は、特殊な爵位と権限を与えられている。
 魔導伯爵と呼ばれるエレヴェルク伯爵は、魔導爵位という爵位。爵位継承者の決定権、自由自治権、独自法等の権限を有している。
 王国内でも一目置かれているエレヴェルク伯爵だが、その名は大陸を越えて世界に名を轟かせていた。


     ❄︎


 王都から領地のシェラウィクス家へと向かう馬車の中、ミュアヴィルは深く溜息を溢したくなった。
(あー……。行きたく無いな……)
 伯母夫婦とその娘、そして当主たる祖母は一足先に領地に戻っており、ミュアヴィルは後発の馬車に揺られていた。現実逃避気味に遠くを見詰めているが、何事も諦めは大事である。
 王都からエレヴェルク伯爵領迄は、馬車で二週間程の道のりである。そして丁度、今日の昼過ぎにはシェラウィクス邸に到着予定だ。
 明日の晩餐にサルヴィアーナより招かれている為、欠席する訳にはいかなかった。
(もう直ぐ到着かな。疲れたし、早く休みたい……)
 ミュアヴィルは態と後発の馬車を利用していた。レーヴィアやアルティーラと同じ馬車内等、拷問でしか無い上、サルヴィアーナも共にとなれば苦痛が増す。例えそれが無関心な相手だとしても、だ。
 何よりサルヴィアーナを当主としても、血縁としても苦手とするミュアヴィルは、今から明日の晩餐の事で胃が痛み出している。仮病等は使えない為、欠席するならば風邪にでも罹らなければならない。
 窓からシェラウィクス邸を発見したミュアヴィルは、益々胃の痛みが増した気がした。この痛みが腹痛として使えないかな、と考えながら眺める。
 領地に建つシェラウィクス邸は王都に建つシェラウィクス邸の二倍近くはある。最早、要塞や城と言っても過言では無い。
 ミュアヴィルは王都での住居同様、敷地内の別邸にて暮らす事になる。一応、本邸の方に部屋は用意されているが、レーヴィアやアルティーラが分不相応だと言い募った為、客室状態である。元々、ミュアヴィルも本邸で暮らす気は無かった為、その事に反論しなかった。
 尚、別邸は十数年前まで使用されていた為、常に清潔に保たれていた。フィリシアも使用していた、と聞き及んでいるミュアヴィルは、サルヴィアーナに許可を貰い暮らしている。
(明日が来なければ、良いな……)
 荷物を片付けながらそんな事を思うミュアヴィルは、そんな事は無いだろうけど、と矛盾した考えを抱きながら手を動かしていた。
 ミュアヴィルはこれからの不安や諸々の事情を忘れる事にした。何事にも諦めは大事で、深く考えなくとも良い事はある。今回の些末事もその分類だ。


 夜となった事で暑さは軽減されるも、蒸し暑い事に変わりは無い。銀色に輝く月は雲に遮られる事無く、涼やかな風は木々を揺らしている。
 その光景を眺める事が出来る晩餐の場。和やかな雰囲気は、何気無い言葉で崩れ去る。
「——御祖母様。是非、彼を探して欲しいのですわ」
 アルティーラの言葉に同席者一同は、一瞬理解が及ばず固まっていた。レーヴィアが直ぐ様正気に戻り、サルヴィアーナに対して説明を始める。その傍でミュアヴィルは、今直ぐにでもこの場から立ち去ってしまい、とそんな衝動に駆られた。
 晩餐は恙無く進められ、穏やかな団欒の時間となっていただろう。但し、ミュアヴィルを除いて。
 そんな時間に終止符を打ったのが、先程のアルティーラの発言である。会話の流れとしては、社交界の話題から先日の茶会へと移り、噂の魔導師へと発展していく。此処迄は何も可笑しくは無いだろう。
 アルティーラは、他国の王族説な魔導師を信じている……と言うよりも、執着している。だから当主であり祖母でもあるサルヴィアーナに、捜索を頼んだのだろう。
 だが、探して欲しい、と言っても正体不明な上、手掛かりが無い状態なのだ。常識的に考えて、捜索は不可能に等しい。完全に不可能では無いのは、魔力波形を調べれば捜索が可能であるからだ。
 しかし、謎の魔導師と騒がれるミュアヴィルは、その辺の偽装は細やかに施してあり、魔力波形は騎士が駆け付けた頃には消失していた。つまり、手掛かりは何一つ無い現状である。
 ミュアヴィルが簡単にその場を後に出来たのは、その仕掛けを施していたからだ。
「手掛かり一つ無い相手を探せ、だなんて。随分と強気なのね? アルティーラ」
 サルヴィアーナの発言にアルティーラはビクッ、と身体を強張らせる。レーヴィアや彼女の夫クレスティスも同様に身体を硬直させていた。
 ミュアヴィルは常の通りヴェール着用であるが、サルヴィアーナの怒気はこれまで見た中で一番と言えた。怒りの感情が黒く変質し、禍々しい気を放つ。その様にミュアヴィルは捉えていた。
 ——此れは……。
 ミュアヴィルは愕然とした様子で、怒れるサルヴィアーナを見詰めていた。彼女の様子から激怒、という程では無いが、鬱陶しく感じている事は分かる。だが、これ程迄に強い負の感情となるだろうか、と観察を続けた。
「レーヴィア、娘の教育は厳しく行いなさい。恥晒しとなる者は、シェラウィクスには不必要です。——分かりましたね」
 有無を言わせ無い物言いで、レーヴィアを冷たく見据えるサルヴィアーナ。はい、と沈んだ声で返事を返し、アルティーラを諌めるレーヴィアからは、疲れた印象を抱く。
 平穏とは言い難い雰囲気の中、本邸での晩餐は終了した。


 晩餐が終了し、本邸から別邸へ戻るミュアヴィルは、ある事を思い出す。その場で足を止め、記憶からその情報を引き出し始める。
 晩餐の場で見た現象——感情の僅かな揺らぎで負の感情へと傾く傾向について、以前何処かで研究資料を見た事があったのだ。
 その時のミュアヴィルは、自身の目的には関係無いだろう、と放置した。だが、今は調べてみる価値がある、と判断したのだ。
 幸いにして、目的の為の情報収集は終了している。追加として調べる事は可能であった。
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