金澤奇譚

独身貴族

文字の大きさ
上 下
1 / 3

化猫 一

しおりを挟む
化猫

 金澤にはハッタロウがいるらしい──


 時代は平和。この年号になってから、戦争だの恐慌だのという言葉から、随分と縁遠くなってしまった。今の所、日本という国には、平穏が溢れかえっている。

 ここは金澤。私が生まれ育ち、今なお住み着く郷である。文都、学都、軍都などと呼ばれているようだが、どうにも胡散臭い。胡散臭さの塊だ。未だに第九師団は本丸に駐屯し、周りからは何やら生物実験をしているだの、化学兵器を作っているだの、根も葉もない噂を立てられている。しかし城下町はやっぱり、今日も平穏で平和である。

 ここで私について語るとしよう。私の名は和泉清太郎。名前で勘づいた方もいるかもしれないが、両親が熱心な鏡花ファンで、私もその英才教育を受けて育った。そういうわけで、物心ついた時から、すっかり鏡花狂い《フリーク》に染まっていた。外出には手袋が欠かせないし、消毒アルコールは必ず懐へ忍ばせている。酒は当然泉燗だし、部屋は古書で埋め立てられている。現在、中学校で国語科教師をしているが、私はちょっとした名物になっているらしい。生徒たちからの評判は芳しくなく、友人も数えるほどしかいなかった。

 その数少ない友人の一人である、社会科教師の國田から、今朝、平穏でないニュースがもたらされた。職員室へ入り、自分の机へカバンを置いたなり、ニヤニヤニコニコと、気持ち悪い笑顔を貼り付けて話しかけてきた。彼が、私の興味をそそる話題を持ってきた時に見せる、一種の癖である。

「和泉せんせ。見ました? 新聞、見ました?」
「ああ、その顔やめてください國田先生。新聞は一通り目を通しましたが、何も興味をそそることなんてありませんでしたよ」
「ええ? そんなことないでしょう、隅々読みましたか? 白骨死体の記事は? 読んでないんですか?」
「読みましたが……特に興味を引かれませんでしたよ。卯辰山の帰厚坂、その途中にある土砂崩れがあった場所から、白骨が出てきたという話でしょう? 怪奇的といえばそうですが、それまでです。そのうち鑑定に回されて、持ち主がわかってお仕舞いです」
「ええ? 興味深くありませんか? 一体なんでそんなところに死体が埋められていたのか、他殺かそれとも──いや、他殺に違いない──骨の持ち主は、一体何があって殺されて、そこに埋められたのか──気になりませんか?」
「せいぜい痴情のもつれか金がらみでしょう。そうでなければ、誤って埋められてしまったか──土砂崩れがあったところ、洞窟のようになっていたようですから、もともとそこは何かに使われていて──」
「──おや? まさかまさか、ご存知ない?」

 朝礼の準備をする私の気を引こうと、國田は身を乗り出して、私の顔を覗き込んだ。

「あの穴はですね、昔、ハッタロウが住んでいたんです」

 國田はゆっくり口角をあげ、もったいぶった調子で言った。しかし私は、その名を知らない。

「──ハッタロウ、誰ですか、それは」
「嘘でしょう! 和泉先生なら絶対知っると思ってたのに! ハッタロウですよ、知らんのですか!? 和泉先生ともあろう人が!」
「なんなんですか、知らないと何かおかしいとでも?」

 私は國田の思わせぶりな調子にイラついて、声を荒げた。

「ええ──怪奇小説マニアの和泉先生なら、絶対知っといた方がいい人物です」
「……怪奇小説マニアではなく、鏡花趣味です」
「どちらも同じでしょう。怪談話といえば和泉先生、怪奇話といえば和泉先生──共通の趣味を持つ僕が保証します。和泉先生、ハッタロウのこと好きですよ、絶対」
「……へぇ」

 私はやや煽りを含んだ眼で、國田を見上げた。

「そこまで言わしめるそのハッタロウなる人物は、いったい何者なんです?」

 國田はパッと目を輝かせて、ニコニコニコニコしながら、どう話し始めようかと手を擦り合わせた。

「ひとことで言うと──ハッタロウは浮浪者です」
「……」
「最後まで聞いてくださいね? 彼は卯辰山に住んでいて、日暮れになると東山へ出没し、廓街の些細な手伝いをして周ります。その報酬として食事をもらい、そしてまた卯辰山へと帰っていく。女物の黒い着物を着て、どこか浮世離れした雰囲気を持った、仙人のような爺さんです。芸妓さんたちから人気があり、画家や友禅作家の友人も多くいたそうです」
「はぁ」
「それだけならまぁ、変わり者の浮浪者ってとこですが、──彼が生きていた時代は明治から昭和にかけて──今生きていれば、100歳は超えとるでしょうね」
「つまり……?」

「──この平和の世になって、彼を目撃したという話がちらほら出とるんですよ」

「──ハッ。まさか。ありえませんよ」
「ええ、そうですよね。偽物だって思いますよね。──でも、彼なんです。黒い着物で、蝙蝠傘とずた袋を引きずって、無精髭の蓬髪頭で、今でも、夕暮れになると東山を徘徊してるんです。──怪異だと思いませんか? 浪漫があると思いませんか?」
「それだけじゃあ怪異なんて呼べませんよ。似たような人物が、同じように徘徊してるだけかもしれない。第一、それはあなた自身が見た話なんですか?」
「それがですね──まだ一度も、会ったことがないんです」
「信ぴょう性がない。つまりはただの噂話だ」
「ピシャリと言われちゃいましたね。そうなんですよ。でもそこはほら、信じたいじゃないですか。僕は会ってみたいですよ、ハッタロウに。でも、会えないんです。どれだけ探しても」
「ですから、ガセネタだと──」
「そうじゃないんです。僕の知人は何度も会ってるんです。──ハッタロウは、限られた人にしか、視えないんです。そうなんですよ、きっと」
「いよいよ怪奇じみてきましたね」
「冗談を言っているんじゃありません! 僕は本気ですよ。今度一緒に探しに行きましょう。ね! 彼のお墓も! 案内しますよ」
「墓があるんですか!」
「あるんです! でも生きているんです!」
「墓があるなら死んでますよ!」
「生きているんです! ね、信じましょう。心に浪漫を。心に怪異を」
「胡散臭い標語ですね……」

 私がため息を吐いたところで、予鈴がなった。

 ***

 ハッタロウ。もしかするとご存知の方もいるかもしれない。
 無知だった私に國田が吹き込んだ話を、ここにまとめておく。

 ハッタロウ──本名はT・初太郎。明治31年5月18日生まれ。20歳の頃に両親と死別し、妹と共に慈善院に入る。その後、住まいを転々とする。

 大方を卯辰山の帰厚坂の洞穴で暮らし、その後、昭和10年に善意で建ててもらった観音町の小屋で数年を過ごすが、昭和12年頃に常磐町の保護所へ収容される。昭和15年1月15日に死去。41歳だった。遺体は金澤城大学医学生の解剖実習に提供された。遺骨は解剖墓地に葬られている。

 しかし市役所には未だに戸籍があり、生存していることになっているという。これが第一の謎である。


 風貌について話すと、身長約165センチ、色黒で片目が不自由。女物の赤い長襦袢を着て、穴のあいたゴム長を履き、ずた袋とノコギリ、蝙蝠傘を手に、東山を徘徊していた。すらっとした男前だが、蓬髪髭面で老いても若くも見える。なんとなく話しかけたくなるような愛嬌があり、温和で飄々とした空気を纏い、時には子供に説教をする。一部からは遠ざけられていたが、愛宕(東山)の人々からは好かれていた。ついたあだ名は「臥竜山の仙人」。なんとも仰々しい二つ名だ。

 噂では三味線ひきの瞽女と暮らし、小学二年生の女児がいたが、いつの間にか学校へは来なくなった。彼らのその後は不明である。


 ここからは第二の謎──というか怪異たらしめる話というか──なのだが、ハッタロウには神秘めいたところがあったという。

 子供達にせがまれると電柱を登っていき、鳥の鳴き真似をしたり、閻魔様と通信して、「返事がないから、まだあの世へは行かんくていいらしい」などと言っていたようだ。

 他にも、石垣を洗いながら石と会話したり、貰ったお駄賃を賽銭箱に入れて神様と喋ったり……そんなことをしていたので、そこらの地蔵よりも彼への供物の方が多かったそうだ。しかし、絶対に物乞いすることはなく、金は全て賽銭箱へ入れていた。なかなか律儀な浮浪者だ。

 子供に説教めいたことを言ったり、文壇の知人もいたことから、実は名家のインテリだったのではという噂もあった。しかし、真相は知りようがない。記録も少なく、伝承でしか知りえないため、彼の人生のほとんどが、謎に包まれている。しかも、その時代を生きた人が老いていき、本当の彼を知る者はほとんど残っていない。こうして彼は伝説の人物となってしまった。


 彼が住んでいた洞穴は、慶応3年に帰厚坂の工事の時にできたものらしく、手ノミで掘られ、蝋燭を置く穴がいくつも壁にあった。仏像群があったという話もあり、人の顔の石がずらりと並んでいたらしい。
昭和42年に、ブルドーザーによって崩されたが、平和5年の大地震により出現。再度洞窟は塞がれたが、その頃からハッタロウを目撃したという話が出始めたという。

 それ以前から、洞窟の近くに住み着くハッタロウもどき浮浪者は何人かいたらしい。しかし、彼が伝説となった今、現世で目撃されているハッタロウが本物かどうかは確かめようがない。──いや、偽物であるのは確かだ。なぜなら、生きていれば彼は100歳を超えている。本物のわけがない。でももし、本物だとしたら──

 これが、國田がハッタロウを怪異と呼ぶ経緯である。

出典:
『四季こもごも―金沢の街と坂と卯辰山』
「都市の民俗 金沢」
「五木寛之の新金沢小景」

 ***

 「えー、こちらが臥竜山の仙人が住んでいらした、帰厚坂の洞窟でございま~す」

 その1週間後、なぜか私は、國田のハッタロウの聖地を巡るツアーに強制参加させられていた。

 先週までは警察やメディアでざわついていた卯辰山も、今はすっかり元の静寂を取り戻していた。奥の木々の間では、蝉がじわじわ鳴いている。

「結局、白骨はハッタロウのものじゃありませんでしたね。残念でしたね、國田先生」
「和泉先生、意地悪を言わないでください。僕は少しでもハッタロウの手がかりを掴みたいという一心で、こうやって嗅ぎ回っているんです」
「私なんかよりよっぽど変態ですね、國田先生」
「おや、和泉先生も変態だという自覚がおありでしたか。しかしまあそこは引けをとりませんよ。怪談や伝承話にかけては、先生よりずっと詳しい自信がありますので。ははっ」
「別に張り合おうなんて思っちゃいませんよ……」

 私は洞窟の中を見ようと身を乗り出すが、奥までは光が届かず、はっきりとは見えない。相変わらず立ち入り禁止のテープが張られているが、事件現場というよりも、土砂崩れの二次災害を注意するためのものだろう。そもそも潔癖の気がある私は、これ以上中へ入りたいとは思わないのだったが。

「あらら~。奥の方は埋められているようですね。本当なら奥までずっと……向こうの松魚亭の下まで続いているはずなんですけどねぇ」

 この男は潔癖の気がないので、ずいずいと中へ顔を突っ込んで、舐め回すように観察している。

「あまり中へ入ると、埋まりますよ」
「大丈夫ですよ~」
「埋まったら白骨になるまで放置しますからね」
「薄情だな~和泉先生は~」

『そうだぞ。やめときよ。埋められるぞ』

「──え」

 ふと、我々のものでない、第三の声が聞こえた気がした。振り返るが──そこには誰も居ず、ただ青葉を茂らせた桜の木下で、黒猫が欠伸をしているだけだった。

「……行きましょう、國田先生。──置いていきますよ」
「あっ、待ってください和泉先生! ホントに薄情だな~」

 私は國田に悟られないように、しかし強引にその場から離れた。まだそれほど暑くはないのに、背中に汗を感じる。実を言うと私は、恐怖の感覚への耐性が、著しく低いのである。怪談話を好むくせに情けないと自分で恥じているので、國田を含む多くの人には、このどうしようもない性分を隠すようにしていた。

 ***

「あのっ! 和泉先生、一緒にハッタロウさんの手がかり探しましょう!」

 放課後の職員室。目を輝かせて腕をぶんぶん振る女子中学生を前にして、私は不機嫌に眉を寄せた。

「國田先生から聞きました。怪異のこと──特にハッタロウさんについては和泉先生が第一人者だと──先生に聞けば、私の知らんことも教えてくれるって! 先生、私ハッタロウさんに会いたいんです! お願いします、一緒に探しましょう!」
「嫌ですね」

 私は素っ気なく断った。まるで刃物で刺されたかのように、女子生徒は胸を押さえ、ふらりとよろける。

「なんでですか……! 先生……会ってみたいと思いませんか……! すごく不思議な人なんです、懐かしいと言うか、親しみやすいと言うか、おじいちゃんが生きとったら多分こんな人やったんだろうなーって、……なんやろう、すごく会いたいんです。会って話してみたいんです、色んなこと……先生も、会いたいって思ってるんじゃないんですか?」
「見てみたいですけどね、存在しないのだからしょうがない」
「嘘や! 先生も信じとるんじゃないんです? だから色々調べとるんじゃないんですか?」

 なかなか引き下がらない女子生徒に、私の眉間のしわが増えていく。

「ええ、そうですね。確かに会ってみたいと思いました。ですが調べれば調べるほど、彼は存在しないことが明確になっていくんです。ハッタロウが生まれたのは明治31年。──今は?」
「……平和12年」
「そうです。生きていれば102歳です。不可能な年齢ではありませんが、街を徘徊することはまず難しいでしょう。それから彼の名が刻まれた墓があります。遺体が金澤城大学へ解剖実験に回された記録もあるんです。……彼は現世に存在しません。ですから探したところで無駄です。さっさと帰りなさい。もう陽が沈みますよ」
「わかってます……わかってますけどぉ……」

 女子生徒はなおも食い下がる。

「私が会ったのは本当にハッタロウさんやったんか、確かめたいんです」
「……ハッタロウに、会ったのですか?」

 生徒は俯き加減に、制服を弄りながらポツポツ話す。

「先生は信じてくれんかもしれんけど……自分のこと『ハッタロウや』って名乗ったんです。はじめはふぅんとしか思わんかったんやけど、年配の人と昔からの知り合いみたいやったり、『仙人』って呼ばれたりしとったから、変わった人やなって気になって……それでお姉ちゃんの友達に話したら、ハッタロウさんのことについて色々と教えてくれて……でもそれから一回も会えんのです。もう一回会ってみたいんに……」
「その時のこと、詳しく教えてくれませんか?」

 私は落ち着いた声で、促した。

 ***

 女子生徒の話は別で語るとして割愛する。彼女の話では、出会った男は確かにハッタロウのようであった。が、私はそう簡単には信じない。なおも食い下がる生徒をなんとか宥めて、帰路へ着かせた。──私だって信じたいし、なんなら会ってみたい。でも、この目でまだ見ていない限り、信じるわけにはいかない。大人というものは本当に厄介である。
しおりを挟む

処理中です...