松書房、ハイセンス大衆雑誌編集者、林檎君の備忘録。

中谷 獏天

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第22章 機関と教授と担当。

4 怨霊と後悔。

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「本当に、巻き込んでしまって、すみ」
『いや、俺も知らなかったんだ。親がしていた事も、何も』

 怪異は確かに存在している。
 けれど怪異は酷く不安定で、柔らかく柔軟な存在だと、俺達は考えもしなかった。

「ですけど」
『君は納得しているかい、ムジナものっぺらぼうも鬼婆も、元は全て女鬼が根源だと』

「確かに、何の説明も無い時は驚きましたけど。あの説明で、はい、僕は納得してしまいました」

 古くは源氏物語の手習に、目も口も無い女鬼について記載が有った。

 そして派生にお歯黒べったり、のっぺらぼう、ぬっぺふほふと枝分かれしたが。
 その容姿の差異は、狸や狐やムジナの能力差に過ぎない、と。

『未だに俺は、狐に化かされたままじゃないかと疑っている』

 父は怪しい薬を製造し、一部の者で効果を確かめ、売り捌こうとしていた。

 その関係者が、お登勢さん、神主に配達人。
 そして古株の駐在員だった。

 幸いにも俺は無関係だと証明はされたが、薬剤師への道は、研究員への道は絶望的だった。

 身辺調査は勿論、研究機関で働くには、それなりの金が掛かる。
 だが犯罪で得た金は国に没収され、母は死後離婚の後に、俺を置いて実家へと戻った。

 そうして母の実家の支援も無いままでは、研究機関への所属は不可能。
 他所で薬局に勤める薬剤師に、なれるかどうか。

 そんな瀬戸際だった。

「僕と兄弟なのが、そこまで」
『いや、寧ろ有り難いと思っている、本当に』

 彼に覆いかぶさった何かは、彼の顔に擦り寄りたかっただけ、らしく。
 そのまま通り過ぎ、何処かへと一反木綿の様に飛び去り、俺も気を失った。

 そして、そのまま彼は行方知れずとなり。
 数日後に会うその日まで、俺は、彼が死んだとばかり。

「実を言うと、少しだけ見聞きしたんです、あのムジナが見聞きした事を」

『一体、何を』
「薬品の製造だとか、そうした事です。だからこそ僕に触れて、分かって貰おうとしていたみたいなんです」

『あぁ』
「ですけどあの外見は、難しいかと」

『本当に、アレでは無理だろう』

「化ける事が不得手な妖怪も居る、そうで」
『だが、下手にしても限度が有るだろうに』

「ですよね、本当に。さ、行きましょう行きましょう、新しい両親は良い方達なんですから」



 僕は、知る事が全てでは無い。
 そう悟る事も、知る事も出来ました。

『あぁ、せめて良い人間には幸運が齎される様、努力するしか無いか』
「そう固く考えず、先ずは親孝行しましょう」

『あぁ、そうだな』

 彼の父親は、酷い方でした。
 あのお登勢さんと違法な薬物を使用しながら不貞を働き、古い駐在員に賄賂代わりに渡し、彼の娘まで差し出させようとし。

 配達人とお登勢さんとの関係を知ると、配達人まで巻き込み。
 いずれ、都会で売り捌こうと企んでいた。

 けれど、幾ら賢くともムジナはムジナ。
 せめて邪魔をしようと、彼の父親を襲ったが、返り討ちに。

 そこで僕が通りがかり、弱ったムジナを道の端に置き、お供え物をした事で。
 ムジナは力を得てしまった。

 八重子さんの説明によると、僕がムジナを置いた場所が。
 雷神社と黒塚、そしてお不動さんを繋いだ三角の、丁度真ん中。

 三方から力を受けたムジナが、僕の為にもと。

 どうやらお登勢さんは、次に僕へ薬を盛ろうとしていたのでは、と。
 お登勢さんは無関係、無害だと思っていた僕は、酷く落胆した。

 機関からの誘いも無視する程。

 安心出来る安全な場所で、僕は怖いもの見たさを満たしたかっただけ。
 けれどもう、誰も信用ならない、安心出来る場所は無いのだと諦めていた。

 僕は、より怖い事で、怖い事に蓋をしていた。
 なのに、怖い事も嫌になってしまった。

 未だに僕は戸が揺れる音が怖い。
 台風なんかはもう、1人では居られない程に。

「ひっ」
『大丈夫だ、俺も聞こえた、アレは風だ』

 同じ様に怖い思いをしたと言うのに、彼は恩義からか、僕が縋り付いても決して嫌がらない。

 酷く利用してしまっているとは思う。
 女に逃げれば良いと、僕もそう思う。

 けれど。
 真実を言えるのは、彼と機関の僅かな職員へのみ。

 僕は名前をすっかり変え、新しい家族と共に、さも平凡かの様に暮らしている。
 けれど、ムジナは僕から離れず。

《あれ、かぜ》

 怖がらせた代償なのか、僕にだけ聞こえる声で、僕にだけ見えるムジナの姿で。
 今でも擦り寄ってくる。

「実は、まだ、ココに居るんです」

『何が』
「ムジナが、もう好きにしても良いと伝えたんですが、離れないんです」

《はな、すた、のし》

 怖がらせた張本人であり、守ってくれたモノ。
 以前の僕なら喜んだだろうけれど、すっかり怖がりになった僕は、ムジナが今でも苦手だ。

『そのムジナを、俺が引き受けられないんだろうか』
「僕に憑いたムジナなので、無理に剥がすと、僕に何か起こるそうです」

 良かれと思いした結果が、今は僕を苦しめている。
 同情は、時に不幸を招く事すら有る。

『そうか』
「慣れるしか無いそうですし、このムジナは、良い子らしいので」

 八重子さんも真方さんも、このムジナは良い子だ、と。

 《くれ、たご、あん、くれ、たご……》

 くれた、ごあん。
 ごあん、くれた。

 確かに僕はお供え物をした。
 事が起こる少し前に、薄汚れた狐の亡骸の前に供え物をした。

 けれど、だからと言って。
 何も、僕の目の前で。

 あんなに嬉しそうに。
 楽しそうに人を刺し殺すムジナを、僕はどうしても良い子だとは思えない。

 そして、あんなにもおぞましい姿を忘れるだなんて。
 僕には出来無い。

『犬の知能は、3才児程度らしい。それがもし、体の小さいムジナなら』

 幼くも、使命の為に命を狩るムジナ。
 殺した事を褒めて貰いたがる、不器用で幼いムジナ。

 そのムジナとの縁を切るには、代償を必要とするらしい。

 それが何なのかは。
 誰にも、ムジナにも分からないらしい。

 僕は、助かるべきだったのだろうか。
 僕は、ムジナに憑かれるべきだったのだろうか。

《また、かぜ、くる》

 ガシャン。

「ひっ」

 この音と共に蘇るのは、赤黒く無数に並んだ歯。
 そして、薄く引き伸ばされた女の顔。

『風だ』
「はい、すみません、戻りましょう」

 もう僕は、耳を潰すしか無いのだろうか。
 それとも、僕は。

『機関に、誘われているんだが、君はどうするつもりだろうか』

「えっ」
『勉学の合間に関わるだけで、良いらしい』

「それは、強制なんですか」
『いや、ただ、君と同行する事が条件だそうだ』

「コレを、使えと」

 もう、人死は避けたい。
 出来るなら、そうした場にはもう。

『もし、君の気が変わったなら、俺は同行しようと思っている』

 今は国に扶養される身。
 献身は当たり前。

 けれど、僕はもう、忌み事に巻き込まれたくは無い。
 そして彼も、巻き込む事など。

「もし、万が一にも動く事が有れば、条件を出そうと思います」

 人を殺さず。
 彼に被害が出る事の無い、怖く無い事件なら、関わっても構わない。

 こんな我儘を、果たして機関は呑むのだろうか。
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