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第22章 機関と教授と担当。
6 怨念と女鬼。
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大昔、未だ国が纏まらぬ時代。
安達ケ原にて、無理難題を押し付けられた下女が娘を娘と気付かず殺し、鬼となり。
やがて僧に退治された。
片や鈴鹿山には、御嶽丸なる盗賊の首領、静香御前なる天女が居り。
田村丸なる将軍が天女と共に首領を討伐し、男女の子を設けた。
そして、戸隠の鬼無里村には。
呉葉、紅葉伝説が今でも語り継がれている。
「あら、どうも、いらっしゃい」
誰にも真実は分からない。
けれど、少なくとも彼女は、八百比丘尼は全て自身の身に起きた事だと言う。
『八百比丘尼さん、彼女が小泉女史です、貴女をご紹介に伺いました』
「まぁまぁ、態々こんな遠くまで。さ、どうぞどうぞ、直ぐにお茶を淹れますね」
八百比丘尼の外見は、飛び抜けた容姿、とは言い難い。
寧ろ酷く平凡で、人好きのする、肌馴染みの良い顔立ち。
けれど実に柔らかく、心地の良い笑顔を、嫌味無く浮かべる。
天女とは、本来こうした顔立ちなのだろう。
そう思わせる、質素な顔立ち。
『確かに、お話ハ辻褄合いマス、デスが』
『では殺してみますか、かぶり付きで目を離す事無く、生き返る様を観察し記録する。ですが、たった数人で、常人に出来ますでしょうか。その飲み物に、食べ物に異物が混入されていない、その保証を一体誰がすると言うのでしょうか』
真実とは何か。
その信用は誰が、何が担保するのか。
「教授、人も実は酷く不安定な存在、だとは思いませんか」
家族、戸籍、国。
決して偽れない事は僅か。
しかも他を消してしまえば、作り替えてしまえば、その殆どを偽る事が出来る。
僕らの様に、怪異の様に。
『アナタは、何ヲ知っていますか』
「大した事は。ただ、例の不届き者が、何故自死したのかは知っています、ずっと見ていましたから」
アレの息子となり、自白と共に活路を見出してやろうとしたのに、アレは保身の死を選んだ。
口寄せによる、死口を活用しなければならない面倒な事にはなった。
けれど嘘を見抜く必要の無い、便利な状態となった、とも言える。
『どうお書きになるか、そもそもお書きにならないかも、お任せ致します』
「教授は賢いんですし、何を答えとすべきか、簡単に分かりますよね」
ありのままを書く事、だけが民俗学なら。
きっと、民俗学者なんて、とっくのとうに数を減らしているだろう。
国を、民を守る為。
敢えて書かない、そう選んだ者だけが。
国に、神仏に選ばれるのだから。
『ふふふ、ソウ言う事デスか、成程』
『お話が早くて助かります』
「さ、打ち立てのお蕎麦が有るの、一緒に食べましょう」
「はーい」
男の怨霊は時に神となり。
時に女の怨念は女鬼、鬼女、鬼婆となる。
では、怪異は人を脅かす為、何者に成るか。
夫が最も恐れる者。
子供が最も恐れる者。
男が最も恐れる者は何か、誰か。
妻であり、母である、女。
静かに怒り狂う女を恐れぬ男は、滅多に居ないだろう。
『女鬼や鬼女、鬼婆を下地にしたモノこそ。お歯黒べったり、のっぺらぼう、ぬっぺふほふ。北で言う、ケナシコルウナルペ、なのデス』
人の女とて、化粧で化けるにも個体差が有る。
ましてや種類の違う、狐や狸やムジナなら、随分と違っていても不思議は無い。
《教授、質問を宜しいですか》
『ハーイ、ドウぞドウぞ』
《確かにムジナや狐が変化した者も居るとは思いますが、他国からの知識の混じりも有るかと》
『ハーイ、渾沌デスね。私も、立ち上がり正面を向いた渾沌が、ぬっぺふほふカモ思いマース』
余白を余白のままにするか。
敢えて書き込むか。
どちらを選ぶか、若しくは選ばず見守るか。
それは後世に生きる者に与えられた特権であり。
後代を生かす者の義務でも有る。
《では、教授はクタベと白鐸が混同された、富山の件については》
『勿論、黄帝は医神デス、富山の薬売りとも類似性有りマス。混同、混じりが有ったとの推察も、十分に有り得マス』
「教授はいつ、向かわれるんですか?」
『授業、退屈デスか?ソレとも課題ヲ沢山したいデスかー?』
「いえ、どれも満足しています。けれど教授から見た件を、クタベを知れたら、そう思っているだけなのです」
人には、どうしても当たり前が邪魔をしてしまう。
そして時に物忘れも、時期も運も。
『分かりマシた、次は件、追い掛けまショウ』
「わぁ、ありがとうございます」
知ろうとするモノの、何と美しい事だろう。
『デスが、アナタ達も考察するデス。出来るナラ、私以上の考察、希望します。課題にしマスから、今回の事、件についても提出しなサーイ』
「はい」
『良い返事デス、多ければ多い程、中身詰まっていれば。点数沢山差し上げマス、頑張って下サーイ』
「《はい!》」
無知を放置するモノの対極は、どうしてこんなにも美しく、愛しいのだろう。
『ただいま』
「おかえり」
『この国は、どうしてこんなにも美しく、素敵に見えるのかしら』
「それは君が受け入れられ、必要とされているからだよ」
国すらも、自然崇拝の対象とする国。
アニミズムの国、日出る、美しい国。
《八重子》
『和歌も神話も、敢えてなのか、時に妻を妹としています。それは他国もそうであるのか、若しくは、本当の血縁なのか』
《俺はお前の血が繋がる子が見たい、だが俺以外の血が混ざる子は望まない》
『神話の再現でしたら、既に他国が行った事、私に興味は御座いません』
《神話にも怪異にも興味は無い》
『愛すれば愛されるのなら、源氏物語は存在していなかったでしょう』
《何が足りない》
『男は種を蒔き、敵を追い払う、だけ。世話した畑に件を産み出す恐れを持つ、それは女にしか、分からない事なのでしょうね』
件、クタベの由来は南蛮渡来の白鐸、とされている。
表は。
表向きは。
昔々、宝永2年の師走に、件が現れ豊作を予言した。
と、天保の瓦版にて記された。
では、それ以前には居なかったのか。
否、一斉に件が広まると、各地で様々な人面身獣の噂が現れた。
時には人の顔に龍の姿であったり、人の顔に牛の姿であったり、えも言われぬ不定形な姿であったり。
そうして豊作、疫病、厄災を予言し。
時に牛の面で人の身をしながら、人語を話す事も無く、屍肉を貪る。
牛女、も現れた。
件は牛から、そして牛女は人から産まれる。
もう、お分りでしょう。
女が、妻が、母となる者が恐れる事を。
件とは何か、もう、お分りでしょう。
《俺も、恐ろしいと思う。例えお前の子であろうと、手を掛けなければいけない事を、お前を失う事を俺は酷く恐れている》
『女にも男にも下準備が必要なのです、まるで神話の様に、古事の様に。お兄様、私は知っているんです、私を忘れようと愚かな事をしていた事も』
何もかも、全て。
安達ケ原にて、無理難題を押し付けられた下女が娘を娘と気付かず殺し、鬼となり。
やがて僧に退治された。
片や鈴鹿山には、御嶽丸なる盗賊の首領、静香御前なる天女が居り。
田村丸なる将軍が天女と共に首領を討伐し、男女の子を設けた。
そして、戸隠の鬼無里村には。
呉葉、紅葉伝説が今でも語り継がれている。
「あら、どうも、いらっしゃい」
誰にも真実は分からない。
けれど、少なくとも彼女は、八百比丘尼は全て自身の身に起きた事だと言う。
『八百比丘尼さん、彼女が小泉女史です、貴女をご紹介に伺いました』
「まぁまぁ、態々こんな遠くまで。さ、どうぞどうぞ、直ぐにお茶を淹れますね」
八百比丘尼の外見は、飛び抜けた容姿、とは言い難い。
寧ろ酷く平凡で、人好きのする、肌馴染みの良い顔立ち。
けれど実に柔らかく、心地の良い笑顔を、嫌味無く浮かべる。
天女とは、本来こうした顔立ちなのだろう。
そう思わせる、質素な顔立ち。
『確かに、お話ハ辻褄合いマス、デスが』
『では殺してみますか、かぶり付きで目を離す事無く、生き返る様を観察し記録する。ですが、たった数人で、常人に出来ますでしょうか。その飲み物に、食べ物に異物が混入されていない、その保証を一体誰がすると言うのでしょうか』
真実とは何か。
その信用は誰が、何が担保するのか。
「教授、人も実は酷く不安定な存在、だとは思いませんか」
家族、戸籍、国。
決して偽れない事は僅か。
しかも他を消してしまえば、作り替えてしまえば、その殆どを偽る事が出来る。
僕らの様に、怪異の様に。
『アナタは、何ヲ知っていますか』
「大した事は。ただ、例の不届き者が、何故自死したのかは知っています、ずっと見ていましたから」
アレの息子となり、自白と共に活路を見出してやろうとしたのに、アレは保身の死を選んだ。
口寄せによる、死口を活用しなければならない面倒な事にはなった。
けれど嘘を見抜く必要の無い、便利な状態となった、とも言える。
『どうお書きになるか、そもそもお書きにならないかも、お任せ致します』
「教授は賢いんですし、何を答えとすべきか、簡単に分かりますよね」
ありのままを書く事、だけが民俗学なら。
きっと、民俗学者なんて、とっくのとうに数を減らしているだろう。
国を、民を守る為。
敢えて書かない、そう選んだ者だけが。
国に、神仏に選ばれるのだから。
『ふふふ、ソウ言う事デスか、成程』
『お話が早くて助かります』
「さ、打ち立てのお蕎麦が有るの、一緒に食べましょう」
「はーい」
男の怨霊は時に神となり。
時に女の怨念は女鬼、鬼女、鬼婆となる。
では、怪異は人を脅かす為、何者に成るか。
夫が最も恐れる者。
子供が最も恐れる者。
男が最も恐れる者は何か、誰か。
妻であり、母である、女。
静かに怒り狂う女を恐れぬ男は、滅多に居ないだろう。
『女鬼や鬼女、鬼婆を下地にしたモノこそ。お歯黒べったり、のっぺらぼう、ぬっぺふほふ。北で言う、ケナシコルウナルペ、なのデス』
人の女とて、化粧で化けるにも個体差が有る。
ましてや種類の違う、狐や狸やムジナなら、随分と違っていても不思議は無い。
《教授、質問を宜しいですか》
『ハーイ、ドウぞドウぞ』
《確かにムジナや狐が変化した者も居るとは思いますが、他国からの知識の混じりも有るかと》
『ハーイ、渾沌デスね。私も、立ち上がり正面を向いた渾沌が、ぬっぺふほふカモ思いマース』
余白を余白のままにするか。
敢えて書き込むか。
どちらを選ぶか、若しくは選ばず見守るか。
それは後世に生きる者に与えられた特権であり。
後代を生かす者の義務でも有る。
《では、教授はクタベと白鐸が混同された、富山の件については》
『勿論、黄帝は医神デス、富山の薬売りとも類似性有りマス。混同、混じりが有ったとの推察も、十分に有り得マス』
「教授はいつ、向かわれるんですか?」
『授業、退屈デスか?ソレとも課題ヲ沢山したいデスかー?』
「いえ、どれも満足しています。けれど教授から見た件を、クタベを知れたら、そう思っているだけなのです」
人には、どうしても当たり前が邪魔をしてしまう。
そして時に物忘れも、時期も運も。
『分かりマシた、次は件、追い掛けまショウ』
「わぁ、ありがとうございます」
知ろうとするモノの、何と美しい事だろう。
『デスが、アナタ達も考察するデス。出来るナラ、私以上の考察、希望します。課題にしマスから、今回の事、件についても提出しなサーイ』
「はい」
『良い返事デス、多ければ多い程、中身詰まっていれば。点数沢山差し上げマス、頑張って下サーイ』
「《はい!》」
無知を放置するモノの対極は、どうしてこんなにも美しく、愛しいのだろう。
『ただいま』
「おかえり」
『この国は、どうしてこんなにも美しく、素敵に見えるのかしら』
「それは君が受け入れられ、必要とされているからだよ」
国すらも、自然崇拝の対象とする国。
アニミズムの国、日出る、美しい国。
《八重子》
『和歌も神話も、敢えてなのか、時に妻を妹としています。それは他国もそうであるのか、若しくは、本当の血縁なのか』
《俺はお前の血が繋がる子が見たい、だが俺以外の血が混ざる子は望まない》
『神話の再現でしたら、既に他国が行った事、私に興味は御座いません』
《神話にも怪異にも興味は無い》
『愛すれば愛されるのなら、源氏物語は存在していなかったでしょう』
《何が足りない》
『男は種を蒔き、敵を追い払う、だけ。世話した畑に件を産み出す恐れを持つ、それは女にしか、分からない事なのでしょうね』
件、クタベの由来は南蛮渡来の白鐸、とされている。
表は。
表向きは。
昔々、宝永2年の師走に、件が現れ豊作を予言した。
と、天保の瓦版にて記された。
では、それ以前には居なかったのか。
否、一斉に件が広まると、各地で様々な人面身獣の噂が現れた。
時には人の顔に龍の姿であったり、人の顔に牛の姿であったり、えも言われぬ不定形な姿であったり。
そうして豊作、疫病、厄災を予言し。
時に牛の面で人の身をしながら、人語を話す事も無く、屍肉を貪る。
牛女、も現れた。
件は牛から、そして牛女は人から産まれる。
もう、お分りでしょう。
女が、妻が、母となる者が恐れる事を。
件とは何か、もう、お分りでしょう。
《俺も、恐ろしいと思う。例えお前の子であろうと、手を掛けなければいけない事を、お前を失う事を俺は酷く恐れている》
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