入れ替わった彼女

チャロコロ

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君は誰? 4

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 浴室に入る時の元気な笑顔は面影もなく、眼を見開いて私を見つめている。
 しまった!
 保険証の名前に驚愕するあまりに周りの音が聞こえなくなっていた。
 「あっ、ああ」
 突然のことに言葉を返すことができない。
 遥は大きな眼を一層大きくして私を見つめる。目線を逸らす気のない黒目に真っ赤に充血した白目が、私に対する無言の批難を投げかける。風呂上がりで体温が高いせいなのか、真っ赤に染まった頬が不気味な怒りを表しているようだ。
 「何……してたの?」
 遥は同じ言葉を繰り返した。
 遥は膝に手を着いて子供に話しかけるような姿勢になると、私と額がぶつかりそうな位置まで顔を近づけてきた。
 ゆっくり、ゆっくりと。
 彼女との距離が近すぎて眼の焦点が合わずにぼやけてしまい、眼が四つに見える。びっちゃりと濡れた髪が息遣いと一緒に顔に当たる。
 底の深い井戸に突き落とされて、いつでも蓋を閉じることができる彼女が上から笑っているかのような気持ちになった。自分の命が彼女の手中で転がされているようだ。
 緊張と疲労と極度のストレスが吐き気をもよおして、手足をばたつかせながら後ろずさりして距離を取った。
 「ちょっ、ちょっとカバンのファスナーが開いてたから。ほらっ、最近物騒でスリとか 
 の犯罪が多発してるってニュースがやってたからな」
 苦しい嘘をつく。遥は私の眼を見つめたまましばらく動かなかったが、軽く息を吐くと立ち上がって白い歯を見せた。
 「そうなんだ」
 「そ、そうだよ。俺も前に財布を盗まれたことがあったからな、ははっ」
 「それは最悪だ!私も気をつけないとダメだね。教えてくれてありがと」
 「いや、いいんだよ。俺も誤解されるような真似をしちゃったしな」
 「まあね。てっきりお金を抜いてるかと思ったわ」
 「そんなことしねーよ」
 「分かってるわよ。まあ、私はお金が盗まれたら分かるように一円単位で所持金を把握
 してるけどね」
 「マジかよ?」
 「冗談よ。あれ……?財布の中に入れてた三億円がない」
 「財布にそんな入らんだろ」
 遥はいつもの笑顔に戻った。少し安心して苦しい体勢を立て直す。彼女はカバンのファスナーを閉めると「髪乾かしてくるね」と洗面台へ戻っていった。
 深呼吸しながら天井を眺めた。
 やばかった。
 遥が来たことに気付かないなんて。いつの間にか遥が真後ろにいた時には心臓が大きくバウンドした。実際、彼女が顔を近づけてきた時には生きた心地がしなかった。袖で汗を拭いながら立ちあがった。
 ばれなくて良かった。
 そりゃあ、自分のカバンを他人が漁ってたら訝しがるのは当然だろう。逆の立場だったら私だって不審に思う。後でちゃんと謝っておこう。緊張が解けたのか、ドライヤーの空気音が聞こえる方向を見て思わず噴き出して笑った。
 「シャワーとドライヤーありがとねー」
 遥はテーブルに座ると、髪を梳かした。化粧を落とした彼女の顔は綺麗な肌だった。都市伝説にあるように「化粧を落としたら別人だった」ということはなくて安心した。
 「ん?何?」
 私の視線に気付いたのか、彼女が問いかける。
 「いや、化粧落としてもあんま変わってないな、と思って」
 「化粧落としたら誰か分からない、ってパターンじゃなくて安心したわ」
 遥は冗談めいた声色で応えたが、彼女の口から「誰か分からない」という言葉を訊くと複雑な気分になった。
 彼女は「明日も早いから」と玄関に行くと、つま先を地面に叩きながら靴を履いた。
 「引き留めちゃって悪かったな」
 見送りついでに謝ると、遥は「え?全然気にしなくていいから」と忘れていたかのように応えた。彼女は軽く手を振ると扉を開けて出て行った。
 大きく開いた扉が閉まっていくのを見ると、一人になった孤独感に苛まれ始めた。同時に、一人になったことで緊張が解けたのか、極度の睡魔が襲ってきた。
 軽くシャワーを浴びて寝よう。
 そんなことをぼんやり考えながら閉じかけた扉のドアノブに手を掛けたところで、「ガンッ」という音と共に隙間から手首を掴まれて「うわっ」と思わず情けない声を上げた。
 隙間に目をやると、遥が私の手首を両手で掴んでいた。
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