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第二章 白銀の世界へ

第18話 雪の中、懐かしい温度

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 真っ白な地面に足を踏み入れる。人気のなさか、降り続く雪が原因か。地面には足跡がほとんどなく、辺り一面美しい銀世界に包まれている。

 「香織ちゃん、大丈夫?」

 歩きづらくない? そう言って手を差し出してくるのは斗真だ。香織は軽く礼を言って、手を借りる。

 生まれてこの方都心で暮らしてきた香織にとって、慣れぬ雪道は歩きづらい。多少の積雪ならば問題ないが、北国の雪は体験したことがなかった。変に見栄を張ったところで、みっともない様を見せることになるのは想像に難くない。

 素直に手を借りる香織に、斗真は一瞬目を丸くする。数秒の間が開いて、顔をほころばせた。頼ってもらえたのが嬉しいと言わんばかりの表情に、香織は困ったように笑みを浮かべる。こういうところは幼い頃から変わらないのだな、と懐かしさが胸を打った。

 幼い頃は、香織の方が斗真より背が高かった。それゆえ、手を差し出すのは香織の役目だった。斗真としては、それを苦く思っていたこともあったようだ。香織に頼られると嬉しそうに笑っていた。

 思春期に入り、身長が逆転してもそれは変わらなかった。高い場所にある物を斗真が取ると、香織が礼を言う。その度に斗真は嬉しそうに笑っていた。どちらが手を借りたのか分からぬほどの喜びように、香織は笑ったものだ。

 「話には聞いていましたが……凄い雪ですね」

 ぽつりと響いたのは佐伯の声だ。香織と斗真の前を歩く彼は、一面の雪景色に言葉を失っている。唖然と周囲を見回す様に、香織は内心で同意した。

 「何これ! 本当にあり得ない! なんでこんな寒い中歩かなきゃいけないの!?」
 「神子様、落ち着いてください。転倒しては大事です」

 後方から聞こえてきたのは、神子である紬の声。想像以上の寒さと積雪に、苛立っているらしい。白銀がなだめる声も聞こえてくる。

 雪に不慣れであれば泣き言の一つも言いたくなるだろう。それほどまでに、この状況は厄介だった。
 降り積もる雪に足を取られてしまう。歩く速度は自然と遅くなり、寒気と雪の冷たさが体温を奪っていく状況。彼女が嘆くのも無理はないと、香織は息を吐いた。

 「この先に村があると聞いている。まずはそこを目指す予定だ。この雪では急ぐこともできないだろう。現地調査も兼ねて、村に一泊しよう」

 本居の提案に、香織たちは無言で頷く。願ってもない話だ。
 先を急ぐ気持ちはあるけれど、ただ闇雲に進めばいいわけではない。雪道に不慣れな身で突撃するのは無謀だ。ある程度の情報を集めて、進路や進行予定を固める必要があるだろう。

 香織は歩きながら周囲へ視線を向ける。雪は今も降り続き、海が近いからか風も吹いている。幸い吹雪くほどではないが、凍てつく風が肌を刺す。ちらつく雪に視界もいくらか阻まれ、見通しが悪い。
 木々以外は一面真っ白な世界に、どこかもの寂しさを覚えた。たった一人だけ世界から切り離されてしまったかのような、そんな孤独を覚える場所だ。斗真の手がなければ、不安が胸をよぎっていたかもしれない。

 「あ、見つけました! 伊良布いらぶ村です!」

 先頭を歩く佐伯が、明るい声を上げる。その声に、香織はつられて視線を上げた。
 佐伯が指さす先、そこには建物が集まった集落のようなものが見える。一面真っ白な世界に、ぽつんと現れたその村は、香織たちの心に安堵をもたらした。

 「あと少しだ。全員、気を抜いて転倒などしないように」

 本居の声に全員で返事を返す。紬の声はどこか不貞腐れているようだったが、香織はそれに笑みをこぼした。不満を口にできる元気があるなら大丈夫だ。そうほっと息をついたのだ。





 「すみません、少しお話を聞いてもいいかな?」

 伊良布村に入ると、一人で歩く少女の姿を見つけた。歳は7つといったところだろうか。どうにも心もとない服装で外に出ている。この雪の中では寒くないかと、心配になってしまうほどだ。

 香織が優しく声をかけると、少女は驚いたように目を丸めた。ぱちぱちと瞬きをする様は、とても愛らしい。黒い髪に黒い瞳。雪のように白い肌は美しく、頬は寒さからか赤らんでいた。
 こちらを不思議そうに見ている彼女へ、香織が続けて声をかける。

 「私たち、初めてこの村に来たの。どこかお休みできるところとか知らないかな?」

 そう香織が尋ねると、少女は一層目を大きく見開いた。よほど驚いているのか、ぽかんと口も開けている。
 そのまま固まってしまった少女に、香織は困ったように笑う。もっとフレンドリーに接した方が良かったか? と一人考えていると、少女が勢いよく口を開いた。

 「お、お客さんか!?」
 「うん?」

 少女は震える手で香織を指さす。
 それに香織は首を傾げた。外部から来たという意味では合っているが、お客さんというカテゴリーでいいのだろうか。悩んでいたのも束の間、少女はきらきらと瞳を輝かせて口火を切った。

 「お客さん! お客さんだ! 本当に来たんだな! ばっちゃんに教えてあげなきゃ!」

 行こう! そう言って少女は香織の手を掴み、歩き出す。慌てて香織が歩を進めると、斗真達も着いてきた。その顔は、一様に戸惑ったような表情を浮かべている。

 ここだよ、と連れてこられたのは、小さな古民家。相当昔から経っているのか、至る所に修繕の箇所が見える。勧められるままに建物へ入ると、少女は大きな声を上げた。

 「ばっちゃん! お客さん! お客さんがきた!」

 少女はそう言うと、香織の手を放して室内へ入っていく。戸口に残された香織たちは、無言で顔を見合わせた。誰かしらに話を聞きたいと思っていたが、連れていかれるとは思っていなかった。
 どうしたものか、そう目配せをしているとゆっくりとした足音が耳に届く。

 「おやまぁ……本当にお客さんがおるとはなぁ」

 戸口へやってきたのは、年を召した女性だ。老女という年代か。先ほど少女が言っていた“ばっちゃん”とは彼女のことのようだ。彼女はにっこりと笑みを見せると、「よくお出でくださった」と言って、香織たちに上がるように勧めた。

 彼女の言葉に甘え、香織たちは室内へ足を踏み入れる。部屋の中央には、小さな囲炉裏があった。ぱちり、と火の粉を上げる様は、どこかほっとする光景だった。

 全員で囲炉裏を囲むように座る。ぱちぱちと燃える火を眺めながら、香織は小さく息を吐いた。慣れぬ雪道に、思っていたよりも疲弊していたらしい。温かな火の熱は、強張った身体をほぐしてくれた。

 「大したもんがなくて申し訳ないねぇ」

 先ほどの女性が盆を手に室内へ入ってくる。盆には6つのお椀が入っていた。中身は空のようだ。女性はそのまま囲炉裏へ近づくと、すぐ側に置かれた鍋を火にかけた。

 しばし無言のまま囲炉裏を見つめていると、懐かしい香りが鼻を掠める。味噌の香りだ。馴染み深いそれに、皆の視線は囲炉裏へ釘付けになった。

 女性が鍋の蓋を開ける。中には湯気を立たせる味噌汁が入っていた。それをお椀によそっていく女性を見て、香織は目をぱちりと瞬かせる。来客に出すものというと、茶を想像していたためだ。
 しかし、冷え切った身体に味噌汁はありがたい。いただきます、と笑って受け取ると、女性は嬉しそうに笑みを見せた。

 「美味しい……」

 温かな味噌汁をすすり、ほっと息を吐く。かじかんだ身体に味噌汁が染み渡る。野菜が少しばかり入ったそれは、ほんのりと甘さのある味だった。どこか懐かしさを感じる味噌汁に、自然と頬がほころんだ。

 「お味噌汁か……」

 ほっこりとした気分で味噌汁をすすっていると、不意に紬の声が耳を打った。もしや味噌汁は不評だろうかと慌てて彼女を見ると、紬は難しい顔のままお椀を見つめていた。

 「お嬢さん、味噌汁は嫌いかね? こんなものしかなくて済まないねぇ」

 もっといいものがあれば良かったんだが。眉を下げてそう告げる女性に、紬は目を見開く。慌てて首を横に振ると、味噌汁へ口をつけた。
 ごくり、と紬の喉が動く。お椀から上げた顔は、今にも泣き出しそうな表情をしていた。

 「……口に合わなかったかい?」

 女性が心配そうに尋ねると、紬は静かに首を横に振る。何度か口を開け閉めすると、ゆっくりと言葉を発した。

 「美味しいです、とっても。……おばあちゃんの味、ですね」

 そう言って笑う彼女の表情は、どこか歪な笑みをしている。嘘をついているわけではなさそうだが、何かを堪えているかのようだ。

 香織はゆっくりと目を細める。視界の先にいる紬は、どこにでもいる、あどけない少女のように見えた。

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