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彼女は角砂糖のような存在です -ep2
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昔、といっても数年前。僕が中学生だった頃に小説を書こうとしたことがあった。
当時パソコンなど持っていなかった僕は文房具屋に行き、少ない小遣いで買った原稿用紙にちまちまと小説を書いていた。もちろん構成や設定の練り込んでない頭の中の妄想を書き綴っただけの中二病小説だ。今からしてみれば非常に恥ずかしい話だが、単純に書くことに充実感を得ていた僕は学校の昼休みでも教室に一人籠りカリカリと筆を走らせていた。
ある日、事件が起こる。昼休みに用事を終えて教室に戻ると机の上には僕の書きかけの原稿用紙が乱雑に置かれていた。それを見つけた僕を周りの生徒はニヤニヤした目でこちらを眺めていた。彼ら彼女らが僕の机の中を漁った挙句に全員で回し読みしたことは想像に難くなかった。途端に恥ずかしくなった僕は原稿用紙をぐしゃぐしゃにして鞄に詰め込み教室から逃げるように立ち去った。その日の授業はもちろん全部バックレた。思えば僕のサボり癖の片鱗はこの時から見え隠れしていたのかもしてない。
某Aガンダムよろしく、文字どおり『黒歴史』になった話でしたとさ。
「なるほど、まぎれもなく黒歴史だねそれは」
僕の話を聞き終わると納得したようにうなずいた。
平日の朝、いつものように通学路を無視して東屋に行く。そこにはジャージ姿で両手に缶コーヒーを持ちながら僕のことを待っている彼女の姿があった。いつもよりもずっと早い登場に「今日は早いんですね」と問いかけると「いつもよりも早く目が覚めたんだ」と答え右手に持っていた未開封の缶コーヒーを僕に差し出す。僕はそれを受け取り、鞄からコートを取り出し無言で彼女の肩にかけた。もちろん名前も知らない彼女を女性として意識して良いところを見せようとした、なんて下心が完全になかったかといえば嘘になるが白い息を吐きながらわずかに震える彼女の肩を見てしまってはそうせざるを得ないというものだ。
「そんな恰好で風邪ひきたいんですか?」
「本当はコーヒーを渡して走るつもりだったんだけどね」
黒歴史の話になったのはおしゃべりの延長戦上だった。最近はおしゃべりするためにここに来ているといっても過言ではない。回数を重ねるごとにボールのように弾んでいく会話はくたびれたティーンエージャーの心には程よく刺激的で程よく楽しかった。中でも彼女の東京での話に興味をそそられるのは僕の世界がまだまだ狭いということだろう。事あるごとに「自分の世界を狭めてはいけないよ」と諭されるがその言葉には教師のような刺々しい感じはなく、新しい切符をさしだしてくるような、選択肢を提示してくれる自由があった。そしてこの人と一か月ほど話してみていくつか分かったことがある。
「でもいいじゃないか、こんな田舎の中学高校のつきあいなんて将来の人間関係のほんの1パーセントにも満たないものだ。大事な趣味をそんな連中につぶされてしうのはもったいないの一言に尽きる」
ときおり口が悪くなる。
「どうぞ」
あらかじめすぐそこの自販機で買った缶コーヒーを差し出す。
「おや、君の奢りかい?それじゃ遠慮なくもらおうか」
きれいな爪をたてられて缶がカコッと心地よい音を立てる。
「っち」
おすすめポイント。猫舌。長い髪がビクンと跳ねるほど苦手なのに毎回この反応をしてくれるのは普段の凛々しい様子からは想像もつかず、ギャップ萌えする。あとは長い横髪を耳にかける動作が映画のようでいやこれ以上はやめておこう。我ながらなかなかに気持ち悪い。
「君の黒歴史がなかなかに黒いことはわかった」
開けたばかりの缶をベンチに置き僕に向き直る。僕もつられるようにそっと腰掛けた。
「その上で小説は書かないのかい?」
話聞いてたか?
「気が進みませんねぇ、誰に見せるわけでもあるまいし」
これは本音だ。もちろんあの黒歴史が根本にあることは完全には否めないがそれがなくても僕が進んで筆を走らせていたとは思えなかった。小説に限らずクリエイティブなコンテンツをなにかしら1本完成させるというのはそれなりに根気とモチベーションが必要になってくることは高校になってネットサーフィンするようになってから思い知った。中二病真っ盛りとは言え、中学生だった当時に比べればモチベーションは虫の息。根気だってとうの昔に燃え尽きた。何よりクリエイターの世界は激しい才能の世界だ。ネット、リアル、はたまた小さいどこかの文芸部であろうとも美しく文章を綴れない自分に対して劣等感を抱きながら執筆することは間違いない。
「言い訳が多いね」
「人の心を読まないでください」
「要するに他人に酷評されるのが怖いからやめましたって臆病になっているだけだろう」
「臆病さは時として生物の本能的な美徳だと思っているんで」
「それも、言い訳だね」
そう、言い訳だ。いつだって僕は言い訳をしながら生きてきた。言い訳している自分に気づいていながら放っておいた。自分の好きなことにすら言い訳して逃げ回っていたせいでいつの間にかそれすら見失った。あの原稿用紙はもう長いこと見ていない。おそらく当時の僕が見たくないからと捨てたか目につかないところへしまったのだろう。
「ここで一つ事実を」
またあの目だ。まっすぐすぎて逸らすことを決して許してもらえないあの瞳。
「君が本当に創作を楽しんでいたことがあるのなら、君は決して逃れることはできない」
「それは…どういう」
「一度離れたとしても必ず戻ってくる。作家とはそういうものだ」
僕は、作家なのだろうか。
自問するが未だ僕の中に答えはなかった。
「特にやりたいこともないのだろう?なら暇つぶしがてら書いてくれないか」
「なんで僕に書いてほしいんですか」
「久々に他人の描いた小説が読みたくなってね。あとは…将来の目標も特にない迷える青少年の数少ない趣味を失わせたくないという私のおせっかいさ」
下を向き、心と頭を整理する。これは趣味。僕の好きなことで誰に何を言われるわけでもない。この人が読みたいと言っている。大丈夫だ、この人なら否定しない。かつて陰口をたたいていたやつとは関係ない。どうせ真面目に学校に行く気もない上に何かの縁かわからないがここまで親しくなった仲だ。一本また恥ずかしいものを量産してやろうじゃないか。
自分を奮い立たせて心に灯をともし、わずかな自尊心をベットしたら顔を上げる。ぬるくなったコーヒーを一口飲み、少し間を開けて言った。
「わかりました」
思ったより間が開いたのは僕にとってそれなりに覚悟しなければいけないものだったからだろう。それほどに自信のない自分になっていたからか黒歴史がトラウマとして根が深いものだったか。だがそれでも、素直に「わかりました」と了承できたのは誰かに背中を押してもらたい自分が少なからずどこかにいたから、そんな気がした。せっかく決めた覚悟だ、コーヒーと違ってそれなりにぬるくないものにしたい。
「じゃあ僕は帰ります」
「おや、今日は早いんだね」
「まあ明確な目標ができましたから」
早く帰りたい。そう思ったのはいつぶりだろう。家に帰っても「おかえり」とは返ってこないし、暖かい食事が出迎えてくれるわけでもない。机に座って文字を紡ぎたい。今の僕にはそれしか考えられなかった。
自転車に乗り、鞄を籠に突っ込む。太陽がそう高く上がってないからか気温はまだ肌寒かった。
「少年」
いよいよペダルをこぎだそうとした時ベンチに座っていた彼女から声を掛けられる。
「私は、しばらくここには来ない」
「え」
「少し忙しくなるんだ」
突然の告白に少し拍子抜けした。いきなり出鼻をくじかれた気分だ。
僕がどう答えるか迷っているのも気にせず彼女は続けた。
「一か月後、また同じ時間に待ち合わせとしよう。その時に作品を見せてほしい」
「締め切りってことですか」
「そうだね」
ふふっと笑うと彼女はコーヒーを飲み干す。その顔には今までで一番穏やかな笑みが浮かんでいた。
「じゃあまた一か月後に。楽しみに待っているよ」
再び僕は前を向いてペダルをこぎだした。いつもより足に力が入るのは言うまでもない。冷たい息を思いっきり吸い込む。なぜか叫びたい気分になったがぐっとこらえ、踏み込む足にさらに力を入れた。目標があるというのはこんなにもわくわくすることだっただろうか。わくわく…?そうだ、僕は楽しみなんだ。自分をさらけ出せる機会ができたことに高揚感を抱いているんだ。彼女の肩にかけたコートのことも忘れ、振り返ることなく帰路についた。
家に帰るなり自室に入ると机の上の自分のノートパソコンと向き合う。黄昏ているわけではないが少しセンチメンタルな気分に浸っていた。今になって少し怖くなってきたが「わかりました」と言った自分を思い出し再び奮い立つ。椅子に座るとしばらく根が生えたように動かなかった。手が勝手に動く。書きたいものがあった。文字に起こさなくても頭が勝手に考えていた。登校中、放課後、休日の散歩、親との会話。一高校生の生活など大した刺激ではないかもしれない。でも日常のいたるところに落ちている素材を見るたびにこんな話はどうだろう、あんな表現も悪くないかなと常に小説のことを考えていた。それが今、羽をもらい文字になって飛び立っている。こんなに楽しいことはない。
そこからの日々はめまぐるしい。わかっていたことではあるがあの東屋に行っても彼女は来なかった。しかたなく学校に行っても授業は頭に入ってこない。教室でも常にネタを探し、表現を考え、試行錯誤をくりかえした。家に帰っても自室にこもりタイピングし続ける。普段は放任主義の母親でさえ不安になって様子を見に来るくらいだ。不安にさせないようにと何をしているのか説明すると少し上機嫌に戻っていった。
書いては消してを繰り返し、誤字脱字がないかをチェックする。データをUSBに入れてコンビニへ行き印刷する。印刷をしている間にあの人から言われたことを思い出していた。
回想(回想)
「ライトノベルに必要な条件てなんだと思う?」
「美少女…ですかね」
「それは、挿絵次第だね」
苦笑いしながら答える。
「必要なのは面白いかどうかだよ。あとは何もいらない」
「美少女いらないんですか?」
「君が美少女が好きだというのはわかった」
「美人も好きですよ」
「…とにかくだ。ウケのいい美少女が出てくるかどうかは挿絵を描くイラストレーターの技量しだいだ。だが本当に読者が満足して読めるかどうかはその作品が面白いかどうかだけなんだよ。これは他ジャンルではありえないことだ」
「そうなんですか?」
「推理小説と銘打っておきながらベタベタの恋愛がメインだったらその本を買った読者は満足しないだろう。だがこれがライトノベルだったらそれが面白ければ認められてしまう」
「恐ろしい話ですね」
「自由なだけさ。君の好きなそれは自由なんだ」
回想(回想終わり)
今自分に書ける最も面白い作品。そう思えるものが出来上がったのはやはり約束の日の前日だった。
顔を洗い、歯を磨き、制服に着替える。リビングでポケットに500円玉を2枚突っ込む。鞄にホチキスで止めた冊子を放り込んだらチャリのカギを手に取り少し緊張しながら家を出た。
もう冬だ。凍えるような寒い空気を感じながら息が白くなっていないかと息を吐く。今日は濃い霧がかかっている。霧の中でも目立つような白い息を確かめる。チャリを走らせるが当然のごとく目的地は校舎ではない。通学路を途中で外れ、獣道へ入った。霧にさえぎられて景色はよくない。通いなれた4つ目の東屋についたところでチャリを止め鞄を籠から降ろし、ベンチに腰を下ろした。浅く腰掛け彼女の登場を待つ。
―――その日、彼女は東屋に現れなかった。
当時パソコンなど持っていなかった僕は文房具屋に行き、少ない小遣いで買った原稿用紙にちまちまと小説を書いていた。もちろん構成や設定の練り込んでない頭の中の妄想を書き綴っただけの中二病小説だ。今からしてみれば非常に恥ずかしい話だが、単純に書くことに充実感を得ていた僕は学校の昼休みでも教室に一人籠りカリカリと筆を走らせていた。
ある日、事件が起こる。昼休みに用事を終えて教室に戻ると机の上には僕の書きかけの原稿用紙が乱雑に置かれていた。それを見つけた僕を周りの生徒はニヤニヤした目でこちらを眺めていた。彼ら彼女らが僕の机の中を漁った挙句に全員で回し読みしたことは想像に難くなかった。途端に恥ずかしくなった僕は原稿用紙をぐしゃぐしゃにして鞄に詰め込み教室から逃げるように立ち去った。その日の授業はもちろん全部バックレた。思えば僕のサボり癖の片鱗はこの時から見え隠れしていたのかもしてない。
某Aガンダムよろしく、文字どおり『黒歴史』になった話でしたとさ。
「なるほど、まぎれもなく黒歴史だねそれは」
僕の話を聞き終わると納得したようにうなずいた。
平日の朝、いつものように通学路を無視して東屋に行く。そこにはジャージ姿で両手に缶コーヒーを持ちながら僕のことを待っている彼女の姿があった。いつもよりもずっと早い登場に「今日は早いんですね」と問いかけると「いつもよりも早く目が覚めたんだ」と答え右手に持っていた未開封の缶コーヒーを僕に差し出す。僕はそれを受け取り、鞄からコートを取り出し無言で彼女の肩にかけた。もちろん名前も知らない彼女を女性として意識して良いところを見せようとした、なんて下心が完全になかったかといえば嘘になるが白い息を吐きながらわずかに震える彼女の肩を見てしまってはそうせざるを得ないというものだ。
「そんな恰好で風邪ひきたいんですか?」
「本当はコーヒーを渡して走るつもりだったんだけどね」
黒歴史の話になったのはおしゃべりの延長戦上だった。最近はおしゃべりするためにここに来ているといっても過言ではない。回数を重ねるごとにボールのように弾んでいく会話はくたびれたティーンエージャーの心には程よく刺激的で程よく楽しかった。中でも彼女の東京での話に興味をそそられるのは僕の世界がまだまだ狭いということだろう。事あるごとに「自分の世界を狭めてはいけないよ」と諭されるがその言葉には教師のような刺々しい感じはなく、新しい切符をさしだしてくるような、選択肢を提示してくれる自由があった。そしてこの人と一か月ほど話してみていくつか分かったことがある。
「でもいいじゃないか、こんな田舎の中学高校のつきあいなんて将来の人間関係のほんの1パーセントにも満たないものだ。大事な趣味をそんな連中につぶされてしうのはもったいないの一言に尽きる」
ときおり口が悪くなる。
「どうぞ」
あらかじめすぐそこの自販機で買った缶コーヒーを差し出す。
「おや、君の奢りかい?それじゃ遠慮なくもらおうか」
きれいな爪をたてられて缶がカコッと心地よい音を立てる。
「っち」
おすすめポイント。猫舌。長い髪がビクンと跳ねるほど苦手なのに毎回この反応をしてくれるのは普段の凛々しい様子からは想像もつかず、ギャップ萌えする。あとは長い横髪を耳にかける動作が映画のようでいやこれ以上はやめておこう。我ながらなかなかに気持ち悪い。
「君の黒歴史がなかなかに黒いことはわかった」
開けたばかりの缶をベンチに置き僕に向き直る。僕もつられるようにそっと腰掛けた。
「その上で小説は書かないのかい?」
話聞いてたか?
「気が進みませんねぇ、誰に見せるわけでもあるまいし」
これは本音だ。もちろんあの黒歴史が根本にあることは完全には否めないがそれがなくても僕が進んで筆を走らせていたとは思えなかった。小説に限らずクリエイティブなコンテンツをなにかしら1本完成させるというのはそれなりに根気とモチベーションが必要になってくることは高校になってネットサーフィンするようになってから思い知った。中二病真っ盛りとは言え、中学生だった当時に比べればモチベーションは虫の息。根気だってとうの昔に燃え尽きた。何よりクリエイターの世界は激しい才能の世界だ。ネット、リアル、はたまた小さいどこかの文芸部であろうとも美しく文章を綴れない自分に対して劣等感を抱きながら執筆することは間違いない。
「言い訳が多いね」
「人の心を読まないでください」
「要するに他人に酷評されるのが怖いからやめましたって臆病になっているだけだろう」
「臆病さは時として生物の本能的な美徳だと思っているんで」
「それも、言い訳だね」
そう、言い訳だ。いつだって僕は言い訳をしながら生きてきた。言い訳している自分に気づいていながら放っておいた。自分の好きなことにすら言い訳して逃げ回っていたせいでいつの間にかそれすら見失った。あの原稿用紙はもう長いこと見ていない。おそらく当時の僕が見たくないからと捨てたか目につかないところへしまったのだろう。
「ここで一つ事実を」
またあの目だ。まっすぐすぎて逸らすことを決して許してもらえないあの瞳。
「君が本当に創作を楽しんでいたことがあるのなら、君は決して逃れることはできない」
「それは…どういう」
「一度離れたとしても必ず戻ってくる。作家とはそういうものだ」
僕は、作家なのだろうか。
自問するが未だ僕の中に答えはなかった。
「特にやりたいこともないのだろう?なら暇つぶしがてら書いてくれないか」
「なんで僕に書いてほしいんですか」
「久々に他人の描いた小説が読みたくなってね。あとは…将来の目標も特にない迷える青少年の数少ない趣味を失わせたくないという私のおせっかいさ」
下を向き、心と頭を整理する。これは趣味。僕の好きなことで誰に何を言われるわけでもない。この人が読みたいと言っている。大丈夫だ、この人なら否定しない。かつて陰口をたたいていたやつとは関係ない。どうせ真面目に学校に行く気もない上に何かの縁かわからないがここまで親しくなった仲だ。一本また恥ずかしいものを量産してやろうじゃないか。
自分を奮い立たせて心に灯をともし、わずかな自尊心をベットしたら顔を上げる。ぬるくなったコーヒーを一口飲み、少し間を開けて言った。
「わかりました」
思ったより間が開いたのは僕にとってそれなりに覚悟しなければいけないものだったからだろう。それほどに自信のない自分になっていたからか黒歴史がトラウマとして根が深いものだったか。だがそれでも、素直に「わかりました」と了承できたのは誰かに背中を押してもらたい自分が少なからずどこかにいたから、そんな気がした。せっかく決めた覚悟だ、コーヒーと違ってそれなりにぬるくないものにしたい。
「じゃあ僕は帰ります」
「おや、今日は早いんだね」
「まあ明確な目標ができましたから」
早く帰りたい。そう思ったのはいつぶりだろう。家に帰っても「おかえり」とは返ってこないし、暖かい食事が出迎えてくれるわけでもない。机に座って文字を紡ぎたい。今の僕にはそれしか考えられなかった。
自転車に乗り、鞄を籠に突っ込む。太陽がそう高く上がってないからか気温はまだ肌寒かった。
「少年」
いよいよペダルをこぎだそうとした時ベンチに座っていた彼女から声を掛けられる。
「私は、しばらくここには来ない」
「え」
「少し忙しくなるんだ」
突然の告白に少し拍子抜けした。いきなり出鼻をくじかれた気分だ。
僕がどう答えるか迷っているのも気にせず彼女は続けた。
「一か月後、また同じ時間に待ち合わせとしよう。その時に作品を見せてほしい」
「締め切りってことですか」
「そうだね」
ふふっと笑うと彼女はコーヒーを飲み干す。その顔には今までで一番穏やかな笑みが浮かんでいた。
「じゃあまた一か月後に。楽しみに待っているよ」
再び僕は前を向いてペダルをこぎだした。いつもより足に力が入るのは言うまでもない。冷たい息を思いっきり吸い込む。なぜか叫びたい気分になったがぐっとこらえ、踏み込む足にさらに力を入れた。目標があるというのはこんなにもわくわくすることだっただろうか。わくわく…?そうだ、僕は楽しみなんだ。自分をさらけ出せる機会ができたことに高揚感を抱いているんだ。彼女の肩にかけたコートのことも忘れ、振り返ることなく帰路についた。
家に帰るなり自室に入ると机の上の自分のノートパソコンと向き合う。黄昏ているわけではないが少しセンチメンタルな気分に浸っていた。今になって少し怖くなってきたが「わかりました」と言った自分を思い出し再び奮い立つ。椅子に座るとしばらく根が生えたように動かなかった。手が勝手に動く。書きたいものがあった。文字に起こさなくても頭が勝手に考えていた。登校中、放課後、休日の散歩、親との会話。一高校生の生活など大した刺激ではないかもしれない。でも日常のいたるところに落ちている素材を見るたびにこんな話はどうだろう、あんな表現も悪くないかなと常に小説のことを考えていた。それが今、羽をもらい文字になって飛び立っている。こんなに楽しいことはない。
そこからの日々はめまぐるしい。わかっていたことではあるがあの東屋に行っても彼女は来なかった。しかたなく学校に行っても授業は頭に入ってこない。教室でも常にネタを探し、表現を考え、試行錯誤をくりかえした。家に帰っても自室にこもりタイピングし続ける。普段は放任主義の母親でさえ不安になって様子を見に来るくらいだ。不安にさせないようにと何をしているのか説明すると少し上機嫌に戻っていった。
書いては消してを繰り返し、誤字脱字がないかをチェックする。データをUSBに入れてコンビニへ行き印刷する。印刷をしている間にあの人から言われたことを思い出していた。
回想(回想)
「ライトノベルに必要な条件てなんだと思う?」
「美少女…ですかね」
「それは、挿絵次第だね」
苦笑いしながら答える。
「必要なのは面白いかどうかだよ。あとは何もいらない」
「美少女いらないんですか?」
「君が美少女が好きだというのはわかった」
「美人も好きですよ」
「…とにかくだ。ウケのいい美少女が出てくるかどうかは挿絵を描くイラストレーターの技量しだいだ。だが本当に読者が満足して読めるかどうかはその作品が面白いかどうかだけなんだよ。これは他ジャンルではありえないことだ」
「そうなんですか?」
「推理小説と銘打っておきながらベタベタの恋愛がメインだったらその本を買った読者は満足しないだろう。だがこれがライトノベルだったらそれが面白ければ認められてしまう」
「恐ろしい話ですね」
「自由なだけさ。君の好きなそれは自由なんだ」
回想(回想終わり)
今自分に書ける最も面白い作品。そう思えるものが出来上がったのはやはり約束の日の前日だった。
顔を洗い、歯を磨き、制服に着替える。リビングでポケットに500円玉を2枚突っ込む。鞄にホチキスで止めた冊子を放り込んだらチャリのカギを手に取り少し緊張しながら家を出た。
もう冬だ。凍えるような寒い空気を感じながら息が白くなっていないかと息を吐く。今日は濃い霧がかかっている。霧の中でも目立つような白い息を確かめる。チャリを走らせるが当然のごとく目的地は校舎ではない。通学路を途中で外れ、獣道へ入った。霧にさえぎられて景色はよくない。通いなれた4つ目の東屋についたところでチャリを止め鞄を籠から降ろし、ベンチに腰を下ろした。浅く腰掛け彼女の登場を待つ。
―――その日、彼女は東屋に現れなかった。
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