CloCk

サノアキラ

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私がペンを持つことがあるだなんて、思ってもみなかったわ。なんていうか、紙の引っかかりや、インクの匂いとはこんなものなのかという感動して、書きたいことなんて二の次になってしまいそう。
私は、今日から日記をつけてみようと思うの。そんなに堅苦しいものではなくて、気まぐれに書きたいことを、書きたいままに。忘れてしまわないように。
私とアルトが生きた証にもなるかもしれないし、とりあえずこの日記帳に私の日常を詰め込んでみようと思ったの。
どうかしら、文章はおかしくないな。だって初めてのことだから、どうしてもよくわからなくて。でもとっても楽しみだわ。
あまりの嬉しさで踊りだしてしまいそう。いや、私は踊ってもいいんだわ。そう思ったら行動はすぐよ、私はぎこちない動きでくるくると回って見せたわ。
本物の踊り、を見たことがないから正解がわからないけれど、それでも私は楽しかった。
踊っていたら姿見が目に入って、アルトがこの鏡の前に立っているところをあまり見かけなかったから、私もおずおずと近づいたの。そうしたら綺麗な薄い緑色の髪に、お日様の光みたいな色の瞳が私の顔にくっついていたの。不思議、私ってこんな顔をしていたのね。
私ったら知らないことばかり。これから知っていけばいいのかもしれないけど、恥ずかしくなるわね。まずはこのペンの重みに慣れていかないと、でもわくわくしてきたわ。
とりあえずこんな調子で日記を書いていこうと思います。これは決定事項!


雨が降っていたわ。アルトがびしょ濡れで帰ってきた。この雨じゃ、人形作りに必要な材料はかびてしまうわね。それでもアルトはきっとこう言うのよ。
「シアンがいてくれたらそれでいいんだ」
そう言って私を抱きしめてくれるの。
屋根を打つ雨粒の音がとても大きくて、どれほどの土砂降りか部屋の中にいる私にもよくわかった。
とにかくすごい雨で、雨漏りもしているから床もびちゃびちゃね。この家は古いから、きっとがたがきているんだわ。でも私には修理することなんてできないし、ふがいないわね。私はきっとお荷物だわ。なにもできない、ただのお飾りで役立たず。それは少しだけ悲しい。
早く雨がやむといいな。だって雨が降っていると体も軋むし、気分も落ち込んでしまう。からっと晴れた青空が見たいわ。雲が邪魔をしない、お日様だけの空が見たい。
アルトもきっとそう思っているはずよ。だってこのところ顔色がよくないもの、きっと天気のせいね。
天気に文句を言ってもしょうがないのかもしれないけれど、雨ばかりはつまらない。
晴れるようにお祈りをしたの、これもアルトのまねっこ。食事や、何かお願い事をしたいときはお祈りをするのよ。私、知ってるんだから。
だからお祈りをするわ、心の中でね。


隣の家からかしら、なんだかいい匂いがしていた。甘い匂い。いったい何を作っているというの? 甘くて、どこか香ばしい匂いと言えばいいのかしら。文章に書き起こすことは難しいわね。
どうやって自分の気持ちやその日あったことを上手く書けばいいのかしら。でも世の中の人々は自分自身の日常を書き留めたりするのでしょう? アルトも、よくノートらしきものに何かを書いていたわ。あれも日記だったのかしら。参考にしてみたいけれど、どこにそのノートがあるのかわからないのよね。
私は私らしく? とは言っても書き方がわからないんじゃしょうがないじゃない。
どうしたらいいのかしら、わからないわ。わからないのよ、日記も、私自身のことも。
こんなに落ち込んでいてはだめね、きっと続けていれば上手くなる。そうよ、まだ書き始めてからそう時間がたっていないじゃない。
とにかく気分が落ち込んでいたの。こんなんじゃだめね。わかってるけど、そういう日だってあるものでしょう。
アルトだったら、こんなときどうするのかしら。聞いてみたかったわ。私ったら、彼のことをあまり知らないのね。不思議。一日のほとんどを同じ空間で過ごしていたのに。
もっと知りたかったわ。アルト、あなたはどんな人? あなたから私はどう見えてるのかしら? 私は、どうして生きているのかも知りたい。
傲慢、我儘、身の程知らず。そうやって表現しないといけないかな。私が私自身のことを知りたがるのは。
ねぇ神様、どうして私は生きているのかしら。


アルトはよく私に本を読み聞かせてくれたわ、いろんなお話を。夜眠る前、午後のお茶の時間、いろんなときにいろんな物語を。
可愛らしい童話や、ちょっと難しくて私が理解することのできなかった化学や歴史の本、ロマンス小説なんかも。
私のお気に入りは身分の差を乗り越えて、王子さまと平民の女の子が恋に落ちるラブロマンスだったわ。だって生まれも育ちもなにもかもが違う二人が恋に落ちるなんて、とても素敵じゃない。でも私に恋ってなにかはよくわからない。アルトは恋をしたことあるのかしら? 恋するってどんな気持ち?
生まれや、育ち、それだけじゃない。違うところがたくさんあっても分かり合えるのかしら。私も、アルトと分かりあえるの?
そうだったらとても素敵ね。物語は作り物かもしれないけれど、希望や夢を与えてくれる。私はそんな世界が大好きだった。この世界は不思議で溢れているのだから、物語の中も不思議であってもおかしくはないでしょ。
もっといろんなお話を聞いてみたかったわ。アルトの優しい声と、夢みたいな物語が合わさる瞬間がとても大好きだった。物語そのものも愛していたけれど、アルトが読み上げてくれることによって完成していた。
まだ最後まで読んでもらっていない本があったはず。あの物語の結末が気になるわ。
あぁ、そうだわ。私はもう動くことができるのだから自分で読めばいいのね。文字はアルトが教えてくれたもの。私一人でも本は読めるはずよ。
それでもなんだか、味気ないわね。


晴れた空、雲一つないわ。季節は夏だったかしら。日差しがとにかく真っすぐだった。
ずっと部屋の中に引きこもっているからなのか、季節がよくわからないのよね。外に出たら熱いのかしら。通りを行きかう人たちはハンカチなんかで汗を拭いたり、手で顔を扇いだりしている。
お日さまがとても綺麗だけれど、なんだか町の人たちはしんどそう。せっかくこんなにも青色が澄んでいて、お日さまもくもり一つなく輝いているのに。
アルトも外に出たらあんなふうに汗だくになるのかしら? 人間って不思議だわ。
私も一度でいいから外に出てみたかったわ。アルトと一緒ならきっと怖くないはずだったもの。
風ってどんなもの? 馬車の揺れってどんなもの?
物語に出てくるいろんなものを自分の目で確かめに行ってみたかった。本当にドラゴンや勇者は存在するのかしら。お姫様が住んでいるお城はどれほど豪華なんだろう。金や宝石は、皆が手にしたくなるほど美しいのかしら。
見てみたい。見てみたかった。この狭い部屋しか知らない私にとって、本の中の世界とアルトが教えてくれる外の様子、そしてこの窓から見えるものがすべてだから。
アルトが生きるこの世界は、とても美しくて素敵なものだと信じていたから。自分の目で見てみたかったの。
それにしても時計の音がずっと鳴っているのね、どこで音を立てているのかしら?


珍しくアルトが料理をしていたの。思い出すと、アルトが食事をとっている様子を見かけなかったものだから、正直びっくりよ。失敗しないといいけれど、なんて少しだけ意地悪なことを考えながらキッチンに立つアルトを眺めていたわ。
やけどしないでね、指を切らないでね。怪我をするあなたを見たくなんてないもの。そんな気持ちだったわ。
手際の悪い彼の様子を微笑ましく眺めていたけれど、私はただ座っているだけ。
食事が出来上がるまで時間がかかるだろうな、と思って窓の外を見つめてみたの。夕焼けが町全体を赤く染め上げていてとても綺麗だった。
朝はぼんやりとした明りに、真昼は太陽の真っすぐな日差し、夕方は燃えるような赤色、夜は真っ黒のかわりに星と月が輝くわ。
お星さまには手が届かないことは知っているけれど、つい手を伸ばしてしまいたくなる。きらきら光るお空の星は、私のことも見守ってくれているのかしら?
夕焼けの時間が終わったころ、食事ができたとアルトが私を呼んだ。今日の夕食のメニューはシチューとバケットだった。私の目の前に、アルトよりも多く盛り付けられたシチューとバゲットが置かれたわ。私なんかよりアルトが食べるべきなのに。
このころくらいかしら、アルトの手首に骨が浮き始めたのは。私が見ていないところでちゃんと食事をとってくれているならいいのだけれど。
アルトが食事をとっている様子を最後に見たのはいつだったかしら。


カラスが鳴いているわ、うるさいほどにね。木の上なんかにお高くとまって、窓の外から私を見降ろしているみたいで、なんだか無性に腹が立ったわ。
怒ってるわけじゃないのよ。ただちょっとだけ、腹が立って。違うわ。羨ましいのかもしれない。どこにでも行ける翼と、その身軽な身体が。私は、ここに居続けなければいけない。
私はここから出ることなんてできやしないのに、あのカラスたちはどこへだって行ける。羨んだってばちは当たらないはずよ。どこへでも行ける翼があるだなんてどんな気分かしら。私には想像もつかない。ここはどこ? あなた達はどこへ行くの? 窓越しに語り掛けたくなってしまったわ。返事なんて帰ってくるわけないし、「カァ」という鳴き声しか返ってこないのだろうけれど。
はやくどこか他の場所へ行けばいいのに。なぜこんなところにいるのよ。私のことを馬鹿にしているのかしら? なんて意地悪なの。
一人ぼっちの私を見ていて楽しいのかしら。わからないわ。
憐れんでいるのかしら、ただ一人で日記帳に向かう私を。


アルトの姿を見かけなくなって何日経ったかしら。寝室に入ったきりで、出てこようとしない。家に引きこもりがちではあったけれど、寝室から出てこないなんて変だわ。
身体の調子がよくないのかしら。なにか新しいアイデアに夢中になってスケッチにでもふけっているのかしら。
どのみち何日もアルトがいないと退屈ね。一人で窓の外を眺めて行きかう人や馬車、空を飛ぶ鳥たちを見るのも飽き飽き。外は楽しそうね。私は外に出ることはきっとできないのだろうけれど。少し憧れてしまうわ。
いつだったかしら。アルトが市場でブローチを買ってきてくれたのは。緑色のきらきらしたブローチを私の襟元に着けてくれたわよね。
「シアンに似合うと思って買っちゃったよ」
そうやって私にくれたブローチは、今もずっときらきらしたままよ。
私の宝物。ずっと手放さないわ。このブローチがあればアルトと一緒に居るような気持になれるから。私の一番の宝物。


日記に書くことがなくなってきたわ。だってアルトがいないんだもの。いったいどこに行ったというのかしら?
私を置いてどこかへ行ってしまうなんてひどい人だわ。そんな人じゃなかったじゃない。どうして私を一人にするのかしら。このもやもやする気持ちをなんて書けばいいのかもわからない。アルト、帰ってきて。一人にしないで。
私だけじゃ涙の流しかたもわからない。一日中窓の外を眺めて、まだ書かれていない日記帳の新しいページを見つめ続けるだけなんて。そんなこと耐えられない。
もう日記に書けるようなことも忘れていってしまっているわ。私は、どうやって生きていけばいいの? 生きる方法なんて、私が知るわけないじゃない。そんな私を、アルトは一人にしようというのかしら。
私は、どうすればいいのかしら。
どうにもできないわよね。
時計の音がうるさい。ずっと、ずっと、鳴り響いている。この部屋、時計なんてあったかしら? 鳴りやまないのよ、この音はどこで鳴っているの?
アルトが居なくなってから、静かすぎるの。この時計の音に耐えられない。
助けて。でも誰に助けてって言えばいいの? ねぇ、アルト。教えて頂戴。

10
ごめんなさい、アルト。あなたへの恨み言ばかり書いてしまったわね。
ずっと開けることができなかったあなたの寝室の扉を開いてしまった。私はただその場に座り込むことしかできなかったわ。
アルトは、寝室に入っていったはずよ。なのにどうしてアルトはそこに居ないの?
この白くて硬いものは何かしら。どうしてこんなものがアルトのベッドにあるのかしら。そもそもこの白いものは何? とても不気味で気持ちが悪いわ。
これは何? ねぇ、アルト。教えてよ。私に、教えて。
あなたはどこへ行ったの? どうしてどこにもいないの?
私を一人にしないでよ。


腐臭に満ちた部屋の中で、緑色の髪を誂えられた人形がペンを持ち、日記帳になにやら文字を書き綴る。その姿は狂気か、それとも奇跡か。
窓辺のテーブルに座り日記帳から目を離さないその人形は、クロックドール「シアン」と名付けられた彼女は、人形作家であるアルト・ローランズの最高傑作だ。アルト自身がそう認識してしまった人形だ。
左の瞳には時計の文字盤が埋め込まれ、等身大の女性の体格で作り上げられたその人形は、遠目で見れば人間そのものに見えることだろう。
爽やかな新緑と同じ色をした髪に、太陽を想起させるマリーゴールド色のガラス玉がはめ込まれた双眸。顔立ちも精巧に作業を行ったことが見て取れるほどに美しく、寸分の狂いもない完璧な仕上がりだ。
アルトが想像する絶世の美女を体現した存在であり、人形作家としての技術を最大限に詰め込んだ作品である。シアンが完成したその瞬間、アルトは右手に持っていた工具を無意識のうちに床へ落下させた。それほどまでに完璧で完全な仕上がりだったのだ。
アルトは自身の人生の中で彼女を超える人形を作り出すことは不可能だと確信してしまった。そして満足してしまった。新しい作品の製作に取り掛かろうとデザインを考えてみても、実際に工具を手に持ち材料を前にしても、シアンの姿が脳裏から離れなかったのだ。
何も手につかない日々に苦しんだがアルトであるが、それでも自身の最高傑作の出来に惚れ惚れしてしまう。シアンを眺めているだけで一日なんてすぐに終わってしまう、と彼は口癖のように語っていた。
作品を作り上げる意義を失った人形作家は、もはや生きてはいけない。彼はシアンの完成とともに死んだも同然だった。しかし不幸ではなかった。あくまで彼の主観に過ぎないが、むしろ至高の幸福であった。
アルトにとって自分自身の腕に満足し、出来上がった作品と共に生きる毎日は、幸福そのものだった。他人から見れば狂気の沙汰でしかないが、主観と客観というものは時に一致しないのが常だろう。
彼はシアンを生身の女性として扱い続けた。その命が尽きるまで。
生業である人形作家という職さえ捨てたアルトは、ただシアンとの幸せな生活のために全てを投げうった。働きもせず、ただ人形に固執した哀れな男。それでも彼は幸せだっただろう。また、シアンも幸せであった。幸福だった時間と、その記憶だけがシアンを日記帳へと向かわせるのだ。
そうはいっても所詮は人間と人形でしかない。
シアンは人形だ。飲まず食わずでも死にはしない、むしろどれだけ死にたいと願ったとしても死ねないと言ったほうが正しいだろう。
しかしアルトは違う。人間である彼は食べなければ死を迎える。人間が人間である以上、生命の営みまでは放棄することができない。生物である限り、死から逃れることはできないのは必然だろう。
それもまた命の巡りであり、生きとし生けるものに課せられた運命だろう。死は恐怖の対象でありながら、人間を人間たらしめる要素の一つである。それにアルトは、一度死んでいる。
人間としての死はまだ迎えていなかったが、人形作家としては死んでいる。一度死んでもいい、と思えるほどの幸福を味わったのだ。そんな彼は、自身の心臓が止まる瞬間さえ恐怖に支配されることなく人生の終わりを迎えたのではないだろうか。
生命維持を放棄したアルトはやせ細り、自身の体を動かすことさえままならなくなったのは必然だろう。しかしシアンはただ見ていることしかできなかった。いや、見ていることさえできなかった。その頃の彼女は、窓際に座らされたただの人形でしかなかった。
ほどなくしてアルトは死んだ。当たり前だろう。それが彼の選んだ運命でもあった。生きることをやめた人形作家の業は、彼の人生最後の作品であるシアンへと受け継がれた。彼女はもうただの人形ではない。
哀れな人形作家が作り上げた最後の作品に魂が込められてしまった。これは神のいたずらなのか、アルトの願いだったのか、シアンの切望だったのか。
徐々に弱っていき、人間としての営みさえままならなくなったアルトに対して、シアンは自由に動く身体、アルトと過ごした記憶、未完成な感情を手に入れた。
そして彼女はその身体が朽ちるまで、自身の作り手であるアルトと共にこの部屋で過ごす運命を背負うのだ。人形である彼女は外の世界で生きていくことはできない。いくら魂を与えられたとはいえ彼女はただの人形でしかない、奇異の視線にさらされ、あてもなく彷徨うことができればいいほうだろう。見世物小屋にでもさらわれてしまえば、彼女に為す術はない。
かち、かち、と規則正しく鳴り響く時計の秒針の音だけがこの部屋に充満している。クロックドールとして作られた彼女は、その左目に時を宿している。
彼女の左目に埋め込まれた時計の文字盤、すでに示す時間は狂ってしまっているかもしれない。それでも、その誤りを正すことができる者はこの世にもういない。
それでもその秒針が時を刻み続ける限り、シアンはこの世に一人で生きていかなければいけない。そんなものが祝福や奇跡だとは、この世は随分と残酷なショーがお好きなようだ。
過去ばかり綴られた日記帳に未来なんてない。シアンがただ反芻する過去と、ほんの少しの現在しかそこに存在していない。自分自身の感情さえ不確かなクロックドールが綴る日記帳、日記と呼ぶにも拙いものだ。拙くても、乱文でも、構わないのだ、彼女とアレンが共に残した思い出という名の遺物を、他者が知ることはないのだから。全てはシアンの望むままに書き続ければいい。
シアンの瞳は時を刻み続けるが、彼女自身にアルトと歩む未来が訪れることはない。過去に囚われたまま、その身体が壊れるまで、ただ淡い記憶をたどりにノートへと向かうのだ。
時を刻む人形が未来に進むことができないだなんて、皮肉もいいところだ。そしてシアンはこの世に生まれたいと本人が願ったわけではない。あくまでアルトの手によって、この世に作り上げられた創作物だ
そして人形に魂が宿るだなんて、物語の中だけのようなことがおこってしまった。この狭い部屋とシアン、そして彼女の記憶の中にしか存在しないアルトしか登場人物のいない物語だ。小さすぎる、そしてグランギニョルと呼ぶには中途半端だ。絶望とほんの少しの希望に彩られたこのストーリーの主演であるシアンが選ぶエンディングはどういったものだろう。
この物語の元凶とも呼べるベッドに横たわるアレンだったものを、彼女が正しく認識するときは来るのだろうか。未完成な感情しか与えられていない彼女が、人間の死を、悲しみの本質を理解する日は来るのだろうか。その不完全な感情が完成されるとき、シアンは自身の運命を受け入れるのかは誰にもわからない。
そしてすべてを理解したとき、シアンはアレンを呪うだろうか。
幸せだった過去と、暗闇の中の未来を与えた彼を、彼女は愛し続けるだろうか。


―生とは、祝福か、呪いか


その答えは誰にもわからない。ただ主観のもと語られる個人の価値観でしかなかろう。しかしこの時計人形と人間の出した答えはどうだったのだろうか。
人間と物。生きる者とただの造形物。相反する二人の間に存在した感情は偽りだったか。そうではないはずだ。
祝福でなくとも、呪いであっても、そこにある感情だけは本人らにとっての真実でしかない。所詮この世の中に存在するのは、嘘と、限りなく真実に近い虚偽でしかない。

シアンは幸福であった。また、アルトも同じだった。

クロックドールの日記はまだ続くだろう。彼女の関節が、ガラスの瞳が、作られた身体が悲鳴を上げるまで。

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