錬丹術師の弟子~後宮謎解き物語~

ささやき太郎

文字の大きさ
2 / 11

第1話 錬丹術師の弟子

霧が山肌を這うように流れていく。

白兎みみは炉の前で膝をつき、長い火箸で炭をかき混ぜていた。
青白い炎が揺れ、坩堝るつぼの中で辰砂しんしゃが静かに溶けていく。鮮やかな朱色の鉱石が熱せられ銀色の液体へと変わっていく様子を、白兎は布で覆った顔の隙間から注視する。

水銀だ。

不老不死の薬『金丹きんたん』を作るための最も重要な素材であり、同時に最も危険な毒でもある。

「白兎、火加減はどうだ」

背後からしわがれた声が響いた。

「はい、師匠。ちょうど良い具合です」

白兎は女性にしては低い声で答えた。
この声も十数年の訓練の賜物だ。幼い頃から祖父である玄真道人げんしんどうじんは彼女を「孫息子」として育ててきた。

何故なら、錬丹術は男子にのみ伝えられる秘術だからだ。

古来より、錬丹術は天地の理を操る神聖な技術とされ、女子が学ぶことは天の摂理に背く大罪とされてきた。発覚すれば師も弟子も死罪。一族郎党皆殺しにされる。

だが、玄真道人は孫娘の才能を見抜いていた。この子こそが真の後継者だと。

「よし。では次の工程に移れ」

玄真道人が近づいてくる。その足取りが以前よりも明らかに不安定だった。
白兎は気づかないふりをして立ち上がり、次の材料を用意し始める。

硫黄、鉛、雄黄。それぞれの性質を理解し、正確な分量で混ぜ合わせる。間違えば爆発するか猛毒の煙が発生する。錬丹術とは一見神秘的なものに思えるが、その実命懸けの化学実験だった。

作業を続けながら白兎はちらりと祖父を見た。
手が震えている。
以前はあれほど正確だった動作が今は明らかにおぼつかない。歯茎も変色し、時折何を言いかけたのか忘れてしまうこともある。

――水銀中毒だ。

何十年も錬丹術に身を捧げてきた代償。祖父自身もそれを理解している。だからこそ祖父は白兎には常に「煙を吸うな、素手で触るな」と厳しく教え込んできた。

「師匠、少し休まれては」
「いや、まだ大丈夫だ」

玄真道人は頑固に首を横に振った。その時、工房の入口から声が響いた。

「玄真道人殿、おられるか」

白兎と祖父は顔を見合わせた。
この山奥に、来客など滅多にない。

白兎が扉を開けると、そこには立派な官服を着た男が立っていた。その後ろには護衛の兵士が数名いる。

「朝廷の勅使だ。玄真道人に謁見を求める」

白兎は慌てて祖父を呼びに戻った。
玄真道人は急いで身なりを整え、勅使を迎え入れる。

「玄真道人、皇帝陛下がそなたの名声を聞き及ばれた。不老長寿の術に長けた錬丹術師として宮廷に迎え入れたいとの詔だ」

勅使が巻物を広げ、読み上げる。

白兎は息を呑む。
宮廷への召し抱え。錬丹術師としては最高の栄誉だが、同時に祖父の現状では不可能な命令でもあるためだ。

「これは……身に余る光栄でございます」

玄真道人は深々と頭を下げた。

「しかしながら、この老いぼれは既に八十を超え、長旅に耐える体力もございません。どうか、孫の白兎を代理として差し向けることをお許しいただけないでしょうか」

勅使は眉をひそめる。

「孫?」
「はい。この者が、私の全ての技術を受け継いでおります」

玄真道人は白兎を手招きした。
白兎は進み出て深く礼をする。

「白兎と申します」

勅使は白兎をじっと見た。
若く、痩せた体躯。年頃の男にしては小さく貧弱だが、その黒い瞳からは強い意志が感じられる。

「……若いな。本当に玄真道人の技術を受け継いでいるのか」
「はい、もちろん。私が一番弟子です」

白兎は淀みなく答えた。

「辰砂の精錬、水銀の昇華、硫黄と鉛の配合。全て習得しております」

勅使はしばらく考え込んだ後、頷く。

「よかろう。では白兎、そなたが宮廷に参内せよ。三日後、ここに迎えの者を遣わす。ただし――」

勅使の声が厳しくなった。

「宮廷では、内廷薬房に居を構えてもらう。後宮への出入りは宦官のみに許されているため、そなたも去勢の手続きを」
「いえ」

玄真道人が遮る。

「それには及びません。白兎は錬丹術師として参内するのであり、後宮に入る必要はないはずです。内廷薬房は後宮の外にあると聞いております」

勅使は少し考えてから頷いた。

「確かに。では、後宮への立ち入りは厳禁とする。よろしいな」
「かしこまりました」

白兎は深く頭を下げ、去り行く勅使たちを見送った。
それにしても、いくら錬丹術師とはいえ、祖父は『孫』としか言っていないのに当たり前のように男だと思われたな――と、どこか少し複雑な気持ちを抱えながら。

勅使が去った後、白兎と祖父は顔を見合わせた。

「師匠、私が本当に行くのですか」
「ああ。お前しかいない」

玄真道人は白兎の肩に手を置いた。
その手が微かに震えている。

「白兎。お前はこれから、完璧な男として生きねばならぬ。少しの油断も許されない。女だと知られれば、錬丹術を女子が学んだという大罪で我が一族は皆殺しにされるだろう」
「……分かっております」

白兎は覚悟を決めた表情で頷いた。

「だが、お前なら出来る。お前は誰よりも優秀な錬丹術師だ。性別など、技術の前では何の意味もない。ただ世間がそれを認めないだけだ」

祖父の言葉に白兎はふっと笑った。
相変わらず歳の割に先進的な考えをするお方だ――と、そう思って。



三日後、白兎は簡素な荷物をまとめ工房を後にした。
長い黒髪を束ね、男物の道服を身につけ、腰には小さな薬箱を下げている。胸は布でしっかりと巻いて潰し体の線も出ないようにした。

迎えに来たのは、宦官の楊公公ようこうこうという男だった。
丸い顔に人懐っこい笑みを浮かべているが、その目は鋭い。

「白兎様ですね。さあ、参りましょう。都までは五日ほどかかります」

馬に乗り、山を下り始める。振り返ると霧の中に工房が小さくあり、その前で祖父が手を振っているのが見えた。
白兎は前を向き直る。もう、後戻りはできない。

都への道中、白兎は様々な町や村を通過した。賑やかな市場、立派な寺院、行き交う商人たち。山奥の工房しか知らなかった白兎にとって全てが新鮮だった。

三日目の夜、白兎たちは小さな宿場町に泊まった。
ほんの少し寂しい気持ちで布団に入ったせいか、今頃祖父が何をしているかが気になりうまく眠れなかった。

そんな翌朝、何だか騒がしいなと目を覚ました白兎が一階へと降りると、なんと宿の主人が倒れているところで。

「大変だ、疫病かもしれない!」

(疫病……?)

宿の者たちが慌てふためく中、奇妙に思った白兎は遺体の側に近づく。

「触るな、若造。病が移るぞ」

周囲の者が止めようとしたが白兎は構わず観察を続けた。

まず、口回り。赤く爛れていて激しい嘔吐の痕跡が見える。
次に瞳孔の確認。しっかりと開いていて確実に死んでいる。
そして何より気になったのは――。

「これは疫病ではありません」

周囲がざわめく。

(微かに残る独特の匂い、これは……。)

白兎は立ち上がり断言した。

「毒です」
「なんだと!」

周囲から口々に言葉が飛んでくる。
ずっと前からいたのか今来たのか、その場に居合わせた楊公公も驚いた顔で白兎を見た。

「どうしてそれが分かる」
「そうだそうだ!誰が毒なんて使ったって言うんだ!」
「落ち着いてください、毒殺とは言っていません。まずは私の話を聞いてください」

しん……と静まったのを確認して白兎は話し出す。

「口の周りが爛れているのが分かりますか?これは激しい嘔吐を繰り返したためです。そして瞳孔の拡大、これは視神経が損傷しているためです。それに、ほら……匂いませんか?」
「匂い……?」
「これは、青竜花セキリュウカという花の匂いです。甘い匂いが異性を誘惑するとかで、香水なんかに使われる希少な花ですよ。それに見た目も美しい観賞用にもピッタリな花ですが――空のように青いその花の下には猛毒を持っています。つまりこれは、青竜花セキリュウカによる中毒死です」

白兎は宿の者に尋ねた。

「この方、昨夜は何を食べましたか」
「あっ、えっと……普通の食事です。野菜の煮物と、パンと……」
「水は?」
「ああ、裏の井戸水を」
「見てもいいでしょうか」
「えっ、あ、もちろんです」

白兎は井戸を調べさせてもらった。
特に代わり映えのない普通の井戸だ。しかし――どこから紛れ込んだのか、井戸の中を覗き込めば水の上に美しい青色が揺蕩っている。

「……ありましたね」
「本当だ!」
「でも、たった一輪だぞ……?」
青竜花セキリュウカは猛毒の植物です。たった一輪、されど一輪ですよ。どこから紛れ込んだのか……この根や葉を少量でも接種すると激しい嘔吐と痙攣を起こし、死に至ります」
「なんと恐ろしい……!」

白兎は井戸水を汲み上げて匂いを嗅ぎ、頷く。

「やはり、しみ込んでいますね。根ごと落ちてしまったのが悪かった。宿の主人はこの水を大量に飲んでしまったのでしょう」
「では、この井戸は」
「すぐに使用を中止してください。そして、新しい水源を確保すべきです。誰もこの水を飲んではいけません」

最初こそ白兎の言葉を戯言だと侮っていた町の者たちが一斉に動き出し、無事に井戸に蓋がされた。
楊公公は感心したように白兎を見る。

「なるほど、玄真道人の孫は確かに只者ではない。若いのにまるで検視官のような観察眼だ。どこでそのような知識を得たのですか」
「錬丹術は毒にも薬にもなります。物質の性質を知らねば金丹は作れません。そのためあの方に幼少の頃よりあらゆる知識を教えていただきました」
「なるほど。これは皇帝陛下も気に入られることでしょう」
「…………」

淡々と答えた白兎だが、少し言い過ぎたかもしれない……と少し反省する。
これから向かう場所を思えば、あまり目立ちすぎるのは危険だった。



生まれ育った場所を出て五日後、ついに都に到着した。

巨大な城壁に囲まれた街。無数の屋根が連なり、人々が蟻のように行き交っている。
そして、その中心に聳え立つのが紫禁城しきんじょう――皇帝の住まう宮殿だ。

「さあ、ここからが白兎様の新しい人生ですよ」

楊公公に導かれ、白兎は宮城の門をくぐった。
厳重な検問を通過し、いくつもの門を抜け、ようやく内廷薬房に到着する。

「ここが白兎様の居室です。錬丹の作業場も隣に用意してあります」

小さいが清潔で整った部屋だった。
窓からは後宮の建物が見える。あそこに入ることは決してないだろう。

「明日、尚薬局しょうやくきょく楚大人そだいじんに挨拶に伺ってください。薬房全体を統括しておられる方です」

楊公公はそう言い残して去っていった。

白兎は一人、部屋の中に立ち尽くす。
遠くから笑い声や音楽が聞こえてくる。後宮の妃嬪たちの宴だろうか。
ここは、山の工房とはまるで違う世界だ。

白兎は深呼吸をした。
明日から、戦いが始まる予感がしている。
感想 0

あなたにおすすめの小説

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

一妻多夫の獣人世界でマッチングアプリします♡

具なっしー
恋愛
前世の記憶を持つソフィアは、綿菓子のような虹色の髪を持つオコジョ獣人の令嬢。 この世界では男女比が極端に偏っており、女性が複数の夫を持つ「一妻多夫制」が当たり前。でも、前世日本人だったソフィアには、一人の人を愛する感覚しかなくて……。 そんな私に、20人の父様たちは「施設(強制繁殖システム)送り」を避けるため、マッチングアプリを始めさせた。 最初は戸惑いながらも、出会った男性たちはみんな魅力的で、優しくて、一途で――。 ■ 大人の余裕とちょっと意地悪な研究者 ■ 不器用だけど一途な騎士 ■ ぶっきらぼうだけど優しい元義賊 ■ 完璧主義だけど私にだけ甘えん坊な商人 ■ 超ピュアなジムインストラクター ■ コミュ力高めで超甘々なパティシエ ■ 私に一生懸命な天才年下魔法学者 気づけば7人全員と婚約していた!? 「私達はきっと良い家族になれます!」 これは、一人の少女と七人(…)の婚約者たちが、愛と絆を育んでいく、ちょっと甘くて笑える逆ハーレム・ラブコメディ。 という異世界×獣人×一妻多夫×マッチングアプリの、設定盛りだくさんな話。超ご都合主義なので苦手な人は注意! ※表紙はAIです

巨乳のメイドは庭師に夢中

さねうずる
恋愛
ピンクブロンドの派手な髪と大きすぎる胸であらぬ誤解を受けることの多いピンクマリリン。メイドとして真面目に働いているつもりなのにいつもクビになってしまう。初恋もまだだった彼女がやっとの思いで雇ってもらえたお屋敷にいたのは、大きくて無口な庭師のエバンスさん。彼のことが気になる彼女は、、、、

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。