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星歴1992年3月5日
早春の街は祝福に沸いていた。予定日に2ヶ月早く、金烏王の次男である金鶏が、無事に紫紺準王妃より産まれたからだ。
広場のベンチ上に置きっ放しになった、王子誕生の号外を横目に、銀山は吸い終えた煙草を携帯用灰皿へ捨てた。
『重症仮死で生まれた金鷹と違い健康体』と言われていたが、2100グラムしかない小さな王子は、保育器が無いと生命の危険と隣合わせだ。
銀山は広場に程近いアパートへ向かうと、ある部屋をノックした。
「俺だ。就職と引っ越しの祝いを持ってきたぞ」
手提げを指し示すと、ドアが開いた。
「どうぞ。まだ片付いてなくても構わないなら」
中にいたのは、不健康に痩せた若い男。通された室内は段ボールが山積みだった。銀山は口を開く。
「勤務はいつからだ?」
「4月1日から。でも来週から研修は始まるね」
次姉の息子で甥の網目銀海は、殺風景な台所で珈琲を淹れつつ返事した。
「不満そうだな。天下の軍属医学研究所なのに」
「…俺は不妊治療をしたいんじゃない。遺伝子の研究をしたいんだ」
銀海は眉間に皺を寄せたまま、珈琲を差し出した。希望と現実の相違。やれやれ。銀山は珈琲を手に取ると、口を開く。
「あの薬、効き目は本物だな」
「は?」
「2か月、皇子の誕生が早まっただろ」
銀山の言葉に、銀海は目を点にした。
「飲んだ…? 『準王妃』が自分で?」
「まさか。混ぜ込んだだけだ。ちびっとな」
銀山が得意げに人差し指を回すと、銀海は持っていた珈琲を脇に置いて怒った。
「何でそういう使い方したんだよ。バレたら叔父さんも俺も危険なんだぞ? だいたい他の候補者に使う前提じゃないか」
銀海は大きな声を出さずに、声を荒げた。
銀山のコネで、医学生だった銀海は、研究所員として異例に軍属医学研究所へ所属が決まった(配属先にご不満の様だが)。
見返りとして、銀山は銀海へ秘密裏にある薬を要求した。子宮の収縮剤だ。妊娠初期なら流産、安定期以降なら早産を誘発する。
リスクを冒してまで持ち出した薬剤を、悪戯に安易に使用されたのだ。怒り心頭の銀海に銀山は笑顔で宥める。
「まあ、落ち着けって。薬は野菜ジュースに入れたんだけど、そのジュースは王妃様からの差し入れだったんだ。
差し入れや接触の後に急変すりゃ、誰だって疑うだろ? そのために使ったんだよ。他の薬剤だと、『準王妃』や『御子』に悪影響が出ちまうからな」
「…王妃に恨みでもあるの?」
まだ納得の行かない様子の銀海が尋ねると、銀山は暗い目をして明るく答えた。
「邪魔だからな。烏王に入れ知恵して第3準王妃を寄越したのも、別宅法案を出したのも奴だし。女のくせに政治にしゃしゃり出過ぎなんだわ。烏王の信用を崩すには、疑いをかけて信頼を揺さぶらないと」
中等教育までしか受けてない銀山の浅はかな考えに、銀海は呆れていた。見た目は大人で中身は中学生。銀海は口を開いた。
「おじさんのやり方に文句をつける訳じゃないけど、いきなり『クイーン』の駒をどうにかするのは危ないよ」
「『クイーン』?」
怪訝な表情の銀山に、銀海は続けた。
「宮廷も政治も、言わばチェスの盤面と同じだよ。『どんな役割を持った人間』を『どう進ませ目的を達成する』かだ」
「チェス、ねえ…」
銀山は珈琲を口にすると、説明を続けた。
「『クイーン』は、色んな駒達に守られ地位を維持してる。倒すにはまず守りを崩すこと。つまり『クイーン』が頼りにしている世話人や大臣などを失脚させたり、引き離すなど孤立させるのも必要だ」
「ほお…、確かに居ることは居るな、占術の大御所とか。だがな、俺にはそういう権限は無いぞ。政府の人事に関しては伺いも無いし」
銀海は銀山を黙って見つめた。哀れな中年男。上を目指し、何とか内部に入り込めたが、ここでしばらく頭打ち。頭の中身が可哀想なせいで、どうすればいいか分からないと見た。
銀海は言った。
「…大御所を消すための薬、用意しようか?」
「何?」
「ただ消すだけじゃ駄目だよ。おじさんの権限が強くなるような布陣を確保してから、消すこと」
専属占術士は占術歴だけではない。専属歴の長さを序列として、物を言うことも多々ある。
銀海は更に続けた。
「あともう1つは、民主主義色の強い王妃に対し、軍事色の強い布陣を占いで導いていくこと。周囲がそればかりになれば、自ずと弱体化するさ。こっちは時間がかかるから、まずは大御所を消せばいいんじゃないですか?」
銀山はニヤリと笑った。
「ふん。頭のいい奴は違うな」
銀山帰宅後、銀海は窓辺から研究所の建物を眺めた。『遺伝子工学研究室』を希望していたが、当ては外れてしまった。でも、まあいい。
軍事色が強くなり、兵士の肉体強化や生物兵器などに関心が集まれば、規模が拡大し配属の枠も広がるかもしれない。
銀海は就職祝いに入っていたフィナンシェを食べつつ、策を巡らせた。
銀山、紫紺、銀海の一族には、共通点があった。
1つは、目的の為に一族は助け合い、手を組むと言う点。そして、目的の為なら一族であっても、相手を最大限に利用すると言う点だ。
早春の街は祝福に沸いていた。予定日に2ヶ月早く、金烏王の次男である金鶏が、無事に紫紺準王妃より産まれたからだ。
広場のベンチ上に置きっ放しになった、王子誕生の号外を横目に、銀山は吸い終えた煙草を携帯用灰皿へ捨てた。
『重症仮死で生まれた金鷹と違い健康体』と言われていたが、2100グラムしかない小さな王子は、保育器が無いと生命の危険と隣合わせだ。
銀山は広場に程近いアパートへ向かうと、ある部屋をノックした。
「俺だ。就職と引っ越しの祝いを持ってきたぞ」
手提げを指し示すと、ドアが開いた。
「どうぞ。まだ片付いてなくても構わないなら」
中にいたのは、不健康に痩せた若い男。通された室内は段ボールが山積みだった。銀山は口を開く。
「勤務はいつからだ?」
「4月1日から。でも来週から研修は始まるね」
次姉の息子で甥の網目銀海は、殺風景な台所で珈琲を淹れつつ返事した。
「不満そうだな。天下の軍属医学研究所なのに」
「…俺は不妊治療をしたいんじゃない。遺伝子の研究をしたいんだ」
銀海は眉間に皺を寄せたまま、珈琲を差し出した。希望と現実の相違。やれやれ。銀山は珈琲を手に取ると、口を開く。
「あの薬、効き目は本物だな」
「は?」
「2か月、皇子の誕生が早まっただろ」
銀山の言葉に、銀海は目を点にした。
「飲んだ…? 『準王妃』が自分で?」
「まさか。混ぜ込んだだけだ。ちびっとな」
銀山が得意げに人差し指を回すと、銀海は持っていた珈琲を脇に置いて怒った。
「何でそういう使い方したんだよ。バレたら叔父さんも俺も危険なんだぞ? だいたい他の候補者に使う前提じゃないか」
銀海は大きな声を出さずに、声を荒げた。
銀山のコネで、医学生だった銀海は、研究所員として異例に軍属医学研究所へ所属が決まった(配属先にご不満の様だが)。
見返りとして、銀山は銀海へ秘密裏にある薬を要求した。子宮の収縮剤だ。妊娠初期なら流産、安定期以降なら早産を誘発する。
リスクを冒してまで持ち出した薬剤を、悪戯に安易に使用されたのだ。怒り心頭の銀海に銀山は笑顔で宥める。
「まあ、落ち着けって。薬は野菜ジュースに入れたんだけど、そのジュースは王妃様からの差し入れだったんだ。
差し入れや接触の後に急変すりゃ、誰だって疑うだろ? そのために使ったんだよ。他の薬剤だと、『準王妃』や『御子』に悪影響が出ちまうからな」
「…王妃に恨みでもあるの?」
まだ納得の行かない様子の銀海が尋ねると、銀山は暗い目をして明るく答えた。
「邪魔だからな。烏王に入れ知恵して第3準王妃を寄越したのも、別宅法案を出したのも奴だし。女のくせに政治にしゃしゃり出過ぎなんだわ。烏王の信用を崩すには、疑いをかけて信頼を揺さぶらないと」
中等教育までしか受けてない銀山の浅はかな考えに、銀海は呆れていた。見た目は大人で中身は中学生。銀海は口を開いた。
「おじさんのやり方に文句をつける訳じゃないけど、いきなり『クイーン』の駒をどうにかするのは危ないよ」
「『クイーン』?」
怪訝な表情の銀山に、銀海は続けた。
「宮廷も政治も、言わばチェスの盤面と同じだよ。『どんな役割を持った人間』を『どう進ませ目的を達成する』かだ」
「チェス、ねえ…」
銀山は珈琲を口にすると、説明を続けた。
「『クイーン』は、色んな駒達に守られ地位を維持してる。倒すにはまず守りを崩すこと。つまり『クイーン』が頼りにしている世話人や大臣などを失脚させたり、引き離すなど孤立させるのも必要だ」
「ほお…、確かに居ることは居るな、占術の大御所とか。だがな、俺にはそういう権限は無いぞ。政府の人事に関しては伺いも無いし」
銀海は銀山を黙って見つめた。哀れな中年男。上を目指し、何とか内部に入り込めたが、ここでしばらく頭打ち。頭の中身が可哀想なせいで、どうすればいいか分からないと見た。
銀海は言った。
「…大御所を消すための薬、用意しようか?」
「何?」
「ただ消すだけじゃ駄目だよ。おじさんの権限が強くなるような布陣を確保してから、消すこと」
専属占術士は占術歴だけではない。専属歴の長さを序列として、物を言うことも多々ある。
銀海は更に続けた。
「あともう1つは、民主主義色の強い王妃に対し、軍事色の強い布陣を占いで導いていくこと。周囲がそればかりになれば、自ずと弱体化するさ。こっちは時間がかかるから、まずは大御所を消せばいいんじゃないですか?」
銀山はニヤリと笑った。
「ふん。頭のいい奴は違うな」
銀山帰宅後、銀海は窓辺から研究所の建物を眺めた。『遺伝子工学研究室』を希望していたが、当ては外れてしまった。でも、まあいい。
軍事色が強くなり、兵士の肉体強化や生物兵器などに関心が集まれば、規模が拡大し配属の枠も広がるかもしれない。
銀海は就職祝いに入っていたフィナンシェを食べつつ、策を巡らせた。
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