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目撃証言

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 『一月往ぬる二月逃げる三月去る』という言葉を聞いた事があるだろうか?
 正月から三月までは行事が多くあっという間に過ぎる、という事を調子よく言ったものとされるが、この3か月間の忙しさは異常である。


(だってさぁ、『お正月までに!』って気合入れて仕事をやっつけるでしょ?そこから3ヶ月足らずで『もう新年度だから!』って、またやっつけるわけ。そりゃあ、忙しいわよ)

 暇そうな顔で珈琲を飲んでいるが、溜まった書類を片付けているゆず子はそう考える。

(年明けから3ヶ月で新年度っていうスケジューリングなのって、日本だけじゃないのかしら?諸外国って9月始まりでしょ?…あ、でもそうなると3ヶ月でお正月か)

 つまるところ、計画的に仕事をこなすのが1番か。書類業務の滞りを日本の制度と暦のせいにしようとしたが、結局は自分の無計画のせいだという落としどころに収まる。

 業務内容は毎年さほど変わらないが、出向先ごとの変化はある。警備の解除方法や施設の規則が場所ごとに違っていたり、新たに変更・追加されるものも地味に出て来る。

(『掃除のおばちゃん』なんて、9時17時の気楽な仕事って思うでしょ?『汚れ仕事』だし『感謝されにくい』し、思ってた以上にやる事も多いのよね)

 まあ、入ってみないと実情の分からぬものはつきものだ。学校でも会社でも、年齢でも。


 ゆず子の居る席の隣のボックス席に、30代半ばの女性2人が着席した。長い髪をハーフアップにした女が口を開く。

「今日、何時まで平気なの?」

 向かいに座った、グレーのヘアバンドをつけたショートカットの女が答える。

「2時半かな? 園バスの迎えあるから」

「それにしても日が経つのは早いね。こないだ生まれたと思ったら、もうすぐ年中でしょ?」

 ヘアバンドの女は頷いた。

「うん、おかげでやっと年中。うち双子じゃん? ハード過ぎて赤子の頃の記憶が無いのよ~。幼稚園行くようになってから、ようやく客観視出来るようになったっていうか…」

「分かる~、1人でも大変だもん。ヤヨイはよう頑張ってるよ、尊敬する!」

 ハーフアップの女はヘアバンドの女を労った。ゆず子は珈琲を一口飲んだ。
(『ママ友』って言うか、元々の友達かしら)

 最近の母親さんは晩婚だ高齢出産だといわれているが、とてもお洒落で若々しく見える。昔は子供の居る30代半ばと言えば、もっと所帯じみていて『女』らしさなどあまりなかった。

(今は母親だから妻だから、でオシャレを諦める事をしない時代だものね。素敵な風潮だわ)

 軽食と珈琲を注文し、到着を待つ間に、ふとヘアバンドの女が口を開く。

「そう言えばこの前ね、ちょっと不可解な事があったの」

「不可解? へえ、どんな?」

「幼稚園の参観日が終わって、仲のいいママさん達と近くのファミレスでランチしてたのね。私入れて4人で、こういう4人席で座ってさ。で、隣の2人席には男の人が1人、更にその奥には作業着姿の男の人が3人で4人席に座って、ゴハン食べてたの」

(ふーん、つまりその店は『4人席』『2人席』『4人席』の並びで、席が配置されてた訳ね)

 5人とか6人の客が来たら、その4人席に2人席を連結させて使う、そういう目的の為にあえて配置しているのだろう。

 ハーフアップの女も頷いた。

「うんうん、でもよく覚えてるね、席順」

「たまたまね。私達が着席したすぐ後に、隣の男の人も座ったから、何となく覚えてたの」

「成程。それで?」

「1時間くらい、飲み食いして喋ったかな? ママ友2人が用事があるから、少し早めに切り上げる事にして。丁度、1時になるちょっと前だったね」

「ほうほう」

 ハーフアップの女はお冷を口にした。

「レジがちょっと混んでて、私達の前に2組くらい並んでたかな。1組終わって、次に会計になったのが、先に言った『隣の隣で食べてた作業着姿の男性3人組』ね。
個別会計ではなく、上司か先輩が奢ったのかな? 1人が財布を出してゴソゴソしてる時に、その3人組の後ろに、人が1人スーッとやって来た。それが、『隣で食べてた単独の男性客』」

「え、何それ。会計並んでるのに、割り込んで来たの?」

「私も一瞬割り込みかと思ったんだけど、絶妙な距離があるの。『忘れ物ですよ』なんて話しかけるために機を伺っているみたいな、むしろ会計の列にも並んでいるようで並んでないみたいな距離を取っていてね」

「へえ。迷惑だね、変な所で立っていられると」

(いるいる、距離感が特殊な人。ものすごく遠くから話しかけて来るとか、近くにいるのに気配消しててびっくりさせてくる人とかね)

 大体はコミュニケーションに難のある人だった。対人経験が少ない故に、不器用だったからか。ヘアバンドの女は続けた。

「それで、前にいた3人組が会計終わる前に、その変なとこに突っ立っていた単独客が、スッとどっかに行ったのよね」

「居なくなったんだ」

「そう。だから『あ、会計割り込みやめたのね』って思って、こっちも順番が来て会計を始めたわけ」

「何がしたかったんだろうね? その客」

 ハーフアップの女が言うと、ヘアバンドの女は険しい顔をした。

「でね!! …私達の会計が終わって、店の外に行ったら、その単独客が外に居たのよ」

(え?)
 その言葉に、思わずゆず子の手が止まりそうになる。ハーフアップの女も声を上げた。

「え、何で? 会計、してないよね?」

「そうだよ、してないよ。なのに、何故か店の外に居たの。だからママ友もあたしも『あれ?』ってなった」

「えー、無銭飲食ってやつ? そして、どうなったの?」

 ヘアバンドの女は腕組みして答えた。

「えっとね。まず、そこのファミレスって、通りから見て手前に建物があって、奥に向かってL字型に駐車場が伸びてる感じなのね。私達が建物から出た時、3人組は駐車場の手前に停めてた社用車に乗る所で、単独客は駐車場の奥に向かって歩いているとこだったの。
ママ友も気づいて小声で、『あの人、払ってないよね?』って言ってて。別のママ友も『奥って、歩きだと駐車場の外にも出れるよね?』って怪しんで。そしたら、そいつが急に立ち止まった」

「うわ、コワッ!!」

 ハーフアップの女は、首を竦めて口を手で覆った。ヘアバンドの女は間を置くと続けた。

「私達も『ビクッ!』として止まるでしょ? すると奴はその場で頭を掻いたり、腕組みをしたりしてずっと突っ立っているわけ。こっちを見る訳でもないの。
で、私達の乗ってきた車は奥にあるから、なるべく奴から遠い所を通って、車に無事乗った」

「聞こえてて、いちゃもん付けて来るかと思った…。その後は?」

「私達が駐車場から出るまで、ずっとそこに立っていたよ。何もない場所でさ、勿論電話かける訳でもなく。だから帰りの車内で、『あいつ怪しいよね?』『金も払わず出て来て、あそこで何してんの?』って皆で口々に言ってさ。
用事あるって言ってたママ友を降ろしてから、もう1人と一緒に店に電話したの」

(あら。正義感の強いお母さんなのね)
 ゆず子は感心した。ハーフアップの女は前のめりに尋ねた。

「それで?」

「『無銭飲食を疑うような、変なお客さんが居ました』って言って、私達が会計した時間と、座っていた場所、隣に居た男の特徴を伝えたの。そしたら、『会計せずに出ていかれたお客さんは居ないですね、大丈夫ですよ』だって」

「はあ。そうだったんだ。…ヤヨイ達が見てたから、ヤバイと思ってやめて店に戻ったのかな?」

「だったらいいね。何か真っ当な理由があって、出ただけの可能性もあるけど」

(あるかな、そんなこと…?)
 ゆず子が首を傾げると、ハーフアップの女も口を尖らせた。

「無いんじゃない? 食事中にふらっと立って、先に会計済ませた別のお客について行って、外に出る人なんて居るかなぁ?
別の客が会計中に変な距離保って立っていたってのが、いかにも『僕はツレの1人です』ってアピールしてるみたいだもん。ヤヨイ達に顔見られてて、たまたますぐ後ろから来てなかったら、絶対やってたよ!」

「まあ、普通はそう思うよね? それからしばらく、『そうでない場合ってどういうのがあるかな』なんて考えたけど、思いつかないもん」

 ヘアバンドの女は苦笑して言った。ハーフアップの女は、何か思いついたように口を開いた。

「あ!『店長が賄いを食べていた』とか? 連勤と長時間労働でおかしくなりかけだった、とか」

「なるほど、その為の奇行? ていうか、それで客からの無銭飲食疑いの問い合わせ来たなんてダメじゃん!」

 2人は笑ってお冷を口にした。

 犯罪に巧妙な手口はつきものだ。例え犯罪でなかったとしても、多忙の中でも、怪しい出来事に目を光らせるのは大事である。
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