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近藤玖美子1 ※ひき逃げ、焼死表現あり

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 近藤玖美子こんどうくみこは、自宅で洋裁の仕事をしていた母と1つ上の姉との3人暮らしだった。


 玖美子が生まれてすぐ父親は病死したそうで、物心がついた頃には、父親が居ないのが当たり前になっていた。
 高度経済成長期の時代、母娘3人が生活するには厳しく、小学校に入る前に姉と2人で母の内職の手伝いをするようになっていた。

 母譲りで手先が器用だったのか、内職は苦ではなく、姉と遊びで競うように造花作りなどをしていた。
 玩具などほぼ買って貰えなかった幼少期だが、内職が手遊び代わりだったのか、それ程不自由を感じなかった。


 中学生になったある時。母方の祖母が亡くなり、葬儀に参列した。その時、玖美子は姉と共にある話を聞いた。

「…トミ子さんの娘って、2人も居たのね」

 台所で、手伝いに来ていた近所の女性が、自分達の事を話していた。

「長谷部家のご主人との子だっけ? 男の子だったら豪邸、継げただろうに。あの子、そういうとこツイてないね」

 自分達が不貞の子であると聞いてしまったのだ。


 帰宅後、姉と玖美子は母に真相を尋ねた。

「手伝いに来ていたタチカワさんとヤザワのおばさんは、嘘の話を作って人に言うのが趣味で、どうしようもない人なのよ。
そんな噂話、いちいち信じたら身が持たないよ」

 母は一蹴した。


 だがそれから、母は実家を意図的に避けるようになった。
 玖美子も姉も、話はそれ以来しなかったが、言わずもがな『噂話を肯定された』ように感じていた。



 玖美子が19歳の夏、母が病死した。胃ガンだった。
 前の年から具合が悪く、通院を促したが『病院に行くまでもない』と通院を拒否、自宅で吐血した時にはもう手遅れとなっていた。

(もし、父も居てお金に余裕があったら病院に早く行っただろうか?)

 玖美子は母の遺影を見るたび、答えの無い自問自答を繰り返した。



「玖美子、わたし彼との結婚を考えているの」

 母の葬儀関係が落ち着いてきた頃、姉はそう持ち掛けてきた。

 姉は、2年前から泉石諭史せんごくさとしという男と交際をしていた。職場で知り合った2つ上の男で、人を笑わせるのが好きな陽気な性格をしていた。

 玖美子は答えた。

「いいんじゃない? 泉石さん、ああ見えて真面目だし」

「そうじゃないの。私が心配なのは、玖美子の事なの」

 姉は目を伏せて言った。玖美子は少し笑った。

「私、子供じゃないのよ? 姉さんがお嫁に行って、この家に1人暮らす事になったとしても、別に寂しくて泣いたりしないよ。
いいなあ、私も早くいい殿方を見つけたいものだわ」

 姉にとって、玖美子はいつまでも幼い妹のままだったのか。
 姉と泉石は、母の喪が開けるを待って、入籍する事になった。


 それから約3ヶ月後。日曜の日中に、ある訪問者が現れた。

「近藤トミ子さんは居られますか?」

 しっかりした身なりの中年の男女が、亡き母を訪ねて来た。

「母は3ヶ月前に亡くなりました。母のお知り合いの方でしょうか?」

 姉が答えると、2人はそれぞれ名刺を渡してきた。

「どうも初めまして。弁護士をしております、神内じんないです」

「中央病院で医師をしてます、堂元どうもとと申します」


 2人は母の遺影に手を合わせると、神内が話を切り出した。

「お二人はお母様やご親類の方から、長谷部帝路はせべていじ氏の事をお聞きになった事はありますか?」

 名は知らないが、『長谷部』という苗字は祖母の葬式の時に聞いた、あの噂話の記憶を蘇らせた。姉は答えた。

「いえ、ありません」

「妹さんは?」

「私もです」

「そうですか…。長谷部帝路は大蔵省に勤めていた官僚です。
明治の頃から、代々政治家や官僚を多く輩出している名家出身で、トミ子さんは長谷部家で家政婦として働いていた事があったのですが、存じませんでしょうか?」

 玖美子と姉は沈黙の後、目配せをして姉が口を開いた。

「母が独身の頃に、『旧華族』のお屋敷で働いたという話なら、聞いた事はあります」

「ですが、そのお宅の名前までは聞いた事はありません」

 玖美子も口を添えた。

(おばあちゃんの葬式で聞いた事は、言わない方がいいのかな…?)

 押し黙る2人に、神内が話し出す。

「実は、長谷部帝司が先月亡くなりまして、現在相続などの手続きをしております。
遺言で『近藤トミ子との間にもうけた婚外子にも、財産を分与したい』と故人から依頼を受けているのです」

「え?」

 玖美子と姉は顔を見合わせた。神内は言った。

「あなた方は、その対象にあたる可能性があります。まだ調査中なので、何とも言えませんが…」

 2人は耳を疑った。

「あの…! 私達、父は幼い頃に死んだと聞かされていたんですが…!」

「恐らくお母様は、あなた方が権力争いや世間の好奇な目に晒される事が無いよう、内緒にしていたんだと思います」

 にわかには信じられない話だった。自分の本当の父親が金持ちで、しかも遺産をくれるなんて。
 親子関係の鑑定の為に、血液採取をその場でされた。

 2人は夢見心地で、訪問客を見送った。

「玖美子、財産と言っても思うような大金じゃないと思うよ」

 時間経過と共に冷静になった姉は、堅実的な意見を述べた。

「今まで探しもしなかったのに、死んでから急にってのがそうよ。官僚や議員が身内に居るんでしょ? 婚外子が変なタイミングでやって来ると困るから、『手切れ金』を渡して金輪際関わるなって、口止めする算段だよ」

 それでも、若い2人にとっては降ってわいたおとぎ話の様な話だった。



 約1ヶ月後。鑑定結果の出る日。

 その日は玖美子も姉も仕事を休み、午後に再訪問する弁護士を自宅で待つ手筈だったが、職場で急病人の出た玖美子は、急遽出勤となってしまった。

 時刻は午後7時。冬なので、もうとっぷり日が暮れて真っ暗となっていた。

(約束は3時だったから、もう話は聞いてる頃だよね。お姉ちゃん、職場に電話くれなかったな)

 連絡が無いという事は、やはり違っていたのか。まあそんな、おとぎ話みたいなうまい話はそうそうないものだ。

 思いながら帰途につく玖美子は、近所の路地に中型トラックが止まっている事に気づいた。トラックはそのまま、自分に向かってバックしてきた。

(やだ。暗いから姿が見えてないのかも!)

 玖美子は慌てて違う方向に行ったが、トラックもハンドルを切ってこちらの方に突っ込んで来る。

(何でこっちに来るの?!)

 トラックは玖美子の全身を完全に轢くと、エンジンをふかして猛スピードで逃げて行った。
 それが、玖美子が意識を失う最後の記憶だった。



 次に玖美子が目覚めたのは、2ヶ月が経った時だった。目覚めた時には、首から下の全身の感覚が消失していた。

 仕事の帰り、ひき逃げに逢った玖美子は頚椎を損傷し、全身麻痺の身体になっていた。
 これ程、自分の運命を憎んだ事があっただろうか。玖美子は絶望の淵に立たされた。

 姉は、意識を取り戻した玖美子に顔を寄せて泣いた。

「良かった。独りぼっちになったかと思った」

(…こんな身体になるくらいなら、ひと思いに死にたかった)


 姉は、玖美子の意識が無い間に、母の喪明けも待たず泉石と入籍をしていた。
 母と姉と暮らしたアパートは引き払われ、新しく引っ越した姉夫婦宅で、身の回りの世話をしてもらいながら生活する事となった。


 玖美子はどん底だった。
 悲しくて情けなくて涙が出ても、自分では涙を拭く事も出来ない。死にたくても、身体の何処も動かず、何も出来ない。

 玖美子の世界は、4畳半の自室が全てとなった。玖美子の心とは裏腹に、窓の外に見える木々は季節の移ろいを見せた。

(私は、生きている意味があるのだろうか?)

 抜け殻の様に、ぼうっとする毎日だった。



 ある夜、姉と義兄が何やら深刻に話す声が隣室から聞こえた。

「社長が給料を払わず逃げやがった」

「どうにか足取り、掴めないの?」

「先輩達が探してるけど、無理かも」

「そんな…」

「ごめん…。今月は良くても、来月以降の家賃どうしようか」

「…貰った遺産があるわ」

「何言ってんだよ、あれはお前じゃなくて玖美子が貰ったものだろ? 玖美子の為に使えよ、こっちは日雇いでもやってどうにかするから!」

 その言葉に、玖美子は目を丸くした。

(私、遺産貰えたの…?お姉ちゃんは?)


 明くる日。義兄が出掛けたタイミングで、玖美子は思い切って聞いてみた。

「…お姉ちゃん。遺産相続の話って、どうなったの?」

 姉は毅然とした態度で言った。

「ああ、あの話ね。親子関係認められなかったから、貰えなかったよ」

「…お姉ちゃんだけ?」

「何言ってんの、あなたも私もよ。母さん、私を産む前に流産した事あるって言ってたでしょ?
多分その時の子が、ご主人との子供だったんだろうね」

 姉は玖美子に嘘をついた。

(お金が惜しい訳じゃないけど、何でお姉ちゃんは嘘を言うの?もしかして、お姉ちゃんと私は異父兄弟だった?)

 確かめる術は、玖美子には無かった。



 ある日、窓の外が何やら騒がしい。動けない玖美子は姉に尋ねた。

「ああ、道路の拡張工事してるのよ」

「…そうなんだ。ねえ、トラックの急発進したりブレーキかける音、するでしょ? あれ聞くと、ひき逃げの事思い出して、寝てても起きちゃうんだよね」

 その言葉に、姉は玖美子の足の爪を切るのを止める。

「トラックでしょ? 何で?」

「だって私、急にバックしてきたトラックに轢かれたのよ?」

「…アメリカ車じゃなく?」

 姉の言葉に、玖美子は首を振った(厳密には動いてないが)。

「ううん、工事現場でよく見るトラックよ。荷台に砂利とか載せるやつ」

 姉は何かを考える様な難しい表情をして、押し黙った。


(何で『アメリカ車』なんだろう)

 夕食の買い物に姉が出かけてからも、腑に落ちない玖美子は、ずっと考えていた。

 玖美子を轢いた犯人はまだ捕まっていない。捕まったところで、玖美子の身体が元に戻る訳じゃないのは、よく分かっている。

(もし、警察が犯人の車を勘違いしているとしたら、正しい話をするべきなのか)


 いつしか眠りに落ちた玖美子は、寝苦しさで目を覚ました。

「あっつい…。何?」

 目の前は白い煙が充満していた。

「え?! 何これ? 何なの?」

 激しく咳き込んだ玖美子の背が凍る。布団が、燃えていた。

「ゲホッ!! お姉ちゃ…! ゴホッゴホッ!!!」

 顔が熱い。身体は、身体は一体どうなっているのか。動きたくても、動けない。感覚が、無い。

「がはっ…。お姉ちゃん! あああ!!」

 白い煙の向こう、玖美子の足元に人の気配がする。

「ねえ! ちょっと…! ゴホッゴホッ! お、ねえちゃん…!!」

 何者かは、部屋の外に移動した。

「待って…! 助けてよ!」


 願い虚しく、近藤玖美子はストーブの炎が布団に引火して発生した火災により、21年の短い生涯を終えた。


(お姉ちゃん、見てたよね?どうして助けてくれなかったの?)

 自宅は半焼し、大家の意向で取り壊され更地になった。

(お姉ちゃん、私に何を隠していたの?)

 更地に、玖美子だけが取り残されていた。だが、玖美子の姿は誰にも見えなかった。

(なぜ、私を無視したの?私、動けないの知ってたでしょ?)


 気が付くと玖美子は、自由に動けるようになっていた。
 動かなかった重い身体は無くなり、軽快な身体と、全てを恨む事で強くなる『力』を手に入れていた。


[私、どうしたのだろう。まるで生まれ変わったみたい]


 そして、『戦後最悪の悪霊』と恐れられた彼女が誕生したのだった。

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