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プロローグ

井口透2

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 『ふざけんなよ。どいつもこいつも。』と心の中で叫び、窓を大きな音を立てて閉めると、ピタリと喘ぎ声が止まるが壁に耳を当てると微かにベッドのスプリング音が聞こえた。
今まで気がつかなかった、いや、俺が気がつかなかっただけでこのマンションで暮らす人たちの男女は皆セックスをしているのだ。別にそれは食事と睡眠と同じくらい大切なことであるし、窓全開で思い切り喘ぐような迷惑行為をして来たわけではないので、俺の先ほどの窓の閉め方は大人気なかったと自覚はあるけれど、その人に聞かれてしまったということで再度、男女の興奮に火をつけてしまったのであるのならそれは余計に腹立たしいのだ。

 何故なら、俺は勝手に逆プロポーズをして来た彼女を泣かせてしまったを謝り、ご機嫌を取らなければいけない。『結婚する』という選択肢しか笑顔にできないという超無理難題に、結婚をしない方向で彼女を笑顔にする方法を考えているのに何も方法が見つからない。
 そして、馬鹿みたいに俺の息子は先ほどの女の喘ぎ声で元気になっていた。七海のお風呂は長いことが救いだった。虚しくもその女の声が脳内に録音されているようで、早急に俺は果てた。

 喧嘩中に、顔も知らない女で抜いていたという事実を知ったら七海はどう思うだろう。
 その日は、一言も交わすことなく朝がきて、各々仕事へと向かって行った。
 30歳にもなると、仕事への責任がより一層重くなる。役職を与えられて上と下から板挟み。
気を抜く時間もないまま1日が終わっていく。そうして七海の待つ家に帰る。これを誰しも平凡で当たり前で幸せだというのだろう。だけれど、それがどこか物足りない。今まで浮気願望などなかったし、七海が浮気をするのは考えられない。

 それでもと七海の好きなお菓子を買って、帰宅後のセリフを頭の中で練習する。自宅のマンションが見えてくると、一度大きくため息をついた。
 気を取り直し、歩き出すと目の前の綺麗な黒髪に目が止まる。白いフリルのトップスの裾を、タイトなスカートの中に入れている。『これは腰が細い人じゃないとできない』とかつて七海が言っていたのを思い出す。タイトスカートからはほっそりとした筋肉のない白い脚が伸びている。

『これ振り返ってブスだったら辛いわ』と心っで思ったのも束の間。
正面から歩いていた若い男が、「さくら・・・まだ帰ってなかったのかよ。鍵開いてなかった。」

「ごめん、ごめん・・・バイト長引いちゃって」とかわいらしい声がした。

『さくら』という名前に聞き覚えがあり、昨日の情景が鮮明に浮かぶ。
 当然のように、その男は彼女の細い腰を抱き寄せる。俺たち通行人の目など気にしない。
先を歩く二人に追いつかぬようにペースを落として歩くと、彼女が「ごめん、コンビニよってもいい?」とその男に問う。

 彼らは、コンビニの方に歩き出して行くとしっかりと彼女の横顔を拝むことができた。ぱっちり二重の長いまつげに、小さくて高い鼻と赤くて小さな唇。まるで人形のようで、どこかの事務所に所属しているのではないかと思うほど。コンビニでも絶えず手を繋ぐその男の優越感に溢れた顔が腹立たしい。

 昨夜、彼女の喘ぎ声で抜いたということは実際に彼女とセックスをする男よりも俺は下の立場であるということも気に食わない。

 家に帰りムシャクシャした気持ちを抑えられなかった。先ほどみた彼女とは裏腹にオーバーサイズのくたびれたTシャツとちょんまげ姿の七海に欲情はしなかった。だけれどこのどこにも当てようのない性欲を沈めるにはこうするしかなく俺は七海を抱き寄せる。 

 彼女はとても驚いている様子だった。脳裏に浮かぶ彼女を姿を思い浮かべればきっとうまくいく。

 しかし、肝心な時に俺の息子は機能しなかった。

 「無理しなくていいよ。」結局また七海を泣かせてしまう。
  セックスレスは、七海がめんどくさがっていることだけが理由ではない。俺自身にも問題があった。
 「これじゃあ、結局子供も作れないね。」
 「大丈夫、体外受精とかあるし。」作り笑顔で言った七海の目には涙が浮かぶ。

 「ごめん・・・やっぱり無理だ。俺は七海と結婚できない。」
 
 「分かった。うん・・・じゃあ私実家に帰ろうかあ・・・そうするよ・・・明日には荷物まとめるし・・・」

 あそこまで結婚に執着していた七海は意外にもあっさりと返答をした。俺は最低な男だと思う。ここまで長く付き合っておいて、同棲もしているのにこんな自分勝手な振り方をしてしまうのだから。『貴重な20代を返して』と普通は言われてしまうだろう。それぐらいに俺たちは20代のほとんどを一緒に過ごしていた。何も変化もなく淡々と。

 裸のまま寝そべったベッドで耳をすませば、またベッドのスプリング音が遠くで聞こえる。
俺は、服を着て静かに窓を開けてベランダに出て耳を澄ます。
 やはり、先ほどの男女は最中のようであの女の可愛い喘ぎ声が聞こえて頭がおかしくなる。俺の心の中は、初めてアダルトビデオをみた時のような罪悪感とワクワクした気持ちで騒ついた。

 思えば俺の恋愛スタイルは『来る物拒まず、去るもの追わず』でその時々のノリで女の子と付き合って来た。だから、1週間長くて1年ぐらいしか同じ人と付き合うことができなかった。
 何故、七海とここまで長く付き合ったのかと分析をすれば『多忙』以外に答えはない。学生時代のように年中遊びとセックスのことしか考えていない呑気な毎日は社会人には訪れない。心も体も疲れ切ったところに『恋愛』が入り込む余地はなく。家と職場の往復だけでは、交友関係が広がることもない。出会いなどは皆無だ。
 だから、俺は立ち止まって考えることもせずに七海と過ごして来た。もう彼女に恋愛感情もときめきも感じぬまま同居人として。




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