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探偵たちに逃げ場はない

探偵たちに逃げ場はない 第4話

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ピアニスト控室は、悲しみに沈んでいた。それだけで部屋の白い壁がグレーに見えるほどだった。
生き残った二人のピアニストが、顔を覆ってさめざめと涙している。理人が一歩だけ前に踏み出し、胸に手を当てて頭を下げた。
「大変な時に、面会の機会をいただきありがとうございます。橘理人と申します」
「海老原水樹です」
水樹も理人に倣って挨拶をする。すると、真っ赤なドレスの女性が、首を傾げる。
「水樹君、私のこと、本当に覚えてないの?」
「覚えてないの? と言われましても……」
その女性に小さな溜息を吐かれて困惑し、眉間に皺を寄せる。その雰囲気を打破するように元気よく、陽希が名乗る。
「光岡陽希です! 俺たち『探偵社アネモネ』の職員で、だから、今回の藤森友香理さんの事件を解決しようと思ってます。捜査に協力お願いします!」
「捜査に協力と言っても、私たちにだって、何も分からないわ」
先から水樹に謎の言葉をかけている巻き髪の女性が、腕組みし、溜息の後、口を開いた。
「一先ず名乗っておくわね。私は、ナディア・ガルシア。友香理とは長年一緒にやってきた」
すると、椅子に座ったまま背中を丸めていた、緑色のドレスの女性が、こちらをやっと向いて、こうつぶやいた。
「ゾーイ・ハッサンです。ナディアほどではないけれど、私も何年か友香理と世界中のツアーを回っていました。最近は、ナディアも含めて三人で頻繁に仕事があって」
二人のピアニストに座ってもらって、水樹たち三人の探偵が立った状態になったところで、話を再開する。理人が首を傾げた。
「皆さんは、どのような経緯で、今のようなピアニストチームをお作りになったのか、参考にお伺いしても?」
 ゾーイが小さく頷く。美しいボブがさらりと前後に揺れた。
「元々は、ナディアと友香理が友達で、私は後から加わりました」
「ええ、私と友香理は、高校時代からの友人だったから」
とげとげしい声でナディアは言う。水樹は身を僅かに竦めた。何故か、ナディアから向けられる視線がずっと痛い。
「高校時代と言っても、同じ学校だった訳じゃなくて、当時、あった演奏者の合宿みたいなもので出会って。私たちは其処で切磋琢磨する仲間になった。其処からずっと一緒だったわ、同じものを取り合いつつも、そういう関係性だからこそ分かる苦労だってあった」
「なるほど、そのような友人関係は実に美しく、私などは憧れてしまいますが、今回、悲しみは深いものでしょうね。最近、何か藤森さんに変わったところなどは、ありませんでしたでしょうか」
理人はナディアの、感情的にぶつけられる言葉を優しく受け止め、一方で臆するでもなく的確に質問を出していく。オーボエのような声が、暗い空気も荒れた空気も、否が応でも落ち着かせるようですらある。理人は、探偵として仕事の出来る男だ。そして、その腕は更に今回、上がっているようにも見えた。以前のルイ・ナカムラの事件で吹っ切れたお陰だろうか。
 水樹の心だけ、友香理やナディアの言葉の意味が分からず、くすぶっている。
「変わったところと言えば……」
ナディアがテーブルに寄って来て、水樹の前に右手を突いた。
「この船で、水樹君を見つけてから、ずっとおかしかったわ。それはそうよね、あんなことがあったんだから」
理人が、涼しげな目を見開いて、水樹を見る。
「水樹は罪な男ですね? あんなに美しい女性を惑わせた過去でもあるのですか」
「そんなわけないじゃないですか」
その理人の煽りはあくまで、冗談と分かるようなものだったので水樹も軽く応じたが、しかしナディアが腕組みをして見下ろしてきたのでギクッとする。
「まぁそう。その調子では、そういうことになるんじゃないかしら」
水樹は唖然としてナディアを見上げたが、ナディアはもう、つん、とそっぽを向き、口を利いてもくれなかった。
その後、陽希がゾーイから、熱心に話を聞き出してくれていたが、水樹はずっと上の空だった。
***
豪華客船の客室から覗くと、雨粒が海面を波立たせている。外のデッキに出た乗客たちは、廊下をすれ違った時に見た限り、船酔い気味のようで顔色が悪い。豪華な食事やダンスショーを楽しめるはずが、爆弾の騒ぎでほとんど船内を移動できず、暇を持て余していそうだ。窓を開ければ風雨が吹き込み、室内は浸水の恐れもあるという。
そんな閉鎖的になった船内の理人の客室で、水樹と陽希も揃って、一度今回の爆破事件についてまとめることにした。
「出歩けないって言っても、俺は客室だけで充分だな。貧乏暮らしも長かったし、此の客室だけで、家より広いや」
そう、広々とした室内は、金色に輝く調度品や美しい絵画で飾られている。天井からは豪華なシャンデリアが吊り下げられ、床に敷かれた絨毯も柔らかく足を包み込む。窓際には革張りの椅子と小さな机が置かれており、模様はどれも高級感に溢れている。壁には海が描かれた絵画が飾られ、窓の外には船上の風景が広がる。壁には大型のスクリーンがあり、映画鑑賞を楽しむことができるだろう。ドアにある窓は非常に小さく、プライベートが守られている。水樹の部屋は黒が基調だったが、同じような作りであった。
 理人は腰を屈め、グレーの旅行鞄から小さいホワイトボードを取り出し、其処に字を書いた。

事件の概要
・爆発が起きたのはピアノコンサートの時、友香理の演奏中
・今回の爆発による死者は友香理のみ。大けがをした人はなし(ほか、軽傷者は複数)
・ピアノコンサートの曲順はナディア、友香理、ゾーイの順
・担当した曲は、ナディアが「ハノン練習曲第一番」、友香理が「死の舞踏」、ゾーイが「子供と魔法」(ゾーイは実際には演奏していない)
・爆発の直前に爆弾を仕掛けたのなら、ナディアが先に弾いている時点で、爆発しているはずでは?
・ナディアがステージに上がってから爆発物を仕掛ける暇がなかったことは、多くの人が見て証明している
・あの爆弾が事前に仕掛けられていたなら、友香理を狙ったわけではなく、無差別
・友香理だけを狙ったならば、時限爆弾か
・旅行は中止になるが、嵐や手続きの都合があるため、数日後に停泊する
友香理の人柄(ナディア談)
・友香理は音楽とは関係の薄い家庭に生まれ、小学校、中学校、高校もやはり音楽に明るくない学校を卒業しているため、ピアニストの業界では異色の経歴であり、苦労も多かった。
・友香理とナディアは十六歳の頃、ピアノの合宿で知り合った。
・生真面目で純粋な性格。
・かつての恋愛で悩んでいた。

理人は几帳面な、ぴっちり平行に並んだ字で書き終えた後に、顎を撫でながら考えている。
「いくら時限装置といえども、ピアノのコンサート自体が秒単位でぴったり進行するものではありませんから、そう考えると犯人が狙っていたのがナディアさんである可能性も否定できませんね。どう思いますか? 水樹」
しかし、水樹はじっと、テーブルの縁の金の装飾を見て動かなかったため、理人が顔を覗き込んで来た。
「水樹?」
「嗚呼、はい。すみません。ぼんやりしていて」
「お疲れなのですか? 先ほどは、陽希に『白昼夢を見た』と仰っていたでしょう」
「聞いていたのですか。相変わらず耳ざといやつですね」
「少しおやすみになった方が。其処のベッドをお貸ししますよ」
「いえ、眠くはありません」
「ならば、ナディアさんが仰ったことを気にしていると?」
水樹は目を閉じ、ゆるゆると首を左右に振った。それから小さく笑みを浮かべ、眉を下げて理人を見上げて、「理人は探偵の才能がありますね」とつぶやいた。
恐らく、首を振ることで否定しつつも理人の発言が全体的に当たっていたのと、それが余りにも弱っている表情に見えたので、理人は水樹を覗き込んだまま、その手にそっと触れ、握り自分の顔に寄せた。
「水樹は、ナディアさん……いえ、友香理さんと何があったのです? 何でも相談してください。ね。私は水樹の力になりたいです」
 理人の指先はほんの少し震えていた。興味本位で問うているのではない、秘密を暴いてしまうことの罪深さや、恐ろしさを、理人はよく知っている。そしてまたその秘密が、自分のトラウマを踏み抜く可能性に、先読みの出来る彼は怯えているのだ。決死の覚悟が必要であり、それすら踏まえてでも水樹の役に立ちたいことが伝わる手だった。
 陽希も様々なものが心配らしく、少し離れたところで椅子に座って、眉をハの字にして見守っている。シャムネコが耳を平らにしている顔にも見えた。
「――思い出せないのです」
水樹は、俯き、睫毛で頬に影を作りながら呟く。そして、こう微笑み顔を作って、言葉を続けた。
「思い出せない方が良いこともありますしね。さぁ、もう一度、爆発があった現場に行ってみましょう。警備の方を誤魔化すのに、陽希、警備員の服を用意してありましたよね? 陽希の部屋にあったはずだ。三人分、持ってきてください」
水樹が立ち上がると、理人は慌てて杖を手に取り、差し出してきた。
「水樹は此処で待機していてください。杖を突いている警備員は目立ちすぎる」
「……嗚呼、そうでしたね」
魂の抜けたような水樹の返答に、理人は心底、驚いたように、それから千切れそうな顔になって、陽希と部屋を後にした。
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