氷の公爵様と身代わりパティシエ~「味覚なし」の旦那様が、僕のお菓子でトロトロに溶かされています!?~

水凪しおん

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第6話「雪庭の散歩と温かな腕」

 リウがお菓子作りを始めてから、城の雰囲気は少しずつ変わり始めていた。

 常にピリピリと張り詰めていた冷たい空気が、どことなく緩んでいるのだ。

 それは主であるジークハルトの機嫌が良くなったからであり、その原因がリウにあることは、誰の目にも明らかだった。

 使用人たちのリウを見る目も変わった。

 最初は「役立たずの身代わり花嫁」と蔑んでいた者たちも、主人が彼を大切に扱っているのを見て、態度を改めざるを得なくなったのだ。

 それに、厨房から漂ってくる甘い香りは、働いている彼らの心まで癒やす効果があったのかもしれない。

 ある晴れた午後。

 リウはブランと共に、城の中庭に出ていた。

 数日前までは吹雪で近づくことさえできなかったが、今日は風も止み、太陽の光が雪原に反射してキラキラと輝いている。

「わぁ……綺麗だね、ブラン」

 リウは新しいコートを着て、雪の上を歩いた。

 男爵家では雪かきをさせられるだけの嫌なものだった雪が、ここでは美しく見える。

 ブランは楽しそうに雪の中を駆け回り、全身雪まみれになってはリウに飛びついてくる。

「こら、冷たいよ!」

 リウは笑いながらブランを受け止める。

 こんな風に笑える日が来るなんて、思ってもみなかった。

 お腹はいっぱいで、温かい服があって、可愛い相棒がいる。

 そして何より、自分を必要としてくれる人がいる。

(旦那様、今日も夕食後に来てくれるかな)

 ジークハルトのことを考えると、自然と胸が温かくなる。

 最初は怖かったけれど、彼は不器用なだけで、本当は優しい人なのだと気づき始めていた。

 お菓子を食べる時、少しだけ子供のように無防備になる顔を見るのが、リウの密かな楽しみになっていた。

「きゃっ!?」

 考え事をしていたせいだろうか。

 雪の下に隠れていた石畳の段差に足を取られ、リウは体勢を崩した。

 ふかふかの雪の上とはいえ、転べば濡れてしまう。

 リウはギュッと目をつぶった。

 しかし、予想していた衝撃は訪れなかった。

 代わりに感じたのは、力強い腕の感触と、独特の澄んだ香り。

 冬の朝のような冷涼さと、微かなムスクの香り。アルファ特有の、圧倒的な存在感。

「……何をしている」

 頭上から降ってきた声に、リウは恐る恐る目を開けた。

 そこには、至近距離にジークハルトの顔があった。

 彼はリウの腰を片腕で抱き留め、転倒を防いでくれたのだ。

「あ、旦那様! す、すみません、ぼーっとしていて……」

 リウは慌てて離れようとしたが、ジークハルトの腕は離れなかった。

 むしろ、引き寄せられるように体が密着する。

 厚いコート越しでも伝わってくる、ジークハルトの体温。そして、ドクドクと力強い心臓の音。

「……軽いな」

 ジークハルトはつぶやいた。

 腕の中のリウは、あまりにも華奢だった。少し力を入れれば折れてしまいそうだ。

 もっと食べさせて、太らせなければならない。

 そんな保護欲にも似た感情が湧き上がる。

「ちゃんと食べているのか?」

「は、はい! シェフが美味しいご飯を作ってくれるので、毎日お腹いっぱいです」

「ならいい。……だが、こんな薄着で外に出るな。風邪を引く」

「あ、いえ、これでも十分暖かいですよ?」

 リウは上等のコートを見せたが、ジークハルトは納得がいかない様子で眉をひそめた。

 そして、自分が羽織っていた毛皮のマントを脱ぐと、バサリとリウの肩にかけた。

「えっ、旦那様? これじゃ旦那様が寒いです!」

「私は平気だ。氷の魔力を持っているからな」

 ジークハルトのマントは、リウには大きすぎて、まるで布団を被っているようだった。

 けれど、そこにはジークハルトの体温と香りが残っていて、リウの顔を熱くさせた。

「あ、ありがとうございます……」

 マントに包まり、上目遣いで礼を言うリウ。

 雪のような白い肌に、寒さと恥ずかしさで赤く染まった頬。琥珀色の瞳が、潤んで揺れている。

 その姿を見た瞬間、ジークハルトの中に走った衝動は、甘いお菓子を食べた時のそれよりも強烈だった。

『可愛い』

 その単語が脳裏をよぎり、ジークハルトは自身に驚愕した。

 今まで誰に対しても抱いたことのない感情。

 守りたい、触れたい、閉じ込めたい。

 オメガバースにおける「運命の番(つがい)」という概念を、彼は迷信だと思っていた。

 だが、今、自分の腕の中にいるこの小さな存在に対して感じるこの渇きは、一体何だというのか。

「きゅん!」

 二人の間に割って入るように、ブランが飛びついてきた。

 我に返ったジークハルトは、咳払いをしてリウから体を離した。

「……戻るぞ。体が冷える」

「はい!」

 ジークハルトは背を向けて歩き出したが、その歩調はリウに合わせてゆっくりとしたものだった。

 リウはマントをしっかりと握りしめ、彼の大きな背中を追った。

 雪道に残る二人の足跡と、小さな聖獣の足跡。

 それがどこまでも続いていくような、そんな幸せな予感がしていた。

 しかし、その幸せな時間は、突如として揺らぐことになる。

 翌日、王都から一通の手紙が届いたのだ。

 差出人は、リウの実家であるアシュト男爵家。そしてその内容は、リウの平穏を脅かすものだった。

『ミハイルが病に伏せったため、リウが作った特効薬となる菓子をすぐに送れ』

 自分たちで捨てておきながら、都合よく利用しようとする身勝手な要求。

 その手紙を見たジークハルトの瞳が、再び絶対零度の冷たさを帯びたのを、リウはまだ知らなかった。

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