氷の公爵様と身代わりパティシエ~「味覚なし」の旦那様が、僕のお菓子でトロトロに溶かされています!?~

水凪しおん

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第8話「林檎のタルトと氷解する心」

 それから数日後。

 リウは厨房で、大量の林檎と格闘していた。

 北の領地では果物は貴重だが、ジークハルトの命令で南から取り寄せられた最高級の林檎が木箱いっぱいに届いたのだ。

 赤く艶やかな林檎は、見ているだけで心が躍る。

「今日は、特別なタルトを作ろうね、ブラン」

 調理台の上で大人しく座っているブランに話しかけながら、リウは林檎の皮をむき始めた。

 今日作るのは「タルト・タタン」。

 かつて、失敗から生まれたと言われるこのお菓子は、林檎をキャラメリゼして型に敷き詰め、その上から生地を被せて焼いてからひっくり返すという、少し変わった製法で作られる。

 鍋にたっぷりの砂糖とバターを入れ、火にかける。

 砂糖が溶け、フツフツと泡立ち、やがて黄金色から褐色へと変わっていく。

 香ばしい、焦がしキャラメルの香り。

 そこに大きく切った林檎を投入する。

 ジュワーッ! という激しい音と共に、甘酸っぱい蒸気が立ち上る。

 リウは丁寧に林檎をソテーしていく。林檎の水分を飛ばし、キャラメルの旨味を中まで染み込ませるのだ。

 手間のかかる作業だが、リウにとっては至福の時間だった。

 無心になれる。嫌なことも、不安なことも、すべて忘れて目の前の甘い魔法に没頭できる。

 アシュト男爵家での辛かった日々も、こうして煮詰めれば、いつか甘美な思い出に変わるだろうか。

 そんなことを思いながら、リウは鍋を揺する。

 一方、ジークハルトは執務の合間を縫って、専属の医師と宮廷魔導師を招いていた。

 目的は、リウの能力の解析である。

「……間違いないでしょうな」

 老齢の魔導師が、水晶玉を覗き込みながら重々しく告げた。

 水晶玉には、厨房で働くリウの姿が映し出されている。彼の手元からは、金色の光の粒子が立ち上り、菓子へと吸い込まれているのが見えた。

「『祝福のパティシエ』……文献にしか残っていない、失われた天職《ギフト》です」

「やはりか」

 ジークハルトは腕を組み、満足げに頷いた。

 魔力を持たない「無能」と判定されたのは、既存の測定方法が戦闘用魔力にしか対応していなかったからだ。

 リウの魔力は、創造と癒やしに特化している。

 素材の生命力を引き出し、食べる者の魂を浄化する。それはある意味、どんな攻撃魔法よりも希少で尊い力だ。

「公爵閣下、この能力は国宝級です。王家に知られれば、間違いなく召し上げられるでしょう」

「……誰に渡すものか」

 ジークハルトの瞳が鋭く光った。

 王家だろうと、神だろうと、リウを奪おうとする者は許さない。

 彼はすでに、リウなしでは生きられない体になっていたのだから。

 その夜、夕食のデザートとしてタルト・タタンが供された。

 皿の上には、琥珀色に輝く林檎のタルト。

 ジークハルトはナイフを入れた。とろりと煮崩れた林檎と、サクサクのパイ生地。

 口に運ぶと、強烈な甘みとほろ苦さ、そして林檎の酸味が渾然一体となって舌の上で踊った。

「……見事だ」

 ジークハルトは感嘆のため息をもらした。

 食べるたびに、体の中の毒素が抜けていくようだ。

 そして、心の奥底で凍りついていた感情が、熱を持って暴れ出しそうになる。

「リウ」

「はい」

 給仕のために傍に控えていたリウを見上げ、ジークハルトは手招きした。

 リウが近づくと、彼はその手を引き、強引に自分の隣に座らせた。

「あーん、してみろ」

「えっ!?」

 リウは目を丸くした。

 公爵様が、あーん?

「嫌か?」

「い、嫌じゃないですけど……恥ずかしいです」

「誰も見ていない」

 セバスチャンたちは空気を読んで下がっている。

 ジークハルトはフォークに刺したタルトを、リウの口元へと運んだ。

 リウは顔を真っ赤にしながら、小さく口を開けてそれを受け入れた。

「ん……美味しい……」

 自分で作ったものだが、こうして食べさせてもらうと、味が違うような気がした。

 甘さが、胸の奥まで染みていく。

「リウ、お前は私の奇跡だ」

 ジークハルトは真剣な眼差しでそう言った。

 リウの唇の端についたキャラメルソースを、親指で拭い取り、それを自分の舌で舐め取る。

 その艶めかしい仕草に、リウの思考は停止した。

「だ、だんなさま……っ」

「その顔だ。……もっと私だけを見ろ。私だけの菓子を作れ。お前のすべてを、私が味わい尽くしてやる」

 それはプロポーズのようであり、独占欲の塊のような宣言だった。

 リウは熱に浮かされたように頷くしかなかった。

 外は吹雪。けれど、この部屋の中だけは、キャラメルよりも甘く、熱い空気に満たされていた。

 しかし、そんな二人の甘い時間を切り裂くように、城門から警鐘が鳴り響いたのは、翌日の朝のことだった。

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