3 / 24
第2話:謎の救いの手
ネオンが滲む夜の街を、幽鬼のように彷徨った。雨に打たれ続けた身体は芯から冷え切り、空腹で胃がキリキリと痛む。数時間前まで国民的アイドルだった男の成れの果てが、誰にも気づかれずに雑踏に紛れている。皮肉なものだ。
有り金は、財布に入っていた数万円だけ。ホテルに泊まる気力もなく、俺は結局、二十四時間営業のネットカフェの薄暗い個室に転がり込んだ。リクライニングシートを倒し、ブランケットを頭から被る。隣のブースから漏れるゲームの音、誰かの笑い声。そのすべてが、独りぼっちの俺を嘲笑っているように聞こえた。
眠ろうとしても、まぶたの裏にフラッシュと罵声が焼き付いて離れない。メンバーの冷たい瞳。ファンの憎悪に満ちた顔。何度も寝返りを打つうちに、夜が白み始めていた。
結局、一睡もできないまま朝を迎えた。
何かを食べなければ、と思ったが、食欲はまったく湧かない。ただ、熱っぽい身体を引きずって店を出る。雨は小降りになっていたが、空はまだ分厚い雲に覆われている。
どこへ行けばいい?
この先、どうすればいい?
答えなんて、どこにもなかった。ただ、当てもなく歩き続ける。ふらつく足取りで路地裏に入り込んだ時、壁に手をついて、その場に崩れ落ちそうになった。視界が白く霞んで、立っていることさえ困難になる。
もう、限界だ。
そう思った瞬間、目の前に一人の男が立っていた。
黒いキャップに、黒いマスク。フードを目深に被っていて、顔はほとんど見えない。百八十センチは優に超える長身。ただ、そこにいるだけで空気が張り詰めるような、尋常じゃない存在感を放っていた。
(……マスコミか?)
咄嗟に身構える。もう、何も話すことなんてない。だが、男はカメラもマイクも持っていなかった。ただ静かに、俺を見下ろしている。
「……朝比奈湊、だな」
低く、落ち着いた声。どこかで聞いたことがあるような気もしたが、混乱した頭では思い出せない。
「……何の用ですか。もう、そっとしておいてください」
かろうじて絞り出した声は、自分でも驚くほど弱々しく掠れていた。
「あんたに危害を加えるつもりはない」
男は言った。
「ただ、安全な場所を提供したい」
「……は?」
意味がわからなかった。安全な場所? 見ず知らずの男が、スキャンダルまみれの元アイドルに? 怪しすぎる。何かの罠に決まっている。関わってはいけない。
そう頭では分かっているのに、身体が動かない。男の、フードの奥から覗く瞳が、俺を捕らえて離さない。静かなのに、有無を言わせない力強さがあった。
「俺を信じろとは言わない。だが、今の君に、他に選択肢があるか?」
その言葉は、冷たいナイフのように俺の胸に突き刺さった。
ない。選択肢なんて、どこにも。このまま路上で倒れるか、誰かに見つかってまた晒し者にされるか。その二つしか、今の俺には見えなかった。
男が、すっと手を差し出す。大きくて、骨張った、綺麗な手だった。
警戒心と、わずかな好奇心。そして、どうしようもないほどの疲労感。それらがごちゃ混ぜになったまま、俺はまるで操り人形のように、その手を取っていた。
男の手に触れた瞬間、温かい体温が伝わってきて、なぜだか泣きそうになった。この数日間、誰の温もりにも触れていなかったからだろうか。
男は俺の手を強く握ると、何も言わずに歩き出した。俺は、その力強い引力に引きずられるように、ふらふらと後をついていった。
有り金は、財布に入っていた数万円だけ。ホテルに泊まる気力もなく、俺は結局、二十四時間営業のネットカフェの薄暗い個室に転がり込んだ。リクライニングシートを倒し、ブランケットを頭から被る。隣のブースから漏れるゲームの音、誰かの笑い声。そのすべてが、独りぼっちの俺を嘲笑っているように聞こえた。
眠ろうとしても、まぶたの裏にフラッシュと罵声が焼き付いて離れない。メンバーの冷たい瞳。ファンの憎悪に満ちた顔。何度も寝返りを打つうちに、夜が白み始めていた。
結局、一睡もできないまま朝を迎えた。
何かを食べなければ、と思ったが、食欲はまったく湧かない。ただ、熱っぽい身体を引きずって店を出る。雨は小降りになっていたが、空はまだ分厚い雲に覆われている。
どこへ行けばいい?
この先、どうすればいい?
答えなんて、どこにもなかった。ただ、当てもなく歩き続ける。ふらつく足取りで路地裏に入り込んだ時、壁に手をついて、その場に崩れ落ちそうになった。視界が白く霞んで、立っていることさえ困難になる。
もう、限界だ。
そう思った瞬間、目の前に一人の男が立っていた。
黒いキャップに、黒いマスク。フードを目深に被っていて、顔はほとんど見えない。百八十センチは優に超える長身。ただ、そこにいるだけで空気が張り詰めるような、尋常じゃない存在感を放っていた。
(……マスコミか?)
咄嗟に身構える。もう、何も話すことなんてない。だが、男はカメラもマイクも持っていなかった。ただ静かに、俺を見下ろしている。
「……朝比奈湊、だな」
低く、落ち着いた声。どこかで聞いたことがあるような気もしたが、混乱した頭では思い出せない。
「……何の用ですか。もう、そっとしておいてください」
かろうじて絞り出した声は、自分でも驚くほど弱々しく掠れていた。
「あんたに危害を加えるつもりはない」
男は言った。
「ただ、安全な場所を提供したい」
「……は?」
意味がわからなかった。安全な場所? 見ず知らずの男が、スキャンダルまみれの元アイドルに? 怪しすぎる。何かの罠に決まっている。関わってはいけない。
そう頭では分かっているのに、身体が動かない。男の、フードの奥から覗く瞳が、俺を捕らえて離さない。静かなのに、有無を言わせない力強さがあった。
「俺を信じろとは言わない。だが、今の君に、他に選択肢があるか?」
その言葉は、冷たいナイフのように俺の胸に突き刺さった。
ない。選択肢なんて、どこにも。このまま路上で倒れるか、誰かに見つかってまた晒し者にされるか。その二つしか、今の俺には見えなかった。
男が、すっと手を差し出す。大きくて、骨張った、綺麗な手だった。
警戒心と、わずかな好奇心。そして、どうしようもないほどの疲労感。それらがごちゃ混ぜになったまま、俺はまるで操り人形のように、その手を取っていた。
男の手に触れた瞬間、温かい体温が伝わってきて、なぜだか泣きそうになった。この数日間、誰の温もりにも触れていなかったからだろうか。
男は俺の手を強く握ると、何も言わずに歩き出した。俺は、その力強い引力に引きずられるように、ふらふらと後をついていった。
あなたにおすすめの小説
忘れた名前の庭で
千葉琴音
BL
【凍てついた記憶を溶かすのは、不器用な守護者の体温】
「俺のことはルーカスでいい」
目覚めると、僕は自分の名前すら忘れていた。 唯一の肉親である兄・テオドールの死と同時に失われた記憶。無愛想な兄の友人ルーカスと共にゆっくりと兄の足跡を辿っていく。
厳格で甘いものが嫌いだった亡き兄・テオドール。彼が密かに弟のために植物図鑑を読み、内緒で菓子を買い与えていたという、口にされることのなかった真実。
ルーカスの語る「かつての自分」と、今の自分が少しずつ重なっていく中、アルノは因縁の魔獣の住む森へと足を踏み入れる。そこで彼が思い出したのは、独りで耐える術ではなく、誰かに抱きしめられて「息をする」方法だった。 孤独な少年と、彼を見守り続けた騎士。二人が雪解けの庭で見つける、新しい絆の物語。
契約書はよく読めとあれほど!
RNR
BL
異世界で目が覚めた、就職浪人中の美容系男子、優馬。
最初に出会った美しい貴族青年は、言葉が通じないが親切に手を差し伸べてくれた。
彼の屋敷に招かれた際、文字は読めないもののなにかの書類にサインをすると、その彼と結婚したことになっていて……。
この世界で何をする? また無職生活? 本当にそれでいい? 葛藤する日々と、それを惜しみない愛情で支える夫。
理想の自分と、理想の幸せを探す物語。
23話+続編2話+番外編2話
バツイチ上司が、地味な僕を特別扱いしてくる
衣草 薫
BL
理性的でクールなバツイチ上司・桐原恒一は、過去の失敗から、もう誰も必要としないと決めて生きてきた。
男が好きだという事実を隠し、「期待しなければ傷つかない」と思い込んできた部下・葉山直。
すれ違いと誤解の果てに、直が職場を去ろうとしたとき、恒一は初めて“追いかける”ことを選ぶ。
選ばれないと信じてきた直と、逃げないと決めた恒一。
二人の距離が近づくことで、直は「ここにいていい」と思える場所を見つけていく。
元ノンケ上司×自己肯定感低め部下の社会人BL。※ハッピーエンド保証。
脳筋剣士と鈍感薬師 ~騎士様、こいつです~
季エス
BL
「ルカーシュは、駄目よ」
その時胸に到来した思いは安堵であり、寂しさでもあった。
ルカーシュは薬師だ。幼馴染と共に、魔王を倒すために村を出た。彼は剣士だった。薬師のルカーシュは足手纏いだった。途中で仲間が増えたが、それでも足手纏いである事に変わりはなかった。そうしてついに、追い出される日が来たのだ。
ルカーシュはそっと、瞼を伏せた。
明日、明日になったら、笑おう。そして、礼と別れを言うのだ。
だから、今だけは、泣いてもいいかな。
異世界オークションで売られた俺、落札したのは昔助けた狼でした
うんとこどっこいしょ
BL
異世界の闇オークションで商品として目覚めた青年・アキラ。
獣人族たちに値踏みされ、競りにかけられる恐怖の中、彼を千枚の金貨で落札したのは、銀灰色の髪を持つ狼の獣人・ロウだった。
怯えるアキラに、ロウは思いがけない言葉を告げる。
「やっと会えた。お前は俺の命の恩人だ」
戸惑うアキラの脳裏に蘇るのは、かつて雨の日に助けた一匹の子狼との記憶。
獣人世界を舞台に、命の恩人であるアキラと、一途に想い続けた狼獣人が紡ぐ、執着と溺愛の異世界BLロマンス。
第一章 完結
第二章 完結
第三章 完結
転生DKは、オーガさんのお気に入り~姉の婚約者に嫁ぐことになったんだが、こんなに溺愛されるとは聞いてない!~
トモモト ヨシユキ
BL
魔物の国との和議の証に結ばれた公爵家同士の婚約。だが、婚約することになった姉が拒んだため6男のシャル(俺)が代わりに婚約することになった。
突然、オーガ(鬼)の嫁になることがきまった俺は、ショックで前世を思い出す。
有名進学校に通うDKだった俺は、前世の知識と根性で自分の身を守るための剣と魔法の鍛練を始める。
約束の10年後。
俺は、人類最強の魔法剣士になっていた。
どこからでもかかってこいや!
と思っていたら、婚約者のオーガ公爵は、全くの塩対応で。
そんなある日、魔王国のバーティーで絡んできた魔物を俺は、こてんぱんにのしてやったんだが、それ以来、旦那様の様子が変?
急に花とか贈ってきたり、デートに誘われたり。
慣れない溺愛にこっちまで調子が狂うし!
このまま、俺は、絆されてしまうのか!?
カイタ、エブリスタにも掲載しています。
【完結】巷で噂の国宝級イケメンの辺境伯は冷徹なので、まっっったくモテませんが、この度婚約者ができました。
明太子
BL
オーディスは国宝級イケメンであるにも関わらず、冷徹な性格のせいで婚約破棄されてばかり。
新たな婚約者を探していたところ、パーティーで給仕をしていた貧乏貴族の次男セシルと出会い、一目惚れしてしまう。
しかし、恋愛偏差値がほぼ0のオーディスのアプローチは空回りするわ、前婚約者のフランチェスカの邪魔が入るわとセシルとの距離は縮まったり遠ざかったり…?
冷徹だったはずなのに溺愛まっしぐらのオーディスと元気だけどおっちょこちょいなセシルのドタバタラブコメです。
完結·氷の侯爵はおっさん騎士を溺愛したい〜枯れおじの呪いを解くには恋が必要らしいです~
禅
BL
少年だったルイを庇って呪いを受けた騎士ディオン。
それから年月が経ち、ルイは青年に、ディオンはおっさん騎士になっていた。
魔法を使うと呪いが進むディオン。その呪いを解呪しようと試行錯誤なルイ。
そんなとき、ひょんなことから恋をすれば呪いが解けるのでは、となりルイがディオンに恋をさせようと様々な奇行を始める。
二人は呪いを解くことができるのか、そして二人の関係は――――――
※完結まで毎日投稿します
※小説家になろう、Nolaノベルにも投稿しています