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第10話:仕組まれた偶然
あの日以来、俺は憑かれたようにピアノに向かった。
海翔は、俺が作曲に集中できるよう、最大限の配慮をしてくれた。食事の時間以外は話しかけず、仕事部屋で静かに自分の作業に没頭している。でも、俺がメロディに行き詰まってため息をつくと、何も言わずに温かいコーヒーを淹れてくれる。そのさりげない優しさが、凝り固まった頭と心を解きほぐしてくれた。
数日後、俺は一曲のデモを完成させた。タイトルはまだない。ただ、あの夜に生まれたメロディを元に、絶望と、そこから見出す微かな希望をテーマにしたインストゥルメンタル曲だった。
「……できたんだ」
俺がヘッドホンを外すのを見て、海翔が静かに声をかけた。
「はい。一応……」
「聴かせてもらえるか」
「でも、まだデモの段階で……」
「構わない」
彼の真剣な眼差しに、俺は頷くしかなかった。ヘッドホンを彼に渡すと、海翔はソファに深く腰掛け、目を閉じてじっくりと曲に耳を傾け始めた。
心臓が、早鐘のように鳴っている。彼が、どう思うか。
数分間の沈黙が、永遠のように感じられた。
やがて、曲が終わり、海翔がゆっくりと目を開けた。彼はヘッドホンを外すと、俺の方を向き、ただ一言、こう言った。
「完璧だ」
その言葉には、何の誇張もなかった。
「湊。この曲を、俺に預けてくれないか」
「え……? どういう……」
「いいから」
彼はそれ以上説明せず、俺からデモデータを受け取ると、静かに自分の仕事部屋へと消えていった。
一体、何をするつもりなんだろう。
不安と期待が入り混じったまま、数日が過ぎた。
その間、海翔は何度か深刻な顔で電話をしているようだったが、俺には何も話してくれなかった。
そして、ある日のこと。
「湊。話がある」
仕事から帰ってきた海翔が、改まった口調で俺を呼んだ。
彼の前には、一通の封筒が置かれている。
「今、俺が準備している舞台がある。その演出家が、君の曲を聴きたいと言っている」
「……え?」
「正確に言うと、もう聴かせた」
海翔は、悪戯が成功した子供のような、珍しい顔で笑った。
「俺が主演する舞台の演出家に、『匿名の新人作曲家の曲』だと言って、君のデモを渡したんだ」
「なっ……! なんてことを……!」
「黙ってやったことは謝る。だが、結果を聞いてくれ」
海翔は、封筒を俺の前に押し出した。
「演出家の、篠原さんという人なんだが……君の曲に、惚れ込んだ。ぜひ、この曲を舞台のテーマ曲として使わせてほしい、と」
信じられない話だった。俺が作った曲が、舞台のテーマ曲に? 一ノ瀬海翔が主演する、大きな舞台の?
「篠原さんは、とにかくこの曲を作った人間に会いたいそうだ。『この曲には魂が宿っている』とまで言っていた」
海翔は、俺の目をまっすぐに見て言った。
「湊。篠原さんに、会いに行こう。これは、君が自分の力で掴んだチャンスだ」
仕組まれた偶然。
海翔が巧妙に仕掛けた、俺のための舞台。
でも、そのチャンスの扉をこじ開けたのは、紛れもなく俺自身の音楽だった。
その事実が、震えるほどの喜びとなって、俺の全身を駆け巡った。
「どうする?」
海翔が、静かに尋ねる。
答えは、決まっていた。
「……会います」
俺は、震える声で、けれどはっきりと答えた。
「その、篠原さんという人に……会いたいです」
それは、俺が再び世界と繋がるための、大きな、大きな一歩だった。
海翔は、俺が作曲に集中できるよう、最大限の配慮をしてくれた。食事の時間以外は話しかけず、仕事部屋で静かに自分の作業に没頭している。でも、俺がメロディに行き詰まってため息をつくと、何も言わずに温かいコーヒーを淹れてくれる。そのさりげない優しさが、凝り固まった頭と心を解きほぐしてくれた。
数日後、俺は一曲のデモを完成させた。タイトルはまだない。ただ、あの夜に生まれたメロディを元に、絶望と、そこから見出す微かな希望をテーマにしたインストゥルメンタル曲だった。
「……できたんだ」
俺がヘッドホンを外すのを見て、海翔が静かに声をかけた。
「はい。一応……」
「聴かせてもらえるか」
「でも、まだデモの段階で……」
「構わない」
彼の真剣な眼差しに、俺は頷くしかなかった。ヘッドホンを彼に渡すと、海翔はソファに深く腰掛け、目を閉じてじっくりと曲に耳を傾け始めた。
心臓が、早鐘のように鳴っている。彼が、どう思うか。
数分間の沈黙が、永遠のように感じられた。
やがて、曲が終わり、海翔がゆっくりと目を開けた。彼はヘッドホンを外すと、俺の方を向き、ただ一言、こう言った。
「完璧だ」
その言葉には、何の誇張もなかった。
「湊。この曲を、俺に預けてくれないか」
「え……? どういう……」
「いいから」
彼はそれ以上説明せず、俺からデモデータを受け取ると、静かに自分の仕事部屋へと消えていった。
一体、何をするつもりなんだろう。
不安と期待が入り混じったまま、数日が過ぎた。
その間、海翔は何度か深刻な顔で電話をしているようだったが、俺には何も話してくれなかった。
そして、ある日のこと。
「湊。話がある」
仕事から帰ってきた海翔が、改まった口調で俺を呼んだ。
彼の前には、一通の封筒が置かれている。
「今、俺が準備している舞台がある。その演出家が、君の曲を聴きたいと言っている」
「……え?」
「正確に言うと、もう聴かせた」
海翔は、悪戯が成功した子供のような、珍しい顔で笑った。
「俺が主演する舞台の演出家に、『匿名の新人作曲家の曲』だと言って、君のデモを渡したんだ」
「なっ……! なんてことを……!」
「黙ってやったことは謝る。だが、結果を聞いてくれ」
海翔は、封筒を俺の前に押し出した。
「演出家の、篠原さんという人なんだが……君の曲に、惚れ込んだ。ぜひ、この曲を舞台のテーマ曲として使わせてほしい、と」
信じられない話だった。俺が作った曲が、舞台のテーマ曲に? 一ノ瀬海翔が主演する、大きな舞台の?
「篠原さんは、とにかくこの曲を作った人間に会いたいそうだ。『この曲には魂が宿っている』とまで言っていた」
海翔は、俺の目をまっすぐに見て言った。
「湊。篠原さんに、会いに行こう。これは、君が自分の力で掴んだチャンスだ」
仕組まれた偶然。
海翔が巧妙に仕掛けた、俺のための舞台。
でも、そのチャンスの扉をこじ開けたのは、紛れもなく俺自身の音楽だった。
その事実が、震えるほどの喜びとなって、俺の全身を駆け巡った。
「どうする?」
海翔が、静かに尋ねる。
答えは、決まっていた。
「……会います」
俺は、震える声で、けれどはっきりと答えた。
「その、篠原さんという人に……会いたいです」
それは、俺が再び世界と繋がるための、大きな、大きな一歩だった。
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