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第2話「氷の城と不器用な優しさ」
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レオンハルトに連れられて辿り着いたのは、高くそびえる城壁に囲まれた堅牢な城だった。アイゼンヴァルト騎士団の本拠地であり、彼の居城でもある。
通された部屋は、僕が公爵邸で与えられていた物置同然の部屋とは比べ物にならないほど、広く清潔で、上品な調度品で整えられていた。
「今日からここがお前の部屋だ。必要なものがあれば、侍女に言え」
部屋に残されたのは、レオンハルトと僕の二人きり。大きな窓の外では、月が静かに城を照らしている。
居心地の悪さから、僕はただ俯くことしかできない。
「あの……どうして、僕を?」
「……」
レオンハルトは答えず、部屋のテーブルに置かれた水差しを手に取ると、グラスに水を注いで僕に差し出した。
「まずは、喉を潤せ。顔色が悪い」
差し出されたグラスを、恐る恐る受け取る。彼の指先が、僕の手に微かに触れた。その瞬間、ぞくりと背筋に電流のようなものが走る。
なんだ、これ……?
驚いて顔を上げると、レオンハルトも少しだけ目を見開いていた。しかし、彼はすぐに無表情に戻り、僕からすっと距離を取る。
「……お前には、いくつか聞きたいことがある。だが、今夜はもう休め」
それだけ言うと、彼は部屋を出て行ってしまった。
一人残された部屋で、僕は呆然と立ち尽くす。
氷の騎士団長。その名の通り、冷たくて、何を考えているのか分からない人だ。でも、不思議と怖いとは思わなかった。むしろ、あの氷の瞳の奥に、何か別の感情が隠されているような気がしてならなかった。
翌日から、僕の城での生活が始まった。
豪華すぎる食事、ふかふかのベッド、僕の世話をしてくれる親切な侍女。何もかもが、今までの人生では考えられないことばかりだった。
そして、あの聖獣のフィンは、すっかり僕に懐いてしまい、いつも僕のそばを離れようとしない。もふもふの体に顔をうずめると、前世で溜め込んだストレスまで溶けていくような気がした。
だが、騎士団の者たちの視線は、決して温かいものではなかった。
どこの馬の骨とも知れない、ひ弱なオメガ。それが、彼らの僕に対する評価だった。
特に、レオンハルトの副官であるゼクスという男は、いつも厳しい目で僕を監視していた。
「団長がお前を拾った理由は知らん。だが、妙な気を起こすなよ。あの方の足手まといになるようなら、俺がこの手で排除する」
そう言われた日の午後、僕は城の図書室にいた。
少しでもこの世界のことを知ろうと思ったからだ。特に、魔物や瘴気について。
昨夜、レオンハルトがダークウルフを倒した時、魔物は黒い霧、つまり瘴気となって消えた。この世界は、常に瘴気の脅威に晒されているという。
「……こんなものかな」
何冊か本を抱えて図書室を出ようとした時、ふらりと体が傾いだ。慣れない生活の緊張と、もともと体力がないせいで、貧血を起こしてしまったらしい。
壁に手をついて倒れるのを堪えたが、抱えていた本が床に散らばる。
「大丈夫か」
頭上から声がして顔を上げると、そこにいたのはレオンハルトだった。彼は無言で床に散らばった本を拾い集めると、そのうちの一冊を手に取って眉をひそめた。
「『古代魔法と浄化の儀式』? なぜ、このような本を?」
「えっと……この世界のことを、少しでも知りたくて……」
「そうか」
彼はそれ以上何も言わず、僕が持てないほどの本を軽々と抱え、歩き出す。
「部屋まで運んでやろう。ついてこい」
「い、いえ、そんな! 自分で持てます!」
「いいから、来い」
有無を言わせぬ口調に、僕は逆らえなかった。
部屋に戻ると、彼は本をテーブルの上に静かに置く。
「……無理はするな。お前の体は、お前が思っているより弱い」
「すみません……」
「謝る必要はない」
レオンハルトは僕の顔をじっと見つめた。その真剣な眼差しに、心臓がどきりと跳ねる。
「ユキ。お前は、何か特別な力を持っているのではないか?」
「え……?」
「フィンがお前に懐いたのも、ただの偶然とは思えん」
特別な力。
僕が持っているのは、出来損ないと言われる弱いフェロモンと、何の役にも立たないこの体だけだ。
「僕には……何もありません。ただの、出来損ないのオメガです」
そう答えると、レオンハルトはどこか悲しそうな顔をした。
なぜ、そんな顔をするのだろう。
「……今は、それでいい。だが、もし何か思い出したら、俺に言うんだ。いいな?」
「は、はい……」
彼が部屋を出て行こうとした時、僕は思わず彼の服の裾を掴んでいた。
自分でも、なぜそんなことをしたのか分からない。ただ、この人を一人で行かせたくない、そんな衝動に駆られたのだ。
「あの……!」
レオンハルトが驚いたように振り返る。
「その……ありがとうございました。助けていただいて……本も、運んでもらって……」
しどろもどろになりながら礼を言うと、彼は初めて、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……気にするな」
その微かな笑みは、氷を溶かす春の日差しのように温かく、僕の胸をじんわりと温めた。
この人のそばにいたい。
柄にもなく、そんなことを思った。
冷たいと思っていた氷の騎士団長。その不器用な優しさに触れて、凍てついていた僕の心が、少しずつ溶かされていくのを感じていた。
通された部屋は、僕が公爵邸で与えられていた物置同然の部屋とは比べ物にならないほど、広く清潔で、上品な調度品で整えられていた。
「今日からここがお前の部屋だ。必要なものがあれば、侍女に言え」
部屋に残されたのは、レオンハルトと僕の二人きり。大きな窓の外では、月が静かに城を照らしている。
居心地の悪さから、僕はただ俯くことしかできない。
「あの……どうして、僕を?」
「……」
レオンハルトは答えず、部屋のテーブルに置かれた水差しを手に取ると、グラスに水を注いで僕に差し出した。
「まずは、喉を潤せ。顔色が悪い」
差し出されたグラスを、恐る恐る受け取る。彼の指先が、僕の手に微かに触れた。その瞬間、ぞくりと背筋に電流のようなものが走る。
なんだ、これ……?
驚いて顔を上げると、レオンハルトも少しだけ目を見開いていた。しかし、彼はすぐに無表情に戻り、僕からすっと距離を取る。
「……お前には、いくつか聞きたいことがある。だが、今夜はもう休め」
それだけ言うと、彼は部屋を出て行ってしまった。
一人残された部屋で、僕は呆然と立ち尽くす。
氷の騎士団長。その名の通り、冷たくて、何を考えているのか分からない人だ。でも、不思議と怖いとは思わなかった。むしろ、あの氷の瞳の奥に、何か別の感情が隠されているような気がしてならなかった。
翌日から、僕の城での生活が始まった。
豪華すぎる食事、ふかふかのベッド、僕の世話をしてくれる親切な侍女。何もかもが、今までの人生では考えられないことばかりだった。
そして、あの聖獣のフィンは、すっかり僕に懐いてしまい、いつも僕のそばを離れようとしない。もふもふの体に顔をうずめると、前世で溜め込んだストレスまで溶けていくような気がした。
だが、騎士団の者たちの視線は、決して温かいものではなかった。
どこの馬の骨とも知れない、ひ弱なオメガ。それが、彼らの僕に対する評価だった。
特に、レオンハルトの副官であるゼクスという男は、いつも厳しい目で僕を監視していた。
「団長がお前を拾った理由は知らん。だが、妙な気を起こすなよ。あの方の足手まといになるようなら、俺がこの手で排除する」
そう言われた日の午後、僕は城の図書室にいた。
少しでもこの世界のことを知ろうと思ったからだ。特に、魔物や瘴気について。
昨夜、レオンハルトがダークウルフを倒した時、魔物は黒い霧、つまり瘴気となって消えた。この世界は、常に瘴気の脅威に晒されているという。
「……こんなものかな」
何冊か本を抱えて図書室を出ようとした時、ふらりと体が傾いだ。慣れない生活の緊張と、もともと体力がないせいで、貧血を起こしてしまったらしい。
壁に手をついて倒れるのを堪えたが、抱えていた本が床に散らばる。
「大丈夫か」
頭上から声がして顔を上げると、そこにいたのはレオンハルトだった。彼は無言で床に散らばった本を拾い集めると、そのうちの一冊を手に取って眉をひそめた。
「『古代魔法と浄化の儀式』? なぜ、このような本を?」
「えっと……この世界のことを、少しでも知りたくて……」
「そうか」
彼はそれ以上何も言わず、僕が持てないほどの本を軽々と抱え、歩き出す。
「部屋まで運んでやろう。ついてこい」
「い、いえ、そんな! 自分で持てます!」
「いいから、来い」
有無を言わせぬ口調に、僕は逆らえなかった。
部屋に戻ると、彼は本をテーブルの上に静かに置く。
「……無理はするな。お前の体は、お前が思っているより弱い」
「すみません……」
「謝る必要はない」
レオンハルトは僕の顔をじっと見つめた。その真剣な眼差しに、心臓がどきりと跳ねる。
「ユキ。お前は、何か特別な力を持っているのではないか?」
「え……?」
「フィンがお前に懐いたのも、ただの偶然とは思えん」
特別な力。
僕が持っているのは、出来損ないと言われる弱いフェロモンと、何の役にも立たないこの体だけだ。
「僕には……何もありません。ただの、出来損ないのオメガです」
そう答えると、レオンハルトはどこか悲しそうな顔をした。
なぜ、そんな顔をするのだろう。
「……今は、それでいい。だが、もし何か思い出したら、俺に言うんだ。いいな?」
「は、はい……」
彼が部屋を出て行こうとした時、僕は思わず彼の服の裾を掴んでいた。
自分でも、なぜそんなことをしたのか分からない。ただ、この人を一人で行かせたくない、そんな衝動に駆られたのだ。
「あの……!」
レオンハルトが驚いたように振り返る。
「その……ありがとうございました。助けていただいて……本も、運んでもらって……」
しどろもどろになりながら礼を言うと、彼は初めて、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……気にするな」
その微かな笑みは、氷を溶かす春の日差しのように温かく、僕の胸をじんわりと温めた。
この人のそばにいたい。
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