2 / 16
第1話「論理と泥の追放劇」
しおりを挟む
冷たい雨が、馬車の屋根を執拗に叩き続けていた。
ガタガタと車輪が泥濘を噛む振動が、尻を通して全身に不快なリズムを刻み込む。窓の外は灰色の帳が下りており、流れる景色など何ひとつ見えやしない。ただ、湿った土の匂いと、御者が馬を急かす罵声だけが、この世界の現実感を突きつけてくる。
私は……いや、俺、カイル・フォン・エルステッドは、小さくため息をついて、かじかんだ指先を擦り合わせた。
指先には冷たさしかなく、魔力と呼ばれる温かな脈動は微塵も感じられない。
『無能なオメガめ。エルステッド家の恥さらしが』
父の吐き捨てた言葉が、雨音に混じってリフレインする。
ここは剣と魔法の世界だ。そして何より厄介なことに、人間が生まれながらにして第二の性を持つ、いわゆるオメガバースの世界観が適用されているらしい。
前世の俺は、四角いモニターとキーボードに囲まれ、ひたすらにコードを書き続けるAI研究者だった。睡眠時間を削り、栄養剤で命をつなぎ、論理の迷宮に没頭した末に、おそらく心臓発作か何かであっけなく死んだ。
目覚めれば、豪奢な天蓋付きのベッド。貴族の三男坊としての第二の人生。
神様とやらの気まぐれに感謝したのも束の間、俺を待っていたのは「魔力ゼロ」という絶望的な診断と、最底辺の階級とされる「オメガ」という烙印だった。
この世界では、魔力を持つ者がアルファとして支配層に立ち、持たざる者はベータ、そして魔力がない上に「発情期」などという厄介な生理現象を持つオメガは、徹底的に蔑まれるか、あるいは性の玩具として扱われる。
俺は当然のように、辺境の地にある「ゴーレム廃棄場」の管理人という名目で、事実上の追放処分を受けたわけだ。
「……到着しましたぜ、坊ちゃん」
御者のぶっきらぼうな声と共に、馬車が停止する。
扉が開くと、湿気を含んだ冷気がどっと流れ込んできた。俺は薄い外套をかき合わせ、ぬかるんだ地面へと足を下ろす。
そこは、まさに墓場だった。
見渡す限りの荒野に、朽ち果てた石造りの屋敷が一軒。その周囲には、かつて栄華を極めた魔法文明の残骸――壊れたゴーレムのパーツが、山のように積み上げられている。
雨に濡れた泥人形の残骸たちは、まるで死体の山のようだ。
御者は俺の荷物を乱暴に降ろすと、逃げるように馬車を走らせて去っていった。泥水を跳ね上げ、あっという間に見えなくなる背中を見送りながら、俺は独り言をつぶやく。
「さて……効率的に絶望している暇はないな」
前世からの癖で、俺は眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。眼鏡なんてかけていないのに、思考を切り替えるスイッチのようなものだ。
まずは生存領域の確保。
俺は雨を避けるようにして、廃屋敷の重厚な扉を押し開けた。
ギィィ、と錆びついた蝶番が悲鳴を上げる。
中は埃とカビの臭いが充満していたが、雨風をしのぐには十分だろう。広間には蜘蛛の巣が張り巡らされ、家具のほとんどは朽ちている。だが、俺の目は部屋の隅にある書架に釘付けになった。
あそこだけ、淡い光を放っているように見えたのだ。
近づいてみると、分厚い革張りの本が数冊、乱雑に置かれている。
俺は埃を払い、その一冊を手に取った。『ゴーレム工学基礎論』と背表紙にある。
ページをめくる。
そこには、複雑怪奇な幾何学模様と、ルーン文字と呼ばれる難解な記号がびっしりと書き込まれていた。
普通なら、ただの呪文の羅列に見えるだろう。
だが、俺の目には違って見えた。
『……これは、関数か?』
心臓が早鐘を打つ。
円環の中に記述されたルーン文字の配列。変数の定義、条件分岐、ループ処理。
魔法とは、大気中のマナをリソースとして実行される、一種のプログラムだったのだ。
俺には魔力を生み出す器官はない。しかし、このソースコードを理解し、最適化し、書き換える知識がある。
魔力がないなら、魔力を持っている「何か」を動かせばいい。
俺の視線は、窓の外へと向いた。
そこには、動力源(魔石)を持ったまま放置されている、無数のハードウェアたちが転がっている。
ニヤリと、自然に口角が上がった。
前世でやり残した夢。完全自律思考型のAI開発。
この世界でなら、倫理委員会の承認も、予算の申請も、サーバー代の心配もいらない。
ここにあるのは、無限の素材と、俺というエンジニアだけだ。
「見せてやるよ、アルファ共。オメガの作った論理が、お前たちの魔力をどう凌駕するかをな」
雨音が、俺を祝福する拍手のように聞こえ始めていた。
ガタガタと車輪が泥濘を噛む振動が、尻を通して全身に不快なリズムを刻み込む。窓の外は灰色の帳が下りており、流れる景色など何ひとつ見えやしない。ただ、湿った土の匂いと、御者が馬を急かす罵声だけが、この世界の現実感を突きつけてくる。
私は……いや、俺、カイル・フォン・エルステッドは、小さくため息をついて、かじかんだ指先を擦り合わせた。
指先には冷たさしかなく、魔力と呼ばれる温かな脈動は微塵も感じられない。
『無能なオメガめ。エルステッド家の恥さらしが』
父の吐き捨てた言葉が、雨音に混じってリフレインする。
ここは剣と魔法の世界だ。そして何より厄介なことに、人間が生まれながらにして第二の性を持つ、いわゆるオメガバースの世界観が適用されているらしい。
前世の俺は、四角いモニターとキーボードに囲まれ、ひたすらにコードを書き続けるAI研究者だった。睡眠時間を削り、栄養剤で命をつなぎ、論理の迷宮に没頭した末に、おそらく心臓発作か何かであっけなく死んだ。
目覚めれば、豪奢な天蓋付きのベッド。貴族の三男坊としての第二の人生。
神様とやらの気まぐれに感謝したのも束の間、俺を待っていたのは「魔力ゼロ」という絶望的な診断と、最底辺の階級とされる「オメガ」という烙印だった。
この世界では、魔力を持つ者がアルファとして支配層に立ち、持たざる者はベータ、そして魔力がない上に「発情期」などという厄介な生理現象を持つオメガは、徹底的に蔑まれるか、あるいは性の玩具として扱われる。
俺は当然のように、辺境の地にある「ゴーレム廃棄場」の管理人という名目で、事実上の追放処分を受けたわけだ。
「……到着しましたぜ、坊ちゃん」
御者のぶっきらぼうな声と共に、馬車が停止する。
扉が開くと、湿気を含んだ冷気がどっと流れ込んできた。俺は薄い外套をかき合わせ、ぬかるんだ地面へと足を下ろす。
そこは、まさに墓場だった。
見渡す限りの荒野に、朽ち果てた石造りの屋敷が一軒。その周囲には、かつて栄華を極めた魔法文明の残骸――壊れたゴーレムのパーツが、山のように積み上げられている。
雨に濡れた泥人形の残骸たちは、まるで死体の山のようだ。
御者は俺の荷物を乱暴に降ろすと、逃げるように馬車を走らせて去っていった。泥水を跳ね上げ、あっという間に見えなくなる背中を見送りながら、俺は独り言をつぶやく。
「さて……効率的に絶望している暇はないな」
前世からの癖で、俺は眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。眼鏡なんてかけていないのに、思考を切り替えるスイッチのようなものだ。
まずは生存領域の確保。
俺は雨を避けるようにして、廃屋敷の重厚な扉を押し開けた。
ギィィ、と錆びついた蝶番が悲鳴を上げる。
中は埃とカビの臭いが充満していたが、雨風をしのぐには十分だろう。広間には蜘蛛の巣が張り巡らされ、家具のほとんどは朽ちている。だが、俺の目は部屋の隅にある書架に釘付けになった。
あそこだけ、淡い光を放っているように見えたのだ。
近づいてみると、分厚い革張りの本が数冊、乱雑に置かれている。
俺は埃を払い、その一冊を手に取った。『ゴーレム工学基礎論』と背表紙にある。
ページをめくる。
そこには、複雑怪奇な幾何学模様と、ルーン文字と呼ばれる難解な記号がびっしりと書き込まれていた。
普通なら、ただの呪文の羅列に見えるだろう。
だが、俺の目には違って見えた。
『……これは、関数か?』
心臓が早鐘を打つ。
円環の中に記述されたルーン文字の配列。変数の定義、条件分岐、ループ処理。
魔法とは、大気中のマナをリソースとして実行される、一種のプログラムだったのだ。
俺には魔力を生み出す器官はない。しかし、このソースコードを理解し、最適化し、書き換える知識がある。
魔力がないなら、魔力を持っている「何か」を動かせばいい。
俺の視線は、窓の外へと向いた。
そこには、動力源(魔石)を持ったまま放置されている、無数のハードウェアたちが転がっている。
ニヤリと、自然に口角が上がった。
前世でやり残した夢。完全自律思考型のAI開発。
この世界でなら、倫理委員会の承認も、予算の申請も、サーバー代の心配もいらない。
ここにあるのは、無限の素材と、俺というエンジニアだけだ。
「見せてやるよ、アルファ共。オメガの作った論理が、お前たちの魔力をどう凌駕するかをな」
雨音が、俺を祝福する拍手のように聞こえ始めていた。
31
あなたにおすすめの小説
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
氷の騎士と浄化のオメガ~「出来損ない」と追放された僕ですが、最強の騎士団長様に拾われて、運命の番としてとろとろに溺愛されています~
水凪しおん
BL
「お前のような出来損ないは、我が家の恥だ!」
公爵家の不義の子として生まれ、フェロモンも弱く「出来損ないのオメガ」と虐げられてきたユキ。
18歳の誕生日に濡れ衣を着せられ、真冬の夜、着の身着のままで実家を追放されてしまう。
行き倒れかけたユキを救ったのは、隣国の英雄であり、冷徹無比と恐れられる『氷の騎士団長』レオンハルトだった。
「行く当てがないなら、俺のところへ来い。お前を保護する」
最強の騎士様に拾われたユキだったが、彼を待っていたのは冷遇……ではなく、とろとろに甘やかされる溺愛生活!?
しかも、ただの「出来損ない」だと思っていたユキには、国を救い、レオンハルトの「呪い」を解く『聖なる浄化の力』が秘められていて……?
【不器用で一途な最強騎士団長(α) × 健気で料理上手な追放令息(Ω)】
どん底から始まる、運命の救済シンデレラ・オメガバース。
もふもふ聖獣も一緒です!
姉の代わりに舞踏会に行ったら呪われた第三王子の初恋を奪ってしまった
近井とお
BL
幼少期、ユーリは姉によく似ていることから彼女の代わりに社交の場に出席することが多々あった。ある舞踏会の夜、中庭に姿を眩ませたユーリに誰かがぶつかってくる。その正体は呪われていると噂の第三王子であったが、ぶつかられたことに腹を立てたユーリは強気に接し、ダンスを踊った後、彼を捜している気配を感じてからかいながら立ち去る。
それから数年後、第三王子は初恋の令嬢を探し始めたが、それはユーリに違いなく……。
初恋の相手を捜す第三王子×軽口令息
美人なのに醜いと虐げられる転生公爵令息は、婚約破棄と家を捨てて成り上がることを画策しています。
竜鳴躍
BL
ミスティ=エルフィードには前世の記憶がある。
男しかいないこの世界、横暴な王子の婚約者であることには絶望しかない。
家族も屑ばかりで、母親(男)は美しく生まれた息子に嫉妬して、徹底的にその美を隠し、『醜い』子として育てられた。
前世の記憶があるから、本当は自分が誰よりも美しいことは分かっている。
前世の記憶チートで優秀なことも。
だけど、こんな家も婚約者も捨てたいから、僕は知られないように自分を磨く。
愚かで醜い子として婚約破棄されたいから。
不遇聖女様(男)は、国を捨てて闇落ちする覚悟を決めました!
ミクリ21
BL
聖女様(男)は、理不尽な不遇を受けていました。
その不遇は、聖女になった7歳から始まり、現在の15歳まで続きました。
しかし、聖女ラウロはとうとう国を捨てるようです。
何故なら、この世界の成人年齢は15歳だから。
聖女ラウロは、これからは闇落ちをして自由に生きるのだ!!(闇落ちは自称)
【本編完結】断罪される度に強くなる男は、いい加減転生を仕舞いたい
雷尾
BL
目の前には金髪碧眼の美形王太子と、隣には桃色の髪に水色の目を持つ美少年が生まれたてのバンビのように震えている。
延々と繰り返される婚約破棄。主人公は何回ループさせられたら気が済むのだろうか。一応完結ですが気が向いたら番外編追加予定です。
推しのために自分磨きしていたら、いつの間にか婚約者!
木月月
BL
異世界転生したモブが、前世の推し(アプリゲームの攻略対象者)の幼馴染な側近候補に同担拒否されたので、ファンとして自分磨きしたら推しの婚約者にされる話。
この話は小説家になろうにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる