価値なしと捨てられたオメガの僕が、こっそり作ったお菓子を狼獣人の当主様に見つかったら、なぜか溺愛されています

水凪しおん

文字の大きさ
8 / 16

第7話「運命の熱に溶かされて」

 リオード様に守られている。
 その事実は、僕に大きな安心感と、同時に、ほんの少しの罪悪感を与えた。
 彼は商会の当主で、僕はただの奴隷だ。そんな僕が、彼の特別であっていいはずがない。
 いつか、彼の気まぐれは終わる。その日が来たら、僕はまた、灰色の世界に戻るんだ。
 そう思うと、胸が苦しくなった。

 彼との距離が近づけば近づくほど、僕は臆病になっていた。
 彼の優しい言葉も、触れてくる温かい手も、本当は嬉しいくせに、素直に受け取ることができない。
 そんな自分が、もどかしくて、嫌だった。

 そんなある日の夜。
 体に、今まで感じたことのない異変が起きた。
 体の芯が、燃えるように熱い。頭がぼうっとして、思考がまとまらない。
 全身から、甘ったるい香りが立ち上っているのが自分でもわかった。
 これは、もしかして。

『ヒート』

 オメガに、定期的に訪れる発情期だ。
 知識としては知っていたけれど、奴隷として生きてきた僕は、栄養状態が悪かったせいか、今まで一度も経験したことがなかった。
 それが、なぜ、今。
 熱に浮かされた頭で、ぼんやりと考える。
 きっと、ここでの生活が、僕の体を健康にしたからだ。皮肉な話だと思った。
 まずい。このままでは、他の人に迷惑をかけてしまう。オメガのヒート中のフェロモンは、アルファやベータを強く惹きつける。特にアルファには、抗えないほど強力に作用するという。

 僕は、ふらつく足で自分の部屋の扉に鍵をかけると、ベッドに倒れ込んだ。
 息が、苦しい。誰かに、触れてほしい。強く、抱きしめてほしい。
 本能が、アルファを求めて叫んでいる。
 脳裏に浮かんだのは、ただ一人。
 金色の瞳をした、あの人の姿だった。

『リオード様……』

 会いたい。会って、触れてほしい。
 そんなこと、思ってはいけないのに。
 僕の意思とは関係なく、体は正直だった。彼を求める気持ちが、甘いフェロモンとなって部屋中に満ちていく。
 どれくらい時間が経っただろうか。
 意識が朦朧としてきた、その時。

 ドン、と部屋の扉が強く叩かれた。

「カイ!いるのか、カイ!」

 リオード様の、切羽詰まった声。
 どうして、彼がここに。
 僕のフェロモンに、気づいたんだ。
 だめだ、来ないで。僕みたいな汚れたオメガのフェロモンで、あなたを狂わせたくない。
 そう思っても、声が出ない。

「カイ!返事をしろ!」

 次の瞬間、頑丈な鍵が、凄まじい力で破壊された。
 扉を蹴破って部屋に入ってきたリオード様は、息を切らして、その金色の瞳を大きく見開いていた。
 その瞳は、獲物を前にした獣のように、ギラギラとした熱を帯びている。
 彼は、僕のフェロモンを全身に浴びて、理性が飛びかけるのを必死で堪えているようだった。

「……リオード、さま」

「……お前、ヒートだったのか。なぜ、言わなかった」

「ごめ……なさ……」

 僕の体から放たれる甘い匂いに、彼の喉がごくりと鳴る。
 彼はゆっくりと、一歩、また一歩と、僕が横たわるベッドに近づいてきた。
 怖い、と思うはずなのに、僕の体は、彼の接近を喜んでいた。
 もっと近くに来てほしい。早く、その手で触れてほしい。

 ベッドのそばまで来たリオード様は、そこでぴたりと足を止めた。
 彼は、苦しそうに顔を歪めて、自分自身と戦っているようだった。

「……すまない。抑制剤を、取ってくる。それまで、耐えろ」

 そう言って、彼は部屋を出て行こうとした。
 その背中を見て、僕はたまらなくなった。
 行かないで。
 僕を、一人にしないで。

「……いや」

 僕は、震える手で、彼の外套の裾を掴んだ。

「行かないで……ください」

 僕の言葉に、彼の足が止まる。
 ゆっくりと振り返った彼の瞳は、もう、どうしようもないほどの熱に濡れていた。

「……カイ。お前、自分が何を言っているか、わかっているのか」

「わかって、ます」

「後悔、しないか」

「しません」

 僕がはっきりとそう言うと、彼は、ふ、と諦めたように息を吐いた。
 そして、僕の手を優しく取ると、その場に跪いた。
 僕の目線と、彼の目線が、同じ高さになる。

「……お前の匂いを、初めて嗅いだ時から、わかっていた」

 彼は、僕の手の甲に、自分の頬をすり寄せた。
 まるで、甘えるみたいに。

「お前が、俺の『番』だって」

 番。
 アルファとオメガの間に存在する、魂の伴侶。
 その言葉を聞いた瞬間、僕の体中を、雷に打たれたような衝撃が駆け巡った。
 ああ、そうだったんだ。
 だから、僕は、この人にこんなにも惹かれたんだ。
 僕たちが、出会ったのは、偶然じゃなかった。
 運命、だったんだ。

 涙が、頬を伝った。
 嬉しくて、愛しくて、たまらなかった。
 リオード様は、僕の涙を指で優しく拭うと、その唇を、そっと僕の唇に重ねた。

 熱が、移る。
 彼の熱も、僕の熱も、一つになって、溶け合っていく。
 甘いフェロモンが、部屋を満たしていく。
 もう、何も怖くなかった。
 この腕の中でなら、僕は、何にでもなれる気がした。

 外は、静かな夜だった。
 月明かりだけが、寄り添う二つの影を、優しく照らしていた。

あなたにおすすめの小説

当て馬に転生した俺、メインヒーローに懐かれすぎて物語が崩壊しています ~最強の騎士様、俺じゃなくてヒロインを追いかけてください!~

たら昆布
BL
処刑される元貴族に転生していたので婚約破棄して雑用係になった話

「お前を愛する事はない」を信じたので

あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することは無い。お前も私を愛するな。私からの愛を求めるな」 お互いの利益のために三年間の契約結婚をしたアヴェリンとロデリック。楽しく三年を過ごしたアヴェリンは屋敷を出ていこうとするのだが……。

追放オメガ聖帝の幸せな結婚〜クールなスパダリ騎士に拾われて溺愛されるまで〜

あきたいぬ大好き(深凪雪花)
BL
ノルディーナ王国の聖帝サーナは、教皇のありもしない嘘のせいで聖宮から追放されてしまう。 行く当てがないサーナが国境に向かうと、そこで隣国ルミルカ王国の騎士であるムーシュと出会う。ムーシュから諸事情により偽装結婚を提案されて、サーナは期限付きの偽装結婚ならばよいと承諾し、一時的に保護してもらうことに。 異国暮らしに慣れていく中で、やがてムーシュから溺愛されるようになり……?

完結·氷の宰相の寝かしつけ係に任命されました

BL
幼い頃から心に穴が空いたような虚無感があった亮。 その穴を埋めた子を探しながら、寂しさから逃げるようにボイス配信をする日々。 そんなある日、亮は突然異世界に召喚された。 その目的は―――――― 異世界召喚された青年が美貌の宰相の寝かしつけをする話 ※小説家になろうにも掲載中

炎の精霊王の愛に満ちて

陽花紫
BL
異世界転移してしまったミヤは、森の中で寒さに震えていた。暖をとるために焚火をすれば、そこから精霊王フレアが姿を現す。 悪しき魔術師によって封印されていたフレアはその礼として「願いをひとつ叶えてやろう」とミヤ告げる。しかし無欲なミヤには、願いなど浮かばなかった。フレアはミヤに欲望を与え、いまいちど願いを尋ねる。 ミヤは答えた。「俺を、愛して」 小説家になろうにも掲載中です。

オメガはオメガらしく生きろなんて耐えられない

子犬一 はぁて
BL
「オメガはオメガらしく生きろ」 家を追われオメガ寮で育ったΩは、見合いの席で名家の年上αに身請けされる。 無骨だが優しく、Ωとしてではなく一人の人間として扱ってくれる彼に初めて恋をした。 しかし幸せな日々は突然終わり、二人は別れることになる。 5年後、雪の夜。彼と再会する。 「もう離さない」 再び抱きしめられたら、僕はもうこの人の傍にいることが自分の幸せなんだと気づいた。 彼は温かい手のひらを持つ人だった。 身分差×年上アルファ×溺愛再会BL短編。

銀狼様とのスローライフ

八百屋 成美
BL
激務に心身を病み、逃げるように田舎へ移り住んだ佐伯湊。 ある雨の日、彼は庭先で銀色に輝く巨大な狼を拾う。 それは、人間に追われ傷ついた神獣、リュカだった。 傷の手当てをきっかけに、湊の家に居座ることになったリュカ。 尊大で俺様な態度とは裏腹に、彼は湊が作ったご飯を美味しそうに食べ、寒い夜にはその温かい毛並みで湊を包み込んでくれる。 孤独だった湊の心は、リュカの無償の愛によって次第に満たされていく。 しかし、平穏な日々は長くは続かなかった。

祝福を授かりましたが、まるで呪いです。

めっちゃ抹茶
BL
異世界に生まれ変わって出会った、一組の運命の番であるαとΩの話。 ※ご都合主義があります ※オメガバースの知識がある人向け/作中で説明は一切ありません ※主人公が可哀想、ハッピーエンドではありません 主人公目線、あまり悲壮感はありませんがタグをご確認のうえ以上の事を念頭に、大丈夫な方のみお進み下さい。