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第4話「砕けた硝子と熱の予兆」
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王子の「専属補給係」という謎の役職を拝命してから、数日が経過した。
ルカの日課は劇的に変化した。
昼間は通常の訓練や警備任務をこなし、夕方からはあの秘密の畑――今や王子の公認となった「特別農耕区画」で野菜の世話をする。
ルカの魔力を吸った作物は、相変わらず異常な速度で成長を続けていた。
収穫した野菜は、アレクセイの食卓に並ぶだけでなく、体調を崩した兵士たちへの特別配給としても振る舞われるようになった。
「ルカの野菜スープを飲むと、翌朝体が軽いんだ」
「あんなに硬かった体が、嘘みたいに動く」
そんな声が兵舎のあちこちから聞こえるようになり、ルカはいつの間にか「野菜の聖女」ならぬ「野菜の騎士」として、奇妙な敬意を集めるようになっていた。
本来なら喜ばしいことだ。自分の巣作りが周囲に受け入れられ、役立っているのだから。
だが、ルカの体調は逆に悪化の一途をたどっていた。
原因は明確だ。
アレクセイ王子との接触頻度が増えたことによる、本能の揺らぎ。
そして、恐れていた事態が起きた。
ある日の午後、魔物の襲撃警報が鳴り響いた。
ルカたち第三部隊は、砦の西壁に張り付き、這い上がってくる魔獣オークの群れを迎撃することになった。
「怯むな! 押し返せ!」
ガルドの声が飛ぶ。ルカも剣を抜き、目の前のオークに斬りかかった。
激しい戦闘。剣戟の音と、魔物の咆哮が交錯する。
ルカの動きは鋭かった。野菜作りで培った(?)足腰と、高まった魔力のおかげか、普段以上の動きで敵を翻弄する。
だが、悲劇は唐突に訪れた。
「グオオオ!」
大型のオークが振り回した棍棒が、ルカの腰元をかすめた。
鎧のおかげで怪我はなかったが、強い衝撃が腰のポーチを直撃した。
パリン、という嫌な音が、喧騒の中でもはっきりと聞こえた気がした。
「ッ……!」
魔物を突き倒し、安全な場所へ下がってポーチを確認する。
ルカの顔から血の気が引いた。
ポーチの中で、ガラスの小瓶が無惨に砕け散り、中の液体が漏れ出していたのだ。
抑制剤。
この遠征を乗り切るための命綱が、すべて失われてしまった。
「嘘だろ……あと二週間はここにいなきゃならないのに」
最悪なことに、体はすでに変化の兆候を示していた。
先日のアレクセイとの接触が引き金となっていたのか、抑制剤の効果が切れた瞬間、体の奥底からマグマのような熱が湧き上がってくるのを感じた。
「はぁ、はぁ……っ」
視界が揺らぐ。
甘く、とろけるような感覚が思考を侵食し始める。
発情期(ヒート)だ。
しかも、これまで経験したことのないほど、重く、激しい波が押し寄せてくる。
『隠れなきゃ……誰にも、見つからない場所に』
ルカはふらつく足取りで、戦場を離脱した。
幸い、戦闘は終局に向かっており、負傷者の搬送などで周囲は混乱していたため、一人の騎士が姿を消してもすぐには気づかれない。
ルカが本能的に目指したのは、兵舎ではなかった。あんな狭い場所にいては、フェロモンが充満してすぐにバレてしまう。
彼が求めたのは、土の匂い。
自分の魔力が満ちた、あの「巣」。
特別農耕区画へと、ルカは引き寄せられるように走った。
夕暮れ時の畑は、誰もいなかった。
ルカはトマトの茂みの間に倒れ込むように身を隠した。
豊かな葉の匂いと、熟した実の香りが彼を包み込む。
だが、それだけでは足りなかった。
体が熱い。誰かに触れてほしい。埋めてほしい。
そんな理性を吹き飛ばすような渇望が、涙と共に溢れ出してくる。
「いやだ、こんな……くっ、うぅ……」
チョーカーの留め具に手をかける。苦しい。首元を締め付けるこれを外してしまいたい。
だが、外せば終わりだ。
ルカは震える手で土を握りしめた。
その時、畑の入り口から、足音が近づいてくるのが聞こえた。
「ルカ? いないのか。今日の分のトマトを受け取りに来たのだが」
その声は、聞きたくない、けれど一番聞きたかった声。
アレクセイ王子だった。
「……っ!」
ルカは息を殺そうとしたが、口から漏れるのは熱を帯びた吐息だけ。
アレクセイの足音が止まる。
風向きが変わった。
トマトの香りの中に、熟れた果実よりも遥かに濃厚で、脳髄を痺れさせるような甘い芳香が混じっていることに、最強のアルファが気づかないはずがなかった。
「……この匂いは」
足音が、迷いなくルカの隠れている茂みへと近づいてくる。
逃げ場はない。
ルカの視界に、軍靴のつま先が映り込んだ。
ルカの日課は劇的に変化した。
昼間は通常の訓練や警備任務をこなし、夕方からはあの秘密の畑――今や王子の公認となった「特別農耕区画」で野菜の世話をする。
ルカの魔力を吸った作物は、相変わらず異常な速度で成長を続けていた。
収穫した野菜は、アレクセイの食卓に並ぶだけでなく、体調を崩した兵士たちへの特別配給としても振る舞われるようになった。
「ルカの野菜スープを飲むと、翌朝体が軽いんだ」
「あんなに硬かった体が、嘘みたいに動く」
そんな声が兵舎のあちこちから聞こえるようになり、ルカはいつの間にか「野菜の聖女」ならぬ「野菜の騎士」として、奇妙な敬意を集めるようになっていた。
本来なら喜ばしいことだ。自分の巣作りが周囲に受け入れられ、役立っているのだから。
だが、ルカの体調は逆に悪化の一途をたどっていた。
原因は明確だ。
アレクセイ王子との接触頻度が増えたことによる、本能の揺らぎ。
そして、恐れていた事態が起きた。
ある日の午後、魔物の襲撃警報が鳴り響いた。
ルカたち第三部隊は、砦の西壁に張り付き、這い上がってくる魔獣オークの群れを迎撃することになった。
「怯むな! 押し返せ!」
ガルドの声が飛ぶ。ルカも剣を抜き、目の前のオークに斬りかかった。
激しい戦闘。剣戟の音と、魔物の咆哮が交錯する。
ルカの動きは鋭かった。野菜作りで培った(?)足腰と、高まった魔力のおかげか、普段以上の動きで敵を翻弄する。
だが、悲劇は唐突に訪れた。
「グオオオ!」
大型のオークが振り回した棍棒が、ルカの腰元をかすめた。
鎧のおかげで怪我はなかったが、強い衝撃が腰のポーチを直撃した。
パリン、という嫌な音が、喧騒の中でもはっきりと聞こえた気がした。
「ッ……!」
魔物を突き倒し、安全な場所へ下がってポーチを確認する。
ルカの顔から血の気が引いた。
ポーチの中で、ガラスの小瓶が無惨に砕け散り、中の液体が漏れ出していたのだ。
抑制剤。
この遠征を乗り切るための命綱が、すべて失われてしまった。
「嘘だろ……あと二週間はここにいなきゃならないのに」
最悪なことに、体はすでに変化の兆候を示していた。
先日のアレクセイとの接触が引き金となっていたのか、抑制剤の効果が切れた瞬間、体の奥底からマグマのような熱が湧き上がってくるのを感じた。
「はぁ、はぁ……っ」
視界が揺らぐ。
甘く、とろけるような感覚が思考を侵食し始める。
発情期(ヒート)だ。
しかも、これまで経験したことのないほど、重く、激しい波が押し寄せてくる。
『隠れなきゃ……誰にも、見つからない場所に』
ルカはふらつく足取りで、戦場を離脱した。
幸い、戦闘は終局に向かっており、負傷者の搬送などで周囲は混乱していたため、一人の騎士が姿を消してもすぐには気づかれない。
ルカが本能的に目指したのは、兵舎ではなかった。あんな狭い場所にいては、フェロモンが充満してすぐにバレてしまう。
彼が求めたのは、土の匂い。
自分の魔力が満ちた、あの「巣」。
特別農耕区画へと、ルカは引き寄せられるように走った。
夕暮れ時の畑は、誰もいなかった。
ルカはトマトの茂みの間に倒れ込むように身を隠した。
豊かな葉の匂いと、熟した実の香りが彼を包み込む。
だが、それだけでは足りなかった。
体が熱い。誰かに触れてほしい。埋めてほしい。
そんな理性を吹き飛ばすような渇望が、涙と共に溢れ出してくる。
「いやだ、こんな……くっ、うぅ……」
チョーカーの留め具に手をかける。苦しい。首元を締め付けるこれを外してしまいたい。
だが、外せば終わりだ。
ルカは震える手で土を握りしめた。
その時、畑の入り口から、足音が近づいてくるのが聞こえた。
「ルカ? いないのか。今日の分のトマトを受け取りに来たのだが」
その声は、聞きたくない、けれど一番聞きたかった声。
アレクセイ王子だった。
「……っ!」
ルカは息を殺そうとしたが、口から漏れるのは熱を帯びた吐息だけ。
アレクセイの足音が止まる。
風向きが変わった。
トマトの香りの中に、熟れた果実よりも遥かに濃厚で、脳髄を痺れさせるような甘い芳香が混じっていることに、最強のアルファが気づかないはずがなかった。
「……この匂いは」
足音が、迷いなくルカの隠れている茂みへと近づいてくる。
逃げ場はない。
ルカの視界に、軍靴のつま先が映り込んだ。
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