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第19話「すれ違いの予感と王の病」
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俺の初めての公務の成功は、王宮内でも好意的に受け止められた。
『アシュレイ殿下は素晴らしいお妃様を選ばれた』
そんな声が聞こえてくるようになり、俺を敵視していた貴族たちも少しずつその態度を軟化させていった。
俺は安堵すると同時に、妃としての責任の重さを改めて実感していた。
俺とアシュレイの関係は相変わらず良好だった。
いや、良好すぎるくらいに甘い日々が続いていた。
だがそんな穏やかな日々に少しずつ影が差し始めていることに、俺はまだ気づいていなかった。
変化はアシュレイの多忙さから始まった。
国王陛下が少し前から体調を崩しがちになり、アシュレイがその公務を代行することが増えていったのだ。
彼は来る日も来る日も執務に追われ、俺と顔を合わせる時間もめっきりと減ってしまった。
「……また今日も徹夜か?」
深夜、俺が夜食の差し入れを持って彼の執務室を訪れると、アシュレイは山積みの書類の中で疲れた顔をしていた。
「ああ、すまない。もう少しで終わりそうだ」
彼はそう言うが、その隈は日に日に濃くなっている。
俺は彼の隣に座り、持ってきたスープをスプーンで掬って彼の口元へ運んだ。
「……ルシアン?」
「いいから食べろ。倒れられたら迷惑だ」
俺がぶっきらぼうにそう言うと、アシュレイは観念したようにスープを口にした。
「……美味い」
「そうか。ならよかった」
しばらくの間、俺は黙って彼にスープを飲ませてやった。
彼は子供のように素直にそれを飲み干した。
「ありがとう、ルシアン。君がいると本当に癒される」
彼は俺の肩に、こてん、と頭を乗せてきた。
その重みに彼の疲労の深さが伝わってくるようだった。
「……無理はするなよ」
「わかっている」
そんな会話を何度繰り返しただろうか。
俺は彼を支えたい一心で、できる限りのことをした。
だが彼の疲労は一向に回復する気配がなかった。
そんなある日、事件は起こった。
その日俺はアシュレイに頼まれて、彼の代わりに隣国から来た使節団の歓迎の宴に出席していた。
アシュレイは急な政務が入り、どうしても顔を出せなくなったのだ。
宴の席で俺は、使節団の代表である若い王子と言葉を交わす機会があった。
彼は俺と同い年くらいで気さくで、とても話しやすい人物だった。
「ルシアン様は本当に、お美しいですね。我が国にも貴方様のような方がいれば、私もすぐに妃に迎えるのですが」
そんな軽口を叩いて俺を笑わせた。
俺も社交辞令として彼に笑顔を返した。
ただ、それだけのことだった。
だがその光景を、遠くから見ていた者がいた。
急な政務を無理やり終わらせて、宴の席に駆けつけたアシュレイだった。
彼が俺と隣国の王子が親しげに談笑しているのを見た時、そのサファイアの瞳にどんな感情が宿ったのか。
俺は知る由もなかった。
宴が終わり自室に戻ると、そこにはアシュレイが腕を組んで立っていた。
彼の全身から凍てつくような冷たいオーラが放たれている。
「……アシュレイ? どうしたんだ、そんな怖い顔をして」
「楽しそうだったな」
彼の声は地を這うように低かった。
「隣国の王子と、ずいぶんと盛り上がっていたじゃないか」
「……何の話だ? あれはただの外交上の会話だ」
「私にはそうは見えなかったがな。君は私以外の男にも、あんな風に媚びるように笑うのか」
その言葉に、俺はカチンときた。
媚びる? 俺が?
俺はお前の妃として恥ずかしくないように、必死で役目を果たそうとしていただけだ。
それをそんな風に言われるなんて。
「……言いすぎだぞ、アシュレイ」
「何がだ。事実を言ったまでだ」
「お前は俺を、信じてくれないのか?」
「信じたいさ。だが君は時々、私を不安にさせる」
彼の言葉に、俺は愕然とした。
不安にさせる? 俺がお前を?
俺はいつだって、お前のことだけを考えてきたのに。
「……もういい」
俺は彼に背を向けた。
「疲れているんだろう。少し頭を冷やせ」
そう言って部屋を出ていこうとした俺の腕を、アシュレイが強く掴んだ。
「どこへ行く」
「どこでもいいだろう。お前の顔なんて今は見たくない」
「……逃がさない」
彼の声が冷たく響く。
その瞬間、俺は思い出した。
監禁されていた頃の、あの狂気を帯びた瞳。
今の彼の瞳は、あの頃と同じ色をしていた。
「……離せ、アシュレイ」
「嫌だ」
「離せ!」
俺が本気でその手を振り払おうとした時、アシュレイの体がぐらりと傾いた。
「……アシュレイ?」
彼は俺の腕を掴んだまま、その場に崩れ落ちた。
その顔は真っ青で、額には脂汗が滲んでいる。
「おい、どうしたんだ! しっかりしろ!」
俺は慌てて彼の体を支える。
彼の体は火のように熱かった。
過労と心労。そして嫉妬。
そのすべてが彼の限界を超えさせてしまったのだ。
「……ルシアン」
意識が朦朧とする中で、彼は俺の名前を呼んだ。
「……どこにも、行かないでくれ……」
その声は迷子の子供のようにか弱かった。
俺は彼を責めた自分を心から悔いた。
一番辛くて苦しいのは、彼の方だったのに。
俺は彼を追い詰めてしまった。
「……どこにも行かないよ」
俺は彼の熱い額を自分の額に、こつん、と合わせた。
「ずっとお前のそばにいるから」
俺の言葉が聞こえたのか、アシュレイは安心したようにふっと意識を手放した。
俺は彼の体を必死で抱きしめながら、侍医を呼ぶために大声を張り上げた。
俺たちの間に初めて生まれた、小さな亀裂。
それはこれから始まる大きな試練の、ほんの序章に過ぎなかった。
『アシュレイ殿下は素晴らしいお妃様を選ばれた』
そんな声が聞こえてくるようになり、俺を敵視していた貴族たちも少しずつその態度を軟化させていった。
俺は安堵すると同時に、妃としての責任の重さを改めて実感していた。
俺とアシュレイの関係は相変わらず良好だった。
いや、良好すぎるくらいに甘い日々が続いていた。
だがそんな穏やかな日々に少しずつ影が差し始めていることに、俺はまだ気づいていなかった。
変化はアシュレイの多忙さから始まった。
国王陛下が少し前から体調を崩しがちになり、アシュレイがその公務を代行することが増えていったのだ。
彼は来る日も来る日も執務に追われ、俺と顔を合わせる時間もめっきりと減ってしまった。
「……また今日も徹夜か?」
深夜、俺が夜食の差し入れを持って彼の執務室を訪れると、アシュレイは山積みの書類の中で疲れた顔をしていた。
「ああ、すまない。もう少しで終わりそうだ」
彼はそう言うが、その隈は日に日に濃くなっている。
俺は彼の隣に座り、持ってきたスープをスプーンで掬って彼の口元へ運んだ。
「……ルシアン?」
「いいから食べろ。倒れられたら迷惑だ」
俺がぶっきらぼうにそう言うと、アシュレイは観念したようにスープを口にした。
「……美味い」
「そうか。ならよかった」
しばらくの間、俺は黙って彼にスープを飲ませてやった。
彼は子供のように素直にそれを飲み干した。
「ありがとう、ルシアン。君がいると本当に癒される」
彼は俺の肩に、こてん、と頭を乗せてきた。
その重みに彼の疲労の深さが伝わってくるようだった。
「……無理はするなよ」
「わかっている」
そんな会話を何度繰り返しただろうか。
俺は彼を支えたい一心で、できる限りのことをした。
だが彼の疲労は一向に回復する気配がなかった。
そんなある日、事件は起こった。
その日俺はアシュレイに頼まれて、彼の代わりに隣国から来た使節団の歓迎の宴に出席していた。
アシュレイは急な政務が入り、どうしても顔を出せなくなったのだ。
宴の席で俺は、使節団の代表である若い王子と言葉を交わす機会があった。
彼は俺と同い年くらいで気さくで、とても話しやすい人物だった。
「ルシアン様は本当に、お美しいですね。我が国にも貴方様のような方がいれば、私もすぐに妃に迎えるのですが」
そんな軽口を叩いて俺を笑わせた。
俺も社交辞令として彼に笑顔を返した。
ただ、それだけのことだった。
だがその光景を、遠くから見ていた者がいた。
急な政務を無理やり終わらせて、宴の席に駆けつけたアシュレイだった。
彼が俺と隣国の王子が親しげに談笑しているのを見た時、そのサファイアの瞳にどんな感情が宿ったのか。
俺は知る由もなかった。
宴が終わり自室に戻ると、そこにはアシュレイが腕を組んで立っていた。
彼の全身から凍てつくような冷たいオーラが放たれている。
「……アシュレイ? どうしたんだ、そんな怖い顔をして」
「楽しそうだったな」
彼の声は地を這うように低かった。
「隣国の王子と、ずいぶんと盛り上がっていたじゃないか」
「……何の話だ? あれはただの外交上の会話だ」
「私にはそうは見えなかったがな。君は私以外の男にも、あんな風に媚びるように笑うのか」
その言葉に、俺はカチンときた。
媚びる? 俺が?
俺はお前の妃として恥ずかしくないように、必死で役目を果たそうとしていただけだ。
それをそんな風に言われるなんて。
「……言いすぎだぞ、アシュレイ」
「何がだ。事実を言ったまでだ」
「お前は俺を、信じてくれないのか?」
「信じたいさ。だが君は時々、私を不安にさせる」
彼の言葉に、俺は愕然とした。
不安にさせる? 俺がお前を?
俺はいつだって、お前のことだけを考えてきたのに。
「……もういい」
俺は彼に背を向けた。
「疲れているんだろう。少し頭を冷やせ」
そう言って部屋を出ていこうとした俺の腕を、アシュレイが強く掴んだ。
「どこへ行く」
「どこでもいいだろう。お前の顔なんて今は見たくない」
「……逃がさない」
彼の声が冷たく響く。
その瞬間、俺は思い出した。
監禁されていた頃の、あの狂気を帯びた瞳。
今の彼の瞳は、あの頃と同じ色をしていた。
「……離せ、アシュレイ」
「嫌だ」
「離せ!」
俺が本気でその手を振り払おうとした時、アシュレイの体がぐらりと傾いた。
「……アシュレイ?」
彼は俺の腕を掴んだまま、その場に崩れ落ちた。
その顔は真っ青で、額には脂汗が滲んでいる。
「おい、どうしたんだ! しっかりしろ!」
俺は慌てて彼の体を支える。
彼の体は火のように熱かった。
過労と心労。そして嫉妬。
そのすべてが彼の限界を超えさせてしまったのだ。
「……ルシアン」
意識が朦朧とする中で、彼は俺の名前を呼んだ。
「……どこにも、行かないでくれ……」
その声は迷子の子供のようにか弱かった。
俺は彼を責めた自分を心から悔いた。
一番辛くて苦しいのは、彼の方だったのに。
俺は彼を追い詰めてしまった。
「……どこにも行かないよ」
俺は彼の熱い額を自分の額に、こつん、と合わせた。
「ずっとお前のそばにいるから」
俺の言葉が聞こえたのか、アシュレイは安心したようにふっと意識を手放した。
俺は彼の体を必死で抱きしめながら、侍医を呼ぶために大声を張り上げた。
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