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第四話「二人の奇妙な共同生活」
グレイの傷は、彼の驚異的な自己治癒能力と結界の相乗効果もあってか、あっという間に完治した。もう、彼がこの家に留まる理由は、どこにもないはずだった。そろそろ出ていくと言い出すだろう。そう思うと、胸の奥がきゅっと寂しくなるのを、俺は自覚していた。
賑やか、というほどではなかったけれど、グレイが来てからの数日間は、一人きりの時とは違う温かさがこの家にはあった。彼が無言でそこに座っているだけで、不思議と心が安らいだ。
その日の朝、俺が決心して「体はもう大丈夫なんですか?」と切り出すと、グレイはしばらく黙り込んだ後、気まずそうに視線を泳がせながら、ぼそりと言った。
「……もう少しだけ、ここにいさせてくれないか」
その申し出は、俺にとって全く予想外のものだった。
「え…? でも、もう傷は…」
「恩返しが、まだできていない」
グレイは、まるで言い訳をする子供のような口調でそう言った。
「あんたに助けてもらった恩を、まだ何も返せていない。だから、それが済むまで、ここに置いてもらいたい」
恩返しなんて、これっぽっちも期待していなかった。ただ、目の前の命を助けたいと思っただけだ。けれど、彼の真剣な眼差しを見ていると、「いいですよ」という言葉が、自然と口からこぼれていた。戸惑いよりも、安堵と喜びの方が大きかったことに、俺自身少し驚いていた。
こうして、俺と最強傭兵の奇妙な共同生活が、本格的に始まった。
グレイは、その言葉通り、恩返しとばかりに家の仕事を進んで手伝い始めた。俺が一人では大変だろうと後回しにしていた、薪割りや水の運搬といった力仕事は、彼が瞬く間に片付けてくれた。朝、俺が目を覚ます頃には、玄関の前に綺麗に切りそろえられた薪が、芸術品のように高く積み上げられている。その光景は、彼の無骨な見た目からは想像もつかないほど、丁寧で几帳面な仕事ぶりを示していた。
森へ狩りに出かけては、新鮮な肉を調達してきてくれることもあった。最初は、彼が仕留めた獲物の大きさに肝を冷やしたが、彼が捌いた肉は驚くほど臭みがなく、シチューやステーキにすると絶品の味がした。
何より俺を驚かせたのは、彼の不器用な優しさだった。
俺が育てている家庭菜園のそばを通る時は、野菜を傷つけないように、その巨体を小さくして慎重に歩く。俺がキッチンで料理をしていると、何も言わずにそばに立ち、重い鍋を運んだり、高い棚にあるものを取ってくれたりする。
言葉は少ない。表情もほとんど変わらない。けれど、その行動の端々から、彼が俺を気遣い、この場所を大切に思ってくれていることが、痛いほど伝わってきた。俺は、そんな彼の不器用な優しさに、少しずつ、けれど確かに惹かれていくのを感じていた。
一方のグレイは、俺が作る毎日の食事、特に甘いお菓子を生きがいにしているようだった。
三時のおやつの時間になると、どこからともなくリビングに現れ、期待に満ちた目でソファに座る。俺がケーキやクッキーを差し出すと、普段の険しい表情はどこへやら、子犬のように目を輝かせるのだ。
「今日のケーキは、今までで一番美味い」
「このクッキーも、悪くない」
彼の褒め言葉はいつもぶっきらぼうだったけれど、その口元が微かに綻んでいるのを見れば、彼が心から喜んでくれているのがわかった。幸せそうにケーキを頬張るグレイの姿を見ているだけで、俺の心まで温かいもので満たされていく。この人のために、もっと美味しいものを作ってあげたい。自然とそう思えた。
ある雨の日、二人で暖炉の前に座り、編み物をしていた時のことだ。俺がうっかり毛糸玉を床に落としてしまうと、グレイがさっとそれを拾い上げてくれた。その時、彼の大きな、節くれだった指先が、俺の手にそっと触れた。
びくりと肩が跳ねる。触れた部分は、まるで火傷をしたかのように熱かった。グレイも驚いたように、さっと手を引っ込める。
「……すまん」
「い、いえ、こちらこそ……」
気まずい沈黙が流れる。暖炉の薪がぱちぱちと音を立てるのだけが、やけに大きく聞こえた。俺は俯いたまま、自分の心臓が大きく脈打っているのを感じていた。ただ手が触れただけなのに、どうしてこんなに意識してしまうのだろう。
ちらりと盗み見ると、グレイも顔を背け、その耳がほんのりと赤く染まっているのが見えた。
言葉は少なくとも、確かに俺たちの間には、温かくて、少しだけ甘い、特別な絆が芽生え始めていた。それは、パーティという偽りの繋がりとは全く違う、心と心で結ばれた、本物の繋がりだった。
この穏やかな日々が、一日でも長く続けばいい。俺は暖炉の炎を見つめながら、心からそう願っていた。
賑やか、というほどではなかったけれど、グレイが来てからの数日間は、一人きりの時とは違う温かさがこの家にはあった。彼が無言でそこに座っているだけで、不思議と心が安らいだ。
その日の朝、俺が決心して「体はもう大丈夫なんですか?」と切り出すと、グレイはしばらく黙り込んだ後、気まずそうに視線を泳がせながら、ぼそりと言った。
「……もう少しだけ、ここにいさせてくれないか」
その申し出は、俺にとって全く予想外のものだった。
「え…? でも、もう傷は…」
「恩返しが、まだできていない」
グレイは、まるで言い訳をする子供のような口調でそう言った。
「あんたに助けてもらった恩を、まだ何も返せていない。だから、それが済むまで、ここに置いてもらいたい」
恩返しなんて、これっぽっちも期待していなかった。ただ、目の前の命を助けたいと思っただけだ。けれど、彼の真剣な眼差しを見ていると、「いいですよ」という言葉が、自然と口からこぼれていた。戸惑いよりも、安堵と喜びの方が大きかったことに、俺自身少し驚いていた。
こうして、俺と最強傭兵の奇妙な共同生活が、本格的に始まった。
グレイは、その言葉通り、恩返しとばかりに家の仕事を進んで手伝い始めた。俺が一人では大変だろうと後回しにしていた、薪割りや水の運搬といった力仕事は、彼が瞬く間に片付けてくれた。朝、俺が目を覚ます頃には、玄関の前に綺麗に切りそろえられた薪が、芸術品のように高く積み上げられている。その光景は、彼の無骨な見た目からは想像もつかないほど、丁寧で几帳面な仕事ぶりを示していた。
森へ狩りに出かけては、新鮮な肉を調達してきてくれることもあった。最初は、彼が仕留めた獲物の大きさに肝を冷やしたが、彼が捌いた肉は驚くほど臭みがなく、シチューやステーキにすると絶品の味がした。
何より俺を驚かせたのは、彼の不器用な優しさだった。
俺が育てている家庭菜園のそばを通る時は、野菜を傷つけないように、その巨体を小さくして慎重に歩く。俺がキッチンで料理をしていると、何も言わずにそばに立ち、重い鍋を運んだり、高い棚にあるものを取ってくれたりする。
言葉は少ない。表情もほとんど変わらない。けれど、その行動の端々から、彼が俺を気遣い、この場所を大切に思ってくれていることが、痛いほど伝わってきた。俺は、そんな彼の不器用な優しさに、少しずつ、けれど確かに惹かれていくのを感じていた。
一方のグレイは、俺が作る毎日の食事、特に甘いお菓子を生きがいにしているようだった。
三時のおやつの時間になると、どこからともなくリビングに現れ、期待に満ちた目でソファに座る。俺がケーキやクッキーを差し出すと、普段の険しい表情はどこへやら、子犬のように目を輝かせるのだ。
「今日のケーキは、今までで一番美味い」
「このクッキーも、悪くない」
彼の褒め言葉はいつもぶっきらぼうだったけれど、その口元が微かに綻んでいるのを見れば、彼が心から喜んでくれているのがわかった。幸せそうにケーキを頬張るグレイの姿を見ているだけで、俺の心まで温かいもので満たされていく。この人のために、もっと美味しいものを作ってあげたい。自然とそう思えた。
ある雨の日、二人で暖炉の前に座り、編み物をしていた時のことだ。俺がうっかり毛糸玉を床に落としてしまうと、グレイがさっとそれを拾い上げてくれた。その時、彼の大きな、節くれだった指先が、俺の手にそっと触れた。
びくりと肩が跳ねる。触れた部分は、まるで火傷をしたかのように熱かった。グレイも驚いたように、さっと手を引っ込める。
「……すまん」
「い、いえ、こちらこそ……」
気まずい沈黙が流れる。暖炉の薪がぱちぱちと音を立てるのだけが、やけに大きく聞こえた。俺は俯いたまま、自分の心臓が大きく脈打っているのを感じていた。ただ手が触れただけなのに、どうしてこんなに意識してしまうのだろう。
ちらりと盗み見ると、グレイも顔を背け、その耳がほんのりと赤く染まっているのが見えた。
言葉は少なくとも、確かに俺たちの間には、温かくて、少しだけ甘い、特別な絆が芽生え始めていた。それは、パーティという偽りの繋がりとは全く違う、心と心で結ばれた、本物の繋がりだった。
この穏やかな日々が、一日でも長く続けばいい。俺は暖炉の炎を見つめながら、心からそう願っていた。
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