捨てられたオメガの参謀、野良犬王子に拾われる。言葉の魔法で選挙に勝ったら、次期国王に溺愛されて逃げられません!

水凪しおん

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第1話「雨と解散、捨てられた参謀」

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 窓の外を叩く雨音が、まるでこれからの俺の運命を暗示しているかのように激しさを増していた。

 王都の中心にそびえ立つ国会議事堂、その一室にある議員会館の廊下は、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。重厚な絨毯の上を、革靴の足音が慌ただしく行き交う。怒号、悲鳴にも似た指示の声、そして鳴り止まない魔導通信機の着信音。

 それらの喧騒が、水槽の外の出来事のように遠く感じられた。

「……クビ、ですか」

 俺、浅木ミナトは、渇いた唇を動かしてそうつぶやいた。

 目の前に座るふくよかな男――この国の与党、王道保守党の重鎮であり、俺が三年間仕えてきたジェラルド・フォークス議員は、葉巻の煙を不愉快そうに吐き出しながら、面倒な虫けらを見るような目で俺を見下ろした。

「言葉が過ぎるぞ、ミナト君。契約満了と言いたまえ。もっとも、君のような身分の低い者が、我が党の崇高な理念を理解し、支えるには荷が重すぎたということだがね」

 ジェラルドの背後にある窓ガラスには、雨に濡れた王都の街並みが灰色に滲んでいる。

 つい先ほど、本会議場で首相による議会の解散宣言がなされたばかりだった。

 支持率の低下に悩む内閣が、野党の準備が整わないうちに選挙を行おうとする、いわゆる「奇襲解散」だ。本来なら、ここからが俺たち秘書の戦場になるはずだった。演説原稿の作成、票読み、ポスターの手配、支援者への根回し。

 前世の日本で選挙プランナーとして命を削り、そして文字通り命を落とした俺にとって、それは血湧き肉躍る戦いの合図であるはずだった。

「先生のスピーチ原稿、昨夜徹夜で仕上げた修正版があります。今回の争点となる税制改革について、市民の感情に寄り添う表現に……」

「不要だ」

 ジェラルドは俺が差し出した羊皮紙の束を手で払い落とした。

 バサリ、と乾いた音を立てて、俺の血と汗の結晶が床に散らばる。

「君の書く文章は、どうにも湿っぽくていけない。それにだね、聞いたぞ。君、実はオメガなのだそうだね?」

 心臓が、早鐘を打った。

 背筋に冷たい氷柱を突き立てられたような悪寒が走る。

 この世界――エストガル王国において、人類は三つの性に分類される。支配階層であるアルファ、人口の大半を占めるベータ、そして生殖の道具として蔑まれるオメガ。

 オメガは発情期である「ヒート」を迎えると理性を失い、社会生活が困難になるため、公職に就くことは事実上不可能とされていた。俺は高価な抑制剤を服用し、匂いを消す香水を浴びるように使い、自分がベータであると偽り続けてきたのだ。

「……誰から、それを」

「出入り業者の雑用係が噂していたよ。君から甘い匂いがしたとね。まったく、神聖な議会に穢らわしい獣を招き入れていたとは。スキャンダルになる前に消えてもらおうか。退職金代わりだ、今月分の給金はくれてやる」

 革袋が投げつけられる。中に入っている硬貨の少なさは、重さを確かめるまでもなく分かった。

 ジェラルドは既に俺への興味を失い、次の会合へと向かうために席を立っていた。扉が閉まる音だけが、無慈悲に響く。

 俺は床に散らばった原稿用紙を一枚ずつ拾い上げた。

 インクの匂い。紙の感触。前世の記憶と、今世での必死な努力。そのすべてが、たった一つの身体的特徴――オメガであるというだけで否定された。

 拾い集めた原稿を胸に抱き、俺は議員会館を出た。

 外は土砂降りだった。傘を差す気力もなく、雨に打たれながら石畳の通りを歩く。

 冷たい雨が眼鏡のレンズを濡らし、視界を歪ませる。

 前世でもそうだった。深夜のオフィス、終わらない仕事、理不尽なクライアントの要求。そして突然の胸の痛みと共に訪れた暗転。

 転生したこの世界なら、何かを変えられると思っていた。魔法のような派手な力はなくとも、言葉の力で、政治というシステムの中で、より良い社会を作れると信じていた。

 だが現実は、前世以上に残酷な階級社会だった。

『臨時ニュースです。解散総選挙の日程が決定しました。投票日は投票日は3週間後……』

 街頭の魔導スクリーンから、アナウンサーの興奮した声が流れてくる。

 道行く人々は傘を傾け、不安と期待が入り混じった表情で画面を見上げていた。

 俺にはもう、関係のない話だ。

 これからは日雇いの労働で食いつなぎ、高騰する抑制剤代を稼ぐだけのあえかな日々が待っている。ヒートが来れば部屋に籠もり、嵐が過ぎ去るのを待つだけの、動物のような一生。

 ふと、路地裏の薄暗い影に目が留まった。

 一匹の痩せた黒猫が、雨宿りをしながら震えている。

 その姿が自分と重なり、俺は自嘲気味に口角を上げた。

「……お前も、行き場がないのか」

 つぶやきは雨音にかき消された。

 その時だった。

 背後から、大気が震えるような、圧倒的なプレッシャーを感じたのは。

 雨の冷たさとは違う、肌が粟立つような熱気。本能が警鐘を鳴らす。強力な捕食者が近づいているという、根源的な恐怖と――抗いがたい甘美な疼き。

 俺は弾かれたように振り返った。

 そこに立っていたのは、夜の闇そのもののような男だった。

 濡れた黒髪が額に張り付き、その隙間から覗く瞳は、獲物を狙う猛禽類のように鋭く輝く金色。

 上質な、しかし着崩したロングコートを羽織り、雨など気にする素振りもなく堂々と立っている。

 周囲の雨粒さえも、彼の発する覇気に押されて避けているかのような錯覚を覚えた。

「……良い匂いだ」

 男の低い声が、雨音を切り裂いて鼓膜に届く。

 それは言葉というより、重低音の振動となって俺の身体の芯を震わせた。

 オメガとしての本能が、彼を「アルファ」だと認識する。それも、ただのアルファではない。群れの頂点に立つ、王の資質を持った個体だと。

 俺は後ずさろうとしたが、足が凍りついたように動かない。

 男が一歩、また一歩と近づいてくる。

 雨の匂いの中に混じる、白檀のような深く静寂な香りと、鉄錆のような鋭い匂い。

「あんた……誰だ」

 やっとのことで絞り出した俺の声は、情けないほど震えていた。
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