抑制剤の効かない薬師オメガは森に隠れる。最強騎士団長に見つかり、聖なるフェロモンで理性を溶かされ、国を捨てた逃避行の果てに番となる

水凪しおん

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第16話「雨の逃亡者」

 地下水道は、冷たく湿った闇に包まれていた。足元を流れる汚水の臭気と、天井から滴る水音が反響する。

「足元に気をつけろ」

 ジークフリートが松明の代わりに淡く光る魔石を掲げ、先導する。鎧は脱ぎ捨て、身軽な革の装備に変えていたが、その背中には一本の無骨な長剣が背負われていた。騎士団の聖剣ではなく、彼が私的に愛用していた古びた剣だ。

 エリアルは息を切らしながら必死についていく。暗闇への恐怖よりも、ジークフリートが自分のために全てを捨てたという事実が、胸を締め付けていた。

「ジークフリート様……本当に、良かったのですか?」

 震える声で問うと、彼は歩調を緩めずに答えた。

「後悔などない。むしろ、清々しい気分だ」

 その声には迷いがなかった。長年背負ってきた「最強」という名の重い鎖を断ち切り、ただ一人の男として生きる覚悟を決めた者の強さがそこにあった。

 出口の鉄格子をこじ開けると、外はまた雨だった。

 冷たい雨が二人の火照った頬を打つ。

「馬は用意できなかった。走れるか?」

「はい」

 泥濘む道を、二人は走った。

 追っ手の気配はない。だが、油断はできない。相手は国そのものだ。魔術師による探索や、精鋭部隊の追跡は時間の問題だろう。

 森の境界線が見えてきた頃、エリアルは足がもつれて倒れ込んだ。

「あっ……」

「エリアル!」

 ジークフリートがすぐに抱き起こす。

「大丈夫か? 足をくじいたか?」

「平気です。ただ、少し……熱くて」

 エリアルの顔は赤く、呼吸が荒い。雨に濡れているのに、肌は異常なほど熱い。

 ジークフリートの顔色が変わった。

「まさか……発情期か?」

 エリアルは弱々しく頷いた。ストレスと逃亡の緊張が、予定よりも早くヒートを引き起こしてしまったのだ。

「こんな時に……ごめんなさい……」

「謝るな」

 ジークフリートはエリアルを背負った。

「俺の背中で休んでいろ。香りは……俺が我慢する」

 背中に感じるエリアルの熱と、うなじにかかる甘い吐息。

 雨の匂いに混じって、濃厚な花の香りがジークフリートを包む。

 それは拷問だった。走る振動で身体が密着するたびに、理性の壁にヒビが入る。

(耐えろ。ここで理性を失えば、彼を守れない)

 ジークフリートは自らの唇を噛み切り、血の味で意識を保ちながら、闇の中をひた走った。

 目指すは、かつて二人が出会ったあの森。そこなら、土地勘のある自分が有利に戦える。

 そして、誰にも邪魔されない場所があるはずだ。

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