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第2話「書庫の埃と禁断のレシピ」
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旅に出ると威勢よく飛び出したものの、北の果てといっても具体的な場所が分からない。俺はまず、城下町にある古びた大図書館へと足を運んだ。ここなら、「静寂の社」に関する手がかりがあるはずだ。
カビと古紙の匂いが充満する書架の迷宮。俺は埃まみれになりながら、東方文化や魔法食材に関する棚を片っ端から漁った。
「あった……これだ」
数時間の捜索の末、分厚い革表紙の古書を見つけ出した。『東方奇譚・聖なる食卓の秘密』という題名が、金文字で刻まれている。
震える指でページをめくる。そこには、挿絵とともに詳細な記述があった。
『一年に一度、星の巡りが定まりし夜、特定の吉方を向き、一言も発さずに太き巻物を食らうべし。具材は七福を模した海山の幸。それを成し遂げし者、肉体の枷を外し、魂の望む形へと新生せん』
記述の横には、見るからに太く、黒々とした海苔に包まれた恵方巻の絵が描かれている。
ごくり、と喉が鳴った。
やはり噂は本当だったのだ。だが、読み進めると厄介な条件が書かれていた。この恵方巻は、ただ作ればいいというものではない。
北の雪山に住む『幻の雪米』と、深海に潜む『虹色サーモン』、そして『千年樹のタケノコ』など、入手困難な最高級食材を使い、社に宿る精霊の炎で炊き上げねばならないらしい。
「食材集めから、なのか……」
気が遠くなりそうだった。俺はただの料理人だ。モンスターと戦う力もなければ、雪山を踏破する体力もない。
しかし、諦めるわけにはいかなかった。クラウス様の、あの冷たくも美しい横顔が脳裏に焼き付いているからだ。
『やれる。俺は料理人だ。食材を見極め、美味しくすることにかけては誰にも負けない』
自分に言い聞かせ、俺は必要な道具と情報をノートに書き写した。
ふと、視線を感じて顔を上げる。
書架の隙間から、鋭い視線がこちらを射抜いていた。
心臓が止まるかと思った。そこに立っていたのは、他ならぬクラウス様だったからだ。
彼は非番なのか、いつもの白銀の鎧ではなく、簡素なシャツに革のベストという軽装だった。それがかえって、彼の鍛え抜かれた肉体美を強調している。
「……王城の料理人か?」
低く、よく響く声。俺は直立不動になり、慌てて背筋を伸ばした。
「は、はい! 第三厨房のルエンと申します!」
「そうか。お前が、あの夜食を作っている者か」
思いがけない言葉に、俺は目を丸くした。俺が深夜、残業する騎士たちのために作っているおにぎりやスープのことだろうか。
「あ、あれは、余り物で作ったもので……お口に合わなかったでしょうか?」
「いや。……悪くない。むしろ、あの味があるから激務に耐えられる」
クラウス様が、わずかに口元を緩めたように見えた。それだけで、俺の顔は沸騰した薬缶のように熱くなる。
なんてことだ。憧れの人が、俺の料理を認めてくれていたなんて。
だが、彼はすぐに真剣な表情に戻り、俺の手元にある古書を一瞥した。
「そんな古い本を読んで、何をするつもりだ? 休暇を取ったと聞いたが」
「え、ええと、その……しょ、食材の勉強を、しようかと!」
まさか「あなたと番になるためにオメガになる方法を探しています」なんて言えるはずがない。
クラウス様は怪訝そうに眉をひそめたが、それ以上追及はしなかった。その代わり、俺の肩にポンと大きな手を置いた。
「北の方は不穏だ。魔物も増えている。無茶はするなよ」
「は……はいっ!」
彼の掌の熱が、服越しに伝わってくる。
その温かさが、俺の決意をより強固なものにした。
こんなにも優しく、強い人。やはりベータのままでは、彼の隣に立つことなど許されない。彼が心配してくれた「無茶」こそが、俺が彼に近づくための唯一の道なのだ。
俺は深く頭を下げ、逃げるように図書館を後にした。背中に感じる彼の視線が、痛いほどに熱かった。
カビと古紙の匂いが充満する書架の迷宮。俺は埃まみれになりながら、東方文化や魔法食材に関する棚を片っ端から漁った。
「あった……これだ」
数時間の捜索の末、分厚い革表紙の古書を見つけ出した。『東方奇譚・聖なる食卓の秘密』という題名が、金文字で刻まれている。
震える指でページをめくる。そこには、挿絵とともに詳細な記述があった。
『一年に一度、星の巡りが定まりし夜、特定の吉方を向き、一言も発さずに太き巻物を食らうべし。具材は七福を模した海山の幸。それを成し遂げし者、肉体の枷を外し、魂の望む形へと新生せん』
記述の横には、見るからに太く、黒々とした海苔に包まれた恵方巻の絵が描かれている。
ごくり、と喉が鳴った。
やはり噂は本当だったのだ。だが、読み進めると厄介な条件が書かれていた。この恵方巻は、ただ作ればいいというものではない。
北の雪山に住む『幻の雪米』と、深海に潜む『虹色サーモン』、そして『千年樹のタケノコ』など、入手困難な最高級食材を使い、社に宿る精霊の炎で炊き上げねばならないらしい。
「食材集めから、なのか……」
気が遠くなりそうだった。俺はただの料理人だ。モンスターと戦う力もなければ、雪山を踏破する体力もない。
しかし、諦めるわけにはいかなかった。クラウス様の、あの冷たくも美しい横顔が脳裏に焼き付いているからだ。
『やれる。俺は料理人だ。食材を見極め、美味しくすることにかけては誰にも負けない』
自分に言い聞かせ、俺は必要な道具と情報をノートに書き写した。
ふと、視線を感じて顔を上げる。
書架の隙間から、鋭い視線がこちらを射抜いていた。
心臓が止まるかと思った。そこに立っていたのは、他ならぬクラウス様だったからだ。
彼は非番なのか、いつもの白銀の鎧ではなく、簡素なシャツに革のベストという軽装だった。それがかえって、彼の鍛え抜かれた肉体美を強調している。
「……王城の料理人か?」
低く、よく響く声。俺は直立不動になり、慌てて背筋を伸ばした。
「は、はい! 第三厨房のルエンと申します!」
「そうか。お前が、あの夜食を作っている者か」
思いがけない言葉に、俺は目を丸くした。俺が深夜、残業する騎士たちのために作っているおにぎりやスープのことだろうか。
「あ、あれは、余り物で作ったもので……お口に合わなかったでしょうか?」
「いや。……悪くない。むしろ、あの味があるから激務に耐えられる」
クラウス様が、わずかに口元を緩めたように見えた。それだけで、俺の顔は沸騰した薬缶のように熱くなる。
なんてことだ。憧れの人が、俺の料理を認めてくれていたなんて。
だが、彼はすぐに真剣な表情に戻り、俺の手元にある古書を一瞥した。
「そんな古い本を読んで、何をするつもりだ? 休暇を取ったと聞いたが」
「え、ええと、その……しょ、食材の勉強を、しようかと!」
まさか「あなたと番になるためにオメガになる方法を探しています」なんて言えるはずがない。
クラウス様は怪訝そうに眉をひそめたが、それ以上追及はしなかった。その代わり、俺の肩にポンと大きな手を置いた。
「北の方は不穏だ。魔物も増えている。無茶はするなよ」
「は……はいっ!」
彼の掌の熱が、服越しに伝わってくる。
その温かさが、俺の決意をより強固なものにした。
こんなにも優しく、強い人。やはりベータのままでは、彼の隣に立つことなど許されない。彼が心配してくれた「無茶」こそが、俺が彼に近づくための唯一の道なのだ。
俺は深く頭を下げ、逃げるように図書館を後にした。背中に感じる彼の視線が、痛いほどに熱かった。
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