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第7話「静寂の社と完成する螺旋」
岩山の頂上、『静寂の社』は、朽ちかけた鳥居と小さな祠があるだけの、寂れた場所だった。
だが、そこには確かに神聖な空気が満ちていた。
風の音さえ消え失せた、完全なる静寂。
俺は祠の前の石畳に、携帯用の調理セットを展開した。
ここからは、時間との勝負だ。吉方の空に特定の星が昇るまでに、恵方巻を完成させなければならない。
まずは雪米を研ぐ。冷たい山の水が、米の一粒一粒を目覚めさせていく。精霊の加護を受けた米は、炊き上がると宝石のように白く輝き、甘い香りを放った。
次に酢飯を作る。合わせ酢には、旅の途中で採取した柑橘の果汁を加えた。爽やかな酸味が、疲れを癒やすようだ。
具材の準備に取り掛かる。
虹色サーモンは厚めに切りつけ、脂の乗った身を炙る。香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
千年樹のタケノコは、あえてシンプルに出汁で煮含めた。シャキシャキとした食感と、大地の滋味が口の中に広がるだろう。
他にも、森で採れた卵で作った厚焼き玉子、彩りを添える野草。七種類の具材が並んだ。
そして、最後の大仕事。
巻き簀の上に海苔を敷き、酢飯を広げる。
具材を中央に配置する。バランスが重要だ。どこを切っても、全ての味が調和するように。
一気に巻き上げる。
キュッ、と巻き簀を締める手ごたえ。
開くと、そこには完璧な円筒形の恵方巻が鎮座していた。
太く、黒く、そして美しい。
それは単なる食べ物ではなく、俺の願いと執念の結晶だった。
「できた……」
つぶやいた声が、静寂に吸い込まれていく。
夜空を見上げると、ちょうど目的の星が真上に輝いていた。
今だ。
俺は恵方巻を両手で持ち、今年の吉方――南南東へと体を向けた。
心臓が痛いほど脈打っている。
これを食べれば、俺は変わる。
ベータとしての自分を捨て、オメガとして生まれ変わる。
それは、今の自分を否定することかもしれない。けれど、クラウス様の隣に立つためには、これしか方法がないのだ。
俺は大きく口を開けた。
作法通り、無言で。願いを込めて。
がぶり、と一口目をかじり取る。
口いっぱいに広がる、海と山、そして雪原の恵み。
美味い。涙が出るほどに。
だが、食べる手を止めるわけにはいかない。
俺は一心不乱に、その黒い棒を胃袋へと収めていった。
あと一口。
最後の一切れを飲み込んだ瞬間、体の奥底からカッと熱いものが込み上げてきた。
『来たッ……!』
視界が揺らぎ、全身が発光するような感覚に襲われる。
これが、オメガへの変質。ヒートの予兆か?
俺はその場に崩れ落ち、熱に浮かされながら意識を手放した。
薄れゆく視界の隅に、息を切らして駆け上がってくる、銀色の髪の男の姿が見えた気がした。
「ルエンッ!」
ああ、クラウス様。
次に目が覚める時、俺はあなたの運命の番になれているでしょうか。
それとも――。
だが、そこには確かに神聖な空気が満ちていた。
風の音さえ消え失せた、完全なる静寂。
俺は祠の前の石畳に、携帯用の調理セットを展開した。
ここからは、時間との勝負だ。吉方の空に特定の星が昇るまでに、恵方巻を完成させなければならない。
まずは雪米を研ぐ。冷たい山の水が、米の一粒一粒を目覚めさせていく。精霊の加護を受けた米は、炊き上がると宝石のように白く輝き、甘い香りを放った。
次に酢飯を作る。合わせ酢には、旅の途中で採取した柑橘の果汁を加えた。爽やかな酸味が、疲れを癒やすようだ。
具材の準備に取り掛かる。
虹色サーモンは厚めに切りつけ、脂の乗った身を炙る。香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
千年樹のタケノコは、あえてシンプルに出汁で煮含めた。シャキシャキとした食感と、大地の滋味が口の中に広がるだろう。
他にも、森で採れた卵で作った厚焼き玉子、彩りを添える野草。七種類の具材が並んだ。
そして、最後の大仕事。
巻き簀の上に海苔を敷き、酢飯を広げる。
具材を中央に配置する。バランスが重要だ。どこを切っても、全ての味が調和するように。
一気に巻き上げる。
キュッ、と巻き簀を締める手ごたえ。
開くと、そこには完璧な円筒形の恵方巻が鎮座していた。
太く、黒く、そして美しい。
それは単なる食べ物ではなく、俺の願いと執念の結晶だった。
「できた……」
つぶやいた声が、静寂に吸い込まれていく。
夜空を見上げると、ちょうど目的の星が真上に輝いていた。
今だ。
俺は恵方巻を両手で持ち、今年の吉方――南南東へと体を向けた。
心臓が痛いほど脈打っている。
これを食べれば、俺は変わる。
ベータとしての自分を捨て、オメガとして生まれ変わる。
それは、今の自分を否定することかもしれない。けれど、クラウス様の隣に立つためには、これしか方法がないのだ。
俺は大きく口を開けた。
作法通り、無言で。願いを込めて。
がぶり、と一口目をかじり取る。
口いっぱいに広がる、海と山、そして雪原の恵み。
美味い。涙が出るほどに。
だが、食べる手を止めるわけにはいかない。
俺は一心不乱に、その黒い棒を胃袋へと収めていった。
あと一口。
最後の一切れを飲み込んだ瞬間、体の奥底からカッと熱いものが込み上げてきた。
『来たッ……!』
視界が揺らぎ、全身が発光するような感覚に襲われる。
これが、オメガへの変質。ヒートの予兆か?
俺はその場に崩れ落ち、熱に浮かされながら意識を手放した。
薄れゆく視界の隅に、息を切らして駆け上がってくる、銀色の髪の男の姿が見えた気がした。
「ルエンッ!」
ああ、クラウス様。
次に目が覚める時、俺はあなたの運命の番になれているでしょうか。
それとも――。
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