希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん

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第一話「氷の騎士と薬草の香り」

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 フィデリアの村は、帝国の地図の端っこにインクの染みみたいにぽつんと存在する。穏やかで、退屈で、そして何より平和な場所。俺、カイリはこの村で薬師として暮らしている。

 薬草を摘み、干して、すり潰す。そんな毎日が、俺にとってはかけがえのない宝物だった。

『……よし、今日の分はこれくらいかな』

 背負った籠の中、月光草や陽だまり茸が心地よい重みになっている。森の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込むと、土と緑の匂いがした。この匂いが好きだ。都会のきらびやかな香水なんかより、ずっと心が落ち着く。

 俺はΩ(オメガ)だ。
 でも、そのことを知っているのはもうこの世にいない両親だけ。村の人たちは、俺をちょっと薬草に詳しい何の変哲もないβ(ベータ)の青年だと思っている。それでいい。それがいいんだ。

 Ωは希少で庇護されるべき存在だと、帝都の法律では定められているらしい。けれどそれは美しい言い方に過ぎない。実際には、優れたα(アルファ)の子を産むための道具として、貴族たちの間で高値で取引されるのが現実だ。自由なんてどこにもない。

 だから俺は物心ついた頃から薬草の知識を叩き込まれた。自身のΩとしてのフェロモンを抑制する、特別な調合を。それは俺を守るためのささやかな鎧であり、呪いでもあった。

 村への帰り道、見慣れない光景が目に飛び込んできて思わず足を止めた。村の入り口にある広場がやけに騒がしい。屈強な男たちが、揃いの銀色の鎧を身にまとって整列している。鎧の胸には翼を持つ獅子の紋章。それは、ヴァルフレア帝国が誇る最強の騎士団の証だった。

『騎士団……? どうしてこんな辺境の村に』

 村人たちが遠巻きに、恐怖と好奇の入り混じった視線を送っている。その視線の先、一際大きな馬にまたがる一人の男がいた。

 陽の光を反射して白銀に輝く髪。磨き上げられた氷のような冷たい美貌。他の騎士たちとは明らかに違う、張り詰めた空気をまとっている。まるで生きている彫刻だ。彼が動けば、周りの気温が数度下がるような錯覚さえ覚える。

 あの人が、騎士団を率いているのだろう。圧倒的な存在感を放つ、最上級のα。肌が粟立つような鋭いプレッシャーを感じる。抑制薬を飲んでいてよかったと、心底思った。

「カイリ、こっちへおいで」

 広場の隅で心配そうにしていた宿屋のおばちゃんが、俺を見つけて手招きした。

「おばちゃん、一体何があったの」

「それがねぇ……。帝都から騎士団の方々が、この近くの森に現れた魔獣の討伐にいらしたんだって。しばらく村に滞在なさるそうよ」

「魔獣……」

 確かに最近、森の奥で不気味な鳴き声がするという噂はあった。まさか騎士団が出張ってくるほどのことだったなんて。

 おばちゃんと話していると、ふと例の騎士団長と目が合った。空の色を映したような、凍てつくほどに青い瞳。その視線に射抜かれた瞬間、心臓が大きく跳ねた。見透かされるような感覚に、背筋がぞくりと冷たくなる。

 俺は慌てて目を逸らし、薬草の籠を抱え直した。
 関わらない方がいい。本能が警鐘を鳴らしている。俺のような秘密を抱えた人間が、あんな最上級のαと関わってろくなことにはならない。

 その日の夜、騎士団は宿屋を丸ごと借り切り、村は物々しい雰囲気に包まれた。俺は薬師の仕事場でもある小さな家で、夕食の準備をしていた。今日の収穫だった陽だまり茸で、きのこのポタージュを作ろう。素朴だけど体が温まる、俺の得意料理だ。

 コトコトと鍋を煮込んでいると、不意に玄関の扉が叩かれた。

「カイリさん、いらっしゃいますか」

 聞き覚えのある声に扉を開けると、そこに立っていたのは宿屋の息子トムだった。息を切らしている。

「トム? どうしたんだ、そんなに慌てて」

「はぁ……はぁ……。騎士団長様が、お怪我を!」

「えっ!?」

 トムの話によると、昼間に森を下見していた騎士団長――リアム・フォン・アークライト総長が、毒を持つ植物に触れてしまったらしい。付属の治癒師では解毒できず、高熱を出して苦しんでいるという。

『リアム・フォン・アークライト……!』

 帝国でその名を知らない者はいない。若くして騎士団の頂点に立ち、『帝国の氷盾』と畏れられる天才。あの、氷の彫刻のような人だ。

「村で一番薬草に詳しいカイリさんなら、何とかできるかもしれないって、お母さんが……! お願いです、助けてください!」

 必死に頭を下げるトムに、俺はうなずくことしかできなかった。断るなんて選択肢は最初からなかった。

 薬箱を手に宿屋へ駆けつけると、一番良い部屋は緊張感に満ちていた。屈強な騎士たちが、心配そうにベッドを取り囲んでいる。

 そのベッドの上で、リアム総長はぐったりと横たわっていた。普段の冷徹な姿が嘘のように額には汗が浮かび、浅く苦しげな呼吸を繰り返している。頬は熱で赤く染まっていた。

「……君が、村の薬師か」

 副長らしき人物が、厳しい目で俺を見る。

「はい。カイリと申します。症状を見せてもらえますか」

 近寄って彼の腕を見ると、手首に三日月型の赤い発疹が浮かんでいた。間違いない。森の奥深くに自生する、『月詠み茨』の毒だ。即効性はないが、じわじわと神経を侵し放っておけば命に関わる。

「これは……月詠み茨の毒ですね。解毒薬、作れます」

 騎士たちの間に、安堵のため息が漏れた。

 俺は持ってきた薬草を手早く調合し、即席の解毒薬を作り上げた。それをリアム総長の口元へ運ぶ。彼の唇はひどく乾いていた。

「総長、薬です。飲んでください」

 ゆっくりと薬を飲ませ、濡らした布で汗を拭う。間近で見る彼の顔はぞっとするほど整っていた。閉じられた瞼の下にある長いまつ毛が、熱に浮かされた頬に影を落としている。

 αのフェロモンが、熱のせいか普段よりも濃く漂っていた。それはまるで雪を頂いた冬の山の頂で深呼吸するような、どこまでも澄み切っていて、それでいて全てを凍らせるような香り。抑制薬を飲んでいても、肌がぴりぴりする。

『すごい……。これが最上級のα……』

 治療を終え、俺が部屋を出ようとした、その時だった。

「待て」

 掠れた、低い声。
 振り返ると、ベッドの上でリアム総長がうっすらと目を開けていた。焦点の合わない青い瞳が、まっすぐに俺を捉えている。

「……お前」

 彼の唇が、何かを紡ごうと動く。

「……何者だ……?」

 その言葉とともに、彼の瞳が一瞬鋭い光を宿した。まるで俺の魂の奥底まで見透かそうとするかのように。

 心臓が、嫌な音を立てて跳ねる。
 まさか。そんなはずはない。俺の秘密が、この人に気づかれた……?

 氷の騎士との出会いは、俺が守り続けてきた穏やかな日々に、静かに、だが確実に亀裂を入れたのだった。
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