希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん

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第四話「氷の城の温かな灯火」

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 帝都までの道のりは、馬車に揺られて数日かかった。
 俺はリアム様――そう呼ぶように言われた――と同じ馬車に乗せられた。居心地の悪さは言うまでもない。

 彼はほとんど話さず、窓の外を眺めているか分厚い報告書に目を通しているかだった。時折その視線が俺に向けられるのを感じたが、俺は気づかないふりをして膝の上で固く手を握りしめていた。

 村を出る時、宿屋のおばちゃんやトムが涙ながらに見送ってくれた。
「帝都で出世するんだね」「体に気をつけるんだよ」
 俺が無理やり連れて行かれるなんて誰も思っていない。帝国騎士団の総長様直々のお引き立て。村にとっては名誉なことなのだろう。その誤解を解く気力も、俺にはなかった。

 やがて馬車は巨大な城門をくぐり、帝都へと入った。
 辺境の村とは何もかもが違う。高くそびえる建物、石畳の道を行き交う大勢の人々、活気に満ちた喧騒。全てが俺を気圧し、自分が場違いな存在だと突きつけてくるようだった。

 馬車が止まったのは、貴族街の一角に立つ城と見紛うばかりの壮麗な屋敷の前だった。アークライト公爵家。リアム様の実家であり、彼の住まいでもある。

「ここが、今日から君の家だ」

 リアム様に言われ、俺は呆然と屋敷を見上げた。白い大理石でできた壁はまるで氷でできているかのようだ。冷たくて人を寄せ付けない威圧感がある。まさに彼自身を表しているような建物だった。

 屋敷の中へ通されると、大勢の使用人たちが出迎えてくれた。彼らは俺の姿を認めると一様に訝しげな表情を浮かべる。無理もない。みすぼらしい村の薬師が、なぜ主と共にあるのか理解できないのだろう。

「彼はカイリ。今日から私の専属薬師兼、身の回りの世話役としてここで暮らす。皆、そのように心得ておくように」

 リアム様の言葉に、使用人たちの間にさざ波のような動揺が広がったのが分かった。

 俺に与えられたのは、主人の部屋の隣にあるこぢんまりとした一室だった。それでも村の俺の家よりずっと広くて、立派な家具が揃っている。

「必要なものがあれば執事に言え。何でも揃えさせよう。仕事は追って指示する」

 それだけを言うと、リアム様は部屋を出て行った。
 一人残された部屋で、俺はベッドに腰を下ろした。ふかふかの感触が逆に俺を不安にさせる。

 ここが、俺の新しい鳥籠。

 その日から、俺の“氷の城”での生活が始まった。
 専属薬師と言ってもリアム様は滅多に体調を崩さないし、怪我をしても騎士団付きの優秀な治癒師がいる。身の回りの世話役というのも名ばかりで、彼の世話は熟練の侍従たちが完璧にこなしていた。

 俺の仕事はほとんどないに等しかった。
 ただ、毎日三食リアム様と共に食事を摂ることだけが義務付けられていた。広いダイニングテーブルで豪華な食事を前に、二人きりで向き合う。会話はない。聞こえるのは食器の触れ合う音だけ。息が詰まりそうな時間だった。

 屋敷の使用人たちは俺を遠巻きにしていた。主人がどこからか連れてきた、得体の知れない田舎者。そんな視線が背中に突き刺さる。

 居場所がない。
 孤独だった。村での穏やかな日々が夢のように遠い。

 そんな生活が数日続いたある夜、俺はどうしても厨房に立ちたくなった。料理は俺にとって心を落ち着かせるため、一種の儀式のようなものだった。

「あの……厨房を、お借りしてもいいですか?」

 料理長に恐る恐る尋ねると、彼は怪訝な顔をしながらも許可してくれた。主人の連れてきた客人を無下にはできないのだろう。

 俺は村でよく作っていた、きのこのポタージュを作ることにした。帝都の食材はどれも最高級品で、見たこともないようなきのこがたくさんあった。それらを丁寧に炒め、コトコトと煮込んでいく。

 やがて厨房に、きのこの香ばしい匂いが立ち込めた。その懐かしい香りに少しだけ心が安らぐ。

「……いい匂いがするな」

 ふと背後から声をかけられ、びくりと肩を揺らした。振り返ると、そこに立っていたのはリアム様だった。こんな時間に、彼が厨房に来るなんて。

「申し訳ありません、勝手なことを……」

「いや、構わん。それは何だ?」

 彼は、俺が作っている鍋を覗き込んだ。

「きのこのポタージュです。俺の、得意料理で……」

「……そうか」

 彼はそれだけを言うと踵を返して去っていくのかと思った。だが、そこに立ち尽くしたままじっと鍋を見つめている。

『もしかして……お腹が空いてるのかな?』

 夕食は一時間も前に終わったばかりだ。でも彼はほとんど料理に手をつけていなかったのを、俺は見ていた。いつもそうだ。彼の前に並べられるのは見た目は豪華絢爛だが、どこか冷たい料理ばかり。

「……あの、もしよかったら、味見しませんか?」

 自分でもなぜそんなことを口走ったのか分からなかった。
 リアム様は少し驚いたように目を見開いたが、やがて小さく頷いた。

 俺は小さな器にポタージュを注ぎ、彼に差し出した。彼はそれを受け取ると銀のスプーンで一口、静かに口に運んだ。

 彼の青い瞳が、ほんの少しだけ揺れた気がした。

「……温かい」

 ぽつりと、彼が呟いた。

「昔、母がよく作ってくれた味に、似ている」

 彼の口から『母』という言葉が出たことに、俺は驚いた。氷の騎士と呼ばれるこの人にも当然だが母親がいたのだ。その横顔が、ほんの一瞬だけただの青年のように見えた。

 その夜、リアム様は俺が作ったポタージュを、一滴も残さず飲み干した。
 そして、それ以来屋敷の食事は俺が作ることになった。

 俺が作る料理は、村で食べていたような素朴なものばかりだ。でもリアム様は毎日、黙々と、けれど綺麗に平らげてくれるようになった。使用人たちの俺を見る目も少しずつ変わっていった。

 冷たく閉ざされていた氷の城に、俺の作ったスープの湯気がほんの少しだけ温かな灯火をともしたような気がした。

 それは、ほんのささやかな変化。
 だけど凍てついた二人の関係が、ほんの少しだけ溶け始めた瞬間だったのかもしれない。
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