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第04話「芽生えた想いと縮まる距離」
カイゼルが小屋に来てから、二週間が過ぎた。彼の傷は驚くべき速さで癒え、今では森を散策できるまでに回復していた。アレンにとって、それは嬉しいことであると同時に、少しだけ寂しいことでもあった。傷が完全に治ってしまったら、彼はどこかへ行ってしまうのだろうか。記憶が戻ったら、自分のことなど忘れてしまうのかもしれない。そんな考えが、ふと胸をよぎる。
その日、アレンは薬草を採りに、いつもより少し森の深い場所まで来ていた。カイゼルも、用心棒がてら、とぶっきらぼうな口実をつけてついてきている。
「あ、見てください、カイさん。あれは月光草です。夜になると、ほのかに光るんですよ」
アレンが崖の下に咲く青白い花を指さして、嬉しそうに言った。
「鎮静効果が高くて、とても貴重な薬草なんです。よし、採ってこよう」
軽やかな足取りで崖を降りようとするアレンの腕を、カイゼルが強い力で掴んだ。
「待て。足場が悪い。俺が行く」
「え、でも…」
「いいから、君はここで待ってろ」
有無を言わさぬ口調に、アレンは気圧されて頷いた。カイゼルは、騎士だったという記憶はなくとも、その体には常人離れした身体能力が染み付いているらしかった。不安定な崖をものともせず、ひらりと軽やかに降りていき、目的の月光草を丁寧に摘み取ると、あっという間に戻ってきた。
「はい」
差し出された月光草を受け取りながら、アレンは彼の無骨で大きな手を見た。騎士団長だった頃は、その手で剣を握り、国を守っていたのだろうか。記憶を失ってもなお、彼の中からにじみ出る強さや、時折見せる不器用な優しさに、アレンの心は確実に惹きつけられていた。
「ありがとうございます…」
俯きがちにお礼を言うと、カイゼルは少しばつが悪そうに視線をそらした。二人の間に、心地よいような、気まずいような、甘い沈黙が流れる。
その帰り道だった。些細なことでアレンは木の根に足を取られ、体勢を崩した。
「わっ!」
倒れる、と思った瞬間、カイゼルの腕が力強く彼の腰を引き寄せ、支えていた。二人の体がぴったりと密着する。アレンの顔は、カイゼルの硬い胸板のすぐ近くだった。トクン、トクンと、規則正しくも力強い心臓の音が聞こえてくる。そして、カイゼルから発せられる濃厚なαのフェロモンが、アレンの体をふわりと包み込んだ。それは森の奥深くの、古い大樹のような、落ち着く香りだった。
「…大丈夫か」
頭上から降ってくる低い声に、アレンは顔を上げられない。頬が熱い。きっと、熟したトマトのように赤くなっているに違いない。
「は、はい。大丈夫です。ありがとうございます」
慌てて身を離そうとするが、カイゼルの腕は思いのほか強く、アレンを解放しようとしない。
「カイ、さん…?」
戸惑うアレンがようやく顔を上げると、至近距離で燃えるような金の瞳と視線がぶつかった。その瞳の奥に、今まで見たことのないような熱が宿っていることに、アレンは気づく。それはまるで、獲物を前にした獣のような、獰猛で、飢えた色だった。
「君は…」
カイゼルが何かを言いかけた、その時だった。彼の表情が苦痛に歪み、アレンを抱く腕の力が抜けた。
「うっ…ぐ…!」
「カイさん!? どうしたんですか!」
カイゼルはアレンを突き放すように離すと、その場に膝をついた。全身を激しく痙攣させ、喉の奥からは獣のような呻き声が漏れている。その体から放たれるフェロモンは、先程までの落ち着いたものではなく、制御を失った暴力的なものへと変貌していた。呪いの発作が、ついに始まってしまったのだ。
アレンのそばにいることで、発作はこれまで抑えられていた。しかし、カイゼルの中で日に日に募っていくアレンへの独占欲と、αとしての本能的な欲求が、皮肉にも呪いを刺激し、ついにその牙を剥かせたのである。
「来るな…!」
カイゼルは理性の最後のひとかけらで叫んだ。金の瞳は赤く染まり、その表情はもはやアレンの知る彼のものではなかった。ただの獣だ。苦しみと欲望に支配された、一匹の猛獣。
アレンは恐怖に足がすくんだ。逃げなければならない。そう本能が警告している。しかし、苦しむカイゼルの姿を見て、彼の足は地面に縫い付けられたように動かなかった。助けたい。あの苦しみから、彼を救ってあげたい。その想いが、恐怖を凌駕していた。
「カイさん…大丈夫。僕が、そばにいますから」
震える声で、それでもはっきりと、アレンはそう告げた。その言葉が、暴走する獣の耳に届いたのかは分からない。ただ、赤く染まった瞳が、ゆっくりと、獲物を見定めるように、アレンに向けられたことだけは確かだった。
その日、アレンは薬草を採りに、いつもより少し森の深い場所まで来ていた。カイゼルも、用心棒がてら、とぶっきらぼうな口実をつけてついてきている。
「あ、見てください、カイさん。あれは月光草です。夜になると、ほのかに光るんですよ」
アレンが崖の下に咲く青白い花を指さして、嬉しそうに言った。
「鎮静効果が高くて、とても貴重な薬草なんです。よし、採ってこよう」
軽やかな足取りで崖を降りようとするアレンの腕を、カイゼルが強い力で掴んだ。
「待て。足場が悪い。俺が行く」
「え、でも…」
「いいから、君はここで待ってろ」
有無を言わさぬ口調に、アレンは気圧されて頷いた。カイゼルは、騎士だったという記憶はなくとも、その体には常人離れした身体能力が染み付いているらしかった。不安定な崖をものともせず、ひらりと軽やかに降りていき、目的の月光草を丁寧に摘み取ると、あっという間に戻ってきた。
「はい」
差し出された月光草を受け取りながら、アレンは彼の無骨で大きな手を見た。騎士団長だった頃は、その手で剣を握り、国を守っていたのだろうか。記憶を失ってもなお、彼の中からにじみ出る強さや、時折見せる不器用な優しさに、アレンの心は確実に惹きつけられていた。
「ありがとうございます…」
俯きがちにお礼を言うと、カイゼルは少しばつが悪そうに視線をそらした。二人の間に、心地よいような、気まずいような、甘い沈黙が流れる。
その帰り道だった。些細なことでアレンは木の根に足を取られ、体勢を崩した。
「わっ!」
倒れる、と思った瞬間、カイゼルの腕が力強く彼の腰を引き寄せ、支えていた。二人の体がぴったりと密着する。アレンの顔は、カイゼルの硬い胸板のすぐ近くだった。トクン、トクンと、規則正しくも力強い心臓の音が聞こえてくる。そして、カイゼルから発せられる濃厚なαのフェロモンが、アレンの体をふわりと包み込んだ。それは森の奥深くの、古い大樹のような、落ち着く香りだった。
「…大丈夫か」
頭上から降ってくる低い声に、アレンは顔を上げられない。頬が熱い。きっと、熟したトマトのように赤くなっているに違いない。
「は、はい。大丈夫です。ありがとうございます」
慌てて身を離そうとするが、カイゼルの腕は思いのほか強く、アレンを解放しようとしない。
「カイ、さん…?」
戸惑うアレンがようやく顔を上げると、至近距離で燃えるような金の瞳と視線がぶつかった。その瞳の奥に、今まで見たことのないような熱が宿っていることに、アレンは気づく。それはまるで、獲物を前にした獣のような、獰猛で、飢えた色だった。
「君は…」
カイゼルが何かを言いかけた、その時だった。彼の表情が苦痛に歪み、アレンを抱く腕の力が抜けた。
「うっ…ぐ…!」
「カイさん!? どうしたんですか!」
カイゼルはアレンを突き放すように離すと、その場に膝をついた。全身を激しく痙攣させ、喉の奥からは獣のような呻き声が漏れている。その体から放たれるフェロモンは、先程までの落ち着いたものではなく、制御を失った暴力的なものへと変貌していた。呪いの発作が、ついに始まってしまったのだ。
アレンのそばにいることで、発作はこれまで抑えられていた。しかし、カイゼルの中で日に日に募っていくアレンへの独占欲と、αとしての本能的な欲求が、皮肉にも呪いを刺激し、ついにその牙を剥かせたのである。
「来るな…!」
カイゼルは理性の最後のひとかけらで叫んだ。金の瞳は赤く染まり、その表情はもはやアレンの知る彼のものではなかった。ただの獣だ。苦しみと欲望に支配された、一匹の猛獣。
アレンは恐怖に足がすくんだ。逃げなければならない。そう本能が警告している。しかし、苦しむカイゼルの姿を見て、彼の足は地面に縫い付けられたように動かなかった。助けたい。あの苦しみから、彼を救ってあげたい。その想いが、恐怖を凌駕していた。
「カイさん…大丈夫。僕が、そばにいますから」
震える声で、それでもはっきりと、アレンはそう告げた。その言葉が、暴走する獣の耳に届いたのかは分からない。ただ、赤く染まった瞳が、ゆっくりと、獲物を見定めるように、アレンに向けられたことだけは確かだった。
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