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第6話「甘い香りに導かれて」
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王都の不穏な噂は、僕の心に小さな棘のように残っていたけれど、カイの力強い言葉に支えられて、僕は目の前の生活に集中することができた。
辺境領は秋の収穫期を迎え、黄金色に輝く小麦畑が、風に吹かれてさざ波のように揺れていた。どこからともなく漂ってくる、焼きたてのパンの香ばしい匂い。それは、平和と豊かさの象徴そのものだった。
僕の体調に変化が訪れたのは、そんな実りの季節の真っただ中だった。
最初は、ほんの些細な違和感だった。体がいつもより熱っぽく、少しだけ気怠い。風邪でも引いたのかもしれない、と軽く考えていた。けれど、その症状は日を追うごとに強くなっていった。
体の奥から、じわりと熱が湧き上がってくる。思考がぼんやりと霞み、足元がおぼつかない。そして何より、カイの匂いに、ひどく敏感になった。彼が近くにいるだけで、彼のアルファとしてのフェロモンが、僕の理性を甘く溶かしていく。森と土と太陽の、あの力強い香りが、今の僕には抗いがたいほど魅力的に感じられた。
「エリアス?顔が赤いぞ。やはり、熱があるんじゃないか」
収穫作業の途中、カイが心配そうに僕の額に手を当てた。ひんやりとした彼の手が心地よくて、僕は思わず猫のようにその手に頬をすり寄せてしまう。
「……ん」
「おい、エリアス?」
いつもと違う僕の様子に、カイが怪訝な声を上げた。僕自身も、自分の行動に驚いていた。まるで、自分ではない誰かに体を乗っ取られたみたいに、本能が剥き出しになっていく感覚。
その時、僕の体から、ふわりと甘い香りが立ち上った。自分でも分かるほど濃厚な、花が咲き乱れるような甘い香り。
それは、オメガが発情期――ヒートを迎えた時に放つ、アルファを誘うためのフェロモンだった。
王宮にいた頃は、薬で厳重に抑制していたため、本格的なヒートを経験するのはこれが初めてだった。知識としては知っていたけれど、これほどまでに理性を奪われるものだとは、想像もしていなかった。
僕のフェロモンを嗅いだ瞬間、カイの表情が変わった。彼の金色の瞳が、一瞬、ギラリと獣のような光を宿す。彼の喉が、ごくりと鳴るのが見えた。彼から放たれるアルファのフェロモンも、今までとは比べ物にならないほど濃密になり、僕を支配しようとするかのように纏わりついてくる。
「……っ、カイ」
息が苦しい。熱い。体の芯が疼いて、どうにかなってしまいそうだった。
カイは、はっと我に返ったように一歩後ずさった。
「……すまん。お前、ヒートか」
彼は自分の腕を押さえ、必死に理性を保とうとしているようだった。額には汗が滲み、呼吸が荒くなっている。アルファにとって、発情したオメガのフェロモンは、抗うのが非常に困難な媚薬のようなものだ。特に、想いを寄せている相手であれば、なおさらだろう。
周囲で作業していた領民たちも、何事かとこちらを見ていた。まずい、と思った時にはもう遅かった。
「カイ……さん……くる、しい」
立っていることさえできなくなり、僕はその場に崩れ落ちそうになる。その体を、カイの太い腕が寸でのところで抱きとめた。
「しっかりしろ、エリアス!」
カイは僕を横抱きにすると、周囲の領民たちに叫んだ。
「すまん!エリアスを館に運ぶ!後のことは頼んだ!」
返事を聞く前に、カイは風のような速さで走り出した。彼の腕の中で、僕は彼のたくましい首筋に顔をうずめた。彼の匂いを、少しでも近くで感じたくてたまらない。
「……カイ……」
甘えるような声が出てしまう。自分でも、なんてはしたないのだろうと思うのに、口が勝手に彼の名前を呼んでいた。
館に駆け込むと、カイは僕を寝室のベッドにそっと降ろした。
「待ってろ。抑制剤を……いや、この辺境にそんなものはないか……」
カイが焦ったように部屋を見回す。だが、僕の体は、もう薬など求めていなかった。僕が求めているのは、たった一つ。
目の前にいる、このアルファだけ。
「カイ……どこにも、行かないで」
僕は、部屋を出て行こうとする彼の服の裾を、必死に掴んだ。潤んだ瞳で彼を見上げると、カイは苦しげに顔を歪めた。
「エリアス……俺は、お前を傷つけたくない」
「傷つかない……カイなら、いい」
それは、僕の心の底からの本心だった。この人に抱かれるのなら、何も怖くない。むしろ、それを望んでいる。
僕の言葉と、僕から放たれる甘いフェロモンが、カイの理性の最後の砦を打ち砕いたようだった。彼は、覚悟を決めたように、ゆっくりと僕に近づいてきた。
「……後悔、しないか」
「しない」
即答だった。
カイはベッドのそばに膝をつくと、僕の頬にそっと手を伸ばした。その眼差しは、欲望の色を隠しきれないながらも、どこまでも優しく、僕を慈しむ色に満ちていた。
「……本当に、あんたは」
彼は愛おしそうに呟くと、僕の汗で濡れた前髪を優しくかき上げる。そして、ゆっくりと顔を近づけてきた。
彼の唇が、僕の唇に触れる。
最初は、羽が触れるような、優しいキスだった。けれど、それはすぐに、互いの熱を確かめ合うような、深く、情熱的なものへと変わっていく。
『ああ……』
思考が、完全に溶けていく。
甘い香りに導かれるように、僕とカイは、ただ互いの本能のままに求め合った。熱に浮かされた体は、これから起こるであろう全てを、喜んで受け入れようとしていた。これが、オメガとしての僕の、そして、エリアスという一人の人間の、偽らざる願いだった。
辺境領は秋の収穫期を迎え、黄金色に輝く小麦畑が、風に吹かれてさざ波のように揺れていた。どこからともなく漂ってくる、焼きたてのパンの香ばしい匂い。それは、平和と豊かさの象徴そのものだった。
僕の体調に変化が訪れたのは、そんな実りの季節の真っただ中だった。
最初は、ほんの些細な違和感だった。体がいつもより熱っぽく、少しだけ気怠い。風邪でも引いたのかもしれない、と軽く考えていた。けれど、その症状は日を追うごとに強くなっていった。
体の奥から、じわりと熱が湧き上がってくる。思考がぼんやりと霞み、足元がおぼつかない。そして何より、カイの匂いに、ひどく敏感になった。彼が近くにいるだけで、彼のアルファとしてのフェロモンが、僕の理性を甘く溶かしていく。森と土と太陽の、あの力強い香りが、今の僕には抗いがたいほど魅力的に感じられた。
「エリアス?顔が赤いぞ。やはり、熱があるんじゃないか」
収穫作業の途中、カイが心配そうに僕の額に手を当てた。ひんやりとした彼の手が心地よくて、僕は思わず猫のようにその手に頬をすり寄せてしまう。
「……ん」
「おい、エリアス?」
いつもと違う僕の様子に、カイが怪訝な声を上げた。僕自身も、自分の行動に驚いていた。まるで、自分ではない誰かに体を乗っ取られたみたいに、本能が剥き出しになっていく感覚。
その時、僕の体から、ふわりと甘い香りが立ち上った。自分でも分かるほど濃厚な、花が咲き乱れるような甘い香り。
それは、オメガが発情期――ヒートを迎えた時に放つ、アルファを誘うためのフェロモンだった。
王宮にいた頃は、薬で厳重に抑制していたため、本格的なヒートを経験するのはこれが初めてだった。知識としては知っていたけれど、これほどまでに理性を奪われるものだとは、想像もしていなかった。
僕のフェロモンを嗅いだ瞬間、カイの表情が変わった。彼の金色の瞳が、一瞬、ギラリと獣のような光を宿す。彼の喉が、ごくりと鳴るのが見えた。彼から放たれるアルファのフェロモンも、今までとは比べ物にならないほど濃密になり、僕を支配しようとするかのように纏わりついてくる。
「……っ、カイ」
息が苦しい。熱い。体の芯が疼いて、どうにかなってしまいそうだった。
カイは、はっと我に返ったように一歩後ずさった。
「……すまん。お前、ヒートか」
彼は自分の腕を押さえ、必死に理性を保とうとしているようだった。額には汗が滲み、呼吸が荒くなっている。アルファにとって、発情したオメガのフェロモンは、抗うのが非常に困難な媚薬のようなものだ。特に、想いを寄せている相手であれば、なおさらだろう。
周囲で作業していた領民たちも、何事かとこちらを見ていた。まずい、と思った時にはもう遅かった。
「カイ……さん……くる、しい」
立っていることさえできなくなり、僕はその場に崩れ落ちそうになる。その体を、カイの太い腕が寸でのところで抱きとめた。
「しっかりしろ、エリアス!」
カイは僕を横抱きにすると、周囲の領民たちに叫んだ。
「すまん!エリアスを館に運ぶ!後のことは頼んだ!」
返事を聞く前に、カイは風のような速さで走り出した。彼の腕の中で、僕は彼のたくましい首筋に顔をうずめた。彼の匂いを、少しでも近くで感じたくてたまらない。
「……カイ……」
甘えるような声が出てしまう。自分でも、なんてはしたないのだろうと思うのに、口が勝手に彼の名前を呼んでいた。
館に駆け込むと、カイは僕を寝室のベッドにそっと降ろした。
「待ってろ。抑制剤を……いや、この辺境にそんなものはないか……」
カイが焦ったように部屋を見回す。だが、僕の体は、もう薬など求めていなかった。僕が求めているのは、たった一つ。
目の前にいる、このアルファだけ。
「カイ……どこにも、行かないで」
僕は、部屋を出て行こうとする彼の服の裾を、必死に掴んだ。潤んだ瞳で彼を見上げると、カイは苦しげに顔を歪めた。
「エリアス……俺は、お前を傷つけたくない」
「傷つかない……カイなら、いい」
それは、僕の心の底からの本心だった。この人に抱かれるのなら、何も怖くない。むしろ、それを望んでいる。
僕の言葉と、僕から放たれる甘いフェロモンが、カイの理性の最後の砦を打ち砕いたようだった。彼は、覚悟を決めたように、ゆっくりと僕に近づいてきた。
「……後悔、しないか」
「しない」
即答だった。
カイはベッドのそばに膝をつくと、僕の頬にそっと手を伸ばした。その眼差しは、欲望の色を隠しきれないながらも、どこまでも優しく、僕を慈しむ色に満ちていた。
「……本当に、あんたは」
彼は愛おしそうに呟くと、僕の汗で濡れた前髪を優しくかき上げる。そして、ゆっくりと顔を近づけてきた。
彼の唇が、僕の唇に触れる。
最初は、羽が触れるような、優しいキスだった。けれど、それはすぐに、互いの熱を確かめ合うような、深く、情熱的なものへと変わっていく。
『ああ……』
思考が、完全に溶けていく。
甘い香りに導かれるように、僕とカイは、ただ互いの本能のままに求め合った。熱に浮かされた体は、これから起こるであろう全てを、喜んで受け入れようとしていた。これが、オメガとしての僕の、そして、エリアスという一人の人間の、偽らざる願いだった。
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