12 / 16
第11話「目覚めの孤独と失われた熱」
しおりを挟む
ヴィオの意識が深い暗闇からゆっくりと浮上してきたのは、それから丸二日が経過した日の昼下がりだった。
まぶたの裏に差し込む淡い光に促されるように、ヴィオは重い目を開けた。視界はしばらくぼやけていたが、やがて見慣れた自分の寝室の天井が結像した。頭の奥には鈍い痛みが残り、全身の筋肉は鉛を詰め込まれたように重く怠い。
ヴィオは自分がなぜベッドに寝かされているのかを思い出すために、記憶の糸を慎重にたぐり寄せた。
特務機関の討伐任務。反体制派の残党を追い詰めた際、彼らが起爆させたのは単なる爆発物ではなく、蛇獣人にとって致命的な氷結毒を広範囲に散布する特殊な罠だった。部下を庇い、その冷気を全身に浴びたヴィオは、想像を絶する寒さと痛みに襲われ、その後の記憶が完全に途切れている。
『俺は……生きているのか。あの毒を致死量浴びて、なぜ』
ヴィオはゆっくりと首を動かし、周囲を見渡した。ベッドの脇には医療用の器具が置かれ、空気には微かな薬品の匂いが漂っている。しかし、ヴィオが何よりも違和感を覚えたのは、その薬品の匂いではなかった。
あの不器用で、無神経なほどに温かい、甘い干し草の匂いが、どこにもしないのだ。
ヴィオはベッドから上半身を起こそうとしたが、力が入らずに再びシーツに背中を沈めた。そのわずかな動きで、彼は自分が着せられている寝巻きの冷たさと、部屋全体の寒々しい空気に気づいた。暖炉には火が入っているはずなのに、ヴィオの肌は鳥肌が立つほどに冷え切っている。
「……ルカ」
ひび割れた声で、ヴィオは無意識にその名を呼んだ。
普段なら、自分が少しでも不機嫌な声を出せば、すぐにどうしましたかとのんきな顔で覗き込んでくるはずの温かい亜麻色の毛玉。しかし、いくら待っても返事はない。部屋は不気味なほどの静寂に包まれていた。
ヴィオの胸の奥に、得体の知れない不安が黒い染みのように広がり始めた。
自分が生きてこのベッドにいるということは、あの夜、ルカがここにいたはずだ。ヴィオの記憶の最底辺には、氷のように冷え切った自分の身体を、必死に抱きしめ、涙をこぼしながら熱を与え続けてくれた温かい感触が、夢のようにおぼろげに残っていた。
『あいつは……俺を温めるために……』
ヴィオは奥歯を強く噛み締めた。カピバラ獣人の体温が高いとはいえ、氷結毒に侵された自分の身体に長時間触れ続けることがどれほど危険か、少し考えればわかることだ。あのお人好しで無防備なオメガは、自分の命を削ってまで、この冷酷なアルファを救おうとしたのだ。
ヴィオは強引に身体を起こし、ベッドから足を通した。足元がおぼつかなく、床に崩れ落ちそうになるのを必死にこらえながら、彼は寝室の扉に向かって叫んだ。
「誰かいるか! 入れ」
その怒声に驚き、廊下に待機していた部下が慌てて部屋に飛び込んできた。ヴィオが起き上がっているのを見て、部下は安堵と驚きの表情を浮かべる。
「隊長! お目覚めになられたのですね。よかった……本当に、一時はどうなることかと」
「そんな報告はどうでもいい。ルカはどこだ」
ヴィオの声は低く、凍てつくようなアルファの威圧感が部下を打ち据えた。部下は言葉に詰まり、視線を泳がせた。
「あの……ルカ殿は、現在別の部屋で治療を受けておられます。隊長を三日三晩温め続けた結果、極度の疲労と急激な体温低下を引き起こし……まだ、意識が戻っておりません」
部下の言葉を聞いた瞬間、ヴィオの頭の中が真っ白になった。
自分の命が助かった代償として、あの温かい太陽のような存在が失われようとしている。その事実が、ヴィオの心をかつてないほどの恐怖と後悔で苛んだ。
「案内しろ。今すぐだ」
ヴィオは制止しようとする部下を鋭い眼光で黙らせ、壁を伝いながら歩き出した。身体の節々が軋み、冷や汗が流れるが、そんなことはどうでもよかった。今すぐあの甘い匂いを確かめなければ、自分が本当に生きていることすら実感できない。ヴィオにとって、ルカはすでに単なる抱き枕などではなく、自分の命そのものと同じ価値を持つ存在になっていた。
まぶたの裏に差し込む淡い光に促されるように、ヴィオは重い目を開けた。視界はしばらくぼやけていたが、やがて見慣れた自分の寝室の天井が結像した。頭の奥には鈍い痛みが残り、全身の筋肉は鉛を詰め込まれたように重く怠い。
ヴィオは自分がなぜベッドに寝かされているのかを思い出すために、記憶の糸を慎重にたぐり寄せた。
特務機関の討伐任務。反体制派の残党を追い詰めた際、彼らが起爆させたのは単なる爆発物ではなく、蛇獣人にとって致命的な氷結毒を広範囲に散布する特殊な罠だった。部下を庇い、その冷気を全身に浴びたヴィオは、想像を絶する寒さと痛みに襲われ、その後の記憶が完全に途切れている。
『俺は……生きているのか。あの毒を致死量浴びて、なぜ』
ヴィオはゆっくりと首を動かし、周囲を見渡した。ベッドの脇には医療用の器具が置かれ、空気には微かな薬品の匂いが漂っている。しかし、ヴィオが何よりも違和感を覚えたのは、その薬品の匂いではなかった。
あの不器用で、無神経なほどに温かい、甘い干し草の匂いが、どこにもしないのだ。
ヴィオはベッドから上半身を起こそうとしたが、力が入らずに再びシーツに背中を沈めた。そのわずかな動きで、彼は自分が着せられている寝巻きの冷たさと、部屋全体の寒々しい空気に気づいた。暖炉には火が入っているはずなのに、ヴィオの肌は鳥肌が立つほどに冷え切っている。
「……ルカ」
ひび割れた声で、ヴィオは無意識にその名を呼んだ。
普段なら、自分が少しでも不機嫌な声を出せば、すぐにどうしましたかとのんきな顔で覗き込んでくるはずの温かい亜麻色の毛玉。しかし、いくら待っても返事はない。部屋は不気味なほどの静寂に包まれていた。
ヴィオの胸の奥に、得体の知れない不安が黒い染みのように広がり始めた。
自分が生きてこのベッドにいるということは、あの夜、ルカがここにいたはずだ。ヴィオの記憶の最底辺には、氷のように冷え切った自分の身体を、必死に抱きしめ、涙をこぼしながら熱を与え続けてくれた温かい感触が、夢のようにおぼろげに残っていた。
『あいつは……俺を温めるために……』
ヴィオは奥歯を強く噛み締めた。カピバラ獣人の体温が高いとはいえ、氷結毒に侵された自分の身体に長時間触れ続けることがどれほど危険か、少し考えればわかることだ。あのお人好しで無防備なオメガは、自分の命を削ってまで、この冷酷なアルファを救おうとしたのだ。
ヴィオは強引に身体を起こし、ベッドから足を通した。足元がおぼつかなく、床に崩れ落ちそうになるのを必死にこらえながら、彼は寝室の扉に向かって叫んだ。
「誰かいるか! 入れ」
その怒声に驚き、廊下に待機していた部下が慌てて部屋に飛び込んできた。ヴィオが起き上がっているのを見て、部下は安堵と驚きの表情を浮かべる。
「隊長! お目覚めになられたのですね。よかった……本当に、一時はどうなることかと」
「そんな報告はどうでもいい。ルカはどこだ」
ヴィオの声は低く、凍てつくようなアルファの威圧感が部下を打ち据えた。部下は言葉に詰まり、視線を泳がせた。
「あの……ルカ殿は、現在別の部屋で治療を受けておられます。隊長を三日三晩温め続けた結果、極度の疲労と急激な体温低下を引き起こし……まだ、意識が戻っておりません」
部下の言葉を聞いた瞬間、ヴィオの頭の中が真っ白になった。
自分の命が助かった代償として、あの温かい太陽のような存在が失われようとしている。その事実が、ヴィオの心をかつてないほどの恐怖と後悔で苛んだ。
「案内しろ。今すぐだ」
ヴィオは制止しようとする部下を鋭い眼光で黙らせ、壁を伝いながら歩き出した。身体の節々が軋み、冷や汗が流れるが、そんなことはどうでもよかった。今すぐあの甘い匂いを確かめなければ、自分が本当に生きていることすら実感できない。ヴィオにとって、ルカはすでに単なる抱き枕などではなく、自分の命そのものと同じ価値を持つ存在になっていた。
40
あなたにおすすめの小説
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
【完結】精霊に選ばれなかった私は…
まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。
しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。
選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。
選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。
貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…?
☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる