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第6話「陽だまりの香り」
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平穏な日々は、唐突な変化を迎えた。
朝起きると、体が熱かった。
風邪ではない。体の奥底から湧き上がるような、甘く重たい熱。
息が荒くなる。
「まさか……」
発情期(ヒート)だ。
予定よりずっと早い。
この城に来てからの安心感と、栄養状態の改善、そして何より――近くに強力なアルファであるザルドリスがいることで、誘発されてしまったのだ。
「うっ……」
視界が揺れる。
本能が「巣」を求めて暴れだす。
自分の部屋はすでに完璧な巣になっているが、それでも足りない。
もっと強い匂いが欲しい。
安心できる、あの人の匂いが。
私はふらつく足で部屋を出た。
抑制剤はない。
どうすればいいか分からないまま、本能の赴くままに廊下を彷徨う。
向かう先は、一つしかない。
オメガの本能が、最も強いアルファである彼を求めているのだ。普段なら理性が止めるはずの足が、今は勝手に動いてしまう。
城の最上階。ザルドリスの寝室だ。
意識が朦朧とする中、私は重い扉を押し開けた。
部屋には誰もいない。ザルドリスは執務中なのだろう。
残っているのは、彼の濃厚な残り香だけ。
「あぁ……」
私は彼のベッドに倒れ込んだ。
枕に顔を埋め、深呼吸する。
雨と森の香り。彼の匂いが肺を満たすと、暴れていた神経が少しだけ鎮まる。
もっと。もっと欲しい。
私は無意識のうちに、彼の掛け布団にくるまり、さらにその上から自分の匂いのついたクッションを引き寄せ、完全な繭を作った。
熱い。苦しい。でも、ここは安全だ。
そう信じて、私は意識を手放した。
***
ザルドリスは異変を感じていた。
城中に、甘い香りが漂っているのだ。
今まで感じていた「陽だまりのような匂い」が、何倍にも濃縮され、脳を直接揺さぶるような色気を帯びている。
「……リノか」
彼はペンを置き、立ち上がった。
城の魔物たちがそわそわとしている。
下位の魔物にとって、オメガの発情フェロモンは毒にも薬にもなる。
だが、今のこの香りは、明らかに特定の相手――つまりアルファであるザルドリスを求めていた。
「ギル、誰も私の部屋に近づけるな」
「はっ。承知いたしました」
ザルドリスは回廊を駆けた。
焦りがあった。
もし他の魔物がリノに手を出したら、という想像だけで、はらわたが煮えくり返りそうだった。
自分のものだ。
誰にも渡さない。
その独占欲が、彼の中のアルファの本能を呼び覚ましていた。
寝室の扉を開ける。
香りの奔流が押し寄せる。
ベッドの上には、布団とクッションで作られた巨大な塊があった。
そこから、切なげな吐息が漏れている。
「……リノ」
ザルドリスは近づき、布団をめくった。
そこには、汗に濡れ、頬を紅潮させたリノがいた。
潤んだ瞳が、ザルドリスを捉える。
「……ま、おう……さま……」
その声は、理性を吹き飛ばすほどの破壊力を持っていた。
ザルドリスは喉を鳴らした。
食らいたい。
今すぐこの喉元に噛みつき、自分の番(つがい)にしてしまいたい。
だが、彼はギリギリで踏みとどまった。
リノは正気ではない。
こんな状態で結ばれても、それはただの本能の処理だ。
彼はリノを大切にしたいと思っていた。
こんなにも城を、そして自分を変えてくれた小さな魔法使いを、傷つけたくなかった。
「……辛いか」
ザルドリスはベッドに上がり、リノを抱きしめた。
「あ……」
リノがしがみついてくる。
小さな体が熱い。
「大丈夫だ。何もしない。……いや、少しだけ我慢しろ」
ザルドリスは自身のフェロモンを解放した。
威圧のためではない。
相手を包み込み、安心させ、守護するためのフェロモンだ。
「――ッ」
リノの体がビクリと震え、そして力が抜けた。
強いアルファのフェロモンによる「中てられ」のような状態だが、今のリノには鎮静剤の役割を果たす。
「ここにいる。どこにも行かん」
ザルドリスはリノの背中をゆっくりと撫で続けた。
リノの呼吸が次第に整っていく。
「……いい匂い……」
リノがつぶやき、ザルドリスの胸に顔を擦り付けた。
その無防備な信頼が、ザルドリスの胸を締め付ける。
「……貴様は、本当に……」
厄介な存在だ。
だが、もう手放せない。そう確信していた。
ザルドリスはその夜、一睡もせずにリノを見守り続けた。
襲いかかる己の本能と戦いながら、腕の中の温もりを守り抜いたのだった。
朝起きると、体が熱かった。
風邪ではない。体の奥底から湧き上がるような、甘く重たい熱。
息が荒くなる。
「まさか……」
発情期(ヒート)だ。
予定よりずっと早い。
この城に来てからの安心感と、栄養状態の改善、そして何より――近くに強力なアルファであるザルドリスがいることで、誘発されてしまったのだ。
「うっ……」
視界が揺れる。
本能が「巣」を求めて暴れだす。
自分の部屋はすでに完璧な巣になっているが、それでも足りない。
もっと強い匂いが欲しい。
安心できる、あの人の匂いが。
私はふらつく足で部屋を出た。
抑制剤はない。
どうすればいいか分からないまま、本能の赴くままに廊下を彷徨う。
向かう先は、一つしかない。
オメガの本能が、最も強いアルファである彼を求めているのだ。普段なら理性が止めるはずの足が、今は勝手に動いてしまう。
城の最上階。ザルドリスの寝室だ。
意識が朦朧とする中、私は重い扉を押し開けた。
部屋には誰もいない。ザルドリスは執務中なのだろう。
残っているのは、彼の濃厚な残り香だけ。
「あぁ……」
私は彼のベッドに倒れ込んだ。
枕に顔を埋め、深呼吸する。
雨と森の香り。彼の匂いが肺を満たすと、暴れていた神経が少しだけ鎮まる。
もっと。もっと欲しい。
私は無意識のうちに、彼の掛け布団にくるまり、さらにその上から自分の匂いのついたクッションを引き寄せ、完全な繭を作った。
熱い。苦しい。でも、ここは安全だ。
そう信じて、私は意識を手放した。
***
ザルドリスは異変を感じていた。
城中に、甘い香りが漂っているのだ。
今まで感じていた「陽だまりのような匂い」が、何倍にも濃縮され、脳を直接揺さぶるような色気を帯びている。
「……リノか」
彼はペンを置き、立ち上がった。
城の魔物たちがそわそわとしている。
下位の魔物にとって、オメガの発情フェロモンは毒にも薬にもなる。
だが、今のこの香りは、明らかに特定の相手――つまりアルファであるザルドリスを求めていた。
「ギル、誰も私の部屋に近づけるな」
「はっ。承知いたしました」
ザルドリスは回廊を駆けた。
焦りがあった。
もし他の魔物がリノに手を出したら、という想像だけで、はらわたが煮えくり返りそうだった。
自分のものだ。
誰にも渡さない。
その独占欲が、彼の中のアルファの本能を呼び覚ましていた。
寝室の扉を開ける。
香りの奔流が押し寄せる。
ベッドの上には、布団とクッションで作られた巨大な塊があった。
そこから、切なげな吐息が漏れている。
「……リノ」
ザルドリスは近づき、布団をめくった。
そこには、汗に濡れ、頬を紅潮させたリノがいた。
潤んだ瞳が、ザルドリスを捉える。
「……ま、おう……さま……」
その声は、理性を吹き飛ばすほどの破壊力を持っていた。
ザルドリスは喉を鳴らした。
食らいたい。
今すぐこの喉元に噛みつき、自分の番(つがい)にしてしまいたい。
だが、彼はギリギリで踏みとどまった。
リノは正気ではない。
こんな状態で結ばれても、それはただの本能の処理だ。
彼はリノを大切にしたいと思っていた。
こんなにも城を、そして自分を変えてくれた小さな魔法使いを、傷つけたくなかった。
「……辛いか」
ザルドリスはベッドに上がり、リノを抱きしめた。
「あ……」
リノがしがみついてくる。
小さな体が熱い。
「大丈夫だ。何もしない。……いや、少しだけ我慢しろ」
ザルドリスは自身のフェロモンを解放した。
威圧のためではない。
相手を包み込み、安心させ、守護するためのフェロモンだ。
「――ッ」
リノの体がビクリと震え、そして力が抜けた。
強いアルファのフェロモンによる「中てられ」のような状態だが、今のリノには鎮静剤の役割を果たす。
「ここにいる。どこにも行かん」
ザルドリスはリノの背中をゆっくりと撫で続けた。
リノの呼吸が次第に整っていく。
「……いい匂い……」
リノがつぶやき、ザルドリスの胸に顔を擦り付けた。
その無防備な信頼が、ザルドリスの胸を締め付ける。
「……貴様は、本当に……」
厄介な存在だ。
だが、もう手放せない。そう確信していた。
ザルドリスはその夜、一睡もせずにリノを見守り続けた。
襲いかかる己の本能と戦いながら、腕の中の温もりを守り抜いたのだった。
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