氷の支配者と偽りのベータ。過労で倒れたら冷徹上司(銀狼)に拾われ、極上の溺愛生活が始まりました。

水凪しおん

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第8話「反撃の狼煙、その名は橘蓮」

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 蓮さんの隣にいると決めてから、僕の日常は再び静かなものに戻った。
 しかしその水面下で、蓮さんが僕のために動いてくれていることは、ひしひしと感じていた。
 彼は日中、書斎にこもることが多くなった。
 時折聞こえてくる電話の声は、いつも冷静沈着でありながら、相手を凍りつかせるような鋭さを秘めている。

「証拠は全て揃っているはずだ。金の流れを徹底的に洗え。どんな些細なことでも見逃すな」
「弁護団には、最高のチームを。費用はいくらかかっても構わん」
「情報漏洩のルートを特定しろ。社内ネットワークのアクセスログ、監視カメラの映像、全てだ。時間はかけられない」

 その指示の一つ一つが、僕を貶めた者たちを追い詰めるための、緻密な罠となって張り巡らされているのがわかった。
 僕のために、日本の経済を動かすほどの力を持つ男が、その頭脳と権力のすべてを使おうとしている。
 その事実に、僕は身震いするほどの心強さと、同時にわずかな罪悪感を覚えていた。

「僕のために、すみません。大変なことに……」

 ある夜、書斎で難しい顔をしてパソコンに向かう蓮さんに、僕は温かいハーブティーを差し入れながら言った。
 蓮さんはモニターから目を離すと、僕の顔を見て、ふっと表情を和らげた。

「君が謝ることじゃない。これは、私の問題でもあるんだ。私の大切な番が、謂れのないことで傷つけられたんだからな。落とし前は、きっちりつけてもらわないと気が済まん」

 そう言って、僕の手からカップを受け取ると、その手を優しく握った。

「それに、これは君だけの戦いでもない。君と同じように、不当な扱いに苦しんでいるオメガたちのための戦いでもあるんだ」

 彼の言葉に、僕はハッとした。
 僕は、自分のことばかり考えていた。
 自分が傷つくのが怖い、自分のせいで蓮さんに迷惑がかかるのが嫌だ、と。
 でも、蓮さんはもっと広い視野で、この問題を見据えていた。

「橘財閥は、近々、ダイバーシティ推進に向けた新しいガイドラインを発表する予定だ。そこには、オメガの人権保護と、職場環境の改善に関する項目も盛り込まれる。今回の件は、その試金石だ。中央都市銀行のような旧態依然とした組織の膿を出し切る、いい機会になる」

 彼の瞳には、経営者としての強い意志の光が宿っていた。
 この人は、ただ僕への愛情だけで動いているわけじゃない。
 その先にある、より良い社会を見据えているんだ。
 その大きさに、僕は改めて胸を打たれた。

「君は、何も心配せず、ここにいればいい。そして、元気になったら、君のやりたいことを探せばいい。君の人生は、あんな薄汚い銀行のオフィスで終わるものじゃない」

「僕の、やりたいこと……」

 考えたこともなかった。
 僕はただ、オメガであることを隠して、ベータとして人並みに働き、生きていくことしか考えてこなかったから。

「君は、料理がうまい。君の作る食事は、どんな高級レストランのものより、私の心を落ち着かせる」

 蓮さんは、ハーブティーを一口のむと、穏やかな声で言った。

「例えば、そういう才能を活かす道もあるんじゃないか」

 彼の言葉が、僕の心の中に、小さな灯りをともした。
 僕にも、何かできることがあるのかもしれない。
 誰かに決められた道じゃなく、僕自身が選ぶ道を、歩いていけるのかもしれない。
 蓮さんがいれば、それができるのかもしれない。

 ***

 一方、中央都市銀行内では、高梨課長が焦りを募らせていた。
 橘蓮が監査役として乗り込んできてから、プロジェクトは完全に彼の支配下に置かれた。
 高梨の出る幕は、もはやどこにもない。
 それどころか、蓮は過去の案件にまで遡り、金の流れを徹底的に調査し始めていた。
 高梨がこれまで行ってきた、業者との癒着や不正な経費の計上などが、次々と暴かれようとしている。

「くそっ……あの橘の若造め……!」

 高梨は、自分のオフィスで悪態をついた。
 追い詰められた彼は、起死回生の一手として、湊の噂をさらに悪質なものにして流すことを画策する。

『水瀬はオメガのフェロモンで橘をたぶらかし、プロジェクトの情報をライバル企業に流していた』

 そんな、完全な捏造情報を、匿名でマスコミにリークしようと考えたのだ。
 橘蓮個人だけでなく、橘財閥そのものにダメージを与えれば、自分への追及も緩むかもしれない。
 そして、全ての責任を水瀬湊に押し付けて、自分は逃げ切れる。
 浅はかで、卑劣な考えだった。

 高梨は、懇意にしている週刊誌の記者に連絡を取った。
 そして、自分がでっち上げたスキャンダルを、得意げに語り始めた。

 だが、彼は知らなかった。
 その通話が、全て蓮の手の者によって盗聴されていることなど、夢にも思っていなかったのだ。
 蓮が張り巡らせた見えない網は、すでに獲物を捕らえ、ゆっくりと絞め上げ始めていた。
 裁きの時は、すぐそこまで迫っていた。
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