氷の支配者と偽りのベータ。過労で倒れたら冷徹上司(銀狼)に拾われ、極上の溺愛生活が始まりました。

水凪しおん

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第10話「過去との対峙、雪解けの故郷」

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「先日、君のご実家に連絡させてもらった」

 蓮さんの言葉に、僕は心臓が凍りつくような思いがした。
 実家。
 厳格な父、無関心な母、僕をどこか見下していた兄。
 オメガとして生まれた僕を「家の恥だ」とまで言った、あの家族。

「な、んで……」

「君が倒れたことを、知らせておくべきだと思った。それに……君が前に進むためには、いつか、向き合わなければならないと思ったからだ」

 彼の真剣な眼差しに、僕は反論の言葉を失った。
 確かに、その通りだ。
 僕は、家を飛び出して以来、一度も実家に連絡していない。
 両親がどうしているのか、何も知らない。
 このまま、一生逃げ続けるわけにはいかない。

「君のお父さんが、体調を崩して倒れられたそうだ」

「え……!」

「幸い、命に別状はないらしい。だが、今回の件で、少し考え方が変わったようだ。『息子に会って、話がしたい』と、そう言っていた」

 父が、僕に会いたいと?
 あの、頑固で、僕のことなど何とも思っていなかったはずの父が?
 信じられなかった。

「湊。私と、一緒に帰ってくれないか」

 蓮さんは、僕の手を強く握りしめた。

「君のパートナーとして、君のご家族に挨拶がしたい。そして、君がどれだけ素晴らしい人間か、私が彼らに証明する」

 その言葉は、僕の固く閉ざした心を、こじ開けるには十分すぎるほどの力を持っていた。
 一人では、帰る勇気はなかった。
 でも、蓮さんが一緒にいてくれるなら。
 この人となら、僕は過去と向き合えるかもしれない。

「……はい。帰ります、一緒に」

 僕は、震える声でそう答えた。

 ***

 数日後。
 僕と蓮さんは、新幹線に乗って、僕の故郷へと向かっていた。
 窓の外を流れていく景色が、少しずつ見慣れた田舎の風景に変わっていく。
 その風景を見るたびに、僕の胸は苦しくなった。
 良い思い出なんて、ほとんどない場所。

「大丈夫か」

 隣に座る蓮さんが、心配そうに僕の顔を覗き込む。
 僕は、力なく笑って見せた。

「大丈夫です。……少し、緊張しているだけで」

「無理はするな。辛くなったら、すぐに言うんだ」

「はい」

 彼の優しさが、ささくれだった僕の心を慰めてくれる。

 駅に着くと、兄が車で迎えに来てくれていた。
 兄と会うのも、数年ぶりだ。
 昔よりも少し痩せて、顔には疲労の色が浮かんでいた。

「……湊か。久しぶりだな」

 兄の態度は、昔のような刺々しさがなく、どこかぎこちなかった。
 そして、僕の隣に立つ蓮さんの姿を見て、明らかに戸惑っている。

「こちら、俺のパートナーの、橘蓮さん」

 僕が紹介すると、蓮さんは丁寧にお辞儀をした。

「初めまして。橘と申します。湊さんには、公私にわたってお世話になっております」

 その完璧な物腰と、隠しきれないオーラに、兄は完全に気圧されていた。
 車の中では、気まずい沈黙が流れた。

 実家に着くと、母が玄関先で待っていた。
 母も、僕の顔を見るなり、泣きそうな、申し訳なさそうな、複雑な表情を浮かべた。

 そして、客間で待っていたのは、病床から体を起こした父だった。
 昔は、山のように大きく見えた父の背中が、今は小さく、弱々しく見えた。

「……湊か」

 かすれた声で、父が僕を呼ぶ。

「ただいま、父さん」

 それが、僕に言える精一杯の言葉だった。

 父は、僕の隣に立つ蓮さんに視線を移した。
 蓮さんは、臆することなく、まっすぐに父を見つめ返すと、深々と頭を下げた。

「橘蓮と申します。本日は、息子さんである湊さんとの、将来を前提としたお付き合いのご挨拶に伺いました」

 その堂々とした口上に、父も母も、兄も、息をのんだ。
 父は、しばらく黙って蓮さんを睨みつけるように見ていたが、やがて、重い口を開いた。

「……お前さんのような立派な方が、なぜ、うちの湊のような……オメガの男を」

 その言葉には、昔のような侮蔑の色はなかった。
 ただ、純粋な疑問と、戸惑いが込められているように聞こえた。

「私が、彼を愛しているからです」

 蓮さんは、きっぱりと言い切った。

「彼の性別など、関係ありません。私は、水瀬湊という人間の、その誠実さ、優しさ、そして何より、その魂の強さに惹かれました。彼こそが、私の生涯の伴侶です。これ以上の人間は、どこを探してもおりません」

 彼の言葉は、嘘偽りのない、真実の響きを持っていた。
 僕の家族は、その言葉に、ただ圧倒されていた。
 僕も、胸が熱くなった。
 こんなにも真っ直ぐに、僕のことを肯定してくれる人がいる。
 その事実が、僕に勇気を与えてくれた。

「父さん、母さん、兄さん」

 僕は、家族の顔を一人一人見つめた。

「今まで、心配かけてごめんなさい。僕は、オメガであることからずっと逃げてきた。この家のことも、自分のことも、嫌いだった。でも、今は違う。蓮さんに出会って、僕は、僕自身を初めて受け入れることができた。オメガである僕を、誇りに思えるようになった」

 僕の言葉に、父の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

「……そうか。お前は、立派になったんだな」

 父は、震える手で、僕の手を握った。

「すまなかった、湊。わしは、父親失格だ。お前のことを、何一つ理解しようとしてやれなかった」

 父からの、初めての謝罪の言葉だった。
 その一言で、僕の心の中に長年つかっていた氷が、ガラガラと音を立てて溶けていくのがわかった。

 その日、僕たちは、初めて本当の意味で「家族」として、語り合った。
 父の病気のこと、家の将来のこと、そして、僕と蓮さんの未来のこと。
 雪深い故郷の景色が、その日は、なぜかとても温かく見えた。
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