彼女は僕の血を喰らう。

宮塚恵一

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第2話 僕は彼女の手を握る。

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 眞弓の家の明かりも消えている。
 僕は何とか彼女の部屋に行けないかと考えていると、眞弓からスマホにメッセージが届いた。

『庭にいる』

 それだけの簡素なメッセージ。
 僕はそうっと眞弓の家の庭に侵入する。そこには、うずくまって腹を抱える眞弓がいた。

「遅い。後少しで、俺もこの女の親御に噛み付くところであった」
「待っていてくれたのか」
「勘違いをするな。俺は許されるならすぐにでも、お前以外の血を吸いたい。だが、そうすれば魔を狩る者がやってくる。俺は死にたくない。それだけだ」
「わかったから」

 寝巻きのまま飛び出て来たので、普段より首元を差し出すのが楽だった。
 僕が髪をかき上げた瞬間、眞弓は僕に飛びつき、首に噛み付いた。

 気絶してしまった時程ではないが、普段よりも吸い付きが激しい。いつもなら、咥えたところから血が垂れないようにしているのに、今回はそんなのお構いなしだ。
 首筋から血が垂れる。垂れた血も、眞弓は手で受け取り、舐める。
 息が出来ないくらいの強さで僕に抱き着いて、両脚も僕の背中に絡みつけて、まるで僕を逃がさないとでも言うかのような形相だ。

 そんな顔しなくたって、僕は逃げやしない。

 そう言いたかったが、痛みに耐え、意識を平然と保つのに精一杯で、言葉なんて発せやしなかった。

「済んだ」

 ぶはぁ、と潜水から帰還したような吐息を漏らした後、苛ついた声音で眞弓は言った。

「こんな時間に吸血衝動なんて」

 本来、伝説上の吸血鬼であれば、むしろ真夜中に人の血を吸うのは自然だ。
 だが、眞弓がこんな時間に吸血衝動に襲われて、別人格に切り替わるなんてこと、今までなかった。

「ああ。やはり安定しない」
「もしかしてさ」
「うん?」
「他の吸血鬼が、関係してるのかな。ほら、この街で今、人を襲ってるって言う」

 吸血鬼が再びこの街に現れて、その存在を街の人々も感じ取って、恐れている。
 そのせいで、吸血鬼全体の強度が上がっていて、眞弓もそれに引っ張られている、とか。

「あり得ん話でもなさそうだな」

 僕は大きく溜息をついた。

「でもそんなの、僕らにはどうしようもないじゃないか」

 僕さえ眞弓に血を与え続けていれば。眞弓さえ僕以外の誰かを襲わなければ。

 何とかなるって、そう思っていたのに。

叶斗かなと……」

 眞弓が僕の名前を読んだ。さっきまでの血走った眼じゃない。いつの間に、元の人格に戻っている。

「あたし、怖いよ」

 僕だって、と言おうとして、その言葉を必死で呑み込んだ。
 眞弓が不安な今、僕まで一緒に頭を抱えてどうする。

「もう大丈夫?」
「うん、なんとか」

 流石にこんな時間に眞弓の部屋まで着いて行くわけにはいかない。
 二人で話し合って、眞弓が部屋に着いたら僕にメッセージを送り、僕はそれを確認してから家に戻る、ということにした。

 問題なく、相談した通りにことは進み、僕も自分の家に戻ったが、結局眠れず、日が昇ってから寝た。

 その日も学校だったから、一時間か二時間くらいだけ眠って学校に行った。

「おはよう」

 眞弓を迎えに行くと、彼女の方もあまり眠れなかったようで、ふらついた様子だ。

 いつもなら、このタイミングで吸血の時間なのだが、ペンダントが光る様子はない。
 昨日の夜中に血を吸ってしまったせいで、リズムが崩れたか。まずいな。また授業中に吸血衝動が来るかもしれない。

「ごめんね」

 小さな声音で放った眞弓の言葉に、僕はうまく返すことができなかった。

 結果として、その日は何事もなく過ごすことができた。朝を除いて、昼も夜も想定時間内に吸血衝動が来て、人格が入れ替わり、僕も血を吸わせる。慣れ親しんだルーティン。

 昨日が昨日だっただけに、妙な安心感があって、久々に眞弓の血を吸う姿に、少しだけどきどきした。

 たまに授業中や真夜中に吸血衝動が来たりしつつも、そんなイレギュラーにも慣れていく。
 そして一週間が過ぎ、また真夜中に眞弓の元へ行こうとした時だった。

「どこに行くの」

 玄関から出ようとしたところで、お母さんに捕まった。

「えっと」

 うまく説明できない。こんな可能性があることはちゃんと考えておくべきだったのに。
 だからって、こんなところであたふたしている暇はない。早く行かないと、眞弓が。

「ごめん、お母さん」

 僕はお母さんを振り切って、玄関から飛び出た。
 急がないと。急がないと、眞弓が家族を襲ってしまうかもしれない。そうなったら最悪だ。それ以上のことが考えられずに、ひたすらに走ったところで。

 目の前に、ポツリと。

 人影が立ち塞がっているのを目撃した。一瞬、眞弓かと思ったけれど、違う。
 知らない制服を着ている女の子だ。

 他人のことは言えないが、こんな時間に不用心だと思いながらも、今は眞弓のこと以外考えられず、僕はその子を避けてそのまま眞弓の家に向かおうとした。

「待て」

 低く、道を横断するように響く声が、耳に届いた。
 その声を聞いた瞬間に僕の脚はもつれ、その場で僕は転倒した。

「あは」

 ふと顔を上げると、さっきの女の子が僕を見下ろしていた。

「貴方、私の同胞かと思ったけど、違うみたい。おかしいな、確かにおんなじ匂いがするんだけど」

 女の子はくんくんと僕の顔に顔を近づけて、匂いを嗅いだ。

「あはあ」

 すると女の子はまた楽しげに笑った。その口から、吐き気を催すような金属臭がした。この臭いには、覚えがある。

「君は……」
「やっぱり、吸血鬼の匂い。でも貴方は吸血鬼じゃない。どうしたんだろ。あ、もしかしてお仲間の餌?」

 女の子は僕の頭頂部を乱暴に掴むと、舌舐めずりをした。

「いいね。この街の人間の血、どれも変わり映えしなくてつまんないと思ってたところなんだよね。そろそろデザートも欲しかったところだし、お仲間がそんなに気に入ってる餌なら、楽しめるかな!? ん? でも他の仲間の餌を勝手に貰ったら怒られるかな? ま、いいか。そんなの」

 女の子が口を開けた。長く伸びる四本の牙が見える。眞弓にはないけれど、吸血鬼の特徴だ。
 糞。逃げたいのに。早く眞弓のところに行かなくちゃいけないのに脚が動かない。自分の物なのに、自分の脚じゃない感覚。

 さっきの女の子の言葉に、力が篭っていた。

 この女の子が僕に命令した瞬間から、首から下は、指先一つだって動かせやしない。

「いただきまー」

 女の子に噛み付かれそうになるその瞬間、何かが女の子に激突して、吹っ飛んだ。

 凄い勢いで僕を襲った女の子は電柱に激突して、そのまま動かなくなった。

 それを見下ろしている、寝巻き姿のもう一人の女の子がいる。

「俺の餌に! 手を! 出すな!」

「眞弓……」

 僕は、倒れる女の子の頭を踏みつける眞弓を見つめる。まだ手脚が動かない。

 ──と。

 ぐしゃり、と女の子の頭が、西瓜でも潰すみたいにあっけなく原型をなくした。

「眞弓」
「親御の血を吸った」

 眞弓は僕を睨み付けた。

「吸った。吸い尽くした。糞。やはり契約なしの吸血は加減が違う。違う。そんなつもりはなかった。急に人格が切り替わった。嫌な予感がした。どこで油を売っているかと思えばこんなところで……襲われるお前を見て、俺も思わず力が入った……どうしてこんなことに。糞! もう駄目だ! 駄目だ駄目だ駄目だ!」

 眞弓はその場に崩れ落ちた。その顔からポロポロと涙を流していた。

 それを見て、僕の身体が動く。立ち上がり、眞弓の側に駆け寄った。頬を涙で濡らしたまま、眞弓は僕の首筋に口を近づけた。

 啜り泣きながら、眞弓は僕の血を吸った。変わらずその口元からは、吐きそうになるような金属臭がする。

「俺はこれからどうなる」

 眞弓の疑問に、僕は答えられない。
 何もわからないからだ。この街の人間の血を何人も吸ったと言っていたあの女の子をあっけなく踏み潰したのを見ても、眞弓の吸血鬼としての強さが上がっているのは間違いない。

 女の子の言葉が真実なら、ここ数日この街を騒がしていた吸血鬼事件の犯人は彼女か?
 魔を狩る者は、どうしていたんだろう。
 それともそんな者は、あの人以外とっくにいなくて、この街はただ吸血鬼に汚染されただけの場所になっていたのか。

 何もかも、わからなかった。

「親御の血を吸っても、お前の血を吸っても、この子の意識が戻らん。俺は、俺はその為だけにうまれた筈なのに。吸血衝動を、押しつけられただけの筈なのに」

 眞弓の言葉を聞きながら、僕の頭は、変に冷めていた。

 吸血鬼に襲われそうになったのを助けられたのは、二度目だ。
 一度目、僕は何もできなかった。
 二度目、僕はただ、彼女に守られただけだった。

 僕も。僕だって何か返さないといけない。
 何もできないまま、僕は彼女から離れられない。

「行こう眞弓」

 僕は眞弓に手を差し出す。

 この人格の彼女を、口ではっきり眞弓と呼んだのは初めてだった。彼女も名乗らなかったし、名前をつけてしまうことが、吸血衝動を切り離した人格に、解離した以上の意味を与えて、吸血鬼としての強さに繋がるかもしれない、とも聞いていたから。

 でももう、今となっては。

 眞弓は未だ涙を流していたが、差し出された僕の手を見て、腕で涙を拭うと無理矢理口元を歪めて、僕の手を取った。

「共犯だ。俺からお前は逃れられない」

 この人格の眞弓は、こんなにも涙を流して取り乱しておきながら、あくまで傲岸不遜を貫くつもりらしい。それならそれで良い。
 僕も自分を変える気はないから。

「心配しなくたって、逃げるつもりなんてない」

 僕は眞弓と握手を交わして、共に立ち上がった。
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