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厄流し
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古来より川に厄を流す風習がある。
ではその厄はどこに流れ着くのか?
川は必ずしも海に繋がっているわけではない。
特に近年ではその途中でどこかしらに堰き止められたりしている事も多い。
また、川がまっすぐ海まで繋がっていたとしても、その厄が素直に海にまで辿り着いてくれるのだろうか?
当然ながら川はまっすぐな直線ではない、グネグネと曲がりくねっているのだ。途中で川岸に打ち上げられてもそれはなんら不思議な事ではない。
この話はそんな厄の話だ。
その男は20代後半で、道を歩けばほとんどの女性が目を向けるほどに容姿が整っており、勤務先もそれなりに名の通った上場企業であり、しかもまだ若いのにも拘わらず役職を持つエリートだ。
そんな彼を周りの者が放っておくわけもなく、当然のようにモテた。
だが彼は未だに独身である。なぜならば恋人ができてもすぐに別れてしまうのだ、しかも振られるという形で。
彼が異常者であるわけでも、特殊な性癖を持っているわけでもない。
だがいつも一方的に振られてしまう。
別れる際に言われるのはいつも同じ言葉だ。
「別れるから、彼女に無言電話や嫌がらせを止めさせて」だ。
彼に他に彼女がいないにも拘わらず、必ず懇願するように彼は言われ、そして一様に怯えた表情を交際相手たちは見せる。
それは交際相手だけではなく、知り合ったただの友人候補でも同じだ。
誰もが交際相手たちと同じような反応を見せて、彼の傍から離れていく。
そんな訳で、彼の周りには恋人や女性の友人も一切いないわけだが、さらには親兄弟や親戚に関しても女性は誰一人としていない。
彼が小学生から中学校を卒業するくらいまでに、立て続けに亡くなっているからだ。
では男性の友人はどうかというと、これも同様にいない。
誰もが怯えた表情をして離れていく。
これは会社においても同じだ……いや、もっと酷いともいえるかもしれない。
紹介したように彼は若くして上場企業の役職持ちなわけだが、これは彼の実力で得たものではない。
なぜならこれまでその障害となり得るライバルや上司などのほとんどが不審死や、大きな事故にあっているために、自然と役が回ってきたというわけだ。
周りもその不自然さに当然気付きはするが、見えない恐怖に負けて誰もが目を反らし、そして近ずこうとしないのが真実である。
そのような理由から、彼は日々孤独に過ごしていた。
そんなある日の夜の事だった。
1人居酒屋で安酒を飲み、ほろ酔い気分で街を歩いていた時だった。
「そこの方少しよろしいかな?」
「なんだ?」
シャッターの閉まった商店の前に、小さな台を設置しただけの辻占い師が声を掛けたようだ。
彼は一瞬逡巡したものの、業務内容以外で他者との会話をしていない寂しさからか、ふらふらと台の前に設置された木でできた丸い椅子の上に腰を降ろした。
「俺の明日でも占ってくれるのか?」
からかうような口調でそう問いかけると、占い師は青い顔をして首を横に振った。
「いえ……あなたは呪われています。一度ちゃんとした場所にお祓いに行ったほうがいい」
「呪われてるねぇ~ははっ、確かにそうかもしれないな」
「覚えがあるのですね?でしたらすぐにでもお祓いにお行きください」
「で、幸せになるにはお幾らのどんなツボを買えばいいんだ?遊ぶ相手もいないからな、金はあるぞ」
ほろ酔いだったこともあり、彼は占い師の言葉を聞き流したどころか、怪しいツボを高額で売りつける悪徳宗教のように言い放った。
「お代もいりませんし、ツボを買っていただくつもりもありません。ですがこれだけは覚えておいてください、早めに……いや、既にもう遅いのかもしれませんが、必ずお祓いに行ってください」
「あぁはいはい、これお代ね」
彼は鷹揚に頷きながら札入れから数枚の一万円札を抜き出すと、投げ捨てるように台の上に放った。
「いえ、お代は結構ですので……」
占い師はお金を拾う事もなくそそくさと荷物を纏めると、彼が座る椅子を回収しないままにその場を去って行った。
「お~い!占い師の先生!!大事な商売道具忘れてるぞ~!!」
去って行った方向に向かって大声を向けるも、戻ってくる事も言葉が返ってくる事もなかった。
「チッ……なんだよっ!せっかく金払ってやったのに拾わずに行きやがって!」
彼は悪態を吐きながら、アスファルトの上で所在なさげに散らばっている一万円札を拾い集めてから家に向かって歩き始めた。
「呪いだとか曖昧な事を言いやがってっ!もっとハッキリとした事を言えよ!!だいたいこれまでの女もそうだっ!俺に他の女がいて、そいつが嫌がらせをする?なんだそれはっ!俺は二股なんてした事ないんだよっ!別れたいんなら素直にそう言えよ……どうせ顔だけ見て寄ってきて、思ったのと違ったとかそんな理由なんだろうによっ!」
恋人関係は長く続かない、会社ではライバルや同僚が不幸な目にあう。
それは彼にマイナスを与えるのではない。彼女が一切できない、仕事ではどれほど頑張っても目が出ないなどではなく、逆な為に呪いという言葉を信じることはなかった。
そして数か月が経った夏の長期休みの日の事だった。
彼は車で山奥にある有名温泉地へと一人で来ていた。そして辺りをぶらぶらと散歩がてらに歩いていると、長い階段の先に鳥居がある大きな神社を見つけた。
ついでとばかりに彼は参拝しようと階段を上り始めたのだが、これまでそよ風さえ吹いていなかったのだが一段上る度に階段横に生える木々が大きく揺れだした。
そしてついに階段を上り切った時だった、御神木とも思える大きな幹を持つ大木が、まるで台風のような強風に煽られているかのように大きくしなり、ミシミシと音をたてながら前後左右にと揺れていたのだ。
だが不思議な事に、傍らにいる参拝客は御神木の様子に驚きを見せるものの身体が風に煽られて揺れているわけではない、御神木だけは異常に揺れていた。
男もその光景に目を見開いて驚きを見せていた。
その時だった、神社社屋から神主装束を着た老齢の男性が真っ青な顔をして彼の元へと走り寄ってきた。
「申し訳ございません、当神社には貴方様をお祓いする力はございません。どうか他を当たって頂きますようお願い申し上げます」
男は神主の言葉にきょとんとした表情を見せた。
「えっ?俺はお祓いとかじゃなく、ちょっと散歩がてらに参拝にきただけだけど?」
その軽い台詞に神主は顔を歪めた。
「もしかしてお気づきになられていない?」
「なんのことです?」
「申し上げにくい事ですが、貴方様には大きな厄……わかりやすく申し上げますと、呪われていらっしゃいます」
「はっ?なんの冗談です?」
神主の言葉に今度は男が顔を大きく歪めて聞き返した。
すると神主は、未だ大きく音を立てて揺れ続ける御神木を手のひらで指し示し、「御神木がお示しになられております」と額に大粒の汗を浮かべながら答えた。
「……マジで?」
「はい……ですが当神社では憑かれている呪いを祓うほどの力を持ちませんので、申し訳ございませんがもっと階位の高いお社に行って頂くようお願い申し上げます」
「……どこに行けば?」
「そう……ですね、ここに来られたのも何かの思し召しかもしれません、私が知る限りで一番力を持つ祓い師をご紹介しましょう」
神主は神妙な顔でそう言うと、少しの時間男に待つように告げると速足で境内を進み社屋へと消えた。そして待つ事数分、また速足で戻ってくると、男に紙片を手渡した。
「その紙に祓い師の連絡先が書いてあります。先方にはすでに連絡してありますので、ご自身でご予定などを決めて頂きますようお願いします」
「……ありがとうございます」
男の脳裏には、以前占い師に言われた言葉が蘇っていた。
そしてあれは真実だったのかと驚いてもいた。
もはや疑う余地はなかった、なぜなら未だ目の前で大木が風もないのに大きく揺れ続けているし、老齢の神主の言葉にはそれだけの迫力と真実味があったのだ。
それは男に恐怖となって訪れる。
男は震える手でスマートフォンを懐から取り出すと、その場で紙に書いてある電話番号を入力して耳に当てた。
だが彼は言葉を吐く事もなくスマートフォンを持つ手を下ろした。
なぜならコール音さえなる事なく切れてしまったためだ。
「どうされましたか?」
その様子に神主が問いかけると、男は青くなった顔を横に振った。
「繋がらない……」
「話し中でしたかな?」
「いや、電話が勝手に切れるんだ」
「っ!!」
震え声の男の答えに、神主は大きく息を飲んだ。
「ここでお待ちください、先方にすぐに来ていただくよう話をつけて参りますので」
そう言い含めると、また速足で戻って行った神主。
男はその背を眺めながら、へなへなと腰を地に降ろした。
恐怖で立っていられなくなったのだ。
神主が男の元へ戻ってきたのは数十分後だった。
先方に事情を話し急を要する事を理解して貰った。その人はここから一時間ほどの場所に住んでいるのだが、すぐに来てくれるとの事だと、そう話した。
もはやいつ倒木してもおかしくない程に不吉な音をたてて揺れる御神木が心配な事もあるが、他の参拝客の様々な視線に晒されている事から、震える足で階段を慎重に降りて鳥居の前で待つ事にした男。
そして長針がもう少しで周りきるといった頃に、急スピードで白いセダンが鳥居の前にやってきたと思ったら、よく日焼けしたガタイのいい壮年の男がドアを乱暴に開けて降りてきた。
「連絡があったのはお前だなっ!!これは……」
階段前で座り込む男の前に立つと、目を見開き怒鳴るように問いかけた。
「ここまでとは……想像以上……だがやるしかないっ」
ブツブツと独り言のように呟くと、車のトランクから大きなバッグを取り出し中身を拡げ始めた。
そしてペットボトルに入っていた水を座り込む男の頭から掛け、塩のようなものを周りに撒くと、男の周りをグルグルと回りながら御幣を振りながらブツブツと祝詞のような言葉を口にし始めた。
「もう大丈夫だ、無事祓えた」
数十分経った頃、壮年の祓い師は御幣を下ろし大きな息を吐きながら、男の肩へと手を置いた。
「祓えたんですか?」
どこかスッキリとした顔で男がそう聞き返すと、壮年の祓い師は大きく頷いた。
「いったい何に呪われていたんでしょうか?」
「あぁ、まずは呪いの種類だが、簡単にわかりやすく言うと嫉妬だな」
「嫉妬……ですか?」
「あぁ、嫉妬だ。で、その呪っていたモノだが……お前、十二単を着た女に知り合いはいるか?」
「十二単……ですか?」
「あぁ、平安時代の貴族女性が着ているようなものだ」
「いや……」
「まぁそうだろうな、現代で着ているのなんて役者くらいなもんだ。まぁ兄ちゃんは色男だから、女優が色恋に狂って生霊になったりもしそうだが、今回は違う。あれはひな人形だ。男なのにひな人形ってのは関連なさそうだが……思い当たる事はなんかないか?
問われた男は考え込み……そして勢いよく顔を上げた。
「昔……まだ小学生の低学年の頃だったかな?近くの河川敷でおひな様を拾って持って帰った事があるんですが、もしかしてそれですか?」
「川で拾ったおひな様ね~。で、その人形はどうしたんだ?」
「家族に捨てて来いと言われたんですけど、なんかすごくキレイな顔をしていたので勿体ないとか思って……あれ?どうしたんだろう……あぁ、自分の机の奥に隠してしまったんだ」
「それだ」
呪いをひと先ずは祓ったが、大元をしっかりと供養しなければならないという事で、急遽温泉宿をキャンセルして祓い師とともに3時間ほどかけて自宅へと向かう事となった。
だが着いた先には、家はすでになかった。
数時間前に突然火が上がり、火事となって燃え尽きていたのだ。
警察や消防の現場検証に立ち会い、解放されたのは深夜だった。
だがその時わかった事は、驚くべき事実だった。
まず火元は男が少年時代に使用していた勉強机だったのだが、そこには失火原因となり得るような物は一つも発見されなかった。
次に大火事だったというのにも拘わらず、火元近くにあった一体のひな人形だけは煤さえついておらずに無事に残っていた事だ。
そしてその失火時刻は、まさに祓い師が男を祓い始めた時刻だった。
警察から渡された人形を大層な木で出来た箱に仕舞い、その四方に札のような物を何枚も貼り付けてから祓い師の男は話し始めた。
「昔から川ってぇのは、厄を流したんだ。だが厄っていうのは目に見えるもんじゃない。ではそれをどうやって流すかっていうと、物に厄を移るようにと儀式みたいなもんをしたり、願ったりするわけだ。で、今回そんな厄のついた物を、兄ちゃんは拾ったばかりか大事に大事にしまい込んだ。元々厄もその類のもんだったんだろうが、兄ちゃんは色男だからな、増幅されちまったんだろうよ。まぁいつの時代も、生き死に関係なく女の嫉妬ってのは怖いもんだっていう事だ」
ではその厄はどこに流れ着くのか?
川は必ずしも海に繋がっているわけではない。
特に近年ではその途中でどこかしらに堰き止められたりしている事も多い。
また、川がまっすぐ海まで繋がっていたとしても、その厄が素直に海にまで辿り着いてくれるのだろうか?
当然ながら川はまっすぐな直線ではない、グネグネと曲がりくねっているのだ。途中で川岸に打ち上げられてもそれはなんら不思議な事ではない。
この話はそんな厄の話だ。
その男は20代後半で、道を歩けばほとんどの女性が目を向けるほどに容姿が整っており、勤務先もそれなりに名の通った上場企業であり、しかもまだ若いのにも拘わらず役職を持つエリートだ。
そんな彼を周りの者が放っておくわけもなく、当然のようにモテた。
だが彼は未だに独身である。なぜならば恋人ができてもすぐに別れてしまうのだ、しかも振られるという形で。
彼が異常者であるわけでも、特殊な性癖を持っているわけでもない。
だがいつも一方的に振られてしまう。
別れる際に言われるのはいつも同じ言葉だ。
「別れるから、彼女に無言電話や嫌がらせを止めさせて」だ。
彼に他に彼女がいないにも拘わらず、必ず懇願するように彼は言われ、そして一様に怯えた表情を交際相手たちは見せる。
それは交際相手だけではなく、知り合ったただの友人候補でも同じだ。
誰もが交際相手たちと同じような反応を見せて、彼の傍から離れていく。
そんな訳で、彼の周りには恋人や女性の友人も一切いないわけだが、さらには親兄弟や親戚に関しても女性は誰一人としていない。
彼が小学生から中学校を卒業するくらいまでに、立て続けに亡くなっているからだ。
では男性の友人はどうかというと、これも同様にいない。
誰もが怯えた表情をして離れていく。
これは会社においても同じだ……いや、もっと酷いともいえるかもしれない。
紹介したように彼は若くして上場企業の役職持ちなわけだが、これは彼の実力で得たものではない。
なぜならこれまでその障害となり得るライバルや上司などのほとんどが不審死や、大きな事故にあっているために、自然と役が回ってきたというわけだ。
周りもその不自然さに当然気付きはするが、見えない恐怖に負けて誰もが目を反らし、そして近ずこうとしないのが真実である。
そのような理由から、彼は日々孤独に過ごしていた。
そんなある日の夜の事だった。
1人居酒屋で安酒を飲み、ほろ酔い気分で街を歩いていた時だった。
「そこの方少しよろしいかな?」
「なんだ?」
シャッターの閉まった商店の前に、小さな台を設置しただけの辻占い師が声を掛けたようだ。
彼は一瞬逡巡したものの、業務内容以外で他者との会話をしていない寂しさからか、ふらふらと台の前に設置された木でできた丸い椅子の上に腰を降ろした。
「俺の明日でも占ってくれるのか?」
からかうような口調でそう問いかけると、占い師は青い顔をして首を横に振った。
「いえ……あなたは呪われています。一度ちゃんとした場所にお祓いに行ったほうがいい」
「呪われてるねぇ~ははっ、確かにそうかもしれないな」
「覚えがあるのですね?でしたらすぐにでもお祓いにお行きください」
「で、幸せになるにはお幾らのどんなツボを買えばいいんだ?遊ぶ相手もいないからな、金はあるぞ」
ほろ酔いだったこともあり、彼は占い師の言葉を聞き流したどころか、怪しいツボを高額で売りつける悪徳宗教のように言い放った。
「お代もいりませんし、ツボを買っていただくつもりもありません。ですがこれだけは覚えておいてください、早めに……いや、既にもう遅いのかもしれませんが、必ずお祓いに行ってください」
「あぁはいはい、これお代ね」
彼は鷹揚に頷きながら札入れから数枚の一万円札を抜き出すと、投げ捨てるように台の上に放った。
「いえ、お代は結構ですので……」
占い師はお金を拾う事もなくそそくさと荷物を纏めると、彼が座る椅子を回収しないままにその場を去って行った。
「お~い!占い師の先生!!大事な商売道具忘れてるぞ~!!」
去って行った方向に向かって大声を向けるも、戻ってくる事も言葉が返ってくる事もなかった。
「チッ……なんだよっ!せっかく金払ってやったのに拾わずに行きやがって!」
彼は悪態を吐きながら、アスファルトの上で所在なさげに散らばっている一万円札を拾い集めてから家に向かって歩き始めた。
「呪いだとか曖昧な事を言いやがってっ!もっとハッキリとした事を言えよ!!だいたいこれまでの女もそうだっ!俺に他の女がいて、そいつが嫌がらせをする?なんだそれはっ!俺は二股なんてした事ないんだよっ!別れたいんなら素直にそう言えよ……どうせ顔だけ見て寄ってきて、思ったのと違ったとかそんな理由なんだろうによっ!」
恋人関係は長く続かない、会社ではライバルや同僚が不幸な目にあう。
それは彼にマイナスを与えるのではない。彼女が一切できない、仕事ではどれほど頑張っても目が出ないなどではなく、逆な為に呪いという言葉を信じることはなかった。
そして数か月が経った夏の長期休みの日の事だった。
彼は車で山奥にある有名温泉地へと一人で来ていた。そして辺りをぶらぶらと散歩がてらに歩いていると、長い階段の先に鳥居がある大きな神社を見つけた。
ついでとばかりに彼は参拝しようと階段を上り始めたのだが、これまでそよ風さえ吹いていなかったのだが一段上る度に階段横に生える木々が大きく揺れだした。
そしてついに階段を上り切った時だった、御神木とも思える大きな幹を持つ大木が、まるで台風のような強風に煽られているかのように大きくしなり、ミシミシと音をたてながら前後左右にと揺れていたのだ。
だが不思議な事に、傍らにいる参拝客は御神木の様子に驚きを見せるものの身体が風に煽られて揺れているわけではない、御神木だけは異常に揺れていた。
男もその光景に目を見開いて驚きを見せていた。
その時だった、神社社屋から神主装束を着た老齢の男性が真っ青な顔をして彼の元へと走り寄ってきた。
「申し訳ございません、当神社には貴方様をお祓いする力はございません。どうか他を当たって頂きますようお願い申し上げます」
男は神主の言葉にきょとんとした表情を見せた。
「えっ?俺はお祓いとかじゃなく、ちょっと散歩がてらに参拝にきただけだけど?」
その軽い台詞に神主は顔を歪めた。
「もしかしてお気づきになられていない?」
「なんのことです?」
「申し上げにくい事ですが、貴方様には大きな厄……わかりやすく申し上げますと、呪われていらっしゃいます」
「はっ?なんの冗談です?」
神主の言葉に今度は男が顔を大きく歪めて聞き返した。
すると神主は、未だ大きく音を立てて揺れ続ける御神木を手のひらで指し示し、「御神木がお示しになられております」と額に大粒の汗を浮かべながら答えた。
「……マジで?」
「はい……ですが当神社では憑かれている呪いを祓うほどの力を持ちませんので、申し訳ございませんがもっと階位の高いお社に行って頂くようお願い申し上げます」
「……どこに行けば?」
「そう……ですね、ここに来られたのも何かの思し召しかもしれません、私が知る限りで一番力を持つ祓い師をご紹介しましょう」
神主は神妙な顔でそう言うと、少しの時間男に待つように告げると速足で境内を進み社屋へと消えた。そして待つ事数分、また速足で戻ってくると、男に紙片を手渡した。
「その紙に祓い師の連絡先が書いてあります。先方にはすでに連絡してありますので、ご自身でご予定などを決めて頂きますようお願いします」
「……ありがとうございます」
男の脳裏には、以前占い師に言われた言葉が蘇っていた。
そしてあれは真実だったのかと驚いてもいた。
もはや疑う余地はなかった、なぜなら未だ目の前で大木が風もないのに大きく揺れ続けているし、老齢の神主の言葉にはそれだけの迫力と真実味があったのだ。
それは男に恐怖となって訪れる。
男は震える手でスマートフォンを懐から取り出すと、その場で紙に書いてある電話番号を入力して耳に当てた。
だが彼は言葉を吐く事もなくスマートフォンを持つ手を下ろした。
なぜならコール音さえなる事なく切れてしまったためだ。
「どうされましたか?」
その様子に神主が問いかけると、男は青くなった顔を横に振った。
「繋がらない……」
「話し中でしたかな?」
「いや、電話が勝手に切れるんだ」
「っ!!」
震え声の男の答えに、神主は大きく息を飲んだ。
「ここでお待ちください、先方にすぐに来ていただくよう話をつけて参りますので」
そう言い含めると、また速足で戻って行った神主。
男はその背を眺めながら、へなへなと腰を地に降ろした。
恐怖で立っていられなくなったのだ。
神主が男の元へ戻ってきたのは数十分後だった。
先方に事情を話し急を要する事を理解して貰った。その人はここから一時間ほどの場所に住んでいるのだが、すぐに来てくれるとの事だと、そう話した。
もはやいつ倒木してもおかしくない程に不吉な音をたてて揺れる御神木が心配な事もあるが、他の参拝客の様々な視線に晒されている事から、震える足で階段を慎重に降りて鳥居の前で待つ事にした男。
そして長針がもう少しで周りきるといった頃に、急スピードで白いセダンが鳥居の前にやってきたと思ったら、よく日焼けしたガタイのいい壮年の男がドアを乱暴に開けて降りてきた。
「連絡があったのはお前だなっ!!これは……」
階段前で座り込む男の前に立つと、目を見開き怒鳴るように問いかけた。
「ここまでとは……想像以上……だがやるしかないっ」
ブツブツと独り言のように呟くと、車のトランクから大きなバッグを取り出し中身を拡げ始めた。
そしてペットボトルに入っていた水を座り込む男の頭から掛け、塩のようなものを周りに撒くと、男の周りをグルグルと回りながら御幣を振りながらブツブツと祝詞のような言葉を口にし始めた。
「もう大丈夫だ、無事祓えた」
数十分経った頃、壮年の祓い師は御幣を下ろし大きな息を吐きながら、男の肩へと手を置いた。
「祓えたんですか?」
どこかスッキリとした顔で男がそう聞き返すと、壮年の祓い師は大きく頷いた。
「いったい何に呪われていたんでしょうか?」
「あぁ、まずは呪いの種類だが、簡単にわかりやすく言うと嫉妬だな」
「嫉妬……ですか?」
「あぁ、嫉妬だ。で、その呪っていたモノだが……お前、十二単を着た女に知り合いはいるか?」
「十二単……ですか?」
「あぁ、平安時代の貴族女性が着ているようなものだ」
「いや……」
「まぁそうだろうな、現代で着ているのなんて役者くらいなもんだ。まぁ兄ちゃんは色男だから、女優が色恋に狂って生霊になったりもしそうだが、今回は違う。あれはひな人形だ。男なのにひな人形ってのは関連なさそうだが……思い当たる事はなんかないか?
問われた男は考え込み……そして勢いよく顔を上げた。
「昔……まだ小学生の低学年の頃だったかな?近くの河川敷でおひな様を拾って持って帰った事があるんですが、もしかしてそれですか?」
「川で拾ったおひな様ね~。で、その人形はどうしたんだ?」
「家族に捨てて来いと言われたんですけど、なんかすごくキレイな顔をしていたので勿体ないとか思って……あれ?どうしたんだろう……あぁ、自分の机の奥に隠してしまったんだ」
「それだ」
呪いをひと先ずは祓ったが、大元をしっかりと供養しなければならないという事で、急遽温泉宿をキャンセルして祓い師とともに3時間ほどかけて自宅へと向かう事となった。
だが着いた先には、家はすでになかった。
数時間前に突然火が上がり、火事となって燃え尽きていたのだ。
警察や消防の現場検証に立ち会い、解放されたのは深夜だった。
だがその時わかった事は、驚くべき事実だった。
まず火元は男が少年時代に使用していた勉強机だったのだが、そこには失火原因となり得るような物は一つも発見されなかった。
次に大火事だったというのにも拘わらず、火元近くにあった一体のひな人形だけは煤さえついておらずに無事に残っていた事だ。
そしてその失火時刻は、まさに祓い師が男を祓い始めた時刻だった。
警察から渡された人形を大層な木で出来た箱に仕舞い、その四方に札のような物を何枚も貼り付けてから祓い師の男は話し始めた。
「昔から川ってぇのは、厄を流したんだ。だが厄っていうのは目に見えるもんじゃない。ではそれをどうやって流すかっていうと、物に厄を移るようにと儀式みたいなもんをしたり、願ったりするわけだ。で、今回そんな厄のついた物を、兄ちゃんは拾ったばかりか大事に大事にしまい込んだ。元々厄もその類のもんだったんだろうが、兄ちゃんは色男だからな、増幅されちまったんだろうよ。まぁいつの時代も、生き死に関係なく女の嫉妬ってのは怖いもんだっていう事だ」
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