覚さんは今日も料理をしています

朝雨

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第3話 昔からの友達と焼き魚をいただきます 後編

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「焼き魚、ああ焼き魚、焼き魚」
「…」
「夕暮れに、波風薫る、焼き目かな」
「……」

どうしよう。どうリアクションを取ればいいのだろう。
今のは覚さんから焼き魚に捧げる一句ということだろうか。

「なあ由良、あの店主さんっていつもあんな感じなのか? 俺ら最近通い始めたとこでよくわかんねえんだけど」

タケくんがヒソヒソ声で至極当然な疑問をぶつけてくる。ここはちゃんと答えておかないと、覚さんの沽券に関わるぞ…!

「う、ううん! いつもは全然そんなことないよ! でも覚さん、焼き魚のことになるとすごい集中しちゃうみたいでね、そのー…」
「集中すると川柳を読むのか」
「それは私も本日初めて遭遇した感じですね!!」
「遭遇ってお前」

しまった、ケンちゃんのツッコミに流されてしまった。このままじゃ何も守れないぞ…覚さんの、威厳とか、その辺のものが。

「まあ、料理がうまけりゃ何でもいいんだけどよ。俺はとにかく魚に目がないんでな」
「そんなにお魚好きだったっけタケくん」
「おー、猩猩(しょうじょう)の血が騒ぐようになってからめちゃくちゃ好きになった」
「しょう…何?」
「猩猩だよ。元は中国の伝説で語られる、山に棲む酒好きの猿。見たまんまだろ」
「おい健介、いま俺を馬鹿にするように言わなかったか?」
「それは勘違いだ。被害妄想というものだよ猛行。今日はちょっと飲み過ぎたんじゃないか、ふふふ」
「妄想? それならいいけどよ、はははは」
「はははじゃなーい!」

幼馴染がイチャイチャし始めたので私は会話を遮るしかなかった…いやいや、これじゃ動機の説明に語弊がある。
さらりと問題発言をされたような気がして、私は二人の会話のキャッチボールを止めにかかったのだった。

「ちょっとタケくん。ショウジョウの血が騒ぐとは、どういうことですか」
「あ? だからよ、昔は別に何ともなかったんだけどな。酒飲むようになってから、俺って猩猩の血が流れてんだな!って自覚してな」
「はいストップ」
「何だよ」
「自覚って何なになになに!?」
「うるせえなあお前。だーかーら、俺のルーツには猩猩っつう妖怪の血が流れてんだな、って、酒飲んで気づいたっつう話だ! だから髪も赤いだろ?」
「ルーツって何それ!? 気づくとかぜんぜんわかんないんだけど!! っというかその赤は地毛!? 前に見た時は派手なイメチェンだなーと思ってたのに地毛! まさかの不可抗力!」
「落ち着きなよ由良。ほら日本酒」
「逆にケンちゃんはどうして落ち着いてるの! アルコールで誤魔化されてたまるか!」
「べつに誤魔化すつもりはないよ。逆に聞くけど、由良だって知ってるんだろ? 妖怪のこと」

ケンちゃんが少々驚いたように尋ねてくる。言いたいことは何となくわかるけど、とは言え冷静ではいられないのだ。聞きたいことが聞けてない。

「と、とにかく深呼吸、ふううう…。あのね、妖怪のことは知ってます。このお店、そういう人たちも来るところだし。そうじゃなくて、昔から知ってる友達が急に自分は妖怪だって言い出したから混乱してるの!」
「妖怪っつうか、多分これ半妖ってやつだろ。基本的に人間だしな。まあ自分がちょっと妖怪なんだなとか考えたところでよ、俺は猿渡猛行で、今だって何も変わっちゃいねえんだ」
「由良は猛行が何か変わったと思うかい?」
「それは、全然思わないけど…」
「良かった。俺も全然思わないよ。猛行は猛行のままだ」
「そう言い切られても…うーん。黒髪日本人がある日を境に赤髪伸びてきたらすごく混乱すると思うんだけどな」
「おう! 美容室行く手間が省けたってもんよ!」

そんな明るい笑顔で返されても困る。私は眉をひそめるしかなかった。結構な大ごとだと思うのだけど、本人が困ってないならそれでいいのだろうか。ちょっと体質が変化した、程度のことで済むのだろうか…?
そんな私の戸惑いを破るように、カウンターから料理が差し出された。

「お待たせしました…!」

覚さんが何故か肩で息を切らしながら、七輪でじっくり焼かれた魚を大皿に載せて出してくれた。

「金目鯛の姿焼きです。どうぞ召し上がってください」
「おお、うまそうだ! 由良も食えよ、な!」
「あ、うん。じゃあお言葉に甘えて」

タケくんに促されるまま箸を手に取り、しっかりと焼き目のついた魚の皮に箸を食い込ませる。皮が裂ける音がパリッと小さく鳴ったかと思うと、ふんわりとした身の感触が伝わってきた。
そのまま身をほぐし一口。ほろりとした食感と優しい風味が口の中に広がる。

「ふわあ、おいしい…! 脂が乗ってるってこういうことを言うのかな。甘みがあって、香り豊かで…」
「うん、美味しい。金目鯛は煮付けでよく食べられますよね。焼いてもこんなにおいしいんですね」

ケンちゃんも食べ進める箸が止まらない。その様子に覚さんは満足げだ。額の汗を拭い、改めてカウンターに立つ。

「確かに、金目鯛は年中脂が乗っていて、煮付けや汁物にされることが多いようです。お刺身もおいしいですよね。干物にして売られていることもありますよ。私はこうやってじっくり焼いて食べるのがオススメなんですが、最高な焼き加減を見極めるのが難しくて、すごく集中してしまうんです。あの、ご注文の聞き逃しとか、失礼していませんか?」
「おう、大丈夫だぜ店主さん!」
「あの川柳は何だったんですか?」
「川柳?」

ケンちゃんが先ほどの覚さんの様子を伝えると、覚さんは途端に両手で口を押さえ「すみません!すみません!」と慌てだした。

「お恥ずかしいところをお見せしてしまって…! これは良くないな、お品書きからしばらく焼き魚を外しておこうかな…」
「せっかくおいしいですし、覚さんこだわりの焼き加減が楽しめるのも貴重だと思います! あ、じゃあ曜日限定とかでどうですか? 覚さんがお魚焼いてる間は私が店番しますから!」
「そんな、お客さんに迷惑をかけるわけには。でも、そうですね。私も焼き魚は好きですし、皆さんに食べてもらいたいですから、やはり自分の行動を改めるところから頑張ります」
「はい!」

・・・・・・・・・・

タケくんが顔を真っ赤にしてご機嫌だ。見たところ、かなりお酒が進んでいる様子。

「やっぱ焼き魚にはポン酢と大根おろしだよなあ由良」
「え? うん、そうだねー」

タケくんがコンとグラスを置いてニヤリしながら私に小皿を見せてくる。しかし反対の席からため息のような音が聞こえ、ケンちゃんが私たちを指差し言い放った。

「お前たちはわかってない。焼き魚には塩とレモン。これこそが最高の引き立て役だ」
「確かに塩を一振りだけで十分って感じでもあるよねー」

とりあえずの相槌で話を合わせておく。ケンちゃんもなかなかの飲みっぷり…明日のお仕事大丈夫なのかな。

「おう健介、面白いこと言うじゃねえか。そういや、おにぎりの具優勝もまだ決めてなかったよな?」
「だったらまとめて決着つけようじゃないか」
「ちょっと二人とも、これからまたケンカする気なの!?」
「由良、お前はどっちの味方だ?」
「おう、俺と健介、どっちに着く? ポン酢か塩か! さあ! 白黒はっきりつけようじゃねえか!」
「巻・き・込・ま・な・い・で!!」

タケくんは強引だなあ。昔から豪快な感じだったけど、大人になってもっとパワフルになったというか。それに今は猩猩の妖怪の血が目覚めたとか…。

「あ、そうだ。その、タケくんの血のルーツって、猩猩は中国の山から来た猿なんだよね?」
「それがな、日本の言い伝えじゃ、海から出てきて船に乗り込むんだってよ。んで酒をくれーってねだるんだそうだ」
「何て迷惑な…! でも、じゃあ日本では海にいる妖怪ってことなの?」
「おう! 俺様の、血が。そう、囁いてやがるぜ…」
「変なカッコつけはやめてくれるかな?」

私とタケくんのやりとりを楽しそうに見ていた覚さんが「確かに不思議ですよね」と相槌を打った。

「浜辺にいたり船に乗っているお猿さんを、私はあまり想像できません。山と海は地形としては対極にあるものだと感じます。昔いた山がなくなってしまったのでしょうかね…」
「山がなくなると言えばよ、いよいよ建設工事が始まるってよ」
「急に何だ猛行」
「だから、ショッピングモールの話だよ。俺らがよく行ってた山も工場側つーか、かなり削って更地にしたからな。健介も覚えてるだろ、あの辺で秘密基地作ったりしてさあ」
「ああ、懐かしいな」
「来週には重機が入るってよ。ウチの職場もそのうち配管周りで呼ばれるし、この辺りも大型車両が走り回って騒がしくなるぜ」
「そうなんだ…」

なぜだろう。その時、私は妙な不安を感じた。ショッピングモールができればきっと便利だし、いろんな服や雑貨が見られるようになるだろう。大学近くでよく飲んでいる、あのアイスコーヒーのお店も入るかもしれない。
楽しみは間違いなく増えるはず…そう思いつつ、ふと覚さんと目が合って。そのちょっと困惑の混ざった笑顔を見て、どうやら覚さんもショッピングモールは歓迎していないのかな、と感じたのだった。
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