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三章 出発

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「それでは! いよいよ出発です!」

 そのアナウンスを合図に駅のホームにカメラのシャッター音が響き渡った。百合絵が前日の悩ましい出来事に困憊し寝込んでいた頃、彼女の自宅の最寄を走る路線ではお祭り騒ぎとなっていた。沿線の踏切や跨線橋といった走る列車を見渡すのに最適な場所、いわゆる撮影スポットにはカメラを携えた人々が点々としていた。
 十時五十三分、横浜行の急行運用に就いたネイビーブルーの列車が警笛とともに海老名駅を出発した。そう、この日は鉄道ファンにとって大切なイベントの一つ、新型車両の営業運転開始日であった。
 列車は横浜へ向けて本線を上っていく。それが近づくのに合わせ、各地に散った鉄道ファンがカメラのシャッターを切っている。この状況はすぐさまSNS上でも流れ、鉄道ファン向けのニュースまとめ記事にも取り上げられた。普段見慣れない車両の登場に、一般の利用客の中にもスマートフォンを向けその雄姿を写真に収める者もいた。新型車両はその後、昼前に横浜駅に到着し、折り返し下り列車として他の列車に混じりながら運用に就いた。

「何とか無事に終わりましたね」
「そうだな……。しかしだ、これは我が社にとっても……、いや、あのクルマにとっても……、通過点にしか過ぎないんだ。わかるかね?」
「ええ。そうでしたね」
 出発式が執り行われた海老名駅から本社への移動中の車内で、社長とその側近はそう呟いた。
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