上 下
9 / 40
四章 真妃ちゃん

しおりを挟む
「ふふふっ、それでねー、この前、パンケーキ作ったんだけどー、膨らみすぎちゃってカップの縁が完全に埋もれちゃったのー。でねー、間違ってカップの紙ごと食べちゃったのー」
「あー、あるあるー、結構めんどくさいんだよねー、あれー」
 私は真妃とおしゃべりを弾ませながら廊下を歩いていた。彼女の名前は神宮真紀。真妃は、私と同じ一年生の家庭科部員で、なぜかはわからないけど一緒にいると落ち着ける、そんな子だった。そして私にとって貴重な、女子の友達であった。
「あれっ、もしかして百合ちゃんも、紙食べちゃう?」
「しないしない。そんなの食べないよー」真妃の問いかけに慌てて返事をした。
 そう、こんなことを平気で訊いてくる真妃も、神々しい苗字とは裏腹に私みたいな天然ドジっ子だった。

 キーンコーンカーンコーン。

 ホームルームの開始を知らせるチャイムが鳴った。
「ああっ、遅れちゃう! じゃあねー」
「うん、またねー」
 真妃はそう言うと慌てて走り去っていってしまった。真妃は私とは別クラス。真妃は同じクラスに綾子という友達がいるからいいものの、こっちはボッチ。こうなってしまうと私は、これまで通り、琴乃に頼ることしかできなくなってしまうのであった。
「誰だ? あいつ」教室で琴乃が訊いてきた。
「あっ、真妃ちゃんよ、同じ家庭科部なのー」
 どうやら琴乃は、私が真妃とおしゃべりをしていたところを見ていたようである。
「おっ、とうとう友達ができたか」琴乃は嬉しそうに言った。
「それで、何話してたんだ?」
「あっ……、ああ、パンケーキのカップの紙を食べちゃったって話よ」
 私は先ほどの真妃との会話を適当に要約し、にこにこしながら言った。
「かっ……? 紙を……? 食う…………?」
「そうだよー、パンケーキに埋もれてて間違って食べちゃったんだってー」
「あ、ああ……。そうなんだ……。へえ~……」琴乃は安心したかのようにそう言った。顔はこわばっていたけど……。
「えっ、琴姉……、どうしたの?」私は不思議に思いそう言った。

 終業式が終わったその日の帰り、私たちは久しぶりに昼間に一緒に帰ることができた。
「おい、百合絵、通知表交換しようぜー」
「えーっ、やだよー」
 言うと思った。琴乃はまた私の通知表を狙っている。彼女は中学の時からこうなのだ。私は琴乃のことは友達として大好きだったがこれだけは受け入れられなかった。しかも琴乃は私と違って頭脳明晰、私が勉強の成績で勝てっこないことは明らかだった。それなのに琴乃は毎度毎度、通知表の交換を迫ってくる。私の勉強を心配してくれているのか、それともただの成績自慢もといマウンティングなのか、私にはよくわからなかった。
「高校生活初めての記念すべき通知表じゃないか、お願いだよー」
「やーだよー。どうせまた成績自慢するんでしょ」
 懇願する琴乃を尻目に私はきっぱりと言い放った。
「もー、せっかく百合絵の成績心配してやってんのに、ひどいやつだなー」
「あっ、それならご心配なく。私にしてはよかったもんねー」得意げに私は言った。
「そうか……。……よかったな……」
 琴乃は急に哀愁漂う表情を浮かべた。
「はぁ~。百合絵、私はもう、ダメかもしれない……」
 琴乃はため息をつき、ふと呟いた。
「えっ! ちょっと、どうしちゃったの」私は慌てて言った。
「はあー」琴乃は大きくため息をつくと「実は……、六とか七とかばっかりだった……」深刻そうにそう言った。
「えーっ! うっ、嘘でしょー⁉ 琴姉中学の時なんか九とか十だらけだったのにー」
「……うん……」
 興奮気味に話す私に琴乃は静かに返事をした。私は気遣う気持ちでいっぱいだったが、次第にその気持ちは私の中で優越感へと変化していった。
「やったー、琴姉に勝ったー。私なんて主要教科、八とか九ばっかりだもんねー」
 あふれんばかりの嬉しさに、ニタニタしながら私は声を上げた。体育や音楽といった実技教科は相変わらず低水準だったが、それ以外の主要教科の成績は中学の頃とは比べ物にならないほどよかったのだった。
「あっ、家庭科なんて十よ十。最高記録更新しちゃったんだもんねー。家庭科部や真妃ちゃん様様だわ!」
 私は琴乃の気持ちなど度外視で得意げになっていた。いつもいつも負けていた相手への勝利とあって、私はもう天狗になっていた。
「そうか……、それはよかった……。おめでとう」
 琴乃はポツリっと言った。
「いやー、それほどでもー」私は照れ笑いで返した。
「おめでとう……。いや、というよりも……、おめでたいやつだ……」琴乃はまたポツリと言った。
「おめでとうってそんな~……。……! えっ、おめでたいって…………?」よくわからなかった。
 琴乃は黙って自分のカバンからファイルを取り出し通知表を取り出すと、「ありがとさん。ほらよ」そう言って私に差し出した。
 突然の琴乃のふるまいに「えっ……、見てもいいの」私はためらった。
「別にいいよ」その言葉で私は手渡された琴乃の通知表を開いた。
 通知表の数字を見て私は唖然とした。「百合絵、今日も相変わらずかわいいねー」琴乃は得意げにそういった。その通知表はまぎれもなく、中学の頃に嫌というほど見せつけられてきた九と十の数字が並ぶいつもものだった。
「私がそんな成績のわけないだろー。まだまだ甘いな、百合絵」
 その言葉を聞いて私は体が熱くなるのを感じた。表しようのない悔しさとともに。
「もー! 琴姉のバカァー! バカバカバカァー!」悔しさのあまり私は琴乃を叩きまくった。
「もーいやだ! 琴姉なんて大っ嫌い! もう絶交よっ!」
 そう言って私は泣きながらさっさと帰ろうとした。
 私と琴乃の距離は開いていったその時、「ふうーん。百合絵、またクラスでボッチになっちゃうねー」琴乃の言葉が私にグサッと突き刺さった。その瞬間、これまで二人で過ごした楽しい思い出の数々が走馬灯のように蘇った。私は歩みを止めると、うつむいたまま振り返り、つかつかと琴乃のもとへ戻っていった。
「おー、よしよし、そうしな」そう言いながら、琴乃は目に涙を浮かべしょんぼりする私の頭を撫でた。

「まあ、それはさておき、百合絵にしては、よく頑張ったな」
 褒められてるのかバカにされているのかわからなかったが、私は何となくうれしかった。
「部活に入ったし、ネガティブ思考はなくなってきたし、友達もできたし、成績もよくなったし……。おめでとう。これでかなり女子力上がったと思うよ」琴乃は、私の改善点を指折り数えながらそういった。
「そ、そうなの……、全然実感ないけど……」
「まあ女子力なんてそんなもんだよ、でも百合絵、自分の生活が変わったのはなんとなくわかるだろー?」
「ま……、まあー、それはねー」釈然としないまま私は返事をした。
「さーて、こうなれば、あと一つ。百合絵には最終目標が残っています。なんだと思う?」琴乃が突然尋ねてきた。
「えっ、私の目標って……」相変わらず意味がわからなかった。なぜ私の目標について私以外の人に問われなくてはならないのだろうか。
「何よそれー、何もないわよー、わからないから教えてよー」慌てて言う私を見つめて、琴乃はまた意味のわからないことを言ってきた。
「ふふっ、女子力上がったんだから、そのうちわかるよ」
 私の高校生活初の一学期は、こんな感じで終わった。
しおりを挟む

処理中です...