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第一章【桜、新緑を越えて】

君との出会い②

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 男は桜の関係者なのだろうか? なんて、変な言い回しをしていると分かっていてもそう言いたくなるほどに、彼の周りには桜の花びらが躍っていた。

 彼に挨拶でもしているかのようで、彼が桜を操っているのかのようでもある。長さだけで太さのない指の先で、桜と会話しているように見えた。

 穏やかな風の中で、銀色の長い髪の毛と、着物の長い袖が戯れる。

 真詞は少しの間ぼうっと彼を眺めてしまっていた。

 当時の語彙力では自分の感じた気持ちを説明することはできなかった。ただ綺麗だな、と思った。

 今であれば、幻想的なとか情緒的なくらいの言葉は出たかもしれない。

 桜の嵐はいつの間にか収まっていて、たまに目の前を数枚落ちていく程度になっていた。

 そうなって見えてきたのは真っ白な空間だった。一面に敷き詰められた桜の花びらで地面は分かるけど、空とそれ以外の区別が付かない。

 男は大きな石の側に立っていた。楕円に近い石はゴツゴツとしていて、何か文字が彫られているけど真詞には読めない。

 男がどこか嬉しそうに真詞を見る。

「……って、聞こえないよね」
「……聞こえてるし、見えてるよ」

 独り言のように呟かれた言葉にムッとして答えていた。何だか負けたような気がしたのだ。

「え! オレが見えるの? ほんとに?」
「見えるけど……」
「うわぁ! すごいね! オレ、オレ以外のモノを見るもの、会うのも、話すのも全部初めてだよ!」

 前のめり気味に話す様子に、真詞は後ずさりした。

「どこから来たの? どうしてここにいるの? どうしてオレが見えるの?」
「ど、どこからでもいいだろ!」
「そっか。それもそうだね。オレと話すだけでも大変なのかもしれないしね」
「それ、どういう意味?」
「だって、オレは多分そんなに強くないのに、君は見えるし、話せるから」

 説明を求めたのに、意味が分からなくて眉をひそめる。

「意味が分からないんだけど」
「オレみたいな弱い存在も見えるなら、色んなモノが見えて大変なんじゃないかなぁ? って思っただけ」

 男がまるで同情しているみたいな顔をする。更にムッとした。余計なお世話だった。

「余計なお世話だ」

 遠慮なく思ったままに言い返すと、男が無邪気に笑う。

「そうだね。確かにそうだ」

 うんうん、なんて音がしそうなくらい何度も頷かれて今度は悔しくなる。この男は真詞のことを問題だと感じないのだろうか。真詞は今、人に好かれない態度を取っていることを自覚しているのに。

「ここ、なに? 神様の家?」
「さぁ? 知らない」
「知らない?」
「知らない。オレが知りたいくらいだよ」
「神社だし、あんた神様じゃないの?」
「さっきも言っただろ? オレはオレが何なのかとか、ここがどこなのかとか、全然知らないし、分からない」
「え……」

 顔が引きつった。住人(?)すらどこなのか分からないところから、帰ることができるのか? と不安になったからだ。

「どうかした?」
「俺……ううん。なんでもない」

 男は不思議そうにした。勘がいいわけではないらしい。

 真詞は不安を言わないことにした。だってあんな家、自分は帰りたくなんかないはずなんだから、と。

「あの、さっきのフワフワはあんたの?」
「フワフワ? なんのこと?」

 また男が不思議そうな顔をした。

 真詞はここに来た経緯を簡単に話して聞かせる。そして最後にもう一度聞いた。

「それについてここに来たんだ。あんたの友達とかなんじゃないの?」
「さぁ? ここにはオレしかいないし、他に出入りするモノもないよ。オレが知ってるのはこの祠とこの大きな石と、後はずっと咲いてる桜だけ」

 男が言うように、あれは小さな祠なのだった。その斜め前には同じくらいの大きさの平らな石がある。

「あ、でもオレ、名前は知ってるよ。巡(めぐる)って言うんだ」
「めぐる……?」
「字も知ってるよ? 『しんにょう』に『く』を三つ。分かる?」
「……ふぅん?」

 まだ習っていない漢字でピンとこない。

「君は? 何て言うの?」

 聞かれて真詞は口を閉じた。ジッと巡を眺めて、小さく開いて、結局また口を閉じる。

「あれ? 聞こえない? 名前は何て言うの?」
「言え、ない」
「言えない?」
「あんたみたいなのには言っちゃダメな気がする」
「ああ、そっか。そうだよね。残念だけど、その方がいい。本当に君は慣れてるんだね」

 男が同情するような顔で真詞を見る。そのことに無性に腹が立った。

「あんた、何なんだよ? 偉そうにっ!」
「でも、本当のことだろ? 君、このままだと大変だよ。気を付けた方がいい」
「分かったような言い方するな! 人間でもないくせに!」

 そう言い捨てると、真詞はクルッと背中を向ける。『さみしい』と言うからやってきたのに、いたのはのほほんとした神様のようなモノだけだった。

 何だか涙が浮かびそうになって、悔しくて、悲しくて、でも絶対に泣きたくなんてなくて歯を食いしばる。

「帰るの……?」

 後ろから今度は本当に寂しそうな声が届く。その内容に足を止めた。帰る? 一体どこへ帰ると言うのか。

「帰らないよ」
「まだいてくれるの?」

 途端に明るい声が背中に届く。振り返って真詞は答えた。

「他に、行くところなんてないから」
「どういうこと?」
「帰るところなんてないんだ」
「家出?」
「家出……?」
「違うの?」
「家出じゃ、ない。だって、あそこは家なんかじゃなかった」
「……どういう意味?」
「別に言う必要ない」
「君は、家族が嫌いなの……?」
「嫌いだ! あんなの家族なんかじゃない!」

 そう言った瞬間、地面に積もっていた桜の花びらが舞い上がった。目の前を大量の白で塞がれて、両手の隙間から巡を見る。

「――出てって」
「な、に……?」
「オレ、家族を大切にしないヤツ、嫌いなんだ」

 やけに冷たい一言を言ったかと思えば、いきなり体が強烈な力で後ろへ引っ張られて始める。

 本当に追い出そうとしているのだと知って真詞は慌てた。

「いや、だ……!」
「オレ、君のこと好きになれない」

 自分から呼んでおいてなんて言い草だと思った。

 そんな怒りもあって、両足を踏ん張って抵抗した。そこまでしてこの場所にいたいわけでもなかったけど、意地もあった。

 地面の桜が引きずられるままに形を変える。周りで踊る花びらが鬱陶しい。

「こ、っの……!」

 叫んだのは負けを認めたわけではないと思いたい。

 それでも結果、真詞はさっさと追い出された。

「うわっ!」

 夜中にたたき起こされたかのような眩しさに両目を閉じた瞬間に、力が消えてバランスを崩した体は尻もちを付いた。

 座り込んだのは神社の隅っこだった。オレンジ色に照らされる見知った参道が見える。そこには家族で手を洗った手水所や、御賽銭を投げた賽銭箱があったから見間違いようもない。

 改めて周りを見回してみたけど、あの平らな石も祠も男も何もない。桜の木が植えてあるみたいだけど、花びらの一枚も飛んでは来なかった。
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