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第三章【三夏を渡った先に】

引き戻しの儀式

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 輝一郎の乗ってきた車に乗って、真詞は日柴喜家に向かうことになった。できればさっさと家に帰って浸りたかったけど、何だかんだと押し切られてしまった。
 本来なら唯神として連れて帰る予定だった和親は、余りに暴れるので最終的にはフラッシュメモリのようなものに吸い込まれていった。

「瓢箪とは言わないけど、箱とかせめてお札とか。何かそういう物じゃないのか……?」

 流石に呆気に取られた真詞の疑問に輝一郎はこう答えた。

「渡辺クン。今は小型化の時代だ」

 真詞の知識は本当に通り一遍のものだったのだろう。これで人より詳しい気でいたのが少し恥ずかしい。

「そうそう。渡辺クン。君はやっぱりこちら側の人間だよ。ちゃんと調べてみるけど、多分日柴喜の遠縁だ」
「は?」
「詳しく分かったらまた教える。とりあえずSNS交換しないか?」

 スマホを向けられたので、言われるがままアカウントを教えるとすぐに友達の通知がきた。軽くため息をついてこちらからも友達申請をする。
 輝一郎は驚くほど自分のペースを崩さない。どちらかと言うと真詞の方がそういう傾向があっただけに、ついつい振り回されて相手のペースに乗ってしまっている。

 ドッと疲れて、やたらと体が吸い込むシートに背中を預ける。泥だらけの真詞が乗るには余りに高級そうな車。黒塗りで艶々として、普通の車より車体が長いと説明すれば伝わるだろう。乗ってすぐは縮こまっていたものの、それも馬鹿馬鹿しくなった。
 何で、自分が日柴喜の血縁なのかとか、そもそも唯神ってなんなんだとか。
 聞きたいことも言いたいことも山のようにあったけど、もうどうでもよかった。



 日柴喜家に着くと、数人の使用人らしき男性に背中を押されて風呂に押し込まれた。岬が隔離されているのは、本来部外者が入れないほど神聖な場所らしく、輝一郎でさえも汗を流すのだそうだ。これだけ広い家――もはや屋敷――だと、風呂も二個以上あるらしい。

「お背中お流しいたします」
「お湯加減はいかがでしょうか?」

 等々。
 逐一他人の声がかけられ、その度に「大丈夫です。ありがとうございます」を言うだけの機械となりそうだった。
 この年じゃ中々お目にかかれないような総ヒノキに畳の床で作られた風呂を楽しむ余裕だってなかった。両親や姉に自慢できそうな体験も、こうなってくると逆に笑い話にされてしまうかもしれない。

 やっとのことで上がっても、その場には声をかけてくれていた使用人の男性がタオルと着物を広げて待機していた。
 対して真詞は全裸だ。今にも体を拭きにきそうな男性に言い慣れた「大丈夫です。ありがとうございます」を繰り返して浴室へ引っ込む。

「お着物は不慣れでしょう? こちらで着付けをさせていただきます」

 腰にタオルを巻いて上がったときに言われた言葉と、用意されている品物の中に下着が見当たらないことには、流石に「俺が何かしたか……?」と広い浴室の天井を仰いだ。

 用意された着流し――足元がスカスカした――を使用人に着せてもらい、向かったのは母屋の裏手にある小さな池に掛けられた桟橋の上だった。
 その先には、紙垂が巻かれた、まるで刃物で切ったかのように滑らかな断面をした半円上の巨大な岩があって、真詞の身長ほどもあるその上に岬は横たえられていた。
 真っ白な白い浴衣のような物を着ているのに、相変わらず繋がれている点滴が妙に現代的で違和感がある。
 岩の下には白衣を着た医者らしき人と、看護師らしき人が厳しい顔で待機しているから、本当にギリギリの状態だったことが察せられた。

「待たせたな」

 現れたのは先ほどとは違い、真っ白な着物と袴を着た輝一郎だった。

「いや……。岬さんは、何で目覚めないんだ?」
「和親の手からは離れたが、まだ元に戻すには手順が必要なんだ。あいつにも唯神がいるからな。渡辺クン。君を連れて来たのもそれを見ていて欲しいからだ」
「俺に? なんで……」
「君が今回の関係者だから、だな。遠縁の上に関係者。何も知りませんじゃ、この先通らなくなる」

 輝一郎がほくそ笑む。含みを持たせた言い方に真詞は眉をひそめる。それではまるで――。

「君は、多分これから色々とこちら側の問題に巻き込まれるかもしれない、ということだ」

 想像したことをそのままに言われて絶句した。

「遠縁かどうかなんてまだ分からないんだろ……?」
「それだけの力を持っているのを知った以上、放っておくわけにもいかないさ。――さて、お喋りはこのくらいにしようか。少し下がっていてくれ」

 そう言って袖から取り出されたのは先ほどのフラッシュメモリ。
 やっぱり、どうにも場にそぐわない気がして口がヘの字になっていることを自覚する。
 言われるがまま後ろに下がると、輝一郎の両腕が鷲のように大きく広がった。上背も骨格もしっかりしているから、下手をしたら本当に鷲とサイズは変わらないのではないかとすら思える。揺れる真っ白な袖が何かを払い落とすかのようだ。
 輝一郎がすぅ、と大きく息を吸う。
 その直後、真詞はまるでライヴ会場の最初の一曲を聞いたかのような衝撃を受けた。

「奉り、奉り、名を和親。この者を奉り申し上げる。受け取りたまえ、受け取りたまえ。我が同胞が唯神。顕現せよ、花浅葱(はなあさぎ)!」

 屋敷中に響いているのではないかと思う程の大きな声。マイクでも付けているのかと思う程の響き方。咄嗟に耳を塞いでも柏手の音さえ大音量で届く。
 そこで、これがじゃないことに気付いた。
 いや、実際に輝一郎は発語している。ただ、この大きさは真詞のイメージのようなものだ。恐らく実際は大した声量ではない。
 その証拠に使用人はともかく医者や看護師は静かに一部始終をただ見ている。

 何で自分だけにこんなに大きく聞こえているのかは分からないけど、一通り文言を唱え終わったのか、輝一郎の側には両手を後ろで縛られた状態の和親が浮かんでいた。項垂れて静かなところを見ると意識を失っているのかもしれない。その頭がゆっくりと正面を向く。両目は開いているけど、何も映していないようだ。
 パァン!
 大きな柏手の音が響く。
 周囲から小さく歓声が上がる。

「流石、当主様だ」
「唯神でもない神の力を、ああも易々と!」
「岬様の神力が……!」

 真詞には見えなかったけど、使用人たちの話から推測するに和親の体から岬の体へエネルギーのような物――恐らく神力――が流れているらしい。
 パァン!
 暫く待っていると、また一度大きな柏手が響く。
 すると、岬の上空に白と青の法被を着た小さな亀が現れた。

「――久しぶりだな、花浅葱」

 名前を呼ばれると、亀――花浅葱――の首が微かに動く。

「もう大丈夫だ。戻ってきなさい」
「……誰?」

 喋った。
 シリアスな場だ。流石にそこに気を取られ続けるわけにもいかず、真詞は神妙な顔を通した。でも、まるで少年のような声の亀に動揺している。

「輝一郎だ。お前の主人の従弟だよ。よく頑張ったな」
「輝一郎……? 岬……。岬! 岬はっ!」

 何かを取り戻したかのように花浅葱が岬の名前を連呼しながら輝一郎に詰め寄る。

「見てみなさい。どうだ? もう大丈夫そうだろう?」

 岬は顔色や体の細さこそ全く変わらず病人なのに、真詞の目から見ても何かしらの力が満ちていることがよく分かった。これまで目で認識したことはなかったけど、これが神力なのだろう。

「岬っ……!」

 花浅葱が眠る岬にすり寄る。
 真詞は何故か悔しい気持ちになった。途端にイライラとしだして、早くこの場から去りたい衝動に駆られた。

「無事も確認できただろ? 戻りなさい。岬もじきに目が覚める」

 輝一郎の促すような手の動きに逆らわず、花浅葱は岬の頭上に浮かび、そのまま静かに消えて行った。
 ピーチチチチ……。
 どこからか鳥の鳴き声が届く。
 輝一郎が静かに振り返って微かに頷いた。和親がまたフラッシュメモリに吸い込まれる。やっぱりイマイチ締まらない。
 数人の使用人と医者と看護師が岬の元へ駆け寄り、毛布を掛けたり脈を取ったりしている。

「終わったの、か……?」
「ああ。無事に」
「じゃあ、そろそろいいか? スマホの電源も切らされてるんだ。いい加減にしないと親が心配する」
「そうだな。付き合ってくれてありがとう。送っていこう」
「そうだな、勉強にはなった。お言葉に甘えるよ」

 電車で帰っていては本当にいつ帰り着くか分からない。時間の感覚が曖昧だけど、今は十時前後じゃないだろうか。高校生が帰るにはすでに遅い時間だ。状況が状況とは言え、日付が変わる前には帰りたい。

「そうだ。今日はそれを着て帰ってくれ。よかったら、そのままもらってくれると助かる。渡辺クンが着ていた服はもう洗濯が終わっているはずだから」
「いや、返すよ。もらっても着る機会もないだろうし」
「そうか? 分からないだろ? まあ、いいからもらっておいてくれ。それなりにいい品だ。まずは今日連れまわしたことへの謝礼とでも思ってくれればいい」

 またこの押しの強さだ。
 ただでさえイライラしているのに、これ以上振り回されたくはなかった。真詞は隠す気もない仏頂面で「分かった」と返した。
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