真実の理(しんじつのことわり)

kiyu_mitsuwaka

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第1章

第8話 願い事

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◆第8話 願い事

 ー 2024年9月16(月曜日……祝日) ー

 「15時頃到着予定ですね。はい、はい…………、わかりました。それでは17時過ぎに病室へお伺いさせていただきます」青年はスマートフォンの通話終了ボタンをそっと押した。


 <@新宿区 延天堂大学病院>

 青年は悲壮な面持ちで高く聳そびえ立つ延天堂大学病院の病棟を眺めた。

 B棟の604号室――。聡は俯きながらその部屋に向かってゆっくりと廊下を歩いた。

 コン、コン、コン。部屋の扉をノックした。

 「今川聡です。失礼してもよろしいでしょうか」

 「どうぞお入りください」品のある声が聞こえてきた。

 ゆっくりと扉を開けた――。

 青年は椅子に腰かける紳士と淑女に向けて静かに礼をした。そしてベッドに背もたれている女性を見た。

 女性は青年が入室したことをまるで気づいていないかのように、病室の入り口とは反対側の窓の外を眺めていた。

 聡はゆっくりと病床へ向かった――。

 幸一郎「サトシ君、確か娘とお話したいことがあるそうだったね。我々は少し席外すこととするよ」そう言うとちらりと妻の美世へ目配せした。



 「幸…………。体調の方は大丈夫…………?」

 「うん…………」女性は顔の向きを変えずにそう言った。

 「そっか…………。それはよかったよ…………」

 「ありがとう。迷惑かけてごめんね…………」

 次に発すべき言葉がわからなかった。しばらくの沈黙が二人の間を流れた。

 1分、2分…………。二人が黙っていたのはそれくらいの時間だろうか。だがそれ以上に二人にとってこの静かな時間は実際以上に長く感じた。



 ――耳をこらすと彼女の微かに鼻をすする音が聞こえた。

 「幸…………。こっちを向いてくれないか…………?」

 幸はゆっくりと聡の立っている方へ顔を向けた。その目は真っ赤に脹はれていた。

 「君のお父さんから聞いたよ…………。病気のこと」

 「うん…………。隠していてごめんなさい…………」

 「ううん。謝ることじゃないよ。とても言いづらいことだもんね」

 彼女の顔は今まで堰き止めていた何かが決壊したかのようにくしゃりと崩れた。

 幸は肩を震わせて啜すすり泣いた。

 青年はゆっくりと目を閉じながら両腕を伸ばし、優しく彼女を抱きしめた。

 「腕あたって痛くない…………?」

 「だいじょうぶ…………」

 青年の瞳からも大粒の涙がこぼれていた。

 「私のこと、嫌いにならないの…………?」まるで子供のような声で彼女は問いかけてきた。

 「なるわけないよ」

 「どうして…………?」

 「愛しているからだよ」

 耳元からは咽むせび泣く声が聞こえた――。



 ずっとこうしていたい――。あぁ神様、どうかこうしていられる時間が少しでも長く続きますように――。

 青年は彼女が落ち着くまで、何も言わず静かに抱きしめ続けた。



 「幸…………。昨日の君の答えの続きを聞かせてくれないかな…………」

 彼女は静かに口を開いた。

 「もう…………言わなくたってわかるでしょ…………」

 「うん…………。そうだね」

 ――二人は夫婦となった。

 ◇◆◇◇◆◇

 コン、コン、コン。

 「お邪魔してよろしいかな」ドアの先からはお義父さんの声が聞こえた。

 「はい、大丈夫です」聡はそう答えた。

 ドアが開くと、幸一郎が聡に向けて手招きしていた。

 「お義父さんが呼んでるから、少し行ってくるね」

 「うん」

 聡は部屋の外に出てドアをそっと閉めた。


 「あの…………。家族水入らずのところ、私のために幸さんとお話させていただくお時間をいただき、ありがとうございます」聡は深々とお辞儀をした。

 「家族水入らずか…………。私たちはもう君のこと娘婿むすこだと思っているよ」そう言うと美世もゆっくりと頷いた。


 ◇◆◇◇◆◇


 お義父さんから現在の彼女の容体について説明を受けた――。

 病状はもう自立して歩行することが困難なほどに悪化しており、癌の病期ステージも相当進行しているとのことだった。

 そしてホスピスケアを行うため、これからは延天堂大学病院で過ごすことになったと聞いた――。


 「入るぞ」幸一郎は扉をノックし、3人は幸のいる病床へやってきた。

 幸一郎「幸の病状については、私の口からサトシ君に説明させてもらったよ」

 彼女は静かに小さくうなずいた。

 「あの…………お義父さん、お義母さん。これから毎週末、彼女のお見舞いに病院をお邪魔してもよろしいでしょうか」

 「もちろん」幸一郎と美世は口を揃えてそう言った。

 「あと一つ…………。お願い事があるんです…………。来月、身内だけで二人の結婚式をあげさせていただけませんか」

 幸の瞼はピクリと動いた。

 「もう彼女がご自身で歩くことが難しいことは承知しております。それでも、車椅子があれば彼女を式場に連れていくことはできると思います。二人の晴れ姿をどうか見届けていただけませんか――」

 紳士と淑女は静かにハンカチーフを取り出し、頬の雫をぬぐって目頭を押さえた。

 「喜んで祝福させてもらうよ――」お義父さんは声を振り絞って確かにそう言った。
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