弱肉強食 ー君臨する龍、異形の蟲ー

世の中退屈マン

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山波の山羊龍編

山羊龍連合

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「そう、君は知らないんだ。世界は厳しくて無慈悲で残酷な事だってある。君の身に降りかかった災いよりも酷いことだってたくさんあるのさ」

「嘘だね」

「セン……」

「だったら何でヲチは……俺と歳だって変わらないヲチがそんな世界で生きてるんだ?ヲチにはできて俺にはできないことなのか?そんなの俺には納得できないぜ」

「嘘じゃないよ。いくつもの窮地に立たされながら僕が今日まで生きてこられたのはいろんな人たちに助けられたからなんだよ。誰も助けてくれなかったら僕はもっと早く死んでただろうね」

「だったら!俺はどうすればいいんだよ!一生ここで生きていかなきゃいけないのか!?俺たち家族をめちゃくちゃにしたやつらと!」

「……カンコン村長はセンのことを大事にしたいんだよ。どうでもいいと思ってるならすぐ手放すはずさ、自分でもわかってるだろ?」

「それは……」

「自分の帰りを待ってくれる人がいて、帰れる場所があるなんて僕からしたらとても幸せなことだと思うけどな。僕はもう故郷には戻れないから……」

「……ジジイはたしかにいろんなことを教えてくれた。米の炊き方、字の読み書きに村での仕事……すげえ厳しかったけどそれでも咎人の子供だと責めることも迫害された可哀想な子供だと憐れむこともなく、唯一俺に差別なく接してくれる人間だった」

「だったら……」

「でもさ……少し前からジジイは……時折俺を化物でも見ているような酷く怯えるような目をするんだ。何か恐ろしいものでも見ているような……」

「セン……」

 それがセンにとっては一番辛いことだった。
 それを聞いたヲチは少し言葉に詰まる。状況は自分が聞いていたよりも複雑なようだ。
 二人の間にしばし沈黙が訪れた後ふと思い出したようにセンが口を開く。

「そういやあ、昨日山で起きたことは一体何だったんだろうな……?」

「……!」

 そうだ。昨日二人が遭遇した奇妙な出来事の数々。
 ごく一部で生じた強い地震、奇々怪々な進化を遂げた蟲たち、全力で逃げ出してしまうほどの異様な気配、耳障りな高音。

 果たして本当にあったことなのだろうか、とあまりにも非現実的な出来事に自分の目や耳を疑いたくなる。
 あんな鳴き声を発する生物を、あれほど異様な存在感を放つ生物を二人は知らない。そう、例えるならあれはーー

「怪物……」

 ぽつりとセンが呟く。

「そんな、大袈裟おおげさだよ」

 センの言葉を聞いてヲチはつい笑ってしまう。
 ただ、そんな風に思ってしまうのも無理もないと思えるほどあの鳴き声のような音はひどく不気味で現実離れしていた。

「きっと……風の音、つまり気のせいだったんじゃないかな」

「気のせい?」

「あの時は精神的にも肉体的にも疲弊ひへいしていて心に余裕がなかったんだよ。そういう時は見えない物が見えるし、些細な物音が恐ろしく聞こえるものさ」

「そういうもんかね……」

 センは納得しかねる表情だったが反論はしてこなかった。

 この時点で僕らの中ではさして大きな問題ではなくなっていた。
 きっと慣れない土地での奇妙な出来事の連続で精神的に不安定になっていた二人には何かの音がそう聞こえてしまったのだろう、と。
 そう自身に言い聞かせこの事についてこれ以上考えることを心のどこかで拒否していたのだろう。


 今思えばこの時もっとよく考えておくべきだったのかもしれない。
 僕らが背後に感じた異様な気配のことだけではなく局所的な地震のことや圧倒的な存在感を放つ蟲たちが集うどこか不気味な空間のこと。不自然な点はいくつもあったはずなのに。

 ただ、この時僕たちにそれ以上のことができただろうか。僕たちがもっと注意深く思考を巡らせていたら何か変わっていたのだろうか。
 ーーいや、結局それはただの結果論にすぎない……昔も今もそう、僕はやっぱり無力だ。無力なただの子供にすぎないんだと痛感した。

「龍奉祭が終わるまではいるんだろ?」

「うん……」

「あと五日か」

 二人は空を見上げる。晴れた空からは強い日差しが降り注ぎ忙せわしなく働く村人たちをギラギラと照りつける。
 この暑さの中での作業は相当大変だろうに自分たちより一回り小さな子供や老人ですら汗をかきながら勤いそしんでいるところを見ると現状居候いそうろうの身であるヲチは罪悪感にさいなまれる。
 とはいえ、カンコンに頼まれたことを無視するわけにもいかずため息が出る。

「ヲチは手伝わなくていいのか?」

「心苦しいけどね。君を見張ってろって頼まれたんだよ」

「はっ……ジジイのやつ余計なことばっか考えやがって……」

「君こそ何もしなくていいのかい?」

「俺は龍奉祭に関わるなってさ……」

「そっか……」

 やはりセンとヤギ村には埋めようのない深い溝があるようだ。
 十年もの年月、自分を憎み恐れる人たちと暮らすというのは一体どんな人生だったのだろうか。彼の苦悩を想うと自分の説得が薄っぺらく思えてきてしまう。



 ヤギ村のような土地も人口も小規模の集落では『龍奉祭』において必要とされる大量の食料を自分たちだけで用意することは到底不可能だ。
 それでもヤギ村が百年近くに渡って龍奉祭を完遂させてきたのは同じく小規模の近隣の村々との協力、連携があったからである。

 このように複数の集落の総力によって龍奉祭を催す村々を、たてまつる龍の風貌から山羊龍連合と呼んだ。
 山羊龍連合に属している集落はヤギ村を含めて八つ。龍奉祭の日が近づくと各集落から祭儀広場へと供物くもつである大量の食糧が運ばれる。

 各集落の村長たちと村長を補佐する二名ずつの付き人たちが広場にて山羊龍カプリコーンが現れるのを座して待つのが龍奉祭の冒頭部分である。
 祭儀広場にはヤギ村が最も近い場所に位置しているため、各集落の村長及びその付き人たちは龍奉祭が近づくと毎度ヤギ村の村長宅に集まるようになっている。

 五日後の龍奉祭のためカンコン宅の客間には各集落の村長と付き人たちが一堂に会していた。
 村長はほとんどが六、七十代と高齢だが付き人たちの年齢は幅広い。全員が久しぶりの再開と数日に迫った龍奉祭の話題で沸き立っていた。

「いやあ!お久しぶりですな、前に会ったのがたしか……」

「三年ほど前……でしたかな、コヤマ村長」

「そうでした、そうでした。たしか都市に向かう道すがらに寄っていただいたのでしたな」

「やはりこの歳になりますと……山を一つ越えてくるのは堪えますな……」

「そちらなんぞ、まだマシじゃ!わしらは十五日も前に村を出て山を三つ越えてようやくここに辿り着いたのだぞ!」

「マヤ村が一番遠くにありますからのう、ヤキグチ殿たちは大変でしたな……」

「前回の龍奉祭は悪夢であった……今回は何事もなければ良いが……」

「実を言うとな……その件でうちの付き人どもが内心怯えておるのだ」

「バカを言うな、もうあの女は死んだ。わしらは古来よりの伝統を守り山羊龍様に尽くせば良いのじゃ」

「しかし……だ。そうは言うがな、子供がおるじゃろう、あの女から産まれた子が」

「親は親、子は子で、子と親は同じ人格ではない。皆カンコンにそう言われて納得したのではないか?」

「うむ、その時はな。だが少し前からわしらの村で妙なことがあってな……」

「妙なこと?カソ村で?」

「ゴオン゛、ゴオン゛!」

 カンコンの咳払いで皆が静まり返る。

「皆、遠路遙々えんろはるばるご苦労じゃったな。しっかり休んで英気は養われたはずじゃ、これより『龍奉祭』最終事前会合を執り行わせてもらう」

 カンコンは付き人に目配せで指示する。

「それではまず食糧の……」

「ちょっとよいかの?カンコン殿」

 付き人の話を遮ったのはヤギ村から山を二つ渡ったところにあるカソ村の村長ソボクだった。

「ソボク殿……どうかなされたか?」

「皆がそろっておるこの場で一つ報告しなければならんことがある」

 そう言ってソボクは自身の付き人に目配せする。
 その場にいる全員が注目する中ソボクの付き人は少し前に出てくる。

「実は約三年ほど前から我らがカソ村の食糧蔵を荒らす不届き者が現れたのです。初めて発見された時はほんの些細な程度でしたが二度三度と繰り返される内被害は大きくなり、事態を重く見た我々は交代で見張りをつけその不届き者が現れるであろう時間には細心の注意を払いました」

「なんじゃ?熊や猪でも出たのか?」

「いえ、私たちも犯人の姿を想像した時、真っ先に思い浮かんだのは田畑を荒らす獣の姿でした。ですが、荒らされた食糧蔵の状況からそれはあり得ないと判断せざるを得ませんでした」

「食糧蔵の状況?」

「はい、荒らされた食糧蔵は壁や屋根だけでなく扉すらも全くの無傷だったのです。鍵穴が破壊されたわけでもないのです」

「つまり人の仕業ということか」

「我々もそう当たりをつけ十人ほどの男たちで不届き者が来るのを待ちました。外から来た何者か、あるいは村の悪ガキか、と」

「勿体もったいぶっとらんで早く結論を言わぬか!」

「奴らは下から……床を喰い破って現れたのです。何百、何千という蟻の大群が」

「蟻……じゃと?」

「現れた蟻たちは一番近くの男を襲い、噛む力が恐ろしく強いようで全身に蟻が纏まとわりついた男は泣き叫びながら助けを乞こいました。しかし、助けようとした者たちも同様に襲われ被害が増えるだけで皆手をこまねいていました」

「その者たちは……死んだのか?」

「いえ、しばらく襲われていましたが村の者が水をかけると蟻たちは退散していきました。襲われた者たちは皆命に別状はありませんでしたが全身傷だらけで何より心に大きな傷を負ってしまいました」

「つまりじゃ、カンコン殿に皆の衆。今はカソ村だけの被害に留とどまっておるがあの蟻が繁殖し生息地を広げれば……」

「次の龍奉祭に大きな支障が出かねんということか……」

「左様さよう」

「なんと……」

「まさか、心配のしすぎではないか?」

「わしらのほとんどが次の龍奉祭には代替わりしとるだろうがこんな問題を残して後世に託すことになるとはのう……」

「ソボク殿の言うことはわかった。報告感謝する。一度全ての集落でどの程度生息地を広げておるか確認してみる必要があるのう、最悪我ら山羊龍連合だけではどうにもならん場合はカッサランの力を借りるしかあるまい」

「繁栄都市カッサランか……どうもあやつらは傲慢で好かん」

「気持ちはわかるが、彼らとの繋がりは我ら山羊龍連合にとって大いに意味がある」

「言われんでもわかっとるわい」

「まあ、とにもかくにも今は目の前の一大祭儀を果たすことを優先せんとな」

 そう締めたのはヤギ村と距離が近く交流も深いサト村の村長であるキレレキだった。
 カンコンとキレレキは付き合いも長くお互いの村によく顔を出している。

 キレレキにとってカンコンは尊敬できる一本芯の通った男であり、カンコンにとってキレレキは若い頃から共に時間を過ごした最も心を許せる友人であった。
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